人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2017年8月12日黒江
◆11日(金)、車塚を18:30に出て、紀美野
町へ
。約2時間。粉河に出る紀 伊山地越えの道(父鬼街 道)に新たにトンネルができ、阪和道から近くなったのだが、ちゃんと地図を見ていなかったので、下りてからうろうろして少しロスした。
◆翌日は、親類の家廻り(3軒)。海南市野尻2件、それから黒江に行き、紀州漆器伝統産業会館を見学し、そのあと黒牛を買いに行く。黒江、むかしの景観はだいぶ失われたかも知れないが、まだまだ風情を残している。散策マップも作られている。デンケンにならんもんかね~。
◆和歌山市のもう1軒を訪ね、そのあとお昼を食べに雑賀先に。しかし行くとこ行くとこ、昼はやっ
ていない。食事ができない!。前に和歌山市博で日本遺産の地図を見て、雑賀崎の町並みもいいらしいと情報入手。漁港のところで車を下りて歩くんでしょうね。今回は老齢の両親がいるので無理だが、再度、雑賀崎の町あるきをしたい。が、そんな看板は見なかった。これからなんでしょうが、番所の鼻に行く人はいるが、ゆっくりと町を歩き、雑賀衆に思いをはせ、新鮮な魚料理を堪能できる食事どころや、いといきつく茶店もほしい。むかしの観光名所のさびれようは、なかなかさびしいものである。
◆まあそんなんで、土日の2日ともつぶれるとしんどいので、土曜日のうちに帰り、日曜日は大学で仕事をする。
◆翌日は、親類の家廻り(3軒)。海南市野尻2件、それから黒江に行き、紀州漆器伝統産業会館を見学し、そのあと黒牛を買いに行く。黒江、むかしの景観はだいぶ失われたかも知れないが、まだまだ風情を残している。散策マップも作られている。デンケンにならんもんかね~。
◆和歌山市のもう1軒を訪ね、そのあとお昼を食べに雑賀先に。しかし行くとこ行くとこ、昼はやっ
◆まあそんなんで、土日の2日ともつぶれるとしんどいので、土曜日のうちに帰り、日曜日は大学で仕事をする。
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久津川車塚2017年8月11日(祝)最高気温36度
【参加者】城陽市担当者、工藤さん、自分、大澤(市大M1)、園原・吉
村(立命M1)、川北(京大M1)、 土井(奈良県庁)、安藤・木下(立命4)、泉・田口(奈良大4)、相馬(近大4)、前田・山口・山崎(立命3)、池口(同志社3)、上野(奈良大2)。
◆(1)周濠底の石出し→石外し、(2)後円部部裾の仕上げ、(3)陸橋裾部の仕上げ、(4)谷部の仕上げ、(5)葺石清掃、(6)礫出し、(7)全体清掃、が今日の仕事。
◆(1)周濠底の石出しについては、およそ状況は判明。石のないところは濠底まで出し、濠内の石は基本的に地山に乗らず堆積土中で除去可能と判断し、第2Qから周濠側か
らはずしていく。濠底は黄色砂質土だが、色は部分によって違うところもある。堆積土最下層のネチョネチョ粘土の下、サクサク気味の砂質の地山が出てくる。なお、調査区隅に近い土嚢の下からひとかたまりの埴輪片があり、写真を撮って取り上げる。
◆(2)後円部裾については、基底石およびその外にある取れない石をのぞき、だいたい昼までにすっきりした。谷部寄りの多重の基底石、そこから南への連続(途中抜けあり)、およそ理解できるものになっていると思う。
◆(3)陸橋側裾部については、礫が下、上に葺石が乗ること、葺石材は濠内堆積土中なので、取り除いていく。周濠中心部よりの西側に、礫にまじるように葺石石材(そう大きくはない)がいくつかあり、下を探りながら、基本的に取れると判断して除去する(いくつかはまだ残している
が)。埴輪片が下から出てくるところもあり、間違ってはいない。西壁際から水鳥首部片が出土、写真を撮って取り上げた(昨日来の谷筋沿いの埴輪片は竹櫛をさしてそのまま置いてある)。
◆(4)谷部はいちばん難しいが、全体としては、谷筋に列石を一直線にならべておらず、後円部斜面に対しての基底石風に、順次、下から重ねていっている状況で、谷筋ラインとしては、谷筋を端部とするもの、陸橋にかかるように置いたものが、ジグザグ気味に上がっていく様相。石半個分のジグザグはあれ、全体としてはおおむね後円部斜面の葺石の三角が作り出され、そこから陸橋側面の礫を重ねている状況である。以上のような見立てからして、谷部にへんな格好で乗っている葺石材は転落石の可能性があるとみて、下をさぐりながらはずしている段階で、完全な仕上がりまでいかなかった。下から後円部斜面の葺石の重なりが出てきており、掘り切れば、より谷間の葺き分けが明瞭になるはず、である。
◆(5)葺石の清掃はほぼ基底石まで下りてきた。(6)礫の清掃
は、やってもやってもキリがない。実際 上、埴輪の出土位置も参考に、浮いた高いものを取り、面として整えていくという作業と並行。とくに裾部は溜まりになっているので、ある程度重なりの一番上のものから取っていって整える必要があるが、理屈上は面として整うところで止めるということになるが、どこまでやるのが妥当かは、はっきりわかるわけではないだろう。面として整える作業をやって、ここまでと切りをつけるほかはないだろう。(7)写真撮影にむけての全体清掃には、以上のような作業の進捗で、到達しなかった。週明けに延期である。
◆土日の天気はよさそう。月曜日も大丈夫そうだが、火曜日はやや怪しい。なんとか、月曜日の午前中で、谷間および礫面のケリをつける作業を継続しながら、それ以外のメンバーで調査区全体の清掃を進め、午後、写真撮影とレーザー計測にもっていきたい。
〔来客〕増田さん(ビールありがとうございました)、久住さん、原田さん(アイスありがとうございました)
◆(1)周濠底の石出し→石外し、(2)後円部部裾の仕上げ、(3)陸橋裾部の仕上げ、(4)谷部の仕上げ、(5)葺石清掃、(6)礫出し、(7)全体清掃、が今日の仕事。
◆(1)周濠底の石出しについては、およそ状況は判明。石のないところは濠底まで出し、濠内の石は基本的に地山に乗らず堆積土中で除去可能と判断し、第2Qから周濠側か
◆(2)後円部裾については、基底石およびその外にある取れない石をのぞき、だいたい昼までにすっきりした。谷部寄りの多重の基底石、そこから南への連続(途中抜けあり)、およそ理解できるものになっていると思う。
◆(3)陸橋側裾部については、礫が下、上に葺石が乗ること、葺石材は濠内堆積土中なので、取り除いていく。周濠中心部よりの西側に、礫にまじるように葺石石材(そう大きくはない)がいくつかあり、下を探りながら、基本的に取れると判断して除去する(いくつかはまだ残している
◆(4)谷部はいちばん難しいが、全体としては、谷筋に列石を一直線にならべておらず、後円部斜面に対しての基底石風に、順次、下から重ねていっている状況で、谷筋ラインとしては、谷筋を端部とするもの、陸橋にかかるように置いたものが、ジグザグ気味に上がっていく様相。石半個分のジグザグはあれ、全体としてはおおむね後円部斜面の葺石の三角が作り出され、そこから陸橋側面の礫を重ねている状況である。以上のような見立てからして、谷部にへんな格好で乗っている葺石材は転落石の可能性があるとみて、下をさぐりながらはずしている段階で、完全な仕上がりまでいかなかった。下から後円部斜面の葺石の重なりが出てきており、掘り切れば、より谷間の葺き分けが明瞭になるはず、である。
◆(5)葺石の清掃はほぼ基底石まで下りてきた。(6)礫の清掃
◆土日の天気はよさそう。月曜日も大丈夫そうだが、火曜日はやや怪しい。なんとか、月曜日の午前中で、谷間および礫面のケリをつける作業を継続しながら、それ以外のメンバーで調査区全体の清掃を進め、午後、写真撮影とレーザー計測にもっていきたい。
〔来客〕増田さん(ビールありがとうございました)、久住さん、原田さん(アイスありがとうございました)
久津川車塚2017年8月10日(木)最高気温32度
【参加者】城陽市担当者、工藤さん、自分、園原(立命M1)、川北(京
大M1)、前田・山口・山崎(立命3)、上野(奈良大2)、
◆(1)後円部の基底まで到達しているので、その先、周濠底の石の検出。石を出し、石のないところは濠底面まで出す。(2)陸橋側面について、斜面上半分は礫を積んでいるベース面出しをやっていないので(礫の頭出し面)、石のない上半部について数㎝下げてベース面を出していく。(3)(2)をおよそ終了後、陸橋の現状裾部の外はまだ濠内堆積土を下げていないので、そこを下げ、礫面の続きを検出する。
◆(1)後円部の裾。列石部の基底石と考えている盤状大型石の
下にも列石状にあと2石ならんで きた。もしかすると、いま基底石と考えているラインより2石分外と考え、大型石を2段ないし3段にしていると考える方が妥当かもしれない。列石から南へ離れた位置でも、比較的大きい石が3つほどならぶ。ということで、全体がより大きくなるわけでなく、ずって石が途切れている箇所もあって、誰が見てもはっきりした並びが良好に残るというわけではない。本日、最終段階の周濠底の残石の写真を示しておく。石敷き帯があるとも積極的にはいえない状態である。大方は動いており堆積土中にあって取れるとふんでいるが、あるブロックがずっているという状況ならどうするのか、なかなか難し い問題である。
◆(2)陸橋斜面上半。全面、灰色ベース黄斑土が出てくる。これ地山
だな、と思う。上面はき れいな白色粘土で、斜面部はそうではないのだが、これは埋没状態による差だと思われる。したがって、この陸橋、下から盛土としたが、本体はやはり地山削り出しと訂正しておきます。スロープ状とみたが、それも調査区に対して斜めになっているからで、側面の反映とみた方がいいように思う。
◆(3)陸橋裾部。礫が累々と続きます。末端は傾斜はなくほぼ平坦か。いまのところ途切れないが、どこかで密度が変わるはずである。
◆明日、ほぼ掘り上がり、となろう。礫面がなければ今日終わっていたであろうが、大石より礫はチマチマした手間がかかる。礫を出し切って、周濠側から遊離して浮いている礫を取り除き、
見事、裾部を仕上げねばならない。これは墳端外石敷きの判断にもかかわってくるだろう。
【今日のひとこと】賑わいはないが落ち着きがある
◆(1)後円部の基底まで到達しているので、その先、周濠底の石の検出。石を出し、石のないところは濠底面まで出す。(2)陸橋側面について、斜面上半分は礫を積んでいるベース面出しをやっていないので(礫の頭出し面)、石のない上半部について数㎝下げてベース面を出していく。(3)(2)をおよそ終了後、陸橋の現状裾部の外はまだ濠内堆積土を下げていないので、そこを下げ、礫面の続きを検出する。
◆(1)後円部の裾。列石部の基底石と考えている盤状大型石の
◆(2)陸橋斜面上半。全面、灰色ベース黄斑土が出てくる。これ地山
◆(3)陸橋裾部。礫が累々と続きます。末端は傾斜はなくほぼ平坦か。いまのところ途切れないが、どこかで密度が変わるはずである。
◆明日、ほぼ掘り上がり、となろう。礫面がなければ今日終わっていたであろうが、大石より礫はチマチマした手間がかかる。礫を出し切って、周濠側から遊離して浮いている礫を取り除き、
【今日のひとこと】賑わいはないが落ち着きがある
久津川車塚2017年8月9日(水)最高気温36度
【参加者】城陽市担当者、工藤さん、自分、長友、道上(市
大
D3)、園原・吉村(立命M1)、川北(京大 M1)、合田・松井(市大3)、林田・前田・山口・山崎(立命3)、上野(奈良大2)
◆依然として台風の雨で地下水位が上がっており、水は抜けることなくジワジワ湧いてくる。その水を絞りつつ、葺石の目地出しを全面展開。+陸橋側面の検出作業に従事した。+葺石より上の後円部斜面の仕上げをだいたいやった(自分)。
◆葺石は、拡張区を含めた陸橋の上のところは、だいたい仕上がったので、全力で南半分の葺石にかかる。どろどろになりながら、前線部隊は泥土をほじり石を出していき、その上にも人を配置して、石の目地土ほじりを進める。天候もよく、次第に上から石も乾いていき、葺石らしい姿が下に広がっていく。本日最終ラインはほぼ基底石に到達し、昨日まで顔を出していたものも、より大きく姿を現している。途中、抜けているところがあり
、その下部は全体に下にズッ ている様相。基底石の上に同じくらい大きな石が重なるように乗っているところもある。
◆問題は基底石外の石敷きである。基底石の下にかませたようなものはありそうだが、そうした組み方で、幅のある石敷きとなっているようには思えない。濠底にもそこそこの密度で石があるが、ほとんどは基底部から遊離し、堆積土内に点在しているものと思う。基底石寄りのところで、一定の石敷きがあると判断されるかどうか、にかかっている。
◆陸橋側面の斜面部は、暗灰+サビ層を除くと灰色粘土となり、それで一旦止めてもらったが、そのなかに石が含まれる。陸橋上面の白色粘土の純粋さではないので、
なお削る必要があるか。ひとまず暗灰+サビ層を落としていくと、陸橋の堤側でも、斜面下半から礫が顔を出し、良好な 遺存状況となる。谷部については、後円部側の通常の葺石が谷線に沿ってラインがきれいに通るように並べられてはいないが、陸橋側面の礫との境界がおおむね通るように葺き分けられている。
◆礫が落下して陸橋側面下場のところにたまっているであろう。そういう状態のなかで、どの礫がはずせるのか、礫の基部にそれなりの基底石をならべることはしていないようなので、どのような仕上がりになっていたのか、どう創るのか・・・、難しいところである。全体を出し、浮いた石ははずし、並びがちゃんとしている礫たちがどのような姿を示すのか、慎重に見きわめていく
必要がある。
◆依然として台風の雨で地下水位が上がっており、水は抜けることなくジワジワ湧いてくる。その水を絞りつつ、葺石の目地出しを全面展開。+陸橋側面の検出作業に従事した。+葺石より上の後円部斜面の仕上げをだいたいやった(自分)。
◆葺石は、拡張区を含めた陸橋の上のところは、だいたい仕上がったので、全力で南半分の葺石にかかる。どろどろになりながら、前線部隊は泥土をほじり石を出していき、その上にも人を配置して、石の目地土ほじりを進める。天候もよく、次第に上から石も乾いていき、葺石らしい姿が下に広がっていく。本日最終ラインはほぼ基底石に到達し、昨日まで顔を出していたものも、より大きく姿を現している。途中、抜けているところがあり
◆問題は基底石外の石敷きである。基底石の下にかませたようなものはありそうだが、そうした組み方で、幅のある石敷きとなっているようには思えない。濠底にもそこそこの密度で石があるが、ほとんどは基底部から遊離し、堆積土内に点在しているものと思う。基底石寄りのところで、一定の石敷きがあると判断されるかどうか、にかかっている。
◆陸橋側面の斜面部は、暗灰+サビ層を除くと灰色粘土となり、それで一旦止めてもらったが、そのなかに石が含まれる。陸橋上面の白色粘土の純粋さではないので、
◆礫が落下して陸橋側面下場のところにたまっているであろう。そういう状態のなかで、どの礫がはずせるのか、礫の基部にそれなりの基底石をならべることはしていないようなので、どのような仕上がりになっていたのか、どう創るのか・・・、難しいところである。全体を出し、浮いた石ははずし、並びがちゃんとしている礫たちがどのような姿を示すのか、慎重に見きわめていく
久津川車塚2017年8月8日(火)最高気温32度 第2週
◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、長
友、大澤(市大M1)、園原・吉村(立命M1)、川北(京大 M1)、田口(奈良大4)、合田・松井(市大3)、林田・前田・山口・山崎(立命3)、上野(奈良大2)。
◆昨日の21時頃、犬走まで滞水したそうである。ポンプで排水してくれており、朝9時現在、残るは周濠底くらいまで水抜きされていた。ひとまずシートを壁の真ん中くらいまで引き上げ、石の目地出し作業に入れるだけ取り掛かる。一方で、北側の拡張、底面で東西長1.5mに設定してドカ掘り(2番目の写真)。残りは、周濠底の排水と、南壁にヤマが入り(最初の写真)、洪水層が奥行30㎝程度崩落していたので、その排土を行う。なお、予想されてい
たことではあるが、砂層部分は中身が抜け、上の粘土が切れて砂層部分に垂れていたりする(これも粘土で目張りをしてみました)。
◆11時頃から雨となり、通り雨とはいかない空模様。12時に昼休みとするが、雨が きつくなったので、石出し部のみシートをかける。昼飯。雨がきつく、人数も多く、テントのなかで席を確保するのも難しい状態ながら、とにかくメシ。かなりの降雨が続いたが、13時からある程度経過したころに上がってきた。まずは土嚢つくり(50くらい)。その間、再びたまった雨水をポンプアップし、底くらいになった時点で、ヤマで崩落した部分に積み上げて、手当をした(3番目の写真)。以下、石の目地出し以外の箇所について。
◆まず拡張区。全面にわたって暗灰色堆積土が水平に出てくる。陸橋の始まる部分の後円部基底
石がきれいに連続して出てくる(写真4)。北壁に近い最後の2石は、石を立て、面を外に向けている。その外に礫などはない。暗灰色砂質の濠内堆積土を取ると、黄色マンダラ土の置土が水平に検出され、掘りあがる。とはいえ、陸橋北側の落ちはない・・・。あ、さて次の一手は?。
◆後円部と陸橋の谷部をほじってもらう。谷筋かと思われる葺石、そこから陸橋側面に15㎝程度の石が2石ならぶが、あとは握り拳大の礫がきれいに出てきている。上面の削平面で見えていた状況の通り(当たり前ですが)。しかし陸橋の墳丘側から1m程度のところより遠いところになるとなくなる(これも上面での所見の通り)。後円部から続いてくる列石はかなり大きい。谷部の様相は明日にはほぼ見えるだろう(写真5)。黒シャツ田口のいるところが谷ライン、その左側に礫が見えている。水車形埴輪がほしいところである。ちなみに、手
前のところ、後円部の基底石のならびもおよそ出ている。
◆第4Qになってようやく晴れ、カンカンと西日があたる。が、周濠底は泥という状況。上の方の石はだいぶ渇き白くなっている。明日は上は掃除機の投入でしょう。
◆今日初日が4人いたが、いきなりの雨、ドロドロ、最後のカンカン照り、発掘は過酷なものという印象をもったのではないか。これもまた発掘。
◆このトレンチ、今週にはカタがつくだろう。掘り上げて写真、計測、20分の1平面図と層位図はチャッチャとやるべし。10分の1の石図も早めにやってもいいかもしれない。このトレンチの壁を、予定9月9日の現説までもたさないといけない。雨が来て、壁が崩れると復旧がなかなかしんどいことになるので、掘り上がりの記録を終わっておくに越したことはない。
【今日のひとこと】オッサンらには源氏湯が必要。
◆昨日の21時頃、犬走まで滞水したそうである。ポンプで排水してくれており、朝9時現在、残るは周濠底くらいまで水抜きされていた。ひとまずシートを壁の真ん中くらいまで引き上げ、石の目地出し作業に入れるだけ取り掛かる。一方で、北側の拡張、底面で東西長1.5mに設定してドカ掘り(2番目の写真)。残りは、周濠底の排水と、南壁にヤマが入り(最初の写真)、洪水層が奥行30㎝程度崩落していたので、その排土を行う。なお、予想されてい
◆11時頃から雨となり、通り雨とはいかない空模様。12時に昼休みとするが、雨が きつくなったので、石出し部のみシートをかける。昼飯。雨がきつく、人数も多く、テントのなかで席を確保するのも難しい状態ながら、とにかくメシ。かなりの降雨が続いたが、13時からある程度経過したころに上がってきた。まずは土嚢つくり(50くらい)。その間、再びたまった雨水をポンプアップし、底くらいになった時点で、ヤマで崩落した部分に積み上げて、手当をした(3番目の写真)。以下、石の目地出し以外の箇所について。
◆まず拡張区。全面にわたって暗灰色堆積土が水平に出てくる。陸橋の始まる部分の後円部基底
◆後円部と陸橋の谷部をほじってもらう。谷筋かと思われる葺石、そこから陸橋側面に15㎝程度の石が2石ならぶが、あとは握り拳大の礫がきれいに出てきている。上面の削平面で見えていた状況の通り(当たり前ですが)。しかし陸橋の墳丘側から1m程度のところより遠いところになるとなくなる(これも上面での所見の通り)。後円部から続いてくる列石はかなり大きい。谷部の様相は明日にはほぼ見えるだろう(写真5)。黒シャツ田口のいるところが谷ライン、その左側に礫が見えている。水車形埴輪がほしいところである。ちなみに、手
◆第4Qになってようやく晴れ、カンカンと西日があたる。が、周濠底は泥という状況。上の方の石はだいぶ渇き白くなっている。明日は上は掃除機の投入でしょう。
◆今日初日が4人いたが、いきなりの雨、ドロドロ、最後のカンカン照り、発掘は過酷なものという印象をもったのではないか。これもまた発掘。
◆このトレンチ、今週にはカタがつくだろう。掘り上げて写真、計測、20分の1平面図と層位図はチャッチャとやるべし。10分の1の石図も早めにやってもいいかもしれない。このトレンチの壁を、予定9月9日の現説までもたさないといけない。雨が来て、壁が崩れると復旧がなかなかしんどいことになるので、掘り上がりの記録を終わっておくに越したことはない。
【今日のひとこと】オッサンらには源氏湯が必要。
久津川車塚2017年8月3日(木)最高気温33度
◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、道上(市大D3)、大澤(市大M1)、園原・吉村(立命M1)、泉(奈良大4)、相馬(近大4)、山本(立命4)、市川・山崎(立命3)、池口(同志社3)、上野(奈良大2)
◆三班に分かれて作業開始。
1、前日に引き続き葺石の検出。灰褐色の壕内堆積土を除去してい
く。第3Qまでにほぼ完了。遺存状 態は想像よりも良好で、石列も二本ほど確認できた。黒色の壕内堆積土手前で一旦葺石の検出は止める。
2、旧調査区も前日に引き続き埋め戻し土と思われる粘質土を除去。葺石を検出していくが、粘質土が湿っていてしつこく、きれいには検出できず。上部の地山出しで足りなかったところから葺石の中段くらいまではそれなりにきれいになったが、壕底付近はあまり進まなかった。また旧調査の報告に記述してあったとおり石列を1本確認した。
3、壕底の黒色粘質土をきれいに検出することを目指す。陸橋(?)の斜面から瓦器出土。ちょうど青灰色粘質土と黒色粘質土の境目ぐらい。青灰色粘質土を除去するのにそれほど時間はかからず第3Qのうちにほとんど検出は完了した。
4、写真を撮って記録し、第4Qからは班を再編して旧調査区班と葺石追いかけ班に分かれる。陸橋上面は相談した上で灰色粘質土のまま判断をあおぐことにする。葺石の隙間につまった黒色粘質土を外して葺石を出していく。石列にはやはり大きめの石を使用していることが確認できた。旧調査 区で傾斜が変わっているラインの延長線上あたりでやはり傾斜が変わっており、この付近に基底石があるのではないかと思われるが断定はできず。石列より陸橋側でも葺
石があるかどうか削っていくと、墳丘斜面の葺石よりやや小ぶりの石が多く出てきた。深く入っている石もあり、時間もいい具合になったことからこれも判断は翌日に持ち越すことにした。石列は今のところ全部で五5(4本かもしれない)検出している。基底石ラインは未だに推測に過ぎず確定はできていない。(大澤)
◆三班に分かれて作業開始。
1、前日に引き続き葺石の検出。灰褐色の壕内堆積土を除去してい
2、旧調査区も前日に引き続き埋め戻し土と思われる粘質土を除去。葺石を検出していくが、粘質土が湿っていてしつこく、きれいには検出できず。上部の地山出しで足りなかったところから葺石の中段くらいまではそれなりにきれいになったが、壕底付近はあまり進まなかった。また旧調査の報告に記述してあったとおり石列を1本確認した。
3、壕底の黒色粘質土をきれいに検出することを目指す。陸橋(?)の斜面から瓦器出土。ちょうど青灰色粘質土と黒色粘質土の境目ぐらい。青灰色粘質土を除去するのにそれほど時間はかからず第3Qのうちにほとんど検出は完了した。
4、写真を撮って記録し、第4Qからは班を再編して旧調査区班と葺石追いかけ班に分かれる。陸橋上面は相談した上で灰色粘質土のまま判断をあおぐことにする。葺石の隙間につまった黒色粘質土を外して葺石を出していく。石列にはやはり大きめの石を使用していることが確認できた。旧調査 区で傾斜が変わっているラインの延長線上あたりでやはり傾斜が変わっており、この付近に基底石があるのではないかと思われるが断定はできず。石列より陸橋側でも葺
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。