人を幸せにする人になろう

造幣局

◆明治3年11月にほぼ竣工した大阪の造幣局は、空前の洋風建築であった。そうか、京都や江戸城や ら、新政府の役所の多くは江戸時代の建物の転用。新たに建てたものがあったとしても、規模はそう大きくない。そのなかで、政府機関として最初の新規洋風建物として突出した規模のものだったんだ。

今度は今城塚と

◆周濠の輪郭はあっているような・・・
◆狐井城山は武烈墓なんでしょうかね~、なかなか否定しにくいわな。
◆遊んじまった。授業のレジュメ、なんとか終わり。さて、金曜日のプレゼンテーションの準備・・・。明日には資料を出せと言われており、今日は午後、それをしようと思っていたが、授業準備で終わっちまった。

狐井城山はなんかやっている

◆2022年1月に、岡ミサンザイと重ねていますね。

室宮山

◆空中レーザーの成果図をはじめてさわりました。後円部と前方部のトップがあまり変わらず、上 石津型とみてきたが誉田型かな~、と昨日だったか思ったのですが、明日の授業の準備をしていて、少しやってみる気になった。誉田ではあわない。で、やはり上石津の方がしっくりきますね。上石津280歩vs室宮山180歩です。前方部の高さが高まっていることは、どういうことなんだろう。
◆現地で前方部埋葬だ、と思ったんですが、張り出しが片側に寄ってますね。
【追記】その後の検討で、誉田御廟山型との見方に戻った、と思う。

天変地異が心配

◆阪神タイガースが負けない!。何か天変地異が起こらなければいいのですが・・・。ま、今年こそ優勝ですね。

ある原稿

◆日本史大辞典だけからのごくオーソドックスなもの。

◆「大阪市史編纂資料」のうち51点が重要物産同業者組合関係の簿冊である。明治時代に入り株仲間が解散すると粗製品の乱造・乱売が生じ、同業商工業者の組合設立の動きが始まる。政府は明治17年(1884)に「同業組合準則」を定め、株仲間にかわる組合設立を促した(「準則組合」)。賛成多数で設立されると加入が義務付けられたが非加入者への罰則がなく実効が上がらなかった。そこで明治33年(1900)に「重要物産同業組合法」が制定され、以後、急速に普及した。しかし粗製品の取り締まりは組合に任されたため、「弊害の矯正」という目的は十分ではなかった。昭和に入り、工業組合や商業組合が法制化され、役割は低下し昭和18年に廃止された。

まことに恥ずかしい事態

◆昨年の大歴大会報告およびヒストリアにまとめた論文のうち、キーとなっている佐紀陵山古墳のスケールが少し違っていたよう。なかり早い時期に陵墓図をトレースし、いろんなところで使ってきて、いろいろ複製があるなかで、たとえば1/1000としていたものでも、やや実際にはより縮んでしまっていたものを、ダイレキ大会報告の準備段階から使ってしまっていたようだ。数日前から、各陵墓ごとに統一されていなかったものを整序していて、複数のトレースデータを重ね、ズレを見つけてしまいました。まことに恥ずかしい限り。やはり150歩なんでしょうかね。
◆データの整序とは、0方位にあわせたトレース原図があり、次に1主軸を縦にしたもの、次に2発掘調査が行われているものはその調査区を記入したもの、次に3墳丘復元をしたもの、次に4設計寸法を記入したもの、あとはシルエットにしたものとか断面作成作業用など。ひとつにしてもいいのだが、重くなりがちなので。これを、これまで作業してきた陵墓についてファイルの階層をすべて統一する作業です。

やっぱり手測り

◆むろんお金があれば、伐採など地表条件をよくして、空中・地上レーザーをやってもらうに越したことはない。ただしそれでも、考古 屋としては納品データを調整する必要はある。
◆で、信太貝吹山をやっていて、2001年の業者委託の測量図のイメージより、実際に測ってみると、きれいに墳丘が残っている印象を受ける。2つをならべてみます。思いのほか、業者委託の図も、ある程度の細かさで取っているのかもしれませんね。等高線の様相も大局であまり変わらないようにも見えるので。とはいえ、測点がそれなりの密度であったとしても、レーザーでの測点数に比べればはるかに少なく、ソフト上で限られた測点から図化すると、やはりこうした図になる。そこは、昔ながらではあれ、25㎝ごとに実際の等高線をそれなりの間隔で追いかけ、現地でつないだ図の方が、絶対的に正確なわけだ。
◆それとやはり地形点を入れる意味は大きいね。墳丘面はどこまで残っているのか、一目瞭然だ。
◆前に測量業者さんと話をしていると、やはり測量行為は同じであっても、われわれの墳丘測量のような測量は、いまの業者はまったくしないということを理解する。レーザーで無数にやられると、表面把握度は負ける。が、昔の単点レーザー測距儀の時代でいえば、造山なみに30㎝とか50㎝間隔で膨大な点を拾っていくのは別にして、限られた測点で図化して「はいできあがり」では、考古学では使いものにならないということです。世の中には無数に、こうした業者委託図があり、金を落としたが、墳丘はとらえられていないものが多い。そこは、高槻市が今城塚の整備にあたり、まずは自分らで測量図を作成したのは、やはり偉かったというべきだろう。

2023年5月27・28日、信太貝吹山古墳の測量

◆これもいろいろあって、和泉市史のこともあり、近場での測量実習として手をつけることにしま した。もう1ヶ月早くやりたかったのだが、5月下旬となり、木々の新緑や下草に苦労しましたが、和泉市さんのご協力をいただき、ひとまず2日間、残丘となっている上段部の測量を実施しました。
◆ひとつ測量ミスがあり、すべて終わらず上段部での空白部が残るが、おおむね埋まる。残丘というのは失礼な話で、上段斜面がよく残っていることがわかった。削り込まれて崖面になっているところ以外は、よく残っている。
◆この古墳、残丘部の周囲の平坦面は、テラス面を拡張して家が建っていたところで、下段はさらに下に続く。なので、墳丘はかなりの大きさになると思います。そして周濠があって、その外の肩がある。帆立貝といわれていますが、米軍写真などで、本来の姿を見直しているところです。周囲の街区部の起伏が手がかりですが、簡単ではありません。右下、南東部方向に前方部ないし小方部があるのだと思います。

竹原、行ってみたいですね 記事№5900

◆そういえば中世史の院生が就職していたような・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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