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人を幸せにする人になろう

2018年12月2日KR研の前に

◆11月のKR研は、はい、さぼりました。すいません。
◆12月は行かねばならぬ。寝屋川まで車で行き、本日最終日の阿武山の展示を見に、今城塚へ。9:30着。まだあいていないので、古墳現地。じろじろ、あることを考えていました。やっぱり、墳丘が扁平なんだわ。後円部の上段がふっとんでいるとしても。前方部のトップで埴輪列が出た時は、見せてもらっていない。あれをどう考えるかです(後述)。
◆10:00。入る。200円ですよ。面白かった。土器も面白い、センも面白い。岩内1(御坊市)も面白い。企画展示室、あれくらいがいいですね。とはいえ、今回は、発見時の写真展をホールでやっており、ブツからなる企画展と、表のパネル展示とがセット。あわせて鐘ヶ江さん作の木棺複製品も ある。牽牛子塚古墳のキョウチョ棺はやはりすごいもんですね。ちなみに、こないだ医学部で、牽牛子塚古墳出土の骨片を見せてもらったところです。下顎骨の一部があり、歯が1個、さて斉明なのか間人なのか。
◆常設展にまわり、今城塚の墳丘の模型を眺めていました。そして最後のとことで、今城塚の復元整備の作業原図が貼ってあり、その標高値などをメモしたり、写真を撮ったり。そんなことする人はほぼいないでしょう。
◆手前は土保山のものとかしげしげ見ましたけど。近藤先生の蔵書のなかに、土保山のペラの概要報告があったんですけど、出てきません。墳丘の図があればGさんに示したいのですが。
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なんぼやっても

◆仕事が片付くようには見えません。久津川にはたどりつかないか。

岩屋山

◆岩屋山54mはあると思います。小山田70m!、ウっ、でかい。まあ、破壊されて不確かではある が、残丘からすると図くらいにはなるだろう。右と左でメッシュの目が違う。岩屋山は1歩メッシュ、小山田は2.5歩メッシュ、なので36歩:50歩。

原著論文を読まないと

◆嶋上と嶋下、もとは地勢にあわせた傾いた条里で、それが正方位になると、森田さんが書いてい る。ということは前から知っているが、何に書いてるんでしょうか。時期は、条里施工年代論をふまえ、斜めが7末8初、正方位化が8世紀とみているらしい。そうかもしれないが、
◆いずれにしても論文を読まないと始まらない。

地域の活動

◆いま、どことも地域でなにかするということが増えていると思いませんか。祭りも派手になって います。それより写真にあるような、もっと地道な、地域の店などの連携行事などに共感を覚えます。出店などを出店する行事は1日なのですが、一定期間、参加する店舗ではセールとか、なにかやるということになっている。毎週1回は国分駅前の飲み屋に行きます。
◆なんとなく、昔ながらの村、あるいは学区、しかし新興住宅地ばかりで、こっちはこっち、そっちはそっち、から、いまの地域が連帯していこうという動きがあるように思います。これ大事ですね。

国立大学運営費交付金

◆国立大学運営費交付金 1兆0971億円
科研費 2286億円
防衛省武器購入 7986億円(全予算5兆円)
JAXA 1540億円
JAMSTEC 987億円
国立天文台 128億円
国立文化財機構 83億円
◆奨学金返済で、連帯保証人は半額でいいのに、だまっていて全学とっているとか。
◆このグラフすごいね。授業料が安く、奨学金も無利子なら、進学のための補助を充実させてきていると言えるが、金貸しに精を出している、というように見えます。

いも虫ちゃう

◆こないだ、民家博物館の、合掌造りの建物に行った時、母・娘の2人ずれの、若い女性が、「なんでイモ虫がいるの」、と。これ、写真パネルだったと思うが。これはイモ虫ではありません、カイコです。

12月15日の都城制研

◆の案内がまわってきて、これは行かな、と思いきや、この日は豊臣大阪城シンポ。ともに大阪歴 博を会場に平行して行われる。いつぞやと同じく、合同の打ち上げになるかもしれません。さて、どうしたものか。

出雲の図録

◆豊中シンポで話をしたNさんが図録を送ってくださった。面白そうである。読んでませんが見まし た。古墳から6世紀前半と後半のあり方の差がどこまであるのかは、文章を読まないといけないが、分布図もあり、一定イメージされているのだろう。6世紀史において目指すべき変わりない政策があるとともに、首長墳に現れるであろう政治的対応の差もあるに違いない。
◆6世紀中頃から後半の変化をどう説明していくかという時に、統制を図っていく上での優遇から抑え込みという政策的な段階差もひとつの要素。こっちが一般論。が、それだけでなく、中央の政変による主導権交替もひとつの要素ということ。どう考えていくかです。が、どっちが強く働いているというよりも、連動的とみておくのがよいのかもしれません。
◆それと6世紀中頃?以降の水利開発に頁を割いていることも注目できる。わたしも和泉で考えてきたことだが、古墳時代の研究も、群馬の地域開発の研究がやはり大きいのかもしれないが、6世紀における地域開発というところに進んでおり、古墳や群集墳を見つめることから、自ずからそういう方向で地域を考えることになる、ということだろう。
◆別途、関東の模倣坏と同じようなものが、九州にあることを知る。これいま卒論生とやっていることと関係し、とても興味深いものがある。
◆学ばせていただきました。歴史は地域社会の現場にある、ということですね。

小谷古墳

◆境部摩理勢の墓、でしょうか。活躍期は600年~628年。活躍期という言葉は、N先生のもので す。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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