人を幸せにする人になろう

2010年12月25日堺市立みはら歴史博物館

◆土日、歴博の研究会を欠席させてもらい、年内に片付けるべき仕事をこなす。大阪歴史学会の見学検討会b5c1b7b0.JPG9ff5c656.JPGは、こないだの委員会で、河内大塚山古墳と「辛亥の変」にする了承をとりつけたが、もうひとつ腹案があったのが「河内鋳物師」である。美原市史を調べ、ネットでも情報を集め、この堺市立みはら歴史博物館(なぜか「MCみはら」と略称するのだが、意味不明)に行かねばと思い、行ってきた(なかにあるホールも検討会をやる場合、会場として利用することが考えられる)。
◆これ、堺市への合併前にできたもので、黒姫山古墳の少し北にあり、黒姫山の甲冑と河内鋳物師関係(+丹比廃寺関係なども)の2部屋となっている。これも堺市の施設となり(新しくなった泉北資料館にはまだ行けていない)、個性あるひとつのテーマ館といったところだ。ひととおり河内鋳物師について学べる、が、もっともっとゴテゴテとならべてくれればいいのに、とも思う。公共交通機関はバスになるので、なかなか行きにくく、多くの人は車だろう。けっこう面白いのだが、あんまり客は来ないのかな~、と思ってしまう。
◆先日は、同じく河内鋳物師関係で、松原市の展示施設に行った。けっこう、見学シートの解説チラシをはじめ、特展も重ね、図録も出して頑張っている。また、ここで安中新田会所旧植田家住宅のニュースが置いてあるのをもらってきて、指定管理者だけど、いろいろやっているのを感じた。MCみはらの鋳物師関係の遺物は、ほとんどが大阪文化財センターの寄託品で、自分のところのブツがないようだ。やっぱり小さな館といえども、学芸員がいて(指定管理者であっても)、いろいろ工夫を重ねていいものになるんだろう。そもそも真福寺関係など、鋳物師関係の資料など、堺市は譲渡を受けるべきなんだろう。
◆河内鋳物師関係は、阪和道の調査で盛り上がり、その後も、松原市や堺市や大阪市でも調査事例が増えているので、ここいらでまとめてみては、というのが見学検討会で取り上げてみたいと思った理由だ。もうすこし、その後の調査事例を集めて、次の見学検討会でできれば取り上げてみたいものだ。河内鋳物師も、大阪発で全国区のテーマになる。

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兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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