人を幸せにする人になろう

1988年のなつかしい写真

◆新泉社のシリーズ〈遺跡を学ぶ〉の会津大塚山の巻をパラパラとめくっていると、オレが写真に登場していた。36cdc983.jpg1988年GWのこと。大学院に入った年か。どこから誘いを受けたのだろう。藤澤さんかな。会津大塚山の測量に来ないかと誘われ、会津に赴いた。
◆わたしの記憶は、ウィルドののRK1というのを初めて使ったことと、会津若松城の桜が満開だったこと、夜な夜な楽しかったこと、だ。でも、文章を読んで、当時、福島県博におられた辻さんが、調査資金集めに奔走されていたことを知った。さらに辻さんは、合宿で自炊生活が基本だったが、しょっちゅう、市内の飯屋に連れて行ってくれた。夜な夜な楽しかったという3つめはこのことだ。参加費は取られたのだろうが、かなり押さえられていた。いまにして思えば、辻さんはかなり自腹を切っていたのだろうと思う。
◆測量調査自体は、途中から入り、後円部の西側あたりを測っていた記憶がある。
◆この古墳、いまは、オレとしては行燈山型の重要な相似墳、つまり倭製最古の三角縁神獣鏡をもち、行燈山の年代が4世紀前葉にあり、ミマキイリヒコ墓でよいという、重要な根拠にしている。これは『玉手山7号墳の研究』をまとめる段階で気付いたことで、澤田さんとケンカした覚えもある。辻さんはじめ、東北の方々は、いまの見方を知ってくれているだろうか。史跡なので発掘していないが、将来的には墳端の要所を確定し、また段築構造を確認して、行燈山型でよいのかどうか、是非、確定して欲しい。
◆おまけだが、行燈山型となると、崇神紀の四道将軍派遣、オオヒコとタケヌナカワケが会津で再会したという記述とも合致する。これ、誰かに言われて「そういえば・・・」。それと、東北には前方部の短いものがけっこうある。崇神段階にかなり東北への働きかけが進んだように思っている。


この土日・・・原稿が・・・

◆1月17日も結局、原稿は書けず。和歌山に行き、帰りは久しぶりに風の森峠(昔からここから望む奈良盆地のb9750ef2.jpg景観が好きだ)を抜け、カシコーケンに桜井茶臼山の鏡を見に行く。右の写真は五條(京奈和五條北)から見た紀伊山地の山。もうすこし手前の時、もっと雲がなく、2つの雪をかぶった峰がよく見えた。なに山か知らん。
◆卒論の関係で横穴式石室をかなりやったので、これからは、時々、横穴式石室めぐりをしたいと思っている。で、カシコウケンで明日香村の紀要のコピーをした。前に、なんだっけ、飛鳥藤原の世界遺産のパンフレットで、石舞台の石室の図面を知り、関本さんに頼んで、これ何の文献に載ってるのか問い合わせると、明日香村の紀要で、主要な石室を測り直していると教えてくれた。で、今回、ついでに関係文献をコピーした。紀要の創刊号からいろいろ論文があるが、閉館間際だったので、一部にとどめたが。読むのが楽しみだ。
【追記】石舞台の図面をコピーするのが主目的だったが、平田梅山の西に、カナヅカ、鬼の俎・雪隠(この東にもうひとつあったという)、そして野口王墓がならぶという指摘を、具体的に知ることができた。その並びの起点となっている平田梅山は、欽明がふさわしいのか敏達がふさわしいのか・・・。普通は、舒明起用以降の敏達王統の隆盛からすれば、皇極が意識したのは敏達ということになるわな。それと、カナヅカが皇極が葬送した母の吉備姫王墓とすると、643年段階に岩屋山式が確認でき、年代の定点になるな。

町田さんの叙勲パーティ

◆町田章奈文研前所長の叙勲パーティーが1月16日奈良であり出席した。あんまりea213339.jpg大きな会にしたくなtaka.jpgいとの意向で、40数名の会であった。こうした会に呼んでいただけて光栄である。「わたしの叙勲で奈文研の名前が出て宣伝になればそれでいいと受けることにした」というご挨拶に、奈文研のために尽くした町田さんの気概を感じることができた。
◆わたしの仲人でもあり、カミさんも勝手に参加したが、なにやら祝辞を述べさせられていた。町田さんに仲人をしてもらった平城部員は、玉田さんとおれ、それと箱崎で、カミサンと玉田さんは、町田さんのお宅に行く相談をしたらしい。玉田さんにお任せである。
◆新大宮で2次会。隣は毛利光さん。最初は緊張したが、新羅・皇南大塚南墳の話を皮切りに、古墳時代の話を長々と話をして楽しかった。

よりよい世界にするための諸課題解明と批判

◆2日間にわたった国際シンポジウムが終わった。まあしかし、国際シンポジウムと銘打つこと自体を考え直さねばならない。外国から研究者を呼んで話をさせたら国際なのか。研究課題にふさわしい方を呼んできてしゃべってもらうことはあってよいとして、別に「国際」という必要はないだろう。
◆外国から著名な研究者を呼んでくればいいのか、著名な研究者であれば邦訳もあるだろう。功成り名を遂げた人だろうから、すでによく知られていて、その人の研究を知ることは難しくない。そういう人を呼んできて、直接話を聞くことが、どこまで有益なんだろうか。記念写真を撮影している風景を見ると、タレントを呼んで人寄せにしようとするのとかわりないように思われる。
◆社会学の報告を午後まとめて聞いた。今日の現象を切り取ってきて報告する。興味深いことである。インパクトのある事実は雄弁であり、そここと自体も意味があるだろう。でも、学問的にはどうなんだろう。まずもって、なぜにマニラなんだろうか。日本でなく。そしてそうした社会現象がなぜに生じているのか、という追究はない。これからなのかもしれないが。で、それに対して批判的な姿勢なのか、そのへんがわからない。なぜフィリピンの貧困を明らかにするのか、なんのために、そしてどう主張をしようというのか。それが見えないので、「それで・・・」と思った。
◆古墳時代などという、日本のことではあるが古い時代で、自分が面白いからやっている、自分の「研究」なるものを棚にあげてのことであるが。
◆それに比べると、東大の吉田伸之氏が、この国際シンポの目玉であったサッセン氏の講演に対し、面白いけれども、批判的な言及がないのに「がっかりした」と発言したことが印象的だった。吉田氏は近世江戸を研究しており、アジテーターのように現代社会批判をするわけではないが、近世都市社会の研究のベースには、常に現代日本への批判的精神があるのと、大きく異なっている。

桜井茶臼山古墳の記者発表

◆昨日、事前レクがあり、公式には7日なのかな。マスコミから取材があった。メモを作る。
(1)3世紀後半では、倭国王である台与と並び立つ存在(将軍で執政者とみる)で、200m墳丘規模、昨年の多量の水銀朱を使用した埋葬施設、それにふさわしい副葬品の内容が明らかになった。
(2)破片数331点、同定できたもの81面、100面を超えるとも考えられ(報道後、追記)、いかに多量の鏡をもち大型の鏡をもつかということが、古墳時代前期の社会において重要な意味をもっていたかを、改めて考えさせられる。
(3)正始元年鏡の確認は、ようやく近畿の大型前方後円墳から出土した。銅鏡百枚に含まれていたものであろう。被葬者の活躍期が240年にさかのぼる可能性があり、卑弥呼没後に立てられようとした男王だったのかもしれない。卑弥呼に近侍した男弟であったかもしれず、今後、被葬者像をめぐって議論になろう。
(3)これからの分析が必要だが、わたしは埋葬時期は270年代頃と考えており、多量の中国鏡、そして国産化を始めた時期の典型的な組み合わせになると思う。
(4)また、石製品も興味深く、鏡とならんで、玉杖や腕輪などの緑色の石を用いた石製品を新たに生み出し、ヤマト王権への参加を列島規模で推し進めるこの 時期に、中国製品とともに、国産の威信財を生産し、それを配布することで求心力をもとうとする、3世紀後半の政策を読み取りたい。
◆13日から展示だとか。さっそく見に行こうか。

あ~あ

◆この1週間、まだ授業はなく、貯まった仕事をするには最高の期間なのに!!!!!
◆だが、9・10日の国際シンポジウムの事務局として、準備をだいたい任されてしまったもんだから、4日も5日も6日も7日も、その資料作成で朝から晩まですべて費やしてしまった。何をやってるんだろうね。
◆いくらでも手を抜けるのに、手が抜けない性格は困る。そんなきれいな資料集を作らんでもええやないかと思うが、これはサガだ。そして金曜日は1日印刷と会場設営、困ったもんだ。

ピアノ売ってちょーだい

◆このコマーシャル、やたら流れていると思いませんか。正月、ついてるテレビから恐ろしいまでの頻度で、このコマーシャルが流れる。どういうこと?

あけましておめでとうございます

◆2010年である。年末、紅白をはじめからおわりまで見た。前はいつだったか。矢沢永吉は最低だ。なんでお07451ece.jpg前が出てきてチヤホヤされるのか。ロックシンガーとしては堕落だろうに。ソニーのコマーシャルに出たり、娘とビールのコマーシャルに出たりしたところで、ふつうのオヤジに堕した。
◆いろいろ気の付いたこともあったが、もはや忘却である。年が変わり、近所の氏神さんに初詣。ドラム缶に廃材をくべている。高野山の麓は寒く、31日も1日も吹雪いていたが、しかし昼にはおおよそ溶けた。
◆元旦、河内国分の家に立ち寄り、いくつか忘れ物を取りに行き、夕方に加古川へ。
◆2日は、いつものように姉・妹夫婦家族が全員集まり、新年のお祝い。最近は、義兄が持ってきてくれる蟹を、鍋にするため包丁で足や身を解体し切れ目を入れる役と決まっている。妹たちは、屋久島に行ったおみやげ―焼酎などを持参。新宮の地ビールを空け、刺身を作り、・・・、いつものように食べ過ぎ・飲み過ぎで早々にダウン、寝て目が覚めると日が変わっていたが、まだボードゲームをやっている。これブロックスというヤツ、実はきっとこれやるからと、河内国分に取りに戻ったのはこのゲームだったのだ。
◆その前に2日の午前、生石神社に初詣。父母はそれぞれ生まれは加古川市内だが他所、それに対してオレはここで生まれ、生まれてこの方、生石神社の氏子である。母方の祖父が竜山で石切をやっていたということもあり、毎年、必ず初詣に行き、お神籤を引くことに決めている。大吉でした。
◆そんなで、いろいろ書こうと思えばいくらでも書けるのですが、ここらでやめときます。さて、今年はどんな年になるのやら。


那智勝浦へプチ旅行

◆年末、もう忘れたが、28日も22:00まで仕事をした。とはいえ、授c0f20154.jpg149f641e.jpg業がないが、やらねばならないことはできず、雑用で終わってしまう。
◆29日、年末年始はいつものように両方の実家に行くが、1泊のプチ旅行を企画、和歌山美里に行く前に那智勝浦に行くことにした。10:00出発、地図を見ずカーナビで行くと、十津川でなく、もうひとつ東の天川でもなく、吉野を抜け、川上村、上北山村・下北山村・北山村を通る国道169号となった。
◆瀞峡、午後で峡谷は既に日は山に隠れていたが、家族4人、a788d179.jpgボートに乗って30分の遊覧。大型7c179ab1.jpgの船よりも水面は近いし、ガラスもなく、気持ちよい。そこから熊野川に出て、新宮に向かう。熊野速玉大社、そのあと神倉神社(これよかった)。そのあと大浜の礫の浜に立ち寄り、いつものように石投げ。それから勝浦の宿に向かう。晩飯は旅館でなく店に入り「まぐろづくし」1500円、満足。温泉、でもあんまり客はいないねえ。
◆翌日、マクドで朝ごはん、那智に向かう、熊野那智大社・青岸渡寺・那智の大瀧(飛瀧神社)。途中、大門坂というのがあり、熊野古道の名所、観光客が多い。老若男女が歩く歩く歩く。いや~、世界遺産はすごいね。熊野古道は、吉野や高野山やいa78c3348.jpg7516bbb6.jpgろんなものが含まれるが、ここ南紀はいまのところ世界遺産でかなり活性化している。新宮や那智勝浦はけっこう活気があり、これからも豊かな自然を大切にし、雄大な風景に、名所旧跡、温泉、海の幸、こうしたものを活かして、息長く人々を魅了して欲しいものだ。
◆ちょっと気になるのは、例の神武伝説。もともとの信仰はあるとして、神武伝説の顕彰はいつに始まるのだろうか。江戸や明治でなく、もっと早いのかもしれない。しかしなあ、とb551d00c.jpgても根も葉もある話ではないだろうに。なぜ日本神話で、神武東征において、一旦撃退され南にまわるのか、そa050f449.jpgの研究は知らないが、しかし、地元の現在の由緒付けはあくまでも神話成立後のあとづけだろうに。
◆新宮のごっついオークワで買い物、マグロの刺身用の塊、ぶりの刺身用の塊、地ビールなど、正月の実家へのおみやげを調達してから本宮へ。いや~、那智も含めて二度目だが、本宮(熊野本宮大社)は味わい深いね。十津川、谷瀬の吊り橋。カミさんと娘は断念・・・。オレはまったく平気。息子は脇のロープを持ってなんとか往復。
◆そこから高野山を抜け、カミサンの実家に至る。

2009年の発掘調査

朝日新聞12月25日記事より。どれくらい知っているだろうか・・・
〈1月〉
●万葉集歌の木簡が見つかった京都府木津川市の馬場南遺跡から、8世紀前半の神仏習合の「神雄寺」らしい仏堂跡が出土
・岩手県奥州市道上遺跡で、「字垂楊池」と10世紀に記された最古の字名の木簡を確認
●兵庫県淡路市(淡路島)の垣内遺跡で、2~3世紀に操業した最大規模の鉄器工房跡を検出した。
〈2月〉
・神戸市の雲井遺跡で約2000年前の銅剣の鋳型とみられる石製品が出土
・福岡県太宰府市・大宰府跡で、8世紀中頃の大型役所建物跡を初確認
・京都府与謝野町の温江遺跡から髷のついた約2400年前の人面土器が出土。
〈3月〉
・奈良県桜井市の大福遺跡から、保存状態が良い2世紀後半の木製甲が出土
・高知県土佐市の上ノ村遺跡で、約2000年前の鉄器約250点を確認
・鳥取市・本高弓ノ木遺跡で、木製台に鉄刃を差し込んだ5世紀の穂摘み具がほぼ完全な形で確認される。
〈4月〉
・埼玉県熊谷市の諏訪木遺跡から、15世紀前半の埋蔵銭5000枚以上を発見
・滋賀県守山市の下之郷遺跡で、約2000年前のココヤシ製人面容器が確認される。
〈5月〉
・岡山県総社市の上原遺跡で、突起物がある約2300年前の人頭に似た土器を発見
・愛知県幸田町の本光寺にある島原藩主・松平忠雄(1736年没)の墓から、大量の小判などが出土
●「卑弥呼の墓」説がある桜井市の箸墓古墳近くで出土した土器の時期が、卑弥呼没年(248年ごろ)に合致する240~260年と国立歴史民俗博物館が発表した。
〈6月〉
●3世紀末~4世紀初めの桜井市・桜井茶臼山古墳の再調査で、石室上部を約150本の丸太の壁で囲った遺構が判明
●奈良県明曰香村の甘樫丘東麓遺跡で、蘇我氏の邸宅遺構とみられる7世紀前半の石垣や石敷きを確認。
〈7月〉
●奈良市の西大寺旧境内から、国内最古という8世紀後半のイスラム陶器が出土
・滋賀県彦根市・佐和山城遺跡で、石田三成が城主だった16世紀末の侍屋敷群を発見
・約3000年前の奈良県|薑原市~御所市の観音寺本馬遺跡から、四隅に木杭を打って墓標にしたとされる初の墓跡3基が確認される。
〈8月〉
・奈良市・平城宮跡から、8世紀後半に駅鈴を管理していたと記す木簡が出土
●滋賀県西浅井町の塩津港遺跡で、金銅製飾り金具など、12世紀ごろとみられる最古級の小型の神殿部品が確認される。
〈9月〉
・静岡県沼津市の前方後方墳・辻畑古墳出土の土器は西暦約230年製作と判明。最古級古墳の可能性が指摘される
・箸墓古墳近くで、堤のある二重周濠を確認
・鹿児島県霧島市の大隅国府跡推定地近くから、9世紀後半~10世紀初めに草仮名で和歌を書いた土器を発見
・島根県出雲市・砂原遺跡で、約12万年前の最古級の旧石器が確認される。
〈10月〉
●奈良県御所市玉手で、同県最古の約2500年前の水田跡が判明
・同県明曰香村の檜前遺跡群から、壁内部に柱を包む渡来系の7世紀前半ごろの大壁建物跡が発見される。
〈11月〉
●桜井市の纒向i薑i跡で、3世紀前半の大型建物跡を確認
・福岡県久留米市の京隈侍屋敷跡から、戊辰戦争(1868~69)に関連するとみられる7連発式の新式銃弾丸が出土
・鳥取市・本高古墳群から、山陰最古級の4世紀前半の前方後円墳が見つかる。
〈12月〉
・岡山県総社市の鬼ノ城跡から7世紀後半の鉄器用炉跡7基が出土
・平城宮跡で昇任を願う8世紀後半の役人が書いたとされる薄い板を確認
・福岡市の金武青木A遺跡から、吉備真備が築かせた8世紀の怡士城に関連するとみられる地名や人数を記した木簡が出土。

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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