人を幸せにする人になろう

相変わらず

◆市大日本史の論文5本、合同調査、購読など、大物はすべて入稿済みとなり、なんとか今号も間に 合うのではないか、との見込み。ここまでの進捗(戦いの記録)を出しておこう。
◆朝から、芦部町の図を作る。どうしても正方位だと表現が難しいので、条里にあわせて振る。昨年の合同調査の時に気づいたが、結局のところ、芦部町は坂本郷の、ひとつの里の単位が旧今在家村の村域となっている。今在家の名が示すように、村落成立は比較的後発と考えられるが、東の坂本、西の一条院から、どっかの段階で村域が独立したわけだが、それは古代的な36町を単位とする1里を基準としており、それを考えると、村そのものの成立は遅いとしても、今在家村となる 坂本郷域内での耕作の単位としての里は、伝統的に存続していたと考えられると思う。これ古代的なものが変容し中世でも意味を持ち続けた土地の単位であり、日本史上、きわめて重要だと思うんですけどね(カン)。実にものの見事に条里を基準に村域が作られているわけだ。
◆なお、右上は坂本寺のある段丘上の正方位地割の認められる部分。それと、切り離された右側になる坂本村の、太田井の水掛かり範囲は狭く、太田井が灌漑する主たる田地は、この芦部町の水田。これこそ5世紀に根使主弾圧にともない茅渟県主の袋かつぎとされた坂本氏が入植し、6世紀に開発を進め、推古朝の4大夫の1人糠手を生み出した生産基盤なのである。蘇我氏とも近く、軽寺式の坂本寺を640年代には建立させる。坂本糠手がここで生まれ育ったと考えれば、楽しいではないか。
◆さて次は信太山の戦後の図にとりかかろう。
【追記】芦辺町の図、信太山の戦後の図、門林家の系図、この3つの図面に7時間を要した!

プラグイン

カレンダー

08 2024/09 10
S M T W T F S
2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13
16 17 18 19 20
22 23 24 25 26 27 28
29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索