人を幸せにする人になろう

歴史学実習旅行

◆実習旅行の記事も3回目になる。今年度は、丹後・若狭・湖北であ8377463d.JPGる。ちょっと欲張りすぎで、丹後だけ、若狭だe04dd5f4.JPGけでも十分に見て回るところがあり、その方がいいと思うが、それは旅行委員が決めること。仁木先生のもと、旅行委員長はじめ、今年の旅行委員は活発に準備をし、立派なパンフレットを作成し、旅行期間中もほんとうに頑張っていたと思う。
◆8:00大阪府立体育館前に集合し、バスで丹後に向かう。高速道路料金が安くなり土曜日の交通量は多く、1100与謝野町の古墳公園は30分近くずれこんだ。加藤さんの案内で埴輪館を見て、蛭子山、作山古墳群を見学する。思えば蛭子山に最初に来たのも、わたしの大学3年の研究室旅行だった。考古学研究室の旅行なら、丹後に来たなら網野銚子山そして神明山古墳にも当然足をのばすことになるが、今回は伊根に向かう。与謝野町ではちりめん資料館も、歴史の題材としてはいいと思ったが・・・。
◆昼は天之橋立の見えるドライブイン、ここ、最近、来たことがある、いつだったかな~。手こね寿司というんだそうだが、実に酢飯が薄かった(約1㎝)。
◆伊根に向かう途中、びっくりするほどリゾートマンションが建っていたので驚く。
◆伊根、前に来たのは1990年代前半か、あまり覚えていないが丹後半島を一周した。1993年の「ええにょぼ」のあとで伊根が有名になってからだったと記憶するが、その時には、船屋は見ておらず、上からながめただけだった。今回はまず、遊覧船に乗る。かもめ?が待ちかまえていて、エサを求める。かっぱえびせんをエサとして置いていて、2袋買って、空に投げ、しばらく楽しんだ。このかもめ、きっと塩分0d2443c7.JPGの取りすぎに違いない。遊覧船でみなおおはしゃぎ。天気もよい。
◆そのあと、前にも来た案内所にバスで行き、3班に分かれて、船屋を見学する。うちの班はまず、展望台から全体の説明。ボランティアのガイドさんは、解説ボランティアの中でもベテランで、何度もテレビ取材に対応したらしい。鯨猟についての話、1945年の軍艦の伊根湾への避難と米軍の攻撃の話を聞く。海岸に降りて資料館、そして町を歩く。伊根のブリは、氷見それから五島列島だったかとならび有名なんだそうだ。1尾数万円という。
◆16:00過ぎに出発し、丹後郷土資料館、いまは丹後ふるさとミュージアムというのかな。吹田さんに解説をお願いしていた。もう夕刻近くになっていたが、展示解説のあと、国分寺現地も夕闇の中説明をしてもらった。奥村さんは留守。そして大丹波展が終わったところで、それは残念であった。吹田さんの解説は実によかった。
◆夕闇の中、宮津の宿に泊まる。300年続く旅館で登録文化財となっている建物だった。夕食時に、刺身とカニを前にビールはなく、自分で勝手f19c598f.JPGに自動販売機でビールを飲み、あとに何人か続いた。恒例の宴会、疲れていたが1時までつきあう。同部屋efd9e225.JPGの佐賀さんはそのあとまでがんばり、部屋に戻ったが「寝られなかったので、3回蹴った」と翌朝告白。いびきが大変だったようである。疲れてたんですよ、すいません。
◆このところのさぼりでけっこう追い詰められていたが、前日の金曜日にかなりこなしたので、なんとか楽しく旅行に出発することができた。2日目以降はまた・・・

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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