人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2018年8月19日(日)、五個荘(5)
◆食事の後、金堂からやや離れた藤井彦四郎邸に。生活する本屋もあるが、来客用の豪華な客殿がある。 「スキー毛糸」というのは、日本の手編み毛糸のブランド名だそうだが、藤井一代でそれを成し遂げたのだとか。スキー毛糸について、以下、ウィキ。
1926年に藤井彦四郎商店(現・藤井株式会社)が製造、販売を開始した。スキー毛糸はヒット商品となり設立者である藤井彦四郎は一代で成功を成し遂げることになった。
1953年、スキー毛糸の商標使用契約を藤井と倉敷紡績とで締結。倉敷紡績が開発した技術により、繊維のふくらみを増した上で軽量化に成功した。「ウールセーターは重い」という常識を覆し、手編みブームの後押しもあり、スキー毛糸は人気を博した。
2000年9月に藤井が経営破綻。2001年にはスキー毛糸の営業権は元廣に譲渡された。
1926年に藤井彦四郎商店(現・藤井株式会社)が製造、販売を開始した。スキー毛糸はヒット商品となり設立者である藤井彦四郎は一代で成功を成し遂げることになった。
1953年、スキー毛糸の商標使用契約を藤井と倉敷紡績とで締結。倉敷紡績が開発した技術により、繊維のふくらみを増した上で軽量化に成功した。「ウールセーターは重い」という常識を覆し、手編みブームの後押しもあり、スキー毛糸は人気を博した。
2000年9月に藤井が経営破綻。2001年にはスキー毛糸の営業権は元廣に譲渡された。
2018年8月19日(日)、五個荘(3)
◆次が三中井百貨店を興した中江4兄弟の家屋敷。長男が兄弟とともに1代で、半島・中国東北部に 18店舗の百貨店網を作り上げたそうだ。しかし敗戦で、その資産を失う。
◆4男の準五郎邸(築1933年)が公開されるれている(写真上)。隣が本家宅で、蔵の規模も一段と大きい(写真下)。そして3男富十郎の屋敷(もとは外村一族のなんとかさんの屋敷)が、金堂まちなみ保存交流館として公開されている。
◆準五郎邸でガイドのおばさんと話をする。観光客は増えているのでは?という問いに、年々、減ってきているのだとか。まちなみを売り出していこうという機運がほぼ平成の始まりとともに進み、伝健指定が平成10年、そこから20年、宣伝なども含め見直していかないと、ということだった。
◆交流館は、金堂まちなみ保存会のみなさんの活動事務所ともなっている。近くに、かりんとう工場があり、いろんな種類のかりんとうが200円で置いてあり、玉ねぎとシナモンを2つを買う。そし てコーヒーが飲めるので、大画面の金堂紹介DVDを前にした机で、一息入れる。
◆明治には、金堂の1/3の人が商売にかかわっていたのだとか。しかし、本宅はけっして東京や大阪には置かず、金堂に屋敷を構える。こうした商売にかかわる人々、そして基本である農家、これらの家々は、伝健になっているように全体としてよく残る。建物に入れるのは、もう1軒程度であ り、大きな商売をして盛衰が激しい家が、もう金堂に住まなくなり公開施設となるも、多くの人々は住み続けていることを示すのだろう。
◆いちばん下の写真は、そうした風景。こういうのが、よく残っている。
◆4男の準五郎邸(築1933年)が公開されるれている(写真上)。隣が本家宅で、蔵の規模も一段と大きい(写真下)。そして3男富十郎の屋敷(もとは外村一族のなんとかさんの屋敷)が、金堂まちなみ保存交流館として公開されている。
◆準五郎邸でガイドのおばさんと話をする。観光客は増えているのでは?という問いに、年々、減ってきているのだとか。まちなみを売り出していこうという機運がほぼ平成の始まりとともに進み、伝健指定が平成10年、そこから20年、宣伝なども含め見直していかないと、ということだった。
◆交流館は、金堂まちなみ保存会のみなさんの活動事務所ともなっている。近くに、かりんとう工場があり、いろんな種類のかりんとうが200円で置いてあり、玉ねぎとシナモンを2つを買う。そし てコーヒーが飲めるので、大画面の金堂紹介DVDを前にした机で、一息入れる。
◆明治には、金堂の1/3の人が商売にかかわっていたのだとか。しかし、本宅はけっして東京や大阪には置かず、金堂に屋敷を構える。こうした商売にかかわる人々、そして基本である農家、これらの家々は、伝健になっているように全体としてよく残る。建物に入れるのは、もう1軒程度であ り、大きな商売をして盛衰が激しい家が、もう金堂に住まなくなり公開施設となるも、多くの人々は住み続けていることを示すのだろう。
◆いちばん下の写真は、そうした風景。こういうのが、よく残っている。
2018年8月19日(日)、五個荘(2)
◆幅のある水路が通り、その水は澄んでいて、魚が泳いでいる。それに接して建つ建物は、船板塀・白 壁造という。それを学ぶ前に、白い壁の下に、独特の規則的に掘り込みのある板が貼ってあるな~、と思っていたが、それは川船の廃材ということのようです。
◆少し行くと、外村(とのむら)繁邸(分家)と、本家の外村宇兵衛邸がならぶ。1989年、繁邸が、ふるさと創生事業の一環として整備され、翌年、公開施設として開館。1993年外村本家を五個荘町 に譲渡、町が修復し、94年に公開施設として開館、だそうです。伝健指定 は1998年、だそうです。
◆写真は本家。土蔵のなかは、だいがい展示施設に改変されている場合が多いが、ここでは、もともとの様子を見ることができます。左サイドには、来客用などの塗りの膳や食器類が多数並べられ、右サイドには箪笥がならんでいました。そして中央には長持ちがなら び、上には吊り棚がありました。季節に応じて、調度 や衣類やらも、入れ替えていたのでしょう。
◆少し行くと、外村(とのむら)繁邸(分家)と、本家の外村宇兵衛邸がならぶ。1989年、繁邸が、ふるさと創生事業の一環として整備され、翌年、公開施設として開館。1993年外村本家を五個荘町 に譲渡、町が修復し、94年に公開施設として開館、だそうです。伝健指定 は1998年、だそうです。
◆写真は本家。土蔵のなかは、だいがい展示施設に改変されている場合が多いが、ここでは、もともとの様子を見ることができます。左サイドには、来客用などの塗りの膳や食器類が多数並べられ、右サイドには箪笥がならんでいました。そして中央には長持ちがなら び、上には吊り棚がありました。季節に応じて、調度 や衣類やらも、入れ替えていたのでしょう。
2018年8月19日(日)、五個荘(1)
◆朝、6:30過ぎに置き、ベランダから鉢伏山・寺山を見る。このところ朝 夕すずしくなり、気持ち い天気。昨日に続き、大学で仕事をするのも馬鹿らしく、でかけても、と。じゃあどこ。五個荘を思いついた。早く出かけて、昼を食べて戻ろう。
◆8:30前には出て、10時には到着する。伝健の名称は「五個荘金堂」というのだそうだ。観光案内所に駐車し、レンタサイクル(まあぜんぶ歩いても大丈夫な広さだが、楽でした。1台500円)。以下、ネットから。
近江国内の市庭で活躍し、商業圏を形成していく商人たちは、中世では、京都・美濃・伊勢・若狭の各街道の通商権を持つ商人にわかれていました。
若狭(福井県)方面へは湖上経由の九里半街道を通って、小幡・八坂・薩摩・田中江・高島南市の商人が通商しました。彼らは五箇商人と称され、主に塩合物(塩魚)を取り扱う卸売商でした。 伊勢(三重県)へは八風・千草両街道を通って、小幡・保内・沓掛・石塔のいわゆる四本商人が通商しました。彼らは鈴鹿山脈を越えるため山越商人とも称されています。海産物や塩・布など多彩な商品を取り扱い、市売や里売といった小売までをおこなっていました。
ここ五個荘の地を本拠とする小幡商人は、流通幹線路の東山道沿いに位置する利点を生かして、四本商人と五箇商人を兼ねる唯一の商人団として活躍しました。小幡商人は、江戸時代から活躍する近江商人の原型となりました。
◆なんと大和郡山藩領だったのだとか。陣屋跡が神社になっている。
◆8:30前には出て、10時には到着する。伝健の名称は「五個荘金堂」というのだそうだ。観光案内所に駐車し、レンタサイクル(まあぜんぶ歩いても大丈夫な広さだが、楽でした。1台500円)。以下、ネットから。
近江国内の市庭で活躍し、商業圏を形成していく商人たちは、中世では、京都・美濃・伊勢・若狭の各街道の通商権を持つ商人にわかれていました。
若狭(福井県)方面へは湖上経由の九里半街道を通って、小幡・八坂・薩摩・田中江・高島南市の商人が通商しました。彼らは五箇商人と称され、主に塩合物(塩魚)を取り扱う卸売商でした。 伊勢(三重県)へは八風・千草両街道を通って、小幡・保内・沓掛・石塔のいわゆる四本商人が通商しました。彼らは鈴鹿山脈を越えるため山越商人とも称されています。海産物や塩・布など多彩な商品を取り扱い、市売や里売といった小売までをおこなっていました。
ここ五個荘の地を本拠とする小幡商人は、流通幹線路の東山道沿いに位置する利点を生かして、四本商人と五箇商人を兼ねる唯一の商人団として活躍しました。小幡商人は、江戸時代から活躍する近江商人の原型となりました。
◆なんと大和郡山藩領だったのだとか。陣屋跡が神社になっている。
2018年8月18日(土曜日)
◆9:20研究室。調査区図アップ9:38。西陵トレース10:24。研究計画書10:35。予定表10:38。PCリセット10:41。大学のメールチェック11:00。Iさんにメール、Nさんにメール。Mさんに11:35。Tさんにメール11:38。フリーメールの処理にかかる11:43~。高槻市にメール12:27。網野町にメール13:04。Kさんにレーザー計測依頼13:28。積山さん校正15:37。大歴委員にメール16:41。李さん校正18:31。
今里先生の思い出
◆先日、今里先生が2015年に亡くなられたことを知る。今里先生。播磨で考古学をかじると、必ず名前が出てくる。賀古駅家である古大内遺跡、高校時代に行ったような、かすかな記憶・・・。しかし瓦にかかわるのはまだ先、次は弥生土器の論文だったようにも思う。『考古学研究』をコピーして読んだのか、読まなかったのか。
◆大学院の時代に、1年、兵庫県史の嘱託をやった時、今里先生にも何項目かを書いていただいたんだろう。各地に出向き、宗田先生と執筆者を集めての説明会をやって、その時に今里先生が質問したことを覚えている(どういう質問だったかは忘れた)。大学時代に、高橋美久仁さんとか、吉本さんとか、そして今里先生の論文など、駅家の論文も読んでいたような気がする。いまでも古道は好きだが、山陽道のあざやかな復元はよく知られたことであり、地元にかかわることとして勉強していたように思う。
◆あとは、研究所から姫路・本町遺跡の瓦を見に行った時に、今里先生と山崎室長が話をしていたことを覚えている。もうちょっと接点があったように思うが、あまり思い出せない。奥村廃寺の瓦についても、なんか話を聞いたような気もする。
◆神戸銀行で銀行マンとして出世もし、一方で瓦を軸に考古学研究を続け、日誌(日記)が3種類あるという話(いわゆる日記、遺跡や遺物の観察日記、写真撮影日記)は本人から聞いたような・・・。頭の中にどこからどんな瓦が出土しているかは全部入っていて、たちどころに回答が返ってくる。そうか、野磨駅家の委員会でもご一緒したのかな。
◆こんな状態ですが、違和感や違うと思ったことは、かならず何か発言をされる、何となくそういう印象が刷り込まれている。今里先生に、エエ加減なことは言えない、という雰囲気があったように思う。結局のところ、あまり深くおつきあいいただくところまでいかなかったが、残念ですと、いうほかない。
◆大学院の時代に、1年、兵庫県史の嘱託をやった時、今里先生にも何項目かを書いていただいたんだろう。各地に出向き、宗田先生と執筆者を集めての説明会をやって、その時に今里先生が質問したことを覚えている(どういう質問だったかは忘れた)。大学時代に、高橋美久仁さんとか、吉本さんとか、そして今里先生の論文など、駅家の論文も読んでいたような気がする。いまでも古道は好きだが、山陽道のあざやかな復元はよく知られたことであり、地元にかかわることとして勉強していたように思う。
◆あとは、研究所から姫路・本町遺跡の瓦を見に行った時に、今里先生と山崎室長が話をしていたことを覚えている。もうちょっと接点があったように思うが、あまり思い出せない。奥村廃寺の瓦についても、なんか話を聞いたような気もする。
◆神戸銀行で銀行マンとして出世もし、一方で瓦を軸に考古学研究を続け、日誌(日記)が3種類あるという話(いわゆる日記、遺跡や遺物の観察日記、写真撮影日記)は本人から聞いたような・・・。頭の中にどこからどんな瓦が出土しているかは全部入っていて、たちどころに回答が返ってくる。そうか、野磨駅家の委員会でもご一緒したのかな。
◆こんな状態ですが、違和感や違うと思ったことは、かならず何か発言をされる、何となくそういう印象が刷り込まれている。今里先生に、エエ加減なことは言えない、という雰囲気があったように思う。結局のところ、あまり深くおつきあいいただくところまでいかなかったが、残念ですと、いうほかない。
2018年8月12日(日)鶴橋
◆翌日、仕事をしたいのはヤマヤマなれど、成績も無事つけたし、カミさんと娘は堂島のジュンク 堂へ本を買いに行くというので、1日休むことにする。10時過ぎに西梅田。2人は本屋へ、わたしは地階のコーヒー屋喫煙ルームでうとうと。カミさんは10冊くらい買っていた。学生用のプログラミングの本など。そこから鶴橋へ。前に蒸し蛸がなくなって、生蛸のブツ切が出てきて、それぞれがウニュウニョ動いているのを食べたことがあり、それをもう一度というコンセプト。ちょうどお昼。娘は中学・高校とこっちで、+1年の浪人生活は上本町?難波?の駿台に行ってたが、鶴橋の商店街には足を踏み入れたことがないらしく、それはアカン、社会勉強、ということで、鶴橋の商店街をざっとまわる。キムチ、豚、チマチョゴリ、韓流ドラマのCDやプロマイド屋などが軒を連ねる、コリアタウンを見せる。東京の新大久保もかなりディープらしいが、わたしはまだ行ったことがありません。
◆で、前に行った店に入る。アワビ料理で有名な、駅に近いところなので、知っている人も多いかな。が、タコは6月までなんだそうです。残念!。でアワビの刺身、1人前1500円。2人前頼むが、間違って3人前やってきた。で、マッコリ。生マッコリがいいですよ。
◆そんなんで、何時ごろ家に帰ってきたのか、午後のそう遅くない時間。そこから爆睡。おかげで、ゆっくり体力が回復しました。工藤さんから行きたいというメールが入ったのも、その頃。ひとまずブログに上げた次第。
◆で、前に行った店に入る。アワビ料理で有名な、駅に近いところなので、知っている人も多いかな。が、タコは6月までなんだそうです。残念!。でアワビの刺身、1人前1500円。2人前頼むが、間違って3人前やってきた。で、マッコリ。生マッコリがいいですよ。
◆そんなんで、何時ごろ家に帰ってきたのか、午後のそう遅くない時間。そこから爆睡。おかげで、ゆっくり体力が回復しました。工藤さんから行きたいというメールが入ったのも、その頃。ひとまずブログに上げた次第。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。