人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
年内に・・・
◆このブログも長く更新せず、たまったネタを書いておかなければと思い、立て続けに書いている。今日は和泉市史の方が来て、提出した原稿の直しの打ち合わせをした。和泉市にたいそう迷惑をかけたが、約束の原稿をようやく提出したわけである。
◆なにやら、陵墓公開30周年の本の校正も送られてきて、挿図をだいたい作ったのだが、これも年内にはやっつけないと、1月8日の考古学研究会の岡山例会の準備にとりかかれない。この陵墓の本、2本のシンポの発表をまとめたもので、少し遅れていたのだが、ようやく出版社も決まったとの関係者からの報告があった。だが、自分が佐紀陵山で報告していて、そこに含まれていると思っておらず、テープ起こしの校正が送られてきて不意をつかれた格好だ。
◆この10年で始まった新しい立ち入りについて、佐紀陵山古墳への立ち入り報告の内容を盛り込むのはいいことだ。一方で、伏見城と陵山のその一般向け報告会のタイミングが30周年と重なったわけだが、その前の五社神やその後の五社神も踏まえて、立ち入りの様子やその有効性などを整理する原稿を誰かが書くのもよいことだろう。シンポの構成をベースにしながらも、この10年を振り返って、さらに将来をめざす、あるいは古市・百舌鳥の世界遺産の問題など、盛り込むべきものを原稿依頼などしてまとまった内容にすればいいのに、とも思うのだが。
◆なにやら、陵墓公開30周年の本の校正も送られてきて、挿図をだいたい作ったのだが、これも年内にはやっつけないと、1月8日の考古学研究会の岡山例会の準備にとりかかれない。この陵墓の本、2本のシンポの発表をまとめたもので、少し遅れていたのだが、ようやく出版社も決まったとの関係者からの報告があった。だが、自分が佐紀陵山で報告していて、そこに含まれていると思っておらず、テープ起こしの校正が送られてきて不意をつかれた格好だ。
◆この10年で始まった新しい立ち入りについて、佐紀陵山古墳への立ち入り報告の内容を盛り込むのはいいことだ。一方で、伏見城と陵山のその一般向け報告会のタイミングが30周年と重なったわけだが、その前の五社神やその後の五社神も踏まえて、立ち入りの様子やその有効性などを整理する原稿を誰かが書くのもよいことだろう。シンポの構成をベースにしながらも、この10年を振り返って、さらに将来をめざす、あるいは古市・百舌鳥の世界遺産の問題など、盛り込むべきものを原稿依頼などしてまとまった内容にすればいいのに、とも思うのだが。
2010年12月22日奈良地理歴史の会
◆朝10時から、というので、同じくJR大和路線で出勤するカミさんと一緒にでかける。けっこうJR奈良駅から三条通だったか、を歩いて近鉄奈良方面へ歩いていくのは好きである。
◆文化会館でなく、中小企業会館が会場で、「でもあのあたり」くらいできちんと調べずに行くと、どこかわからず焦る。実は文化会館より手前だったのだが、見落としたわけだ。戻って会場に飛び込んだのが5分前、主催者側には迷惑をかけた。で、あわててパソコンをつないだが、不調、けっきょく15分のロス。すいません。たぶん、このパソコンがロートルで反応がにぶいのと(だから新しくしたのだが・・・)、パワポがかなりの容量のファイルになっているのが原因。
◆まあしかし写ってよかった。話はまあまあ楽しくしゃべることができた。そういえば、2週間ほど前、たてつづけに電話があり、堺市での話と、岸和田市での話と、よみうり文化センターでのシンポジウムの話があり、みんな引き受けた。このよみうりのは、やはり桜井茶臼山の再発掘を契機に、オオヤマトを考えるみたいなテーマで、石野先生と和田萃先生とわたしでシンポをやるんだとか。ちょっと偉い先生ばかりやね~。和田先生が、わたしの2王並立の話は知ってくれているだろうか。そういえば、いつぞや奈良陵墓の会でしゃべった時にいらしていたのだった。そのあと、ちゃんと読んでもらう必要があると思い、確か去年の高槻市の委員会にコピーを準備していったのだが、欠席されており、そのままになっている。
◆奈良地理歴史の会の講演は、よみうりの予行演習にもなったと思っている。
◆文化会館でなく、中小企業会館が会場で、「でもあのあたり」くらいできちんと調べずに行くと、どこかわからず焦る。実は文化会館より手前だったのだが、見落としたわけだ。戻って会場に飛び込んだのが5分前、主催者側には迷惑をかけた。で、あわててパソコンをつないだが、不調、けっきょく15分のロス。すいません。たぶん、このパソコンがロートルで反応がにぶいのと(だから新しくしたのだが・・・)、パワポがかなりの容量のファイルになっているのが原因。
◆まあしかし写ってよかった。話はまあまあ楽しくしゃべることができた。そういえば、2週間ほど前、たてつづけに電話があり、堺市での話と、岸和田市での話と、よみうり文化センターでのシンポジウムの話があり、みんな引き受けた。このよみうりのは、やはり桜井茶臼山の再発掘を契機に、オオヤマトを考えるみたいなテーマで、石野先生と和田萃先生とわたしでシンポをやるんだとか。ちょっと偉い先生ばかりやね~。和田先生が、わたしの2王並立の話は知ってくれているだろうか。そういえば、いつぞや奈良陵墓の会でしゃべった時にいらしていたのだった。そのあと、ちゃんと読んでもらう必要があると思い、確か去年の高槻市の委員会にコピーを準備していったのだが、欠席されており、そのままになっている。
◆奈良地理歴史の会の講演は、よみうりの予行演習にもなったと思っている。
2010年12月25日堺市立みはら歴史博物館
◆土日、歴博の研究会を欠席させてもらい、年内に片付けるべき仕事をこなす。大阪歴史学会の見学検討会は、こないだの委員会で、河内大塚山古墳と「辛亥の変」にする了承をとりつけたが、もうひとつ腹案があったのが「河内鋳物師」である。美原市史を調べ、ネットでも情報を集め、この堺市立みはら歴史博物館(なぜか「MCみはら」と略称するのだが、意味不明)に行かねばと思い、行ってきた(なかにあるホールも検討会をやる場合、会場として利用することが考えられる)。
◆これ、堺市への合併前にできたもので、黒姫山古墳の少し北にあり、黒姫山の甲冑と河内鋳物師関係(+丹比廃寺関係なども)の2部屋となっている。これも堺市の施設となり(新しくなった泉北資料館にはまだ行けていない)、個性あるひとつのテーマ館といったところだ。ひととおり河内鋳物師について学べる、が、もっともっとゴテゴテとならべてくれればいいのに、とも思う。公共交通機関はバスになるので、なかなか行きにくく、多くの人は車だろう。けっこう面白いのだが、あんまり客は来ないのかな~、と思ってしまう。
◆先日は、同じく河内鋳物師関係で、松原市の展示施設に行った。けっこう、見学シートの解説チラシをはじめ、特展も重ね、図録も出して頑張っている。また、ここで安中新田会所旧植田家住宅のニュースが置いてあるのをもらってきて、指定管理者だけど、いろいろやっているのを感じた。MCみはらの鋳物師関係の遺物は、ほとんどが大阪文化財センターの寄託品で、自分のところのブツがないようだ。やっぱり小さな館といえども、学芸員がいて(指定管理者であっても)、いろいろ工夫を重ねていいものになるんだろう。そもそも真福寺関係など、鋳物師関係の資料など、堺市は譲渡を受けるべきなんだろう。
◆河内鋳物師関係は、阪和道の調査で盛り上がり、その後も、松原市や堺市や大阪市でも調査事例が増えているので、ここいらでまとめてみては、というのが見学検討会で取り上げてみたいと思った理由だ。もうすこし、その後の調査事例を集めて、次の見学検討会でできれば取り上げてみたいものだ。河内鋳物師も、大阪発で全国区のテーマになる。
◆これ、堺市への合併前にできたもので、黒姫山古墳の少し北にあり、黒姫山の甲冑と河内鋳物師関係(+丹比廃寺関係なども)の2部屋となっている。これも堺市の施設となり(新しくなった泉北資料館にはまだ行けていない)、個性あるひとつのテーマ館といったところだ。ひととおり河内鋳物師について学べる、が、もっともっとゴテゴテとならべてくれればいいのに、とも思う。公共交通機関はバスになるので、なかなか行きにくく、多くの人は車だろう。けっこう面白いのだが、あんまり客は来ないのかな~、と思ってしまう。
◆先日は、同じく河内鋳物師関係で、松原市の展示施設に行った。けっこう、見学シートの解説チラシをはじめ、特展も重ね、図録も出して頑張っている。また、ここで安中新田会所旧植田家住宅のニュースが置いてあるのをもらってきて、指定管理者だけど、いろいろやっているのを感じた。MCみはらの鋳物師関係の遺物は、ほとんどが大阪文化財センターの寄託品で、自分のところのブツがないようだ。やっぱり小さな館といえども、学芸員がいて(指定管理者であっても)、いろいろ工夫を重ねていいものになるんだろう。そもそも真福寺関係など、鋳物師関係の資料など、堺市は譲渡を受けるべきなんだろう。
◆河内鋳物師関係は、阪和道の調査で盛り上がり、その後も、松原市や堺市や大阪市でも調査事例が増えているので、ここいらでまとめてみては、というのが見学検討会で取り上げてみたいと思った理由だ。もうすこし、その後の調査事例を集めて、次の見学検討会でできれば取り上げてみたいものだ。河内鋳物師も、大阪発で全国区のテーマになる。
2010年12月12日伊勢
◆朝8時、天王寺発。今回は修論・卒論組は来るなと言って、3回生と行く。ほぼ2時間でたどりつく。
◆まず外宮。けっこう人が多い。それから猿田彦神社。内宮に行こうとするが道を間違い、やたら駐車場がいっぱいなので、少し距離のある駐車場に置いて、参道をめざす。
◆驚いたね、こんなにも人がいるのか、と。伊勢神宮は小学校の修学旅行以来だ。ちなみになんで伊勢神宮かといえば、学部生が行きたいといったから。門前町の研究をしているヤツは伊勢神宮に行くべきだね。人が集まるところ町ができ、金を落としていくことがよくわかる。それにしてもこの人の多さは・・・、と思っていたら、今年、急激に多くの人が参拝しているらしい。なんでだろう。
◆赤福を食べて、伊勢うどんを食べて(橋本家では不人気)、内宮へ、参拝する石段は人が列をなしてならんでいる。ならびたくないので、脇を通り、こっちは柵から中をのぞき込んで引き返した。
◆もうひとつ、古墳時代や7世紀や8世紀をかじっている者にとっては、掘立柱建物というものがどんなものかを知るには最適である。古い建築様式を残している伊勢神宮は参考になる。別にアマテラスにお参りしたくはないが、建物を見るのはとても勉強になった。
◆ついでなので、こんな機会でもなければ行かないと思うので、神宮徴古館による。玉纒の太刀とか、織器のミニチュアとか、これも沖の島に供えられたものとまったく同じようなものが用いられていることに、改めて感動する。藤原秀郷の奉納したという毛抜形太刀も見たかったが、常設展にはならんでいなかった。
◆そこから斎宮へ向かう。もう16:30くらいだったと思う。暗闇が迫るなかで展示を見る。斎宮の現場に行ったことがあるようなないような・・・。斎宮って、年に6日、伊勢神宮で祭祀をするだけのために斎王が置かれ、500人ほどの役人その他がここで勤務していたんだって。
◆最後にどうしても見たかったので、10分の1模型はどこかと訪ね、暗闇の中、見に行く。この史跡整備は1990年代後半に三重県がプランをもってきていたもの。そういうトンデモナイことをやることは知っていたが、できたものを見たことがなかったので。これには条坊風の街路があったことがわかったことも大きかったようだ。それで四角い区画が10分の1で再現され、発掘で内部構造がわかったいるものについては、上に建物模型を置いている。バレやしないと思って上に上がって見ていると、隣の体験館から人が出てきそうになったので、あわてて降りる。
◆時間があれば、松阪の宝塚古墳群に行きたかったが、そんなんで無理、帰る。
◆伊勢神宮。年寄りばかりでなく若いカップルも多い。これはこれで社会学的な分析が必要だろう。ナショナリズムでなくアイデンティティの確認みたいなものだろう。遷宮には莫大な経費が必要で、その集客にも成功しているといえる。観光地ということだ。天皇を現人神などとは考えないであろう・・・。
◆日本にも王がいて、のちに天皇とよばれ、それが今日まで続いてきた。敗戦時にこの王制を廃止しなかったわけである。いま残る王制は、どことも統合の象徴として形をかえながら存続しているわけだ。あってもなくても違いはないと思うが、そこは形とはいえ、「陛下」なんて言葉が生きている国と、王制を廃止した国の民度の差はあるわな。外圧や革命がなければ変わらないだろうから存続していくだろう。なんとなくモヤモヤしているのだが・・・
◆まず外宮。けっこう人が多い。それから猿田彦神社。内宮に行こうとするが道を間違い、やたら駐車場がいっぱいなので、少し距離のある駐車場に置いて、参道をめざす。
◆驚いたね、こんなにも人がいるのか、と。伊勢神宮は小学校の修学旅行以来だ。ちなみになんで伊勢神宮かといえば、学部生が行きたいといったから。門前町の研究をしているヤツは伊勢神宮に行くべきだね。人が集まるところ町ができ、金を落としていくことがよくわかる。それにしてもこの人の多さは・・・、と思っていたら、今年、急激に多くの人が参拝しているらしい。なんでだろう。
◆赤福を食べて、伊勢うどんを食べて(橋本家では不人気)、内宮へ、参拝する石段は人が列をなしてならんでいる。ならびたくないので、脇を通り、こっちは柵から中をのぞき込んで引き返した。
◆もうひとつ、古墳時代や7世紀や8世紀をかじっている者にとっては、掘立柱建物というものがどんなものかを知るには最適である。古い建築様式を残している伊勢神宮は参考になる。別にアマテラスにお参りしたくはないが、建物を見るのはとても勉強になった。
◆ついでなので、こんな機会でもなければ行かないと思うので、神宮徴古館による。玉纒の太刀とか、織器のミニチュアとか、これも沖の島に供えられたものとまったく同じようなものが用いられていることに、改めて感動する。藤原秀郷の奉納したという毛抜形太刀も見たかったが、常設展にはならんでいなかった。
◆そこから斎宮へ向かう。もう16:30くらいだったと思う。暗闇が迫るなかで展示を見る。斎宮の現場に行ったことがあるようなないような・・・。斎宮って、年に6日、伊勢神宮で祭祀をするだけのために斎王が置かれ、500人ほどの役人その他がここで勤務していたんだって。
◆最後にどうしても見たかったので、10分の1模型はどこかと訪ね、暗闇の中、見に行く。この史跡整備は1990年代後半に三重県がプランをもってきていたもの。そういうトンデモナイことをやることは知っていたが、できたものを見たことがなかったので。これには条坊風の街路があったことがわかったことも大きかったようだ。それで四角い区画が10分の1で再現され、発掘で内部構造がわかったいるものについては、上に建物模型を置いている。バレやしないと思って上に上がって見ていると、隣の体験館から人が出てきそうになったので、あわてて降りる。
◆時間があれば、松阪の宝塚古墳群に行きたかったが、そんなんで無理、帰る。
◆伊勢神宮。年寄りばかりでなく若いカップルも多い。これはこれで社会学的な分析が必要だろう。ナショナリズムでなくアイデンティティの確認みたいなものだろう。遷宮には莫大な経費が必要で、その集客にも成功しているといえる。観光地ということだ。天皇を現人神などとは考えないであろう・・・。
◆日本にも王がいて、のちに天皇とよばれ、それが今日まで続いてきた。敗戦時にこの王制を廃止しなかったわけである。いま残る王制は、どことも統合の象徴として形をかえながら存続しているわけだ。あってもなくても違いはないと思うが、そこは形とはいえ、「陛下」なんて言葉が生きている国と、王制を廃止した国の民度の差はあるわな。外圧や革命がなければ変わらないだろうから存続していくだろう。なんとなくモヤモヤしているのだが・・・
旧真田山陸軍墓地
◆大阪電通大の小田康徳先生が旧真田山陸軍墓地の納骨堂の悉皆調査をやるというので、科研費が交付され、今年度から調査に着手されている。その報告会があり、大阪歴史学会も後援団体に名を連ねたため、挨拶をせよというので行ってきた。結局、挨拶の場面がなかったが、準備したものを掲げておく。
◆こんにちわ。本日の研究集会の後援団体をしております大阪歴史学会の岸本と申します。このたび、ご紹介がありましたように、今年度から、研究費をえて、旧真田山陸軍墓地の納骨堂についての調査・研究がスタートし、さっそくこうした研究集会を開催されますことに、敬意を表しますとともに、後援団体として、ひとことご挨拶させていただきます。
◆旧真田山陸軍墓地については、戦前につくられた多くの陸軍墓地のなかでも、もっとも古いものであり、広大な敷地に5000基以上の墓石群と多数の遺骨を納めた納骨堂があります。戦後も、財団法人大阪靖国霊場維持会によって祭祀が維持され、大阪市の協力や地元の人々のご尽力によって、全国の陸軍墓地のなかでも、今日まで戦前の姿をとどめる貴重なものであります。陸軍墓地の歴史の出発点となるものであること、規模が大きく代表的なものであること、かつ戦後もよく残されてきたものであるという点で、重要かつ貴重な歴史遺産といって間違いないと思います。
◆この墓地に一歩入れば、明治初期から、西南戦争や日清戦争、台湾出兵、日露戦争、満州事変、日中戦争、アジア太平洋戦争と、戦前の日本がいかに戦争を続けてきたか、そして多くの犠牲者を生み出してきたのかを、われわれに教えてくれます。旧日本の軍隊や戦争にかかわる歴史遺産の中でも、墓地である故に、静かな姿ながら迫力があって、誰しも厳粛な気持ちになり、また戦前への反省、そして現代の平和を考えさせてくれる、ほかには求めがたいもので、これからも大事に伝えていかなければならないと思います。
◆しかし、墓石の劣化が進み、また納骨堂の痛みも進行しています。このため、「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」が生まれ、これまで保存の要望書を文化庁はじめ関係機関に提出され、また研究報告会を重ねるとともに、現地案内を地道に続けておられます。そして、今年度から、保存措置を実現させていくためにも、調査を行って対象の把握を進めるべく、研究費をえて納骨堂の調査に着手されたわけです。この旧陸軍墓地を調査し研究し、その歴史的意義を明らかにすることで、今後の保存を進めていこうという、考える会有志のみなさまの取り組みには、ほんとうに頭が下がります。
◆さて、考える会で、文化庁や大阪府・大阪市に対して、史跡指定などの文化財指定を要望しておられるように、地元のみなさんの残していかなければならないとのお気持ちに支えられてきたわけですが、これを文化財に指定して将来にわたって残していくべきものときちんと位置づけ、必要な保存措置が講じられるようにしなければならないと思います。
◆戦争関係の遺跡の文化財指定については、1990年の沖縄の南風原陸軍病院壕を町が指定したことが最初であります。国では、原爆ドームの世界遺産登録を契機に、史跡の指定基準を改め、明治初年までとしてきたものを、戦前までを対象とすること、そして戦跡についても含められることになりました。そして近代の遺跡についての歴史的に重要な史跡候補のリストアップを、1996年から着手したわけです。戦跡についても2002年に公表された資料によれば、都道府県から544件が提示され、審議によりとくに重要なものとして116件が挙げられ、50件が詳細調査の対象になりました。これまでに10件程度が指定されたようですが、多くは軍の庁舎などの建物をよく残した軍関係施設にとどまっているようです。
◆大阪府下では3件が詳細調査の対象となりましたが、まだ未指定ですし、旧真田山陸軍墓地については大阪府の要請にもかかわらず、当面の対象からはずされたとのことです。
◆史跡指定は、地元からの申請によりますので、やはりなんといっても大阪市が動かなければなかなか難しいわけです。これまでの経過はかならずしも承知していませんが、まずは大阪市に腰を上げてもらう必要があると思います。
◆一方で、この墓地の内容、そして歴史的意義を明らかにする必要があり、考える会の有志のみなさんは、行政が積極的には動いてくれないなかで、自分たちでそれに取り組まれているわけです。今回、小田康徳先生を代表者とする科学研究費による調査研究は、納骨堂をすべて調査しようとするもので、たいへん重要な作業になると思われます。
◆旧真田山陸軍墓地が国の史跡になるまで、まだ時間はかかるかもしれません。しかし、わたしは、日本の戦争関連の歴史遺産として、さまざまな種類のものがあるなかで、陸軍墓地もまた不可欠なものであり、 軍そのものの関係施設や軍事施設のみならず、必ず対象になってくるだろうと思います。
◆このたびの研究費をえての調査、熱意をもって取り組まれている調査によりえられる成果は、この墓地のもつ歴史的な意義をさらに明らかにしてくれると期待され、またそれが大阪市を動かし、文化財としての指定につながることを願っております。
◆本日は、調査第1年度の成果について早くもお聞かせいただけるということで楽しみにしております。本日の研究集会が活発で意義あるものになりますことを祈念いたしまして、後援団体としてのご挨拶とさせていただきます。
◆で、実際に、調査の内容やその範囲での成果について話を聞くことができた。大阪府下の戦跡については、調べなあかんな~と思いつつ、いまは何もできていない。
◆こんにちわ。本日の研究集会の後援団体をしております大阪歴史学会の岸本と申します。このたび、ご紹介がありましたように、今年度から、研究費をえて、旧真田山陸軍墓地の納骨堂についての調査・研究がスタートし、さっそくこうした研究集会を開催されますことに、敬意を表しますとともに、後援団体として、ひとことご挨拶させていただきます。
◆旧真田山陸軍墓地については、戦前につくられた多くの陸軍墓地のなかでも、もっとも古いものであり、広大な敷地に5000基以上の墓石群と多数の遺骨を納めた納骨堂があります。戦後も、財団法人大阪靖国霊場維持会によって祭祀が維持され、大阪市の協力や地元の人々のご尽力によって、全国の陸軍墓地のなかでも、今日まで戦前の姿をとどめる貴重なものであります。陸軍墓地の歴史の出発点となるものであること、規模が大きく代表的なものであること、かつ戦後もよく残されてきたものであるという点で、重要かつ貴重な歴史遺産といって間違いないと思います。
◆この墓地に一歩入れば、明治初期から、西南戦争や日清戦争、台湾出兵、日露戦争、満州事変、日中戦争、アジア太平洋戦争と、戦前の日本がいかに戦争を続けてきたか、そして多くの犠牲者を生み出してきたのかを、われわれに教えてくれます。旧日本の軍隊や戦争にかかわる歴史遺産の中でも、墓地である故に、静かな姿ながら迫力があって、誰しも厳粛な気持ちになり、また戦前への反省、そして現代の平和を考えさせてくれる、ほかには求めがたいもので、これからも大事に伝えていかなければならないと思います。
◆しかし、墓石の劣化が進み、また納骨堂の痛みも進行しています。このため、「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」が生まれ、これまで保存の要望書を文化庁はじめ関係機関に提出され、また研究報告会を重ねるとともに、現地案内を地道に続けておられます。そして、今年度から、保存措置を実現させていくためにも、調査を行って対象の把握を進めるべく、研究費をえて納骨堂の調査に着手されたわけです。この旧陸軍墓地を調査し研究し、その歴史的意義を明らかにすることで、今後の保存を進めていこうという、考える会有志のみなさまの取り組みには、ほんとうに頭が下がります。
◆さて、考える会で、文化庁や大阪府・大阪市に対して、史跡指定などの文化財指定を要望しておられるように、地元のみなさんの残していかなければならないとのお気持ちに支えられてきたわけですが、これを文化財に指定して将来にわたって残していくべきものときちんと位置づけ、必要な保存措置が講じられるようにしなければならないと思います。
◆戦争関係の遺跡の文化財指定については、1990年の沖縄の南風原陸軍病院壕を町が指定したことが最初であります。国では、原爆ドームの世界遺産登録を契機に、史跡の指定基準を改め、明治初年までとしてきたものを、戦前までを対象とすること、そして戦跡についても含められることになりました。そして近代の遺跡についての歴史的に重要な史跡候補のリストアップを、1996年から着手したわけです。戦跡についても2002年に公表された資料によれば、都道府県から544件が提示され、審議によりとくに重要なものとして116件が挙げられ、50件が詳細調査の対象になりました。これまでに10件程度が指定されたようですが、多くは軍の庁舎などの建物をよく残した軍関係施設にとどまっているようです。
◆大阪府下では3件が詳細調査の対象となりましたが、まだ未指定ですし、旧真田山陸軍墓地については大阪府の要請にもかかわらず、当面の対象からはずされたとのことです。
◆史跡指定は、地元からの申請によりますので、やはりなんといっても大阪市が動かなければなかなか難しいわけです。これまでの経過はかならずしも承知していませんが、まずは大阪市に腰を上げてもらう必要があると思います。
◆一方で、この墓地の内容、そして歴史的意義を明らかにする必要があり、考える会の有志のみなさんは、行政が積極的には動いてくれないなかで、自分たちでそれに取り組まれているわけです。今回、小田康徳先生を代表者とする科学研究費による調査研究は、納骨堂をすべて調査しようとするもので、たいへん重要な作業になると思われます。
◆旧真田山陸軍墓地が国の史跡になるまで、まだ時間はかかるかもしれません。しかし、わたしは、日本の戦争関連の歴史遺産として、さまざまな種類のものがあるなかで、陸軍墓地もまた不可欠なものであり、 軍そのものの関係施設や軍事施設のみならず、必ず対象になってくるだろうと思います。
◆このたびの研究費をえての調査、熱意をもって取り組まれている調査によりえられる成果は、この墓地のもつ歴史的な意義をさらに明らかにしてくれると期待され、またそれが大阪市を動かし、文化財としての指定につながることを願っております。
◆本日は、調査第1年度の成果について早くもお聞かせいただけるということで楽しみにしております。本日の研究集会が活発で意義あるものになりますことを祈念いたしまして、後援団体としてのご挨拶とさせていただきます。
◆で、実際に、調査の内容やその範囲での成果について話を聞くことができた。大阪府下の戦跡については、調べなあかんな~と思いつつ、いまは何もできていない。
若狭の原子力発電所
◆明通寺のご住職の話を聞いて、小浜市が2度にわたる住民投票で原子力発電に反対したことを知る。若狭湾は原発銀座、関電の発電所や「もんじゅ」などがならぶ。
◆福井県が主導したのだろうし、敦賀市も、美浜町も高浜町も大飯町まわりが原子力発電所を受け入れるなか、小浜市は反対を貫いているわけだ。そうした地域の中のことをよく知らなかった。にもかかわらず、いざ事故があったら、小浜もモロに被害を被る。
◆このご住職の言葉で、よく覚えていることがひとつある。原発の話の中ででてきた言葉なのだが、貪と貧である。貝つまり金、いまの金、もうけを求めるのが貪、それに対して、貧とは冨を分ける、分かち合うということなんだ、ということ。
◆貧は「貧しい」というものでなく、もともと冨の再分配の思想が「貧」である、というのに感動したのである。
◆福井県が主導したのだろうし、敦賀市も、美浜町も高浜町も大飯町まわりが原子力発電所を受け入れるなか、小浜市は反対を貫いているわけだ。そうした地域の中のことをよく知らなかった。にもかかわらず、いざ事故があったら、小浜もモロに被害を被る。
◆このご住職の言葉で、よく覚えていることがひとつある。原発の話の中ででてきた言葉なのだが、貪と貧である。貝つまり金、いまの金、もうけを求めるのが貪、それに対して、貧とは冨を分ける、分かち合うということなんだ、ということ。
◆貧は「貧しい」というものでなく、もともと冨の再分配の思想が「貧」である、というのに感動したのである。
舞鶴の海上自衛隊
◆各種パンフレットを掲げておく。
◆これは過去か現在かわからんが、あるいは同じか。海上自衛隊でいちばん重要なのは横須賀で、次が佐世保で、その次が舞鶴らしい。
◆こうした護衛艦って、いったいいくらするのだろうか。そして護衛艦といっているが、それを担保するのは装備している武器であり、それはイラク戦争などで用いられたものと基本的に変わりないだろう。そういうものを買っている。
◆朝鮮戦争が起こらなかったら、日本の再軍備は多少、時期はずれていたかもしれない。結局、自衛隊創設に際して、旧軍の人材やノウハウが用いられた。必要悪か・・・。しかし冷戦後、やはり縮小すべきですよね。最終的には、領海を監視する海上保安庁のみにすべきである。こういう砲台をそなえた軍艦が必要なのか、抑止力なのか、そうでない世界をほんとうにこの国は希求しているのだろうか。冷戦後に防衛省に格上げする日本。
◆軍艦を開放して見学させて、やっぱりカッコイイと思ってしまう子供、やっぱり必要やと思ってしまう人々。あれを見ていると自衛隊も必死で、それは成功しているように思う。0か100かというのは現実的でないだろう。だが、こうしたものが不要な世界にするのが理想であり、現状維持でなく段階的に見直していく時代は来ないものか。
◆むかし、ウォーターラインシリーズのプラモデルをたくさん作った。軍国主義少年だったわけである。しかしもはやカッコイイとは思わない。まだこのプラモ、売ってはいるようだが、むかしのようにジャスコやダイエーには売っておらず、模型屋に行かないとない。これはこれで子供たちにとっての需要が減っている、ということなんだろう。むかしは、おれは軍艦、おれは戦車、おれは戦闘機、と子供たちはプラモを作って、色を塗り、それをならべていた。
◆これは過去か現在かわからんが、あるいは同じか。海上自衛隊でいちばん重要なのは横須賀で、次が佐世保で、その次が舞鶴らしい。
◆こうした護衛艦って、いったいいくらするのだろうか。そして護衛艦といっているが、それを担保するのは装備している武器であり、それはイラク戦争などで用いられたものと基本的に変わりないだろう。そういうものを買っている。
◆朝鮮戦争が起こらなかったら、日本の再軍備は多少、時期はずれていたかもしれない。結局、自衛隊創設に際して、旧軍の人材やノウハウが用いられた。必要悪か・・・。しかし冷戦後、やはり縮小すべきですよね。最終的には、領海を監視する海上保安庁のみにすべきである。こういう砲台をそなえた軍艦が必要なのか、抑止力なのか、そうでない世界をほんとうにこの国は希求しているのだろうか。冷戦後に防衛省に格上げする日本。
◆軍艦を開放して見学させて、やっぱりカッコイイと思ってしまう子供、やっぱり必要やと思ってしまう人々。あれを見ていると自衛隊も必死で、それは成功しているように思う。0か100かというのは現実的でないだろう。だが、こうしたものが不要な世界にするのが理想であり、現状維持でなく段階的に見直していく時代は来ないものか。
◆むかし、ウォーターラインシリーズのプラモデルをたくさん作った。軍国主義少年だったわけである。しかしもはやカッコイイとは思わない。まだこのプラモ、売ってはいるようだが、むかしのようにジャスコやダイエーには売っておらず、模型屋に行かないとない。これはこれで子供たちにとっての需要が減っている、ということなんだろう。むかしは、おれは軍艦、おれは戦車、おれは戦闘機、と子供たちはプラモを作って、色を塗り、それをならべていた。
2010年11月29日教室旅行3日目
◆小浜城の見学。ここは初めてだ。
◆それから若狭神宮寺。若狭彦・姫神社のある谷をさかのぼったところにあり、奈良のお水取りの水はここから送るというところ。このご住職も面白い方で、全国の神宮司が明治の廃仏毀釈でさんざんになってしまい、いまこの若狭のみという。人間は間違ったことをするのだ、みたいな話だった、と思う。メモをとると、面白くて紹介したいような話が10個はあるような、含蓄のあるものだったが、ほぼ忘れた。
◆それから、上中の熊川宿。永江さんに案内いただく。近江へ抜ける手前にあり、交通の要衝として、近世はじめに宿を設置させたものだという。町は3つに分かれるほどに江戸時代に発展し、さまざまな商家などがならび、その古い町並みがよく残っており、いわゆる伝建に指定されたもの。
◆それから近江へ抜けて、ドライブインで食事をしたあと、菅浦へ行く。なんでも京大の先生が文書を確認し、惣村の研究の重要資料になったものという。それが保管されていたという神社に行く。そして村を歩く。
◆そこから竹生島に船でわたる予定であったが、風がきつく浪が荒れているので欠航に。実は、竹生島は、無人で、毎日、お寺の人もみやげもの売りの人も通うらしいが、定期観光船が天候により欠航になると引き揚げるのだという。われわれの菅浦からのは臨時で、その情報が伝わらなかったらしく、2班に分かれた前半組は船で渡ったのだが、誰もおらず、時間がきたので、わたしの属する後半組が港へ行くと、オジサンが今日はダメダメと・・・。いや、先に前半組が行っているのだといっても、それはほんとは船を出したらダメなんだ、ということで、結局渡れなかったのは残念である。
◆こうして2泊3日の教室旅行は終了した。お疲れ様でした。
◆それから若狭神宮寺。若狭彦・姫神社のある谷をさかのぼったところにあり、奈良のお水取りの水はここから送るというところ。このご住職も面白い方で、全国の神宮司が明治の廃仏毀釈でさんざんになってしまい、いまこの若狭のみという。人間は間違ったことをするのだ、みたいな話だった、と思う。メモをとると、面白くて紹介したいような話が10個はあるような、含蓄のあるものだったが、ほぼ忘れた。
◆それから、上中の熊川宿。永江さんに案内いただく。近江へ抜ける手前にあり、交通の要衝として、近世はじめに宿を設置させたものだという。町は3つに分かれるほどに江戸時代に発展し、さまざまな商家などがならび、その古い町並みがよく残っており、いわゆる伝建に指定されたもの。
◆それから近江へ抜けて、ドライブインで食事をしたあと、菅浦へ行く。なんでも京大の先生が文書を確認し、惣村の研究の重要資料になったものという。それが保管されていたという神社に行く。そして村を歩く。
◆そこから竹生島に船でわたる予定であったが、風がきつく浪が荒れているので欠航に。実は、竹生島は、無人で、毎日、お寺の人もみやげもの売りの人も通うらしいが、定期観光船が天候により欠航になると引き揚げるのだという。われわれの菅浦からのは臨時で、その情報が伝わらなかったらしく、2班に分かれた前半組は船で渡ったのだが、誰もおらず、時間がきたので、わたしの属する後半組が港へ行くと、オジサンが今日はダメダメと・・・。いや、先に前半組が行っているのだといっても、それはほんとは船を出したらダメなんだ、ということで、結局渡れなかったのは残念である。
◆こうして2泊3日の教室旅行は終了した。お疲れ様でした。
2010年11月28日教室旅行2日目
◆宮津の旅館(茶六本館、登録文化財)を出て、舞鶴へ向かう。
◆海軍資料館、ここは要するに旧海軍の施設で、いまは海上自衛隊の訓練所?があるところ。まあ、東郷平八郎万歳、連合艦隊万歳、という資料館で、こんなところに大阪市大が行くのはいかがなものか、という意見もある。確かに批判的に見学できればいいのだが、カッコイイということになりかねない。これは、そのあとの桟橋での海上自衛隊の軍艦見学も同じである。まあ、それにしても一般公開を一所懸命やっとる。パンフレットも立派。軍艦に格納してあるのは、パトリオットミサイルみたいな武器である。
◆とれとれセンターで食事。はまち2000円だったか、実に魅力である。
◆赤レンガ博物館。世界のレンガを集めている。まとまったコレクションの寄託も受けているが、世界のレンガを集めるために、ほうぼうと交渉して集めたらしい。これはこれで面白い。古代世界のものもあるが、2階は近代建築関係であった。
◆引揚記念館。双葉百合子の世界で、実に多くの来訪者がある。戦後の引き上げの記念館ではあるが、主体はシベリア抑留の展示だ。
◆福井県立若狭歴史民族博物館、久しぶり。鳥浜貝塚、若狭の古墳、製塩、国府と国分寺。
◆最後は、明通寺。これいま修士論文を書いている中世の院生が、考古のゼミでも発表していたので、ここにある寄進札のことを知っていたので、興味深く見る。外はもう暗闇。国宝の本堂と三重塔があり、本堂がいま修理中である。
◆実はここのご住職が、原子力発電に反対する宗教者の会の主要メンバーで、若狭における原子力発電反対の先頭に立つ人で、ひととおり寺の説明を聞いたあと、原子力発電の話を別室で聞いた。これについては項目を改めよう。
◆小浜の、なんとかという民宿で泊。
◆海軍資料館、ここは要するに旧海軍の施設で、いまは海上自衛隊の訓練所?があるところ。まあ、東郷平八郎万歳、連合艦隊万歳、という資料館で、こんなところに大阪市大が行くのはいかがなものか、という意見もある。確かに批判的に見学できればいいのだが、カッコイイということになりかねない。これは、そのあとの桟橋での海上自衛隊の軍艦見学も同じである。まあ、それにしても一般公開を一所懸命やっとる。パンフレットも立派。軍艦に格納してあるのは、パトリオットミサイルみたいな武器である。
◆とれとれセンターで食事。はまち2000円だったか、実に魅力である。
◆赤レンガ博物館。世界のレンガを集めている。まとまったコレクションの寄託も受けているが、世界のレンガを集めるために、ほうぼうと交渉して集めたらしい。これはこれで面白い。古代世界のものもあるが、2階は近代建築関係であった。
◆引揚記念館。双葉百合子の世界で、実に多くの来訪者がある。戦後の引き上げの記念館ではあるが、主体はシベリア抑留の展示だ。
◆福井県立若狭歴史民族博物館、久しぶり。鳥浜貝塚、若狭の古墳、製塩、国府と国分寺。
◆最後は、明通寺。これいま修士論文を書いている中世の院生が、考古のゼミでも発表していたので、ここにある寄進札のことを知っていたので、興味深く見る。外はもう暗闇。国宝の本堂と三重塔があり、本堂がいま修理中である。
◆実はここのご住職が、原子力発電に反対する宗教者の会の主要メンバーで、若狭における原子力発電反対の先頭に立つ人で、ひととおり寺の説明を聞いたあと、原子力発電の話を別室で聞いた。これについては項目を改めよう。
◆小浜の、なんとかという民宿で泊。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(02/12)
(02/05)
(02/05)
(01/27)
(01/16)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。