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河内大塚山立ち入りに際してのレジュメ

河内大塚立ち入り観察メモ(2010.02.18.)岸本直文(大阪歴史学会)

河内大塚山古墳は未完成か

(1)河内大塚山古墳の年代観
・近世末 雄略陵(丹比高鷲原陵)説
・1968上田宏範『前方後円墳』 土師ニサンザイ古墳(D型式)に酷似 これに後続するもの(倭王武)
・1978森浩一『大阪府史』第1巻 中期古墳とされてきたが、埴輪の欠落を未完成とみることも一案だが、「ごぼ石」の存在からも、埴輪が樹立されなくなった後期古墳となる可能性がある。
・1979石部正志ほか「畿内大型前方後円墳の築造企画について」(『古代学研究』89) 剣菱型前方部
・1981原島礼二ほか『巨大古墳と倭の五王』 低平前方部+剣菱形前方部+埴輪なし+ごぼ石=年代は下降する。
・1983近藤義郎1983『前方後円墳の時代』 墳丘寸法の類似から上記を承けて五条野丸山に近い6世紀後半
※5世紀後葉の雄略陵(丹比高鷲原陵)との見方→森浩一が年代下降示唆→後期古墳との見方が定着

(2)後期の倭国王墓だろうか
・継体の三島藍野陵=今城塚古墳(高槻市)
・安閑の古市高屋丘陵=高屋築山古墳(羽曳野市)
・宣化の身狭桃花鳥坂上陵=鳥屋ミサンザイ古墳(橿原市)
・欽明の檜隈坂合陵=五条野丸山古墳(橿原市)
・敏達の未完陵=平田梅山古墳(明日香村)※高橋照彦説
※河内大塚は丹比にあり、列挙した6世紀の倭国王墓で丹比を冠するものなく、また上記の比定で敏達陵をのぞき異論は少ない。あてうる倭国王はいないのではないか。敏達の可能性が唯一残るが、敏達の本拠を考えた場合、桜井周辺ないし広瀬郡であって、河内の丹比に王墓を営む蓋然性は低いだろう。
※倭国王墓でないとの見方や、安閑陵など、陵墓名が正しくないとの見方に立てば、なお検討の余地はある。

(3)やはり中期古墳ではないのか
・河内大塚は百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間にあり、大津道に面する。大津道の整備は7世紀であろうが、前身は5世紀にさかのぼるだろう。河内政権の段階において、外港である住吉津ないし大津川河口(百舌鳥)から、本拠古市をつなぐ陸路がなければならない(磯歯津道を含め)。大津道に平行する5世紀後半の溝も検出されている。
・河内大塚はこうした東西道(大津道の前身)に前方部を向ける。河内政権の時代にふさわしい。

(4)未完成ではないのか(中期古墳とすれば)
・中期古墳とすれば埴輪・葺石がないことはまず考えられない。
・前方部が低いのは、五条野丸山に通じる最後の前方後円墳の時期であることを示し、かつ大塚村があったからと理解されているが、5世紀後半の王墓とすると前方部が後円部を凌駕しもっとも高まる時期。それを崩したとなれば、丁寧な搬出を考えない限り、現状のような整った前方部の形態を留めていることは理解できない。
・後円部はあまり着目されていないが、ほぼ同規模の土師ニサンザイ古墳で汀から高さ約24mあるのに対し、大塚山は約19mである。20m近くほぼ円丘に盛られているとはいえ不整であり、斜面に明瞭なテラスはない。
※中世には丹下城、のちには天満宮(大塚社)、墳丘東側に寺院があった。→後円部の墳丘斜面の観察
・後円部の周濠はかなり浅そうである(前方部側は不明)。墳丘盛土は濠を掘削して基本的にまかなわれるが、
周濠が浅いとすれば(【追記】工事立ち会いの見学会に参加しなかったので、こう書いたが、実際、浅いそうである)、掘削土量が完成までに必要な量に達していないのではないか。
・[参考となる未完成の類例]岡山・赤磐市両宮山古墳は、大仙型の前方後円墳(5世紀第3四半期)で、確実に埴輪・葺石がなく、また再測量により墳丘が完成された姿でないことが明らかになった。200mの前方後円墳がほぼ盛土工程を終えながら未完であることは、雄略朝における吉備の叛乱伝承と結びつけうるだろう。
※墳丘を割り付け、周濠部分を掘削し、外周と墳丘を画し、後円部に盛土したところでストップしたか。

(5)河内大塚山古墳の位置づけは難しい
・しかし「ごぼ石」(4×3m)は横穴式石室の石材とみるのがふさわしく、西田孝司氏によれば、これ以外にも持ち出された石材があり、毛利家文書に「磨戸石」との記述が残る。

◆立ち入っての結果は、明日の新聞報道を待って、また書きます。

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1964/03/22
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兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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