人を幸せにする人になろう

2023年9月30日 徳島8 勝瑞の城と館

◆上板にも行くが、16:28くらいに歴史民俗資料館に到着するも、既に閉められていた。取って返 し、藍住町でも東端に近い勝瑞の城と館に行く。
◆細川の守護所だった場所。そして三好の本拠地。城跡が知られていたが、道路をはさんで南側の鉄工所になっていた場所から館跡が見つかり、ともに国史跡となっている。脇に埋蔵文化財センター機能をもち、展示施設も兼ねた調査基地があるが17時をまわっていて閉まっていた。
◆このまま愛媛に向かうことも考えたが、帰ることにする。

2023年9月30日 徳島7 藍の館

◆そこから藍住町に向かう。 日本遺産になって、大画面での動画は楽しい。が、2階の展示室は、そうした藍葉から蒅(すくも)を作り、それで売り買いされ、そこからどう染色するのか、動画にあったような基本的な説明がほしいところ。古文書や道具類に即した展示はむろん必要なのだが。ここでは、例えばハンカチ1000円とか、1530までに申し込めば染物体験ができるのが人気で、みなさん白い布地をもって、奥のなんとか家のところの体験施設に行くのだが、展示はスルーしている。

2023年9月30日 徳島6 矢野古墳

◆資料館の横に開口する横穴式石室墳があるというので、敷地を出て探しに行くが、導線を明確に 示してほしいもの。うろうろして見つけないといけない。

2023年9月30日 徳島5 市考古資料館

◆立派な施設です。一度来たような気はするのだが・・・、ほぼ覚えてない。
◆企画展の国分寺・国分尼寺は、展示室の中央にボードを配列してやっていた。図録はカラーコピーのホッチキス留めで、手作り感ある。
◆例えば宮谷の三角縁。あれ展示室にあるのはモノホンですよね。ガラスでさえぎられていないのだ。さわりはしなかったが、顔を近づけることができる。渋野丸山の埴輪もある。で、国府推定地・国分寺・国分尼寺が一帯に集中していることがわかる。

2023年9月30日 徳島4 宮谷古墳

◆平成元年の調査で三角縁が3面分。翌年の第2次調査でかなりの調査区を設定して調査を実施した が、鏡は出なかったらしい。
◆現地の看板の写真も撮ったが、とみやのラーメンと同じく、コンデジのSDへの保存がうまくいっていないらしく画像がないのだが、そこには、いまの墳丘裾のめぐる基底ラインの外にも、青い基底ラインので線が、墳丘側面と前方部前面側にあって、本来の墳丘はどのような復元案になっているのか、確かめないといけませんね。

2023年9月30日 徳島3 十三八のラーメン

◆徳島市の考古資料館に向かう。矢野遺跡である。昼飯どころをさがし、スマホで出てきたので行った「とみや」さんは、名前の知られたラーメン屋だった。13時過ぎだったように思うが、次々と客が入れ替わっていく。

2023年9月30日 徳島2 徳島城博物館

◆市街地に戻り、お城。駐車場に入れ、歴史館に行く。蜂須賀25万7000石。 この建物はいつ造ったのですかね。
◆常設展の展示の導線がよくわからんし、パネルの筋もよくわからん。いまの素材を使い、もっと構成をわかりやすくできるようにも思うが。水軍?を扱う人がいて、お城の脇に本拠地があり、あと3か所にも配置されていた、とか書いてあった。面白いのだけれど、常設展の図録がない。
◆企画展示室の展示を見る。大正期のまちなみ写真が3枚、文献から複写し大きなパネルになっていた。これ空襲でほぼ焼けたのだろう。どこともそうだが、失われた町屋、そのなかにあった調度類や美術品、古文書など、すごい量になるのだろう。
◆博物館横の庭園に入るには50円。博物館に入れば庭園にも入れるのだが、50円を取る庭園などフリーにすればいいのに。蜂須賀家第19代の女性はアメリカ在住で研究者らしいが、子供なく、いずれ蜂須賀宗家は断絶です。明治になってのお家騒動?は洲本の博物館で学んだが、どんな話だったか?。以下、ウィキ。庚午事変というのだそうな。

 徳島藩洲本城代家老稲田家(1万4千石)は、戦国武将稲田植元を祖としており、植元は蜂須賀正勝(小六)と義兄弟の契りを交わし揃って織豊政権に仕えていたが、蜂須賀家政の阿波入府にあたって植元は蜂須賀家の「客分」となった。以降、稲田家は徳島藩の家臣としては破格の待遇を受けてきたが、幕藩体制が進むにつれ、蜂須賀家と稲田家の関係は対等関係から主従関係へ変化し差別的な待遇をうけるようになった。このような経緯から主家である徳島蜂須賀家との様々な確執が生じることとなった。
 幕末期、徳島藩側が佐幕派であったのに対し稲田家側は尊王派であり、稲田家側の倒幕運動が活発化していくにつれ、徳島藩側との対立をさらに深めていくようになった。そして明治維新後、徳島藩の禄制改革により徳島蜂須賀家の家臣は士族とされたが、陪臣の稲田家家臣は卒族とされたことに納得できず、自分たちの士族編入を徳島藩に訴えかけた。それが叶わないとみるや、今度は洲本を中心に淡路を徳島藩から独立させ、稲田氏を知藩事とする稲田藩(淡路洲本藩)を立藩することを目指す(そうすれば自分たちは士族になる)ようになり、明治政府にも独立を働きかけていくようになる。稲田家側は幕末時の活躍により、要求はすぐ認められると目論んでいた。
 明治3年5月13日(1870年6月11日)、稲田家側のこうした一連の行動に怒った徳島藩側の一部過激派武士らが、洲本城下の稲田家とその家臣らの屋敷を襲撃した。

2023年9月30日 徳島1 渋野丸山

◆この日仕事をして徳島に入り、翌10月1日は徳島をぶらぶらと考えていたが、天気よく、この日に徳島に行き、10月1日は仕事をすると、入れ替えることにした。
◆昨年、12月に中四国研の前に現地に行かないとと思いつつ、行けていなかった。はじめてです。徳島市街地からもそう遠くはない。改めて、墳丘はかなり改変されている様子を目の当たりにする。が、地道な調査で、ほぼ墳丘復元案を得られている。2017年の報告書を見ないといけませんね。ダウンロードできるのは2006だ。

秋めいてきました

◆あれ涼しいなと感じたのはいつだったか。先週のどこかだっただろうか。
◆今日は見事な満月が東の空に上がっていますよ。いま18:46。19:30になれば12時間労働ですね。今日は20:30くらいの予定なので、13時間だ。

謝金ウザイ

◆学内誌の編集委員長の仕事を久しぶりにする。外部査読者への謝金支払いの書類がうるさくて、かなわん。たった〇円でっせ。あ~あ。
◆浜村淳、3月で勇退。大昔は朝、MBSラジオをつけると、8時前くらいで浜村さんだった。ずっと朝起きれば、ラジオをつけていたわけではない。テレビもあったし。が、テレビがなくなり、だいたい朝起きればラジオをつけるようになり、10年くらい前には6:00~8:00の「子守康範 朝からてんコモリ!」になる(5時代もやってたんですね)。 古川圭子(月曜・火曜)さんとか、亡くなった高井美紀(金曜)を知る。この番組が、2008年3月31日から2021年10月1日まで。とはいえ、6時から聞いているわけでないですよ。それが7時代以降だったものが、歳を取るとともに、6時代からというのが常態となる。2021年10月4日(月曜日)から「上泉雄一のええなぁ!」(6:00~8:00)に代わり、引き続き聞いています。
◆布団を回収してリサイクルする会社が西脇市にあるという。全国にブロックごとに事業所?、工場を置いているのだとか。
◆この数日、ヒストリア300号の3校の最終点検に忙しかった。20名の人に原稿依頼した論文集で、350頁分あって、ひととおり見るのもたいへん。が、ほぼ直しは終わってきた。あと、細かいところ5点ほどあるが、あとは消化試合ですね。10月6日校了をめざしていたが、それより校了は早くなりそうである。なので、次は12月号の大会特集号の入稿である。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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