人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
知らん間にクオータ制が一部導入されるらしい
◆浦島太郎ですね。いったいいつ?。全学共通だそうですが。東京大学はおそらく元に戻すと思いますよ。
難波宮と大化改新Ⅲ
◆ごく短い時間の発表だが、1人のみ題目を出していなかったが、ようよう出した。岩波講座の市君の論文はとても勉強になりますね。こういうことが知りたかったわけです。改新詔の今日的評価ですね。実に多くの研究がなされていることも知る。そして公民制は一直線的に、官僚制は紆余曲折というのも、親和的。要するに根本は地方支配制度を根本的に刷新すること、これが最大の課題だったというべきでしょう。そこには行政区画の導入、条里制が位置付くわけだ。
なんの躊躇もなく大きな木が
◆五代友厚像を建てることになり、文学部棟と商学部棟の間に接地することが決まる。昨日の土曜に大学へ戻ってくると業者が入って、そこに植樹されていた木々が無惨に首をはねられている。桜もいいもんだが、それよりもっと樹径の大きい広葉樹がもったいない。あそこは蝉の楽園で、夏はうるさいが、びっくりするくらいクマゼミが出てくるのだ。金のかかる植え替えなど、いわれのある樹木くらいしかやってくれないのだろう。あとは死なす。
11月28日(土曜日)雄山閣の原稿を出す
◆朝から現場に出かけ、そこから天王寺に戻り、近鉄文化サロン(13:30から15:00)。受講者は45名くらい?。まあまあ、だが、不十分さを自分で感じる。今度、このネタでやるときは、さらに改良の余地あり。終わった段階ですぐやっておけばいいのだが、終わった瞬間、この仕事は終わりである。
◆さて、今日は大学史で京大滝川事件のシンポがあり、出たいところだが、16:30まで。大学に戻る も、学情の会場には向かわず、雄山閣の仕上げ。ようよう、出しました。最後の図10を出しときます。この原稿の面白いところはこれではないが、それはできてからのお楽しみに。最後のところ、やっぱり前方後円墳の廃止の話もかかなあかんかな~、と、季刊考古学の図をいじって作ったもの。
◆次はレキハクですね。これも入院中の2週間で、仕上がりレイアウトで23頁分、びっちり文章は書いてある。文章の推敲具合もかなりの程度に達している。注、参考文献、図をちりばめないといけない。まあ、年内でしょうか。
【追記】右足がパッツンパッツンに腫れ上がっています。夜、寝て、横たわっているとシューとするんですけど、1日垂直になっていると、夜には・・・。
◆さて、今日は大学史で京大滝川事件のシンポがあり、出たいところだが、16:30まで。大学に戻る も、学情の会場には向かわず、雄山閣の仕上げ。ようよう、出しました。最後の図10を出しときます。この原稿の面白いところはこれではないが、それはできてからのお楽しみに。最後のところ、やっぱり前方後円墳の廃止の話もかかなあかんかな~、と、季刊考古学の図をいじって作ったもの。
◆次はレキハクですね。これも入院中の2週間で、仕上がりレイアウトで23頁分、びっちり文章は書いてある。文章の推敲具合もかなりの程度に達している。注、参考文献、図をちりばめないといけない。まあ、年内でしょうか。
【追記】右足がパッツンパッツンに腫れ上がっています。夜、寝て、横たわっているとシューとするんですけど、1日垂直になっていると、夜には・・・。
ことのついで
◆パワポを作り始める。で、こないだ欽明墓の原稿を書いていて、檜隈坂合陵が五条野丸山古墳と する根拠として、森浩一が既に言っているので強調しなかったが、兆域がある。
◆舒明以前は、延喜式にあるのは基本は王墓で(列の白いヤツ。灰色の網は明治以降。)、そうでないのはそれなりに理由があると考える必要がある。このへんはレッカキョウの例会でしゃべったが。例えばイワノヒメ。これは多分に光明立后と関係があるだろう。ほかに古墳時代の皇后稜なんて延喜式にはない。で、兆域のなかで、牧野の15町なんてのは特別であって馬見丘陵を大きく取り込んでいるのだろう。5世紀代の陵墓なんて、だいたい順当に墳丘・周濠がカバーできる大きさになっているでしょ。そのなかででかいのが、仁徳であり、履中であり、応神。だから、持統朝には、つまり記紀段階では、仁徳陵は大仙に、履中陵はミサンザイに、応神陵は誉田御廟山にあてている。いまの治定は持統朝にそう決めたことに正しくたどりついている。が、それは事実ではないわけです。持統朝にいじっているから。なんでそういえるかは白石先生が解説済みなので、もうええ。だから文字資料からは辿り着けないんですよ。考古学です。
◆で、坂合陵は4町四方でしょ。BIG3に次ぐ兆域。これ墳丘だけで330mある五条野丸山でしょうね。平田梅山ではない。
◆ついでに、そういう基本大王だけの国家的祭祀対象の陵墓になっているのが、厩戸、そして山背なんですよ。厩戸は大王格なのです。そして山背も大王格なんです。これが大兄というものです。山背の北岡墓。7世紀前半の方墳で、岩屋山式石室とみられるもの、平群郡内で、となると西宮しかないんとちゃいますか。河上さんの見方は当たってますよ。
◆舒明以前は、延喜式にあるのは基本は王墓で(列の白いヤツ。灰色の網は明治以降。)、そうでないのはそれなりに理由があると考える必要がある。このへんはレッカキョウの例会でしゃべったが。例えばイワノヒメ。これは多分に光明立后と関係があるだろう。ほかに古墳時代の皇后稜なんて延喜式にはない。で、兆域のなかで、牧野の15町なんてのは特別であって馬見丘陵を大きく取り込んでいるのだろう。5世紀代の陵墓なんて、だいたい順当に墳丘・周濠がカバーできる大きさになっているでしょ。そのなかででかいのが、仁徳であり、履中であり、応神。だから、持統朝には、つまり記紀段階では、仁徳陵は大仙に、履中陵はミサンザイに、応神陵は誉田御廟山にあてている。いまの治定は持統朝にそう決めたことに正しくたどりついている。が、それは事実ではないわけです。持統朝にいじっているから。なんでそういえるかは白石先生が解説済みなので、もうええ。だから文字資料からは辿り着けないんですよ。考古学です。
◆で、坂合陵は4町四方でしょ。BIG3に次ぐ兆域。これ墳丘だけで330mある五条野丸山でしょうね。平田梅山ではない。
◆ついでに、そういう基本大王だけの国家的祭祀対象の陵墓になっているのが、厩戸、そして山背なんですよ。厩戸は大王格なのです。そして山背も大王格なんです。これが大兄というものです。山背の北岡墓。7世紀前半の方墳で、岩屋山式石室とみられるもの、平群郡内で、となると西宮しかないんとちゃいますか。河上さんの見方は当たってますよ。
クララ状態です
◆木曜日に病院。キブスを半裁する。レントゲンを見ながら、骨折部分などの治癒が進んでいるこ と、一方で骨の表面の白い皺が減って骨を鍛えないといけない、と。で、歩けと。ええっ。今日までは骨を固めるために体重をかけるなと、今日からは体重をかけよと。
◆もう骨としては固まってるんでしょう。まだ金属ピン2本は突き出たままながら。なので、歩けといわれても、これが歩けないのです。松葉杖で歩くのにも慣れ、右足つま先は接地させ、多少蹴ったりして、そういうことに慣れて2ヶ月。今度は右足に体重をかけないといけない。これが恐いんです。多少の痛みもある。なんとなくは、これまで両手首と脇で完全に松葉杖に全面依存していたのを、右足に体重をかけ、松葉杖は支え程度にしてふんわりとというのも、やってみるとやれそうではある。が、逆にこれまで慣れてそこそこサッサと進めていたものが、じんわり右足に体重をかけてとなると、とたんに歩みがのろくなる・・・。
◆で今日。歩くことを奨励されるわけだが、土踏まずがあり、真ん中が上に浮いている足の骨が下に押し下げられる力がかかるので、専用のスリッパ形パッドみたいな補助具を作るというので、今日、また病院へ行って、業者に型取りしてもらいました。包帯に石膏を塗ったものを巻いてヌリヌリして、しばらくするとできあがりです。来週、仕上がるのだそうです。12月4日、天理に行かないといけない日だが、朝9時に届けてくれることになり、それを装着し、新たにサンダルみたいなものを買って、それで向かうことになります。
◆このところ、車のなかで、大化改新のことばかり考えております。
◆もう骨としては固まってるんでしょう。まだ金属ピン2本は突き出たままながら。なので、歩けといわれても、これが歩けないのです。松葉杖で歩くのにも慣れ、右足つま先は接地させ、多少蹴ったりして、そういうことに慣れて2ヶ月。今度は右足に体重をかけないといけない。これが恐いんです。多少の痛みもある。なんとなくは、これまで両手首と脇で完全に松葉杖に全面依存していたのを、右足に体重をかけ、松葉杖は支え程度にしてふんわりとというのも、やってみるとやれそうではある。が、逆にこれまで慣れてそこそこサッサと進めていたものが、じんわり右足に体重をかけてとなると、とたんに歩みがのろくなる・・・。
◆で今日。歩くことを奨励されるわけだが、土踏まずがあり、真ん中が上に浮いている足の骨が下に押し下げられる力がかかるので、専用のスリッパ形パッドみたいな補助具を作るというので、今日、また病院へ行って、業者に型取りしてもらいました。包帯に石膏を塗ったものを巻いてヌリヌリして、しばらくするとできあがりです。来週、仕上がるのだそうです。12月4日、天理に行かないといけない日だが、朝9時に届けてくれることになり、それを装着し、新たにサンダルみたいなものを買って、それで向かうことになります。
◆このところ、車のなかで、大化改新のことばかり考えております。
ううっ
◆警察から出頭命令が来て、阪神高速堺線でオービスに引っかかったらしい。7月あたまの日曜日のこと。制限60キロで、日曜日の9時、そりゃ車は走ってないわな~。免停・・・。足を奪われるのは、いまの自分にとってはつらい・・・。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。