人を幸せにする人になろう

岡山にて

◆3月28日、なぜか岡山に行く。まずは鬼の城。カミさんがけっこう感激していた。ガイダンス施設もよいし、現7b9b1a1c.jpg地の復元も立派である。ただし、版築土塁については、昔の工報で復元することにこだわっているが無理がある。数年たっているだけで表面は痛んできているし、何年か前には崩落したと聞いた。工事中だったが、ぽかぽか陽気。おかげでかすんで瀬戸内海は不明瞭だったが、眼下の平野部も見渡せた。ワラビが顔を出している。
◆岡山大学が発掘している造山に行く。まだやってるかなー、と。まず墳丘に上ると唖然、われわれ立木の間を縫って測量したが、東側面に木がない。ほぼ皆伐、巨木も含めてそこここに伐採した樹木がまとめてある。そして新たに苗木が植えてある。どうも桜のようだ。数年前の測量の時にかなりきれいになり、そd5990077.jpgれで十分きれいになったが、この桜植樹はなんなのか、岡山市がやっとるのか・・・。墳丘の上からも新納さんが写真を撮っている様子がわかり、前方部の調査区に赴88838c30.jpgく。
◆造山古墳そのもののことは項目を改めるとして、新納さんに、話は変わるが、立木がみんな伐採されていて、あれはなんなのか、どうかしてる、おかしい、ばかじゃないの、みたいな話を不用心にした。あとから、調査区に着いたとき、新納さんが説明していた人が、この地区の町会総代みたいな人で、この人がやっているのだと・・・。その人が脇にいるところで、わたしは悪口を叩いたわけである。
◆そのあと、鯉喰神社に初めて行く。弧帯石と特殊器台形土器が落ちてないかと。しかし、パラパラ雨が来たこともあり、地面をくまなく見て回るわたしは不評を買い、そうそうに引き揚げることになる。
◆そのあと作山古墳を見る。これが感激である。6年前くらいに行ったのは秋、草ぼうぼうだった6de9a3de.jpgが、見事に下草が刈られ、風情ある松の立木を残し墳丘がくっきりすっきり、実に見事に姿を表している。実は鬼の城から造山に行く途中で、その姿が見えてきて、びっくりした。造山の現場を優先し、あとで作山に戻ってきたのである。総社市は、鬼の城といい、作山といい、頑張っているな、ということが実感された。

卒業式と修了式

◆3月24日は大学の卒業式だった。今年、3人が考古学で論文を書いた。なかなか思い出深い学年である。1月末に予定していた、我が家での焼肉パーティを延期してしまったのが痛恨の極み。なかなか日程を再設定するのは難しい。そういう間に、卒業旅行に行く、下宿を引き払う、会社の研修が入る、と卒業予定者が集まれる機会はどんどんなくなっていく。この学年は、2008年度に玉手山3を一緒に掘ったし、今年度も埴輪の整理を続けてくれた、慰労を含めた仲間内の追いコンができなかったのが残念。
◆3月27日(土)、下の子の中学課程の修了式だった。子供ら2人は、奈良にできた新設の私学に行っている。上の子は2期生で、下は、4期生だ。今年、1期生がはじめての大学受験で、進学校をめざす新設私学としては、勝負であったろう。関心はあるので、サンデー毎日とか週刊朝日とかの、大学進学結果の特集号を2冊買った。でも載ってないのだ。東大全滅?、京大全滅?、阪大は、あれ~ないぞ。どうやら公表してないらしい。でどうだったんだろうと思っていたが、修了式の時、学校長の挨拶の中で、結果が公表された。なかなか苦戦らしい。奈良は、東大寺学園や西大和があるから、普通はそっちをめざす。新設校なので、けっこう成績的に幅のある学生が集まるんだろう。ついて行けずにやめていく子らも少なくない。
◆まあしかし、そういう学校に入れた人間なので、言えたものではないが、なんか東大・京大進学に最大の価値観を置くような言い方は気になる。それだけでなく人間的な成長をモットーにはしているのだが。また校長は洗脳者みたいな芝居がかったしゃべり、あれも気になる。
◆まあ、実際の子供たちは、勝手に楽しくやっているようでなによりだ。

高槻市の委員会

◆翌日、3月23日は高槻市の委員会。けっこうもめた。あんまり書かない方がよいので、書かないが、水野先生・原口先生の感覚からすれば、なんで?ということなんだろう。オレはボオッとしてたので、言われてはじめて、そうやな~と思った。あかん、ちゃんと独自に判断できていない。
◆なんの話かわからなかったと思うが、それはよい。オレが言ったのは、理屈の整理をきちんとしましょうよ、ということ。文化庁サイドで、課長やら、保護審議会に出すのに、高槻市の提出したものに、さらに自分たちで理屈をつけるのだろうが、国がどうするかは国に任せておけばよい(むろん発掘することを納得させなければならないが)。こっちでやることは、高槻市として、この整備の委員会として、こういう理屈から発掘をしなければならんのだ、ということを整理することだ。だいたいは合意されてはいるが、きちんと委員会で議論すべきであろう。それがないと、じゃあどう掘るか、という議論に進めないのだ。

高鷲丸山

◆津堂のあと、陵南の森に行く。むかし大学生の頃、陵南の森の展示を見に来た。ほとんど記憶はないが。大阪070dd504.jpgに来て、車でしょっちゅう横を通るのだが、ずっと行ってなかったので、立ち寄る。図書館とか、よくある文化複合施設で、その一画に展示室がある。西浦の重文の銅鐸がデンと座っている。久米皇子墓の速報もやっていて面白かったのだが、しかし・・・、と思う。
◆何を思ったか。古市古墳群をかかえる藤井寺・羽曳野、そのなかでも羽曳野の方がたぶん人口も多く税収もあるんだろうと思うが、その羽曳野のずっとやってきている発掘調査の展示室がこれ・・・、と思わざるをえない。生涯学習のための、とんでもなく立派すぎる施設を作った羽曳野市、しかし、たくさんの遺跡をかかえる羽曳野市のこれが現状か、と。あまりにも力点の置き方にバランスを欠いているように思う。ほかにも展示室はあるのかもしれない(知らないが)が、例えば峰が塚の遺物は市民に対して恒常的に展示していないのか・・・。羽曳野市の文化財のことは、いくつか聞いているが、そういう経緯はあるにせよ、あれだけ・・・と思わざるをえない、そうした施設整備の必要性を説得して実現させてこなかったのは、問題がある。なんでやねん。
◆写真背後の緑は、雄略陵の作られた前方部。後円部の丸山古墳はこの左側にある。なかなか笑える代物である。明治時代とはいえ、子供だましとみんな感じただろうに。あんなものを陵墓にしてるんだからね~。
◆話はかわるが、スガキヤのラーメンは最低でした。人口調味料たっぷりの毒ですね。

津堂城山古墳

e9b2ac1b.jpgc74971a3.jpg◆眼鏡屋に行く前、津堂城山古墳に寄る。カミさん感激。天気がよいこともあり、菜の花が咲き誇り、散策者が多数訪れている。カミサン、人に来てもらってなんぼでしょ、と。まあ、市野山や仲津山などの陵墓の森が多く、古墳があるといっても、市民とは隔絶しているわけだが、そのなかで津堂城山古墳の姿に感激したようだ。昨年、現場を見せてもらったが、藤井寺による墳丘補修の土盛工事が完了していた。
◆おれは勝手にホムダワケ墓、河内政権の樹立者の墓、大阪にとっての偉人、なんて考えている。しかし一方で、盛土が露呈している箇所では、下草で表土が守られていないの421c4932.jpg1d2722e2.jpgで、水道(みずみち)ができて痛んでいるところも、久米田貝吹山ほどではないがある。子供らが斜面を下るのはよいが、それで傷むと言っているわけでなく、こういう草がないところでは、雨水ですこしずつ墳丘が流出している。今年度のどっかで、必ず測量しようと思う。

46歳になる・・・めでたいことではない

◆3月22日、振り替え休日、誕生日である。46歳か。19日、カミサンが、早いけど、誕生日プレゼント、といって財布とキーケースをくれた。びっくり。で、いま使っている財布を捨てるkabann.jpgsaihu.jpg
◆このバックパックと財布、2004年に韓国に40日間行くときに買ったもの。あれから丸6年使い、ずいぶんくたびれてきて、買い換えると言ってたので、財布を買ってくれたのだった。
◆それから前日の21日、帰ると、前方後円墳ケーキが作ってあった。これで3年目である。スポンジを3段にしたのだそうな。年々、凝ってくる。カミサke-ki.jpgンと娘が作ってくれる。幸せ者である。ひそかに来年は自分で作ろうと思っている。リアルさを追求すると、ここまでできる、という前方後円墳ケーキをめざそうと思う。
◆で、22日当日、この日に老眼鏡を買うと決めていたので、カミサンにつきあってもらい、眼鏡市場に行く。その前があるのだが、それは項目を改める。初めて眼鏡屋に行き、視力検査をしてもらい、レンズを決め、フレームを決め、眼鏡がこうしてできあがった。あれから1週間もたたないで、どっかいってしまっていたが、無事、家の部屋から発見された。

古代を偲ぶ会

ab6d6b4e.jpg◆2010年03月20日、古代を偲ぶ会でしゃべる。半島派兵の話。いきなり佐紀遷都と書いている。みんな、なにそれ・・・と思っている。あんまり聞いたことがないような話だろうな。むろん奇をてらったものではない。2時間・・・。もうちょっと絞ってもよかたかなとは思う。これまた前日から用意を始め、当日の午前に資料を完成させ、コピーし・・・。
◆同じ会場のホールでは、朝日新聞社主催の纒向のシンポジウム。こっちは後日、朝日の誌面1頁をあてて特集が組まれた。纒向で見つかった建物をめぐり、邪馬台国の話で盛り上がったようだ。

河内大塚は安閑未完陵

◆2010年03月18日、堺市の委員会に行く。なかなかイイ会議だった。この会議のメンバーに入れてもらって光栄である。
◆で、河内大塚山古墳について、このブログでもいくつか記事にしてきたが、自分の無知を知る。河内大塚は、堺市の十河さんの安閑未完陵で決まりだと思う。聞いた瞬間から、そうか、それに違いないと思った。後日、『埴輪論叢』ほか、日置荘の埴輪の分析、そしてそれが河内大塚への供給目的に、継体の今城塚造営の新池の埴輪工人組織が丹比に移されたものであるとの、関連論文をおくってもらった。ざっとみた程度で、きちんと紹介する必要があるが、これで決まりであろう。531年の政変ともリンクした説はまことに興味深く魅力がある。全国第6位の巨大前方後円墳が途中で作るのをやめるというのは余程のこと。それを求めるなら531の政変というのは納得できる。もちろん、そのまえに埴輪の緻密な分析あってのことで、それだけに固い!と思う。
◆オレと違って、きちんとした考古学的分析で、ここまで迫れるというスゴイものだ。文献を示しておく。十河良和「日置荘西町窯系埴輪と河内大塚山古墳」(『埴輪論叢』第6号,2007年)。是非、御一読下さい。

書きたいことが山ほどあるが

577f47ae.jpg◆忙しい・・・(03月31日)。データが飛んで・・・、復旧しなかった・・・。まあなんとかなるが、釜山大の原稿がなくなり、イチから書き直し・・・、トホホ。
◆昨日、4月2日、玉手山1号墳を入稿した。右は3D化したもの。画像まわりでなお問題を残しているので、これから出力まで、印刷屋とのやりとりがあり、データ差し替えもあり、すんなりとはいかないだろうが、それでも自分のなかでは、この仕事は完了した。次は、玉3の概報と摩湯山の測量調査報告である。
◆ブログをいろいろ書きたいところだが、明日の日曜日は別件でつぶれそうなので、今日一日で、論文1本を仕上げるつもり。なので、ブログはまたこんど。

カミさんの主張

◆いまの人不足について。ひとまず仕事柄、研究の場における話だ。人が削減され、若い人は期限付きで将来に不安をいだきつづけることについて、2つの害があると。
◆有能な人が、書類作成その他に追われ、つぶしていくこと。そして若い人を育てないと。
◆次は今朝の話。子ども手当とかではなく、乳幼児の医療費を全国一律無料にするなどのことをせよと。まったくだ、国が直接、個人や家庭に金を支給するようなことはやめ、同じ予算を使うなら、実際的な負担減になるような政策をとるべし。まったく同感である。事務手続きのことを考えても、愚策であろう。保育士は全員、公務員にしたらエエと。なるほど。
◆公はすぐに成果や効果があがることはせんでもいい、地道なセーフティーネットの整備を進めるべし。そうやと思う。それこそ民活。下支えすることに徹するべし。
◆天理教にも話がおよぶ。間は飛ばすが、役所のまわりにテント村ができるような社会(むろんないにこしたことはないが)がよい。道路掃除とかなんでも奉仕作業をやったら、役所で給食があてがわれ、風呂に入れて、簡易宿泊所で寝泊まりできるような、そんなんであるべきや。これはオレの主張か。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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