人を幸せにする人になろう

小山田遺跡

◆3月末に八木で呑んだとき、先輩の話を聞く。小山田遺跡の西にも適当な尾根先端部があり、これ が蝦夷と入鹿の墓で、これらを破壊した後、宮ヶ原古墳に遺骸を埋葬したのだろうという話を聞いた。なるほどです。2つあんのか、というところが問題だったが、ちょうど横並び、宮ヶ原が最終的な埋葬墓とする根拠はいま理解していないが、すべて説明が可能である。なるほどです。
【追記】新聞を見ると、朝日カルチャーセンターでこれに関する講座があり、舒明初葬陵説について講義するのだとか。どうするんですかね。カシコーケンが発表するのは、なんでもデカデカ報道し(弥生の米が現代のものという誤りも象徴的です)、さっそくに講座で速報してくれと。考古学の大本営発表みたいだし、それを求める需要もなんだか形成されている。根拠が希薄なのに結論めいた話をするのは、藤ノ木人骨の性別問題と同じではないでしょうか。個人的にそう思う人があってもいい。しかし、普通は組織として発表するとなれば、いろんな意見を聞きつつ、言える範囲で言及するのではないか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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