人を幸せにする人になろう

東大の総合研究博物館に行く

◆出発がやや遅れ、東京駅からタクシーに乗ったが、約束の13時を少しまわる。だが、前来たときの記憶で博物c8441778.JPG館をめざすがたどり着かずウロウロ、だいぶ時間を食う。
◆万年山の鏡の再撮影。頑張ったけど、自然光がやや足りない感じだが、まあ、なんとか。
◆それとともに、ここに津堂城山の遺物がある。下垣君がまとめてくれた表によると、青銅器があるようだが、鏡ではないのではないか、とのこと。それを見たいと思ったが、東大にある津堂の資料として出てきたのは木片と素環頭大刀の柄頭(サビで崩壊)、それと朱粒などのサンプル、この3点であった。博物館の方に、たいへんお世話になりました。
◆展示室の展示を見たかったが余裕なく、17時となり、そのまま帰る。破片である万年山の鏡を同一面になるようにセッティングするのにかなり時間がかかる。最初は1面に30分を要していた(7面ある)。
◆なんと、博物館を出たところにナントカ門というのがあるではないか。本通りか5f918a5f.JPGら入った小さな道に面して出入り口があるのだ。本郷3丁目の駅から、この門から入ればすぐだったのだが、構内地図も用意せずに行ったから迷うことになった。
◆で、この門のところ、加賀藩前田家の屋敷があり、レンガの基礎が見つかり(明治に入ってのことなんでしょうね)、それをそのまま近代建築の資料として、門のところに配置してあった。なんだか、ゴツイレンガの固まりがあるのだが、そういう訳だそうだ。

古墳時代の王宮

◆神戸大学の古市さんから、『日本史研究』に書いた抜き刷りを送っていただいた。それを読む。勉強になるわ。河内政権って、あるのだろうか、という気になってしまう。古市さんは、畿内各所の王宮にふれつつ、やはり奈良南部が王宮の中枢だと。5世紀の倭王宮も奈良だと。
◆ただし、そうした倭王宮は政治センターかといえば?という。そしてむしろ、王陵所在地における儀礼こそが重要ではないのか、ともいう。王宮か王陵か、という点でこれまでにない見方を示す。
◆いまの国会議員も、田舎に豪邸がありつつ、仕事は永田町でやっている、というのに近いのかなとも思ったが、それはそれで、じゃあ河内にそうした永田町にあたるような機能と施設があったのか。
◆今日、再度、読み直したが、なかなか手強い。だが、河内政権を考える立場としては、5世紀の王陵周辺や河内地域における遺跡をきちんと把握し、王宮は奈良かもしれんが政治センターは河内といえるのかどうか、まずは実態を整理する必要がある。

大阪城の会議

◆京橋から東西線で一駅、大阪城北詰で下り、数分行ったところの「大阪市公館」なる立派な施設で会議が行a750875e.JPGわれる。市大生活科学部の谷先生が座長で、坂井さん、研究所の長山さん、天守閣の北川さん、などと一緒だった。
◆大阪城の魅力をアップさせる観光戦略を考えるわけだが、そのなかで、石垣や、徳川期の遺構、地下に眠るトヨトミ期の大阪城など、大阪城のもつ歴史遺産としての魅力をいかに増大させるのか、ということ。まとめあげる場合に、大阪市としては、必ずしも文化財的な配慮のみならず、観光客のための諸施設の充実などのことも盛り込みたいし、またそれが使命であるようだが、歴史遺産をどのように活用していけばいいのか、ということを主たる課題として人が集められた会議である。
◆北川さんの発言では、過去に繰り返しこうした会議が何度も招集され報告書がまとめられたが、実行されてこなかったという。そうした経緯はあるにせよ、寄せ集めではなく、大阪城の対策課のような専属チームが結成され、とにもかくにも、大阪城を調査研究し整備活用する基本指針のようなものをまとめようという今回の目的は大賛成である。
◆大阪城のダメさ加減を指摘し、特別史跡だと言って、大阪市を責めるだけでは建設的でない。そうしたことを考えようと取り組んでいる心意気よし、ということで、原則的なところはそうとして、今回の検討をふまえて、今後、本腰を入れて取り組むことにつながるようなものにする必要がある。


縄文ネタ

◆レキハク青森研究会で教えてもらったこと。
◆(1)続縄文って、基本的に北海道なんだって!。東北北部は弥生化したが定着しないわけだが、そのあと、じゃあ続縄文かというとそうではないという。土器からすれば、田舎館式に後続する独自の土器様式圏を形成し、そこにのちには後北式続縄文土器がかなり南まで広がるが、それはあくまで北海道の続縄文文化の人々の動きを示すものの、ベースは独自の土器なんだと。
◆なので、弥生後の東北北部は、続縄文でもなく、独自の文化圏であるらしい。だが、それはどのようなもので、どうとらえればいいのだろう。それと、基本は狩猟採集として、北海道の続縄文文化とはどう違うのか。
◆土器が違うのはわかったが、例えば広い意味では続縄文で、そのなかの地域圏の差といった把握は誤りなのか。
◆他方、続縄文が北海道の文化として、しかしそれは縄文文化ではイカンのだろうか。稲作はやっていなくても、穀物が現れ増えるとか、鉄器も出るようになるとか、それはだいぶあとのことなんとちゃうの。またいずれそうなるといっても、基本的に縄文文化が継続するなかでの変質だろう。たぶん緩やかな変化とちゃうか。どこかでガラッと変わるものでもないように思うが。
◆そうした場合、北海道の時代区分として、文化の中身の変質を捉えての時代区分になっているのだろうか。それとも、東北北部が一時的に弥生化するという点に照らして、その段階でも狩猟採集が続いているという意味で続縄文と言っているにすぎないのか、すこし調べてみる必要がある。要は、続縄文文化は、どう定義されるもので、それはいつからかという問題である。
◆(2)縄文中期と後期の変動論を質問した。が、中部高地や関東では確かに中期までの大規模集落は継続せず、後期前半はダメージが大きいが、しかし後期後半には復旧するらしい。佐原さんの書いたものなどから、東日本の人口が寒冷化によって支えきれず、ムラは解体し、西日本に移動していくのだと思っていた。
◆が、しかし小林謙一氏によれば、基本的に西日本も東日本もあまり歩みに差はないという。佐原さんの縄文文化諸要素の西進のグラフがあるが、そういうことではないらしい。西日本の集落が後期にはいると増えるのは確かだが、大規模な人の移動というよりも、ベースがあまり変わらないなかで、(気候変動などにより?)、西日本の縄文文化そのものが発展したととらえられているらしい。中期と後期の変動の理由を聞きたかったのだが、縄文文化における西日本と東日本の差をあんまり大きく考えないというところに、むしろ「へえ~」と感じた。

小牧野遺跡

◆文化庁にいるときに、史跡指定されたばかりの頃、出張で青森に行ったとき見せてもらったことを覚えてc0c3609d.JPGいる。手前で車を降りて歩いていったように思うが、いまは遺跡近傍まで車で行けるようになっている。掘り出されたストーンサークルはそのまま露出展示しているのだが、保護のために15㎝程度、土を入れているのだという。なので、石を組んだ立体的な感じがやや失われている。
◆2人ほど常駐しており、ガイドとして訪問者に対応している。われわれが着いて見て回り、戻ってくるときに、3台ほど車が到着した。三内だけでなく、というか三内があるからとも言えるのだろうが、小牧野にも人が流れてくる。
◆話を聞いていると、栗林を育てたり、体験学習をさせたり、青森市教育委員会は、県が主導する三内とは別に、地道に努力している様子がうかがえた。

三内丸山遺跡と青森県立美術館

◆さんない、相変わらず客を集めている。すごいわ。が、新しくできた県立美術館にまず行く。印象派の特展、ff6fe3e2.JPG1500円はやめて常設のみ。が、ぞろぞろと1500円払って絵を見に行く人たち。常83ccdee6.JPG設は、現代アートで、いわく言い難いものがあるが、三内のみならず美術館を併設することで、女性や若いカップルも多く訪れている。
◆縄文ソフトクリームというのを食べる。屋外展示はもういいので、写真だけ撮り、展示を見る。前来たときはこの建物はできていたが、こんな展示室はまだできていなかったように思うが・・・。で、屋外展示だが、もっと自然の林を復元するべきですね。栗林もつくらなきゃ。なんていうのか、立派な復元建物があるが、ちいっとも縄文の世界の雰囲気がないのだ。舗装された道路なんていりませんよ。林を抜けてたどり着くと、森に抱かれて三内丸山のムラがたたずんでいる、という雰d63af575.JPG1adcd84d.JPG囲気が必要だと思う。2f073095.JPG

青森県立郷土館

◆青森県立郷土館へ行く。名前だけを見ると、郷土史資料を収集した昔からの古びたものかと思ってしまうがそうではない。立派なレッキとしたb9f7a7cb.JPG県立博物館なのである。e53a2fc2.JPG
◆旧石器から弥生まで。大平山元の資料あり、亀ヶ岡の土器もすごいし、弥生関連の資料も充実している。
◆そのあと白神山地などの自然史をはさみ、末期古墳、五所川原の窯跡資料、それから高屋敷館などの城塞的居館など、発掘資料がひととおりならんでいる。時間がなかったので、そこからは流したが、戦国期のなんとかとなんとか、それが秀吉ら安堵され、南部藩と津軽藩につながっていくのだそうだ。民俗資料もあり、近現代史の資料もあり、ひととおり青森の歴史が学べるようになっている。青森に行ったら行くべき博物館ですよ、ここは。
◆昨年、開催された3県合同企画の図録を買う。何度目からe8e07c09.JPGしいが、青森県・秋田県・岩手県の3県立博物館がひとつの展示企画を共同で作り上げ巡回する、なかなかよい企画である。4a2a95dd.JPG

砂沢遺跡と岩木山

◆2日目、砂沢遺跡、最北の弥生水田跡が見つかった遺跡に行く。が、ここは江戸時代寛永年間にため池が造ら4ddda572.JPGれ、改修を重ね、遺跡地は水没している。8・9月に水位が下がると陸地化するという。
◆要するに、砂沢→(宇鉄)→垂柳と変遷するが、砂沢は岩木山の東麓で、縄文遺跡がたくさんあるところで、みなさんの言うところでは、そうした自分のテリトリーのなかで水田を造ってみたと。場所は谷筋から水は引けたのだろうが、かなりの傾斜地である。水田に不向きなのだが、それが縄文人の最初の試みとして理解できるのではないかと。
◆しかしやはり、田地を拡大するにはもっと緩傾斜の方がいい。砂沢は短期間で廃絶するらしい。どうしたんでしょうね。失敗したのかもしれないし、水田適地を探して下っていったのだろうか。ため池の堤防から斜面下方を見ると、もうひとつため池があり、むこうには水田が広がっている。下りていったとしても、そう規模は大きくはあるまい。そうだとしても、現代までの農地整備で、弥生水田は失われているんだろうと思った。
◆弥生の水田や集落など、初期の規模の小さなものは、ここ青森にしてもほかにもあっていいように思う。この地域を含めて日本全国、いま見つかっているのはごく部分で、そのまま田地として使い続けるなかで、開墾で失われたものも多いんだろう、ということを考えていた。

田舎館城

◆田舎館城という戦国の城跡はちゃんと別にあるのだが、これは979c3f46.JPG田舎館村役場として建てられた城風の建物。展望a9ec3144.JPG台となっている天守閣がある。ちなみに、田んぼアートと呼ぶ、稲で描いた絵で有名らしい。これは1993年から始まったとのことであるが、役場の建設年は調べたがわからなかった。けっこう新しい。
◆垂柳遺跡現地の見学を終え、時間に余裕ができたので、現代の城を見に行くことになったのだが、着いてみると長蛇の列。やめようということで、ソフトクリームのみ。
◆「ようやるわ」という建物なのだが、展望台である天守閣は無料で解放しており、毎年、そこから見下ろせる田75ac34cc.JPGんぼに、趣向をこらした図柄を描き、これだけの人が訪れる。ま、成功していると認めざるをえないか。
◆ちなみに、稲はふつう緑なのだが、紫稲・黄稲という、3種を植え分けることで図柄を表現する。右の画像は垂柳遺跡の復元小区画水田での、そうした植え分けで描いた文字の様子。
◆弘前に戻り、藍染めの店に寄ってから、ホテルへ。そのあと、弘前大学のみなさんとの懇親会。

田舎館の垂柳遺跡

◆そのあと田舎館村に行く。何年か前に東北貧乏家族旅行をやったとき、十和田湖の駐車場で野宿し、翌朝、リンf66cafaf.JPGeab786a3.JPGゴを見ながら、弘前に下りてきたのだが、途中、田舎館村の「弥生の里」なる道の駅によった。まだ8時くらいで何もなく、自販機で飲み物を買って弘前に向かった。この道の駅の横に、田舎館村埋蔵文化財センターの建物があることもすぐわかったが、そういう次第でスルーした。
◆今回の昼飯はその道の駅だった。ビールを飲みたいのをグッと我慢。そのあと文化財センターに行く。四角い建物は、検出された水田遺構の覆屋であった。横に展示室があり、垂柳遺跡の出土遺物がならぶ。東北大の伊藤信雄先生が、ここから出土した土器から、これは弥生だ、と言ったのに対し、青森県に弥生文化が到達していたとは考えられていない頃の頃、さまざまな反対意見が。それに対し、みずから発掘し炭化米を掘り出して見せたのもすごい。でも納得d683953b.JPGされなかった。それが、道路の発掘調査で、明々白々、水田遺89166eb5.JPG構が見つかったわけである。
◆いまは史跡に指定されている。1999年に岡村道雄さんが課内で説明していたことを思い出す。2000年に国の史跡になった。
◆土器はなお亀ヶ岡の伝統が残っているが、しかしだいぶ弛緩しており、大型壺は定型化している(亀ヶ岡の壺と遠賀川系の壺の融合形態という)。

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HN:
雲楽
年齢:
60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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