人を幸せにする人になろう

2023年9月10日、新居関

◆省略してと。豊橋2日目は、まず国史跡となっている馬越長火塚古墳(なかなか の横穴式石室)、 豊川へ向かい、豊川稲荷。三河国府、国分尼寺と横の資料館。そこから姫街道で三ケ日へ抜ける。浜名湖沿いに南下して新居関に。新居関は、浜名湖が切れて渡しとなっている西側に位置する。ここでも、近世の関所の建物が残っているのは、ここぐらいという説明だったか。発掘調査に基づく復元建物も1棟、そして資料館が併設されている。いまの1号線は海沿いで、通常は通り抜けてしまう。新居宿では、旅籠だった紀伊国屋が公開施設となっている。小松楼というところも見学。その向かいの「きんたろう」(元わらび餅屋)。
◆そこから旧東海道沿いに戻る。海沿いのヘリを進み、汐見坂というところで段丘に上がり、少し行くと白須賀宿に到達する。手前に資料館があったので寄る。白須賀宿を抜けたところで、伊能忠敬の第4次測量の際の原点が明らかになった記念碑があるというので、立ち寄る。豊橋に入ると、ほぼ国道1号線が旧東海道を踏襲しているところも多いようである。
◆16時前に車を返却し、新快速で名古屋に出て、ひのとりで帰ってくる。19:30くらいか。ばたんと寝る。明日11時から久津川は図面に入るということだったので、画板を用意して出しておきながら車に積むのを忘れていたが、マイラー含め、それは明日、早朝に取りに行くことにする。

2023年9月3日、紀伊

◆R大の学院生が紀伊風土記の丘の企画展を見に行きたいというので、つきあうことになる。学生・ 院生4人とJR和歌山駅で待ち合せ、風土記の丘、そのあと来たことがないという者もいるので山登り(汗だく)、市博、そこからシャカノコシなどに向かうが、その前に、製塩遺跡で著名になった西庄がどんなところか見に行くことにする。で、それは車で通過し、この辺が西庄というくらいのものだが、海を見に行くことにする。沿岸が住友?の工場になっていて、その間が東西方向の緑地公園になっているので、その先の西側海岸をめざす。乗ったことはないが南海加太線があり、進んでいくと、磯ノ浦というところに到達。サーファーなどがうじゃうじゃいてビックリ。まだまだ夏ということに気づく。
◆17時前にJR和歌山駅で解散。

2023年9月9日、豊橋7

◆吉田城の後、海を見に行く。あんまり順番を考えていないので、城に行くのに北上し、また南下したわけです。たぶん寺沢海岸というところ。中央構造線によるこの沿岸部、海に面して標高50mほどの高さがあり、その内側の方が低くなっている地形。東向きのこの写真は、反対側に西日があり、影が長くのびている。ウミガメの産卵地であるらしく、浜に車を乗り入れることが禁じられている。
◆豊橋駅前に戻り、伊良湖港の魚を出す店に入る。ブログを書いて、だらだらテレビを見ていたらサッカーが始まり、2-1まで見たが、明日もあるので寝る。
【追記】豊橋といえばウズラ卵なんだそうです。そういえばウズラ卵を使ったプリンを食べました。

2023年9月9日、豊橋6

◆帰りに肉屋さんに行き、コロッケ2個を受け取る。みそ味。その味噌は本陣の家が作っていたのだそ うだ。その味噌を使っているので「本陣コロッケ」という。あまり歳の違わないくらいのオニイサンでしたが、いまは街並みとか景観といった価値が謳われているが、住んでいる者には当たり前の姿で、特別なものは「なにもない」と思っていたという。あと本田食品のレトルトカレーの話でも盛り上がる。
◆そこから吉田城へ。豊橋公園となっていて、その一画に美術博物館がある(閉まっていたけ ど)。

2023年9月9日、豊橋5

◆資料館に車を置いたまま、東海道を東に歩き駒屋へ。公開施設となっている駒屋は分家で、その東にあ  るゴツイのが本家とのこと。駒屋の手前に肉屋さんがあり、本陣コロッケ2コを、帰りにもらうので揚げておいてもらうことにする。
 ◆で駒屋。こっちの運営はNPOのようで、これはこれで、敷地の奥に小間物屋やカフェなどがあり、楽しい。また実にさまざまなイベントを企画しているようで、月々の企画の案内がカフェに置いてあった。運営について詳しく聞こうかとも思ったが、やらなかった。2つの公開施設とも同じNPOが指定管理者になっているのかもしれないが、本陣には資料館があり、学芸 の人もいるように思われ、より豊橋市が直接かかわる部分もあるのかなと。
  ◆それはともかく、駒屋奥の小間物屋は、雑貨屋というのか、二川宿のグッズショップで、店員さんとカミサンが長い話になる。ひとつは、酒蔵に行くと売っている前掛けがありますよね。全国の酒蔵が作っているこの前掛けは(船の帆の生地で作るので「穂前掛け」とあった)、豊橋市で作っているのだそうであ る。いろんなデザインのものがならぶ。野帳と携帯を入れておくにぴったりの小さなショルダーを 買う。
◆あと、豊橋といえば筆なんだそうです。高級筆の7割のシェアだとか。ところが実情は、筆の軸になる竹を扱う職人がほとんどいなくなっているわ、筆部の毛はイタチの毛とのことで、ほとんど中国に依存しているのだが、これが入ってこなくなっているのだそうです。これ。19世紀に殿さんが京都から職人を招聘し、下級武士に手に職をもたせるようにしたのが始まりだとか。
【追記】名物の味噌田楽。

2023年9月9日、豊橋4

◆町屋建築の街並みがよく残っているとはいえない。建て替わっているものが多い。よく残っていればデンケンになっているわな。 が、本陣や鍵屋はじめ、それ以外にも町屋建築はちょこちょこあり(写真上)、全体として宿場町の雰囲気はよく味わえる。豊橋市および地元は、東海道の宿場町として「マチおこし」をしようとしているようだ。共通の暖簾を掲げ、現代建築に建て替わっていても、江戸期には「〇〇屋」だったという木製看板を表に出し(写真下)、一体感を醸し出そうとしている。豊橋市では、歴史的景観にかかわる条例を制定しているようで、それを適用している。
◆東海道の宿場町として、自分らのところに残るエエもんを大事にしていこうという姿勢がうかがえて、なかなかよかった。

2023年9月9日、豊橋3 記事№6000

◆二川宿は、東海道が東西に通り(鍵の手の屈曲が2箇所)、短冊形の家屋敷が一 定の長さにわたって続くシンプルな宿場町である(そう大きくはない)。で本陣が残っており、豊橋市が修理し公開施設とし、資料館をその建物の奥に併設している。本陣内部は、抹茶を出す部屋があったり(写真下)、また手芸グループの作品展などに使ったりしている(写真上)。
 ◆本陣、参勤交代の大名や幕府の役人など、偉いさんが宿泊するものだが、いま全国で残っているのはわずかしかないのだそうである。矢掛・郡山(茨木市)・枚方・草津など、行ったことのある名前も挙がるが、全国で15くらいしかないようで(正確ではない)、そういう図がある。そんなに残っていないものなんですね。本陣を経営していくのも大変らしく、二川宿に公開施設となっている本陣は、3代目だそうである。
◆本陣の隣の旅籠も公開施設になっている。あとは東に進んだところにある駒屋も、豊橋市が公開施設とし、いまNPO法人が運営している。
【追記】記事を6000件も書いてきたんですね。チリも積もればヤマとなる。

2023年9月9日、豊橋2

◆吉田城下に、東海道53次の吉田宿があるのだが、そこから東海道は、南東方向に進み、遠州灘に近づき、東へ進むと「二川(ふたがわ)宿」がある。三河の東端の宿場町で、その先、国境を越えると遠江に入る。浜名湖も近い。
◆この「豊橋市二川宿本陣資料館」の展示がよかった。東海道53次の宿場町で、同じような展示施設はほかにもあるのだろうし、それを知らないのではあるが・・・。平易でわかりやすく、図等もよくできたパネルがならぶ。伝馬という制度について 説明があり、公的な荷物などは馬・人足により、宿場ごとにリレーされ、隣の宿場を越えて先へ行ってはならない。順々に継いでいくから53次というのだそうである。そして馬100匹・人足100人だったかを備えるが、それを補う助郷という制度の説明など、なかなかよくわかる。19世紀の問屋場の帳簿が残っており、取り扱った荷物量の増加グラフもあった。これらよくできた文・図表からなるパネルや展示物が、図録(1000円)に収録されているのがうれしい。

2023年9月9日、豊橋1

◆朝、豊橋に行くことになる。本日10時からの、ある仕事はゴメンナサイ、さぼります。宿を取 り、おおさか東線で新大阪に向かう。こだまで、車中、2人とも科研申請書を書いている。豊橋駅着は12:30すぎ。お金をおろし、新幹線車中で予約したレンタカーを借りる。
◆残念なら博物館は休館中らしい。で、車中で調べた二川(ふたがわ)宿の資料館に向かう。これが実によかった。
◆ところで。豊橋という地名は明治の産物で、もとは(三河)吉田なんだそうです。近世城郭の名前も豊橋城ではなく「吉田城」。池田恒興の2男であった輝政が15万石で入り、城を大きくするも、その後の譜代大名の石高は大きくなく、3の丸などの城域は画されても(堀を掘るところまではやったということでしょうか)、手つかずで幕末を迎えたのだとか。

2023年9月6日(水)、職場で仕事2

◆で6日(水)の話。メールを開いて紀要の査読関係の仕事に気づく!。今週中にすべての原稿について正式依頼までもっていくことをすっかり忘れていた。編集委員からいくつか問い合わせも入っており、紀要の仕事が終わったのが18時過ぎ。この間、粗大ごみとして、発掘器材庫の不要な道具と133のPCラックを廃棄する。ほんま、何をやっているんだか、という調子で時間は過ぎていきます。
◆ヒストリア300号の最後の原稿が来て、また入稿している分の再校も出て、そういう仕事もしていた。科研の申請書まで到達しない。こんな調子で、よくできた申請書は書けませんね。いまからまた、ヒストリア12月号の大会特集原稿の、未提出者への催促仕事があります。
◆大学は夏休み。職場に来ても、ほとんど誰もいません。オレも夏休みが欲しいね~。カミサンと八幡浜へ行くという話をしているが、科研申請書を考えると無理か・・・。
◆歳を取り、淡々と仕事をこなしてはいるが、アドレナリンが体中にみなぎるようなことがなく、枯れています。が、そこは気持ちの問題でしょうか。やる気まんまんとはいかないが、楽しみや喜びを見出せるか、でしょうか。さぼっているわけでなく、仕事は進んではいくが、そうして過ぎていくのでなく、今日はこれを重点的にやろう、これを頑張ってみようと、小さな目標を作り、ささやかな達成感をえるというところか。
◆あと、この歳になると、いろんな雑用を引き受けるようにしようと思っている。研究室の若い教員は、むろんいろんな仕事をしてくれています。いまは森之宮移転にあたっての図書の選別が進んでいます。むろんみな分担なのだが、試験監督とか、なんとか試験の問題作りとか、若い人になんでも押し付けることのないよう、年寄りは、やれる雑用を引き受けるべきだ、と。

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HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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