人を幸せにする人になろう

田舎館の垂柳遺跡

◆そのあと田舎館村に行く。何年か前に東北貧乏家族旅行をやったとき、十和田湖の駐車場で野宿し、翌朝、リンf66cafaf.JPGeab786a3.JPGゴを見ながら、弘前に下りてきたのだが、途中、田舎館村の「弥生の里」なる道の駅によった。まだ8時くらいで何もなく、自販機で飲み物を買って弘前に向かった。この道の駅の横に、田舎館村埋蔵文化財センターの建物があることもすぐわかったが、そういう次第でスルーした。
◆今回の昼飯はその道の駅だった。ビールを飲みたいのをグッと我慢。そのあと文化財センターに行く。四角い建物は、検出された水田遺構の覆屋であった。横に展示室があり、垂柳遺跡の出土遺物がならぶ。東北大の伊藤信雄先生が、ここから出土した土器から、これは弥生だ、と言ったのに対し、青森県に弥生文化が到達していたとは考えられていない頃の頃、さまざまな反対意見が。それに対し、みずから発掘し炭化米を掘り出して見せたのもすごい。でも納得d683953b.JPGされなかった。それが、道路の発掘調査で、明々白々、水田遺89166eb5.JPG構が見つかったわけである。
◆いまは史跡に指定されている。1999年に岡村道雄さんが課内で説明していたことを思い出す。2000年に国の史跡になった。
◆土器はなお亀ヶ岡の伝統が残っているが、しかしだいぶ弛緩しており、大型壺は定型化している(亀ヶ岡の壺と遠賀川系の壺の融合形態という)。

弘前大学亀ヶ岡文化センター

◆弘前大学人文学部亀ヶ岡文化センターを訪問。藤沼教授、関根助教授が、全学で研究センター設置を構想したcf1aff3b.JPG542c1c00.JPG際に、考古学で亀ヶ岡に特化した研究センターを提案して設置されたのだという。いま教授になった関根先生に案内いただく、今年度から大学内トップの5年間の研究テーマが文科省に認められ、さらに助教2名、研究員1名を雇用している。
◆スタートから10数年、オレが大阪市大に来てからの年月とほぼ同じ。この違いはなんだろう。地域に根ざした貢献ができる考古学、それを大学が支援したのではあるが、自分の力のなさを痛感する。
◆展示室があり、また成田コレクションの寄贈を受け、その展示室も増設されたと。そして研究室は実に立派である。071436b8.JPGd9c837ac.JPG発掘は掘って3年で整理、これまでに2冊を出し、いま3冊目を作っているという。「藤沼先生と、発掘報告書を作るまでは、次の発掘はしないということを決めた」という。耳の痛い話であるが、正論です。
◆寄贈を承けたコレクションの図録などを刊行し、市大にも寄贈していただいている。送られてくるものを見て、なんだか頑張っているな~と思っていたが、その舞台を見学でき、関根先生と話をすることができたのは、たいへんうれしい。関根先生は、東北大の構内調査を藤沢さんとやっていたことがあり、どうやらひとつ下らしい。うちの報告書の送付リストに、どっかの段階から加えた。

弘前市の藤田記念館

◆朝8時に弘前駅に着く。集合は駅前の東横イン。まず藤田記念館に行く。初代の日本商工会議所会頭の屋敷を記念館としているもので、庭園がメインのよう。ここに考古館があり、砂沢遺跡の出土8cee2bec.JPG39f22188.JPG遺物ほかが展示されている。
◆弘前市の博物館は別にあるが、美術系が強いようで、考古資料は入れてもらえないらしい(歴史展示はあるんだろうか)。文化センターというのもあり、図書館などの文化施設のようだ。藤田記念館の考古館には弘前城の出土遺物もならべられている。考古館となっている建物そのものが登録文化財であり、それを考古資料の展示室に使うのもわかるが、しかし、博物館や文化センターの方が、市民に資料を見てもらいやすいだろうに。弘前城もあるのに、あんまり文化財に理解がない市なのか。考古資料を、もっと市民に見てもらえる場所にならべてほしいものである。
◆砂沢段階では亀ヶ岡系の土器が圧倒的。しかしこの土器、実に美しい。そのあと、この地域の弥生化について話をする。米作りの情報は知っていたであろうが、実際に米作りをはじ4d2f9256.JPGめる契機は何だったんだろうか。砂沢は適地と59896595.JPGいえない場所であり短いとのこと。だが、垂柳もあり、この地域では、その間もどこかで米作りが継続しているだろうと考えられている。年代観からすると、トータルで300年くらいらしい。が、そこでポシャル。垂柳は最後は洪水にみまわれたようだ。仙台平野も同じなのにそれを乗り越え、垂柳では放棄されることの違いはなにか。それから、確かに西日本のような、稲作とともに伝えられた文化・思想は伝わっていないかもしれないが、300年にわたって米作りを続けたと、これは弥生文化と言っていいのかアカンのか、など。

寝台特急「日本海」に乗って

◆実は、1時間出発をのばすため、サンダーバードで富山まで行き、22時に日本海に乗り継いだ。ぎりぎりまで大学fa8e9e9b.JPGで仕事をしていた。
◆サンダーバードでは酒を呑まずコーヒーにして、同68d8d6be.JPG成社の原稿を仕上げることに。一通り書いたら12頁分くらいになっていたものを、10頁に縮める作業をする。
◆富山駅の乗り継ぎ時間に弁当とアルコールを買おうと思っていたが、ホームの売店はみな閉まっている。改札を出てコンビニに走り、あじけない食事を取る。A寝台のところにタバコが吸える場所があり、パソコンを打つ。日が変わる前くらいには、アルコールもまわり眠くなって寝台に横たわる。
◆横揺れがあって、眠れなさそうだったが、そのうちに眠りに落ちる。起きたのは4時頃から、それからはうつらうつら。しかし6時半前には完全に起きる。外を見ると秋田の田園風景が広がっている。
【追記】DS社の原稿を仕上げました。


断捨離って?

◆断捨離(だんしゃり)は、部屋の整理整頓と共に生活に調和をもたらそうとする、クラターコンサツラント「やましたひでひこ」の提唱する生活術(登録商標だそうです)。ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。単なる片づけとは一線を引くという。断=入ってくる要らない物を断つ/捨=家にずっとある要らない物を捨てる/離=物への執着から離れる ということだそうです。〔ウィキ〕

いい言葉

◆宮本常一が書いたもの(民俗学の旅:9 アチック・ミューゼアムに入る)。引用部分は、師の渋沢敬三の発言だそうです。

「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況を見ていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたものの中に大事なものがある。それを見つけてゆくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになることだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものが多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまなければならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要とみとめられないときはだまってしかも人の気にならないようにそこにいることだ」などということばは私の心に強くしみとおった。そしてそれを守ろうと思ったが、なかなか実行できるものでなく、人の意識にのぼるような行動をとることの方が多いのである。        
◆これ、このあいだお会いした増田重信さんのご子息から教えていただいた。重信さんは宮本常一を敬愛し、よくこの言葉を語ったそうである。

墳丘裾の保護と立木

◆まず立木。蛭子山のように木を残し、だが見通せるように間伐し、草刈りをする。好ましく思っている。一方で、ぜんぶ切ってしまうところも少なくない。昼飯でもぜんぶ切ってあるそうだ。確かに根は墳丘を痛めるものではあるが、一方で今日においては貴重な緑地であることもある。どっちが正しいということもなく、ケースバイケースか。
◆木を残すにしても、林相にもよろうが、巨木だけだと下の見晴らしはいいが、遺構への影響は大きい。なかなかどうするのがイイのか、よくわからん。
◆墳裾。こないだの宮内庁懇談会で、実施済みの百舌鳥御廟山を見に行かねばならないが、フトン籠を置き、それを基礎に植生土嚢をつみあげて、浸食された墳丘下段断面を保護するのだそうだ。今城塚もそうですね。水濠がある場合はとくにそうだろうが、大きいものではおおむねスタンダードになりつつあるか。きれいな斜面を作り上げ芝を貼ることなく、土嚢で斜面を作りだし、適当な草が生えて自然な感じになるんだろう。
◆宮内庁での護岸工事工法の変遷、史跡整備における手法の変遷、そういうものを調べてみたいものだ。水濠のある大規模な古墳整備なんて、そう多くはないだろう。どうすればいいか、いろいろと変転を経て、いま植生土嚢を積み上げる手法に落ち着きつつあるように感じる。経費にもよるんだろうし。さて、下段が削り込まれた網野銚子山ではどうするか、だな。

青森に行くのだが

◆今夕、大阪発寝台で弘前に出る。今週は3連休で1日少ない上に、火曜日は東京だったので、雑用がまったく片づいていない。土日は青森なので、月曜日の大阪歴史学会の月例全体委員会の準備も考えておかなければならない。ま、そんなんで、今日は、片づいていないモロモロを、できる限り処理することにしよう。メールをもらっているのに何ら反応を返していないみなさん、申し訳ありません。今日、ぜんぶ処理しますので・・・。
【追記】ようやくメールの底が見えた。出発まであと1時間!

オープンキャンパス

◆今年は担当。午後の各コースの説明は40分3ラウンド。当日のシャベリ、配付資料の作成、パネル展示、の3本fd61c8d0.JPG柱。昨日夕刻、在籍者側の担当となってくれているM1と冊子の打ち合わせをした。今年のM1は、日本史研究室のモロモロの世話役になるという役割をちゃんと認識して取り組んでくれているようで頼もしい。
◆で、この冊子。前に担当だったときにディスプレイをオレが導入し、簡単な冊子も作るようになったが、そのあと担当だった塚田先生が「日本史コースがわかる」という本格的な冊子を作り上げ、これをここ数年更新してきた。M1との話では、ちょっと文章が多い、写真も増やしたい、高校生の知りたいニーズにもう少し絞ってもいいのではというので、おおむね意見は一致した。さてと、どこまで手をかけるか、だな。
◆やりだすとドツボにはまる。M1でワードで写真を貼り付けて冊子を仕上げるところまでやることそのものが重要だ。こっちが本腰を入れると、インデザインでたぶん作り上げるだろう。だが、それをやってしまうとダメ。ワードでほぼ仕上げた上で、インデザインで編集していくこともいいことだが、それは次に取っておくか。リニューアルを達成させることを、今年はめざそうか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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