人を幸せにする人になろう

釜山大学考古学科開設20周年論文集

◆シンギョンチョル先生から論文集になんか書けと。締め切りは年末だそうだ。喜んで書くと返事はした。3~4世紀を中心に日韓のことを書こうと思っている。大成洞以後、ずいぶんと研究は進んだ。だが、やはり日韓を見渡せる研究者は多くはない。わたしも40日間、韓国へ在外研究に行かしてもらう以前は、な~にんも知らなかった。
◆わたしが韓国の動向に詳しいとは思っていないが、なんとなく、相互の関係はまだ関連づけが十分でないように感じている。東アジア・伽耶・倭、むろんこっちが論じたいのは倭であるのだが、そこのところの脈絡付けを、かじった程度の素人ながら、こうではないのか、ということを提言してみたいと思う。
◆年代論的に言えば、佐紀陵山型の五色塚や網野銚子山は350年代だと思うが、それは埋葬年代であって、大阪湾や丹後半島から倭軍が渡海したのは340年代にさかのぼると思う。紫金山はその直前くらいで、畿内人が330年代くらいに伽耶に渡っていておかしくない。つまりは金官伽耶が成立してほどなく、北部九州伊都国に任されていた交易は、国家間の取引になり、かつ倭軍が渡海する。それは金官伽耶の傭兵としてではなかったか、と考えている。
◆佐紀陵山型の存在にうかがえる倭軍渡海は、けっして百済関係でなく、伽耶である。これはシンギョンチョル先生にはっきり教えられたことだ。金官伽耶の成立について、シンギョンチョル先生は3世紀末にさかのぼらせるが、そこから倭軍渡海まですこし間があくと思っていたが、けっこう「直に」に近いかも知れない、と思うようになった。傭兵というのは、鉄の見返りに、金官伽耶の守備兵として行っているのではないか、ということだ。
◆シンギョンチョル先生は、金官伽耶は南下した扶余族が打ち立てたものとする。その理屈は通っているように思うが、反論も少なくないらしい。そのあたりの現状がどうなのか、ちょっと詳しいヤツにきかなあかん。

この記事にコメントする

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

この記事へのトラックバック

この記事にトラックバックする:

プラグイン

カレンダー

08 2024/09 10
S M T W T F S
2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13
16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索