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人を幸せにする人になろう

2018年7月14日(土)KR研

◆宵々山に京都で研究会はしない方がよい。
◆前々から、ず~と必要性を感じてはきたが、かかれない状態だったが、いよいよ報告書の編集に乗り出すこととなる。すでにある原稿や図面をインデザに流し、実際に組んでいくことで完成度を上げていく予定。
◆終了後、京都駅前にて208年度調査の結団式呑み会を行う。
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2018年7月13日の金曜日、陵墓懇談会

◆10:30から、16学協会全体会議。(1)運営委員学会の選出と役割分担、(2)今年度の陵墓保全工事の内容の検討、(3)立入り観察について、a今年度どうするか、b第3次の候補リストの検討、(4)古市・百舌鳥の世界遺産推薦についての見解表明につき、議論した。
◆14:30から約2時間の宮内庁陵墓懇談会。一番の焦点は、今年度の陵墓保全整備工事の予定に加 えて挙がっている事前調査についての意見のやりとりとなった。これについては、またおいおい書いていくかもしれません。
◆いつものように、この機会に発言しておくこととか、聞いておくことなどを考えていた。時間の関係で話題にできなかったが、(1)2年前の3月だったか、地元自治体などと協力して取り組んでいくという方針が発表されて、この3月にまとめられた『書陵部紀要』で、つまりは昨年2017年度に、墳丘が宮内庁の管理地で、周濠が民地のものについて、3か所ほど、実際に一緒に表面観察などを実施された点。その最初として、同時調査もやってきた古市・百舌鳥古墳群のなかの3基について実施されているわけです。まあ、先の方針は、墳丘のみ宮内庁であるものに限る話ではないわけで、いっぺんにあそこもここも、というわけにはいかないわかで、墓山古墳などから始めたということも理解できる。そのへんの考え方を聞いておこうと思っていたのですが、時間がありませんでした。
(2)2つめはイコモスの現地調査への対応を聞こうと思っていたのですが、これも時間なく、聞けませんでした。いずれ9月には報道されるであろう。
(3)われわれは、立入り候補に挙げて実現していない上石津ミサンザイなどについて、ゴムボートで、ライフジャケットを着て、保険にも入って、という案を昨年7月に投げたが、色よい返事をもらえなかった。一方で、大仙古墳でソナーをセットしたボートがぐるぐるまわっているわけで、それはどうなのか、ということ。むろん、目的は違うし、ボートの操作の熟練度も違うだろうが、陵墓の静謐と安全上の観点から難しいという理屈に照らしてどうなのか、と。
◆いつもは、帰りの新幹線のなかで、8月号のヒストリアの陵墓懇談会の報告記事を書いてしまうのですが、東京駅前でビールをけっこう飲んだのと、連休前の金曜日で新幹線自由席が混み込みで、落ち着いて書く気力もありませんでした。今年は、うちの学会の担当も参加していたので、報告記事は委ねるのがいいのでしょう。書くことになれば書きますが、まだわかりません。
◆いまはこれくらいにしておきます。

ようやっと昨日から大歴大会の後始末

◆6月24日の大会参加者数の点検、会計まとめ、臨時アルバイトの賃金支払い、懇親会参加者数の問い合わせ、会誌廉価販売の結果報告などをすませる。それを経て、事務局時代の6月までの委員会議事録の8月号入稿、もっとも重要な大会・総会の記録の同じく8月号への原稿の作成と入稿も終わった。
◆そのあと、大歴関係のフォルダ・ファイルを整理しながら、新事務局長への引継ぎをさみだれながら行う。大会関係、規定類、新旧委員の会費免除の連絡、もろもろもろもろ。
◆やっとこれで一段落かな。
◆8月号の表紙見返しの会告と奥付を入稿した。編集委員の仕事も始めました。

スロベニアには行けなくなりました

◆カミさんがスロベニアに1年間の在外研究に行く予定でしたが、介護の関係で取りやめとなりました。残念ですが。

大仙古墳の水面下の調査

◆書陵部紀要を読みました。水深は深いところで4mくらいなのだとか。昔、梅原先生の書陵部紀要 の文章で、もうちょっと深いように書いてあったと、そう思い込んでもいましたが、ある時、そのことを書こうとしてチェックしたら、そんな数字がなく書けなかったという記憶がある。
◆堆積層の上面は捉えられたとして、次は水中レーダーみたいな技術を考えて、本来の深さを、という文章が末尾にあった。ボーリングするのが一番ではないですか。そんな数はいらない。10か所まででよく。濠の中央部であれば問題はない。地山面を確認できれば、下段斜面を復元的に下に伸ばして、墳端の推定も可能となる。
◆念のために言っときますが、わたしの研究なんて、似てる似てないのあやしい議論でしょうが、 これも型式学です(いまの寸法の類似から誉田御廟山の胴を伸ばしたなんていう議論ではな)。前があって後ろがある、そういう連続であるはずであり、設計レベルの議論はできておらず、単純に主軸で切って比べたものであるが、テラスや濠の輪郭も含めて対比して前後関係をあとづけたもの。大仙の前は仲津山、これは間違いないだろう。空濠状態の仲津山を参考にすれば、大仙は540mになる。それを25㎝尺で割ると360歩と切りもいい。それが486mから425mまで近づいてきたわけです。堆積土の下を考慮すれば、540mにさらに近づくであろう。もしかすると、生きているうちに確認できるかもしれません。

忍ケ丘の遺物図面

◆昨日、博物館実習の準備でうろうろしていたら、四条畷市の人が来学していた。飯盛山城の件で、研究科長のところに来たのだとか。こないだ四条畷に行った時つくづく思ったわけです。前に実測していた遺物の図が眠っているのはもったいないので、一度、それを提供する話にもなっていたが、そのままとなっていたが、ほんとうにそうしようと。大事にもっていても仕方ないし、手放す方がよいとの気持ちが強まっていた。なので、昨日、顔を合わせた時にその話をして、図面を探し出して、もう渡してしまおうと思った。
◆が、これが出てきません。だいぶ探したんですけど・・・。部屋が・・・。もろもろのエントロピーがうず高く堆積し、必要なものがどこにあるか、わからなくなっている。こりゃいかん。人生の半分を探し物にあてるわけにはいかない。人生も下り坂、取っておいても、もはや使わないものも多い。身軽にならないと効率が悪すぎる。で、部屋の片づけをやっていくことにしたい。

2018.7豪雨

◆4日夕刻には既に雨が降っていた?。5日(木)は1日雨、近畿の桂川が亀岡側・京都側とも危険と なり。6日(金)は大和川の水位があがった。結局、阪和線も1日動かず、休講となる。7日にかけて、斜めの前線は北上し大阪では薄くなるが、雨の連続した広島や倉敷で一気に河川氾濫に至る。
◆高梁川と小田川の合流点。何年か前に歴博の共同研究で訪れた。天狗山古墳に上り、合流部を見て、そのあと勝負砂や二万大塚古墳を見た。あのあたりが、小田川の水が高梁川の水位のため逆流し、内側で何か所か決壊した。その水は二万のあたりにもおよんだのだろうか。5mというから恐ろしい。
◆車が変わり、新しいカーナビでテレビも受信できるので、今日11日、9時頃チャンネルをいじっていたが、どこともタイの洞窟の話。東京にとって西日本の水害は気にならないのだろう。200人を超える死者が出ていても。
◆こないだから適正な政府規模とはどれくらいなのか、ということを考えている。アメリカ諸州のうち、大きいので3500万人の州、小さいのは57万人だったか。連邦政府はあるが基本的な主権の単位である州の規模はそんなもの。ドイツもそうであろう。日本が狭い国土に密度高く人が住んでいるわけだが、1.2億人規模で1国家で、中央集権的ということに疑問をもつ。発掘報告書も、日本全県のものは受け入れてくれない。むろん遺跡のありようも異なる。
◆平成大合併などが、全国一律に進められてしまう。近代国民国家を経て連邦制に移行するというのはいいことだと思う。国がやるのは外交と安全保障とし、国税をその分だけに限定し、いくつかに分割すべきではないか。

宇度墓と渋谷向山

◆書陵部紀要の65までは現物が手元にあるので、66から69までを宮内庁のリポジトリからダウンロードした。能  褒野の再測量図もあるが、これは地上レーザーではおそらくないだろう。宇度墓と渋谷向山は地上レーザーである。
◆まあ、どんどん精度が上がっている。分析がついていきません。
◆文学部棟の、自分の研究室のあるブロックが、電気工事のため、部屋の明かりがついたり消えたり、とても仕事ができません(電気工事ではありませんでした)。帰ろ。

いや~史跡地に行かなかったのは失策

◆唐古ミュージアムのあと北上し、西に折れ、24号線に入ったのですが、完全に迂回してしまった ようです。グーグルアースで見ると、相当な面積の史跡整備をやってますね。こりゃ大変です。ここまでもってきた担当者の努力に大いに敬意を表します。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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