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4月12日、三田現地見学検討会

◆雨が降り続く中、土曜日から晴れ、さいわい12日の日曜日も晴れでした。京橋から東西線経由 で、尼崎、そして三田に行く。午前中、三田の町歩き。とても丁寧に町の成り立ちを教えていただいた。武庫川がしょちゅう氾濫していて、水に浸かっていたのだとか。いまでこそ橋がたくさんあるが、もともとはひとつで、武庫川西岸の本町などに対し、川をわたった東方の三輪社に至る街道沿いも町場となっており、複合的な面がある。
◆それと有馬郡のほぼ中央が三田で、郡衙はいまの市街地でなく播磨に抜けるもうひとつ南が有力候補地だそうだが、三田には古代寺院があり、やはり早くから盆地中央部の平野に面した地域の中心地であったようだ。しかし、近世の支配で、三田藩は有馬郡北半部となり、南半部は切り離されたらしく、これにより、その後、南は神戸市北区および西宮市に編入されていく。したがって三田市域は北半なのだが、三田市街は盆地中央部なため、市域の南端になって しまっているのだとか。
◆九鬼が志摩から入るが、お家騒動を好都合と、通説では水軍を擁する九鬼を陸に上げる幕府政策と言われているらしいが、そうでもないとのこと。そして、幕末に藩政改革を進める。九鬼隆一は東博初代総長として著名だが、白洲退蔵、川本幸民、あるいは神戸に出て儲け神戸市長になっていく家など、なかなか面白い人物達が輩出している。
◆午後の検討会の1本は、城跡や陣屋の発掘成果で、おおよそ三田城や陣屋跡がどこまでわかっているか、知ることができた。また町場の調査でも防火用の水溜めなどが検出されていることを知る。

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雲楽
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60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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