人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
栄原永遠男先生の最終講義(3月3日)
◆栄原先生の最終講義と茶話会だった。実行委員会を作り、年明けから準備してきた。オレは会計と雑用係。昨日から会場を下見し、プロジェクターをセットしたりして、今日は昼前から大学院生総動員で会場設営にあたった。まあ、大会場での大イベントではないので、ピリピリした緊張感と言うより、まあ致命的な落ちがなければなんとかなるという感じではあったが、それでも院生を動かすためのメモを作ったりして準備した。
◆結果、むろん先生のお人柄、講義の魅力もあり、会場いっぱいの方々に参集いただき、ほぼ予定通り推移し、茶話会でのスピーチもよく、実によい最終講義になった。満足である。最終講義は「歌木簡との遭遇」、昔をふり返るような話はしたくない、この数年、対外的にはしゃべる機会がありながら、大阪市立大学でちゃんと話をしたことがないので、ということで、先端の研究の話をされた。難波宮で「はるくさ」木簡が出土し、重点研究で取り上げたこともあり、カナとしての漢字利用について考えたこともあったので、興味深い話であった。もっとも最後は、お茶をサーブする生協との打ち合わせがあったので、会場を離れたが。
◆で、そのあと、杉本町の飲み屋。実に楽しい。濱田さんや安村さんや積山さんや古市さんや鷺森さんや清水さんや。ここぞとばかり、弥生後期の話を濱田さんにふっかける。酔いも作用しよくしゃべった。弥生後期の理解はぜんぜんちゃうな。近いのかも知れないが、専門家はやはり慎重、こっちはド素人なのでもっと単純に理解しようとする。おおむね庄内のはじまりは2世紀後半でよいのでは、というのは濱田さんも安村さんも同じような見解だった。古墳時代の話もしたが、まあそれはよい。いくつも刺激をうけたので、紹介する。
◆河内大塚山が欽明未完成墓であるという見方が、西田さんだけでなく安村さんもそう考えていることを知りびっくり。そしていままで聞いたなかでは考古学的な論拠も挙げている。ナルホド・・・
◆それにしても、おれが『古事記』崩年干支だのと言うことについての、強烈な反発、あるいは姿勢に対する疑問の声を2・3聞くことができた。要するに近藤義郎と同じである。考古学でちゃんとやれ、ということだ。
◆反論としては、なんで古墳時代を研究しているのに、古事記・日本書紀を使わないのか、それで終わり。姿勢なので、それはいたしかたがない。むろん、オレは実に中途半端ではあるが。
◆もひとつ。考古学でも、どこまでだって課題はある。つまり考古学で迫る姿勢を貫けば、結局は文献と対比してものを考えるということがないわけだ。それはいやだということだ。少なくとも大阪におり、倭国王墓を扱っている人間としては、考古学的にある程度やった、これに文献もからませれば歴史像が豊かになるのに、考古学の追究を100%完了をめざして77%を78%にするの一生をかけたくはない。
◆けっこう面白いもんだ。なにがじゃ。違和感が表明されることが・・・。107年倭国王帥升は重要な問題だが、しかし単発な記事である。重要な問題ではあるが、あれでもって九州とか畿内とか当てようとすると大きな誤りを招く虞があろう。弥生後期研究はそれとは関係なく進めるべし、というのはよくわかる。かつて、倭国乱を弥生中期末に置いた誤りが想起される。しかし古事記・日本書紀はそれとはちゃうやろ。まあ、いろいろ面白い話があった。
◆いまある原稿を書いていて、トコトン考古学の立場から書いている。最後は4世紀の話をするときに被葬者の話をするかもしれない。まあ、そういう姿勢ではあるのですよ。ここでも新納さんはモデルだ。徹底的に考古学の方法論にもとづき緻密な議論を組み挙げた上で、最後にチョロリ。あの手法はすごいもんだ。
◆結果、むろん先生のお人柄、講義の魅力もあり、会場いっぱいの方々に参集いただき、ほぼ予定通り推移し、茶話会でのスピーチもよく、実によい最終講義になった。満足である。最終講義は「歌木簡との遭遇」、昔をふり返るような話はしたくない、この数年、対外的にはしゃべる機会がありながら、大阪市立大学でちゃんと話をしたことがないので、ということで、先端の研究の話をされた。難波宮で「はるくさ」木簡が出土し、重点研究で取り上げたこともあり、カナとしての漢字利用について考えたこともあったので、興味深い話であった。もっとも最後は、お茶をサーブする生協との打ち合わせがあったので、会場を離れたが。
◆で、そのあと、杉本町の飲み屋。実に楽しい。濱田さんや安村さんや積山さんや古市さんや鷺森さんや清水さんや。ここぞとばかり、弥生後期の話を濱田さんにふっかける。酔いも作用しよくしゃべった。弥生後期の理解はぜんぜんちゃうな。近いのかも知れないが、専門家はやはり慎重、こっちはド素人なのでもっと単純に理解しようとする。おおむね庄内のはじまりは2世紀後半でよいのでは、というのは濱田さんも安村さんも同じような見解だった。古墳時代の話もしたが、まあそれはよい。いくつも刺激をうけたので、紹介する。
◆河内大塚山が欽明未完成墓であるという見方が、西田さんだけでなく安村さんもそう考えていることを知りびっくり。そしていままで聞いたなかでは考古学的な論拠も挙げている。ナルホド・・・
◆それにしても、おれが『古事記』崩年干支だのと言うことについての、強烈な反発、あるいは姿勢に対する疑問の声を2・3聞くことができた。要するに近藤義郎と同じである。考古学でちゃんとやれ、ということだ。
◆反論としては、なんで古墳時代を研究しているのに、古事記・日本書紀を使わないのか、それで終わり。姿勢なので、それはいたしかたがない。むろん、オレは実に中途半端ではあるが。
◆もひとつ。考古学でも、どこまでだって課題はある。つまり考古学で迫る姿勢を貫けば、結局は文献と対比してものを考えるということがないわけだ。それはいやだということだ。少なくとも大阪におり、倭国王墓を扱っている人間としては、考古学的にある程度やった、これに文献もからませれば歴史像が豊かになるのに、考古学の追究を100%完了をめざして77%を78%にするの一生をかけたくはない。
◆けっこう面白いもんだ。なにがじゃ。違和感が表明されることが・・・。107年倭国王帥升は重要な問題だが、しかし単発な記事である。重要な問題ではあるが、あれでもって九州とか畿内とか当てようとすると大きな誤りを招く虞があろう。弥生後期研究はそれとは関係なく進めるべし、というのはよくわかる。かつて、倭国乱を弥生中期末に置いた誤りが想起される。しかし古事記・日本書紀はそれとはちゃうやろ。まあ、いろいろ面白い話があった。
◆いまある原稿を書いていて、トコトン考古学の立場から書いている。最後は4世紀の話をするときに被葬者の話をするかもしれない。まあ、そういう姿勢ではあるのですよ。ここでも新納さんはモデルだ。徹底的に考古学の方法論にもとづき緻密な議論を組み挙げた上で、最後にチョロリ。あの手法はすごいもんだ。
ようやく渋谷向山の埴輪の原稿が出た!
◆表題の通り。玉手山1号墳の報告書は越年してしまった。それは、今回の報告書では玉1のモデルである渋谷向山古墳の資料を収録しているだが、その埴輪の原稿が滞っていたためである。それだけでなくチョコチョコしたものもあるが、大口がこれで出そろったので、ラストスパートである。
雨、もう春ですね
◆2月末までに予算執行を、ということで、それぞれ図書費なり研究費なりの残額をほぼ今日で使い切って、今年度はオワリという感じ。今年度は大きな研究費はなく小口ではあったが、それぞれ有効に執行できたと思う。
◆午後は2次試験の採点。国語の答案を見ていて、なんというか・・・。設問に対する答えのようなものは当然、問題文中にちりばめられ、また全体として読み取るべきものだが、答案を見ると、ほとんどのものが、問題文中からある部分を抜いてくるなりミックスしたもので、内容を把握し、設問に対して自分の文で書いてくるものが決定的に少ない。抜いてくるもので、その箇所であることが妥当なものでも、単純に抜いたもの、あるいは多少組み替えたり、つなぎをするのだろうが、文章として通らないもの、これこれだからこう考えるという論理が順番としてちゃんとなっていなかったり・・・。そこに目をつけたことは正しいとしても、内容を理解しているかどうかがわからんものが多いのだ。問題文はなんら難解でなく明解だった。一度読めば、ほぼ作者の主張は理解できると思うのだが、その自分の認識にもとづいて自分の文章で意味の通る文章がきちんと書けていないし、抜き書きで構成してあってもいいが理解をもとに再構成してほしいのだが、現実はそうしたものが少ないのだ。きちんとわかっていること、そして問いに対する適切な回答となる文章が書けることがポイントで、そういう答案にでくわすと安心できるが、全体としては不確かなものが多い。自分の理解を文章にまとめる訓練が決定的に不足しているのだろう。
◆午後は2次試験の採点。国語の答案を見ていて、なんというか・・・。設問に対する答えのようなものは当然、問題文中にちりばめられ、また全体として読み取るべきものだが、答案を見ると、ほとんどのものが、問題文中からある部分を抜いてくるなりミックスしたもので、内容を把握し、設問に対して自分の文で書いてくるものが決定的に少ない。抜いてくるもので、その箇所であることが妥当なものでも、単純に抜いたもの、あるいは多少組み替えたり、つなぎをするのだろうが、文章として通らないもの、これこれだからこう考えるという論理が順番としてちゃんとなっていなかったり・・・。そこに目をつけたことは正しいとしても、内容を理解しているかどうかがわからんものが多いのだ。問題文はなんら難解でなく明解だった。一度読めば、ほぼ作者の主張は理解できると思うのだが、その自分の認識にもとづいて自分の文章で意味の通る文章がきちんと書けていないし、抜き書きで構成してあってもいいが理解をもとに再構成してほしいのだが、現実はそうしたものが少ないのだ。きちんとわかっていること、そして問いに対する適切な回答となる文章が書けることがポイントで、そういう答案にでくわすと安心できるが、全体としては不確かなものが多い。自分の理解を文章にまとめる訓練が決定的に不足しているのだろう。
久しぶりに窯跡の踏査
◆きのうは、ものすごく仕事をした。大きな仕事ではもちろんない、ちょっとやれば済む仕事から、1時間もの、2時間もの、など各種。これだけやると気持ちいい~ものだ。
◆今日は大学入試で構内に入れないものだから、そして午後に会議があったので、前からやろうと思っていた
谷山池の窯跡を見に行った。夏の合同調査の時の方が水が少なかった。梨本池はほぼ満水。谷山池は、夏は分布図をもたずに行き、西側を歩いたが、ほとんど実は窯跡がなくはずれだった。今日は分布図にもとづき東側を歩く。
◆窯跡の分布調査は大学時代の岩倉古窯跡群以来である。高校の時に加古川の白沢の奈良時代の窯跡に行き、斜面一面に須恵器が散らばっているのを見て感動した(その後、山陽道で発掘調査)。それに近い状況だった。杯身・杯蓋がごろごろ落ちている。それと谷山池支群は7世紀のものがすくないのだが、かえりのついた杯蓋も見つけた(分布図で見る限り新発見か)。それと61号窯では瓦は確かに落ちているが、見たところ鎌倉くらいで、巴の破片も見つけた(先んじて和泉市教委が行き、完形の軒瓦や丸瓦が採集されていることを午後の会議の時に知り、会議終了後、いずみの国歴史館で見せてもらった)。それから、坂本寺の軽寺式が見つかっている谷山池12号窯に行く。12号窯そのもので焼いたのではなく、付近に瓦窯があるのだろうということになっているようだが、確認に行った。竹藪の篠で地表がほとんど見えずまったくわからなかったが、うろうろしている時に6世紀の須恵器が散っている箇所を見つけた。これも分布図からすると新発見。
◆そうなのだ。和泉市は公団の宅地開発に際して、古くは石部先生に投げ、またその後は発掘調査に追われたことはよくわかるが、もっとちゃんと分布調査をすべきだね。
◆報告書、恥ずかしながら、今日、はじめて和泉市から出ている報告書がならんでいるのを見た。これを見ないで和泉市史は書けないわな。うちの大学には報告書は入っていないのだ。和泉丘陵の概報Ⅰ~Ⅸ、そして赤いのが本報告書なんでしょうね、万町北の報告書なんて初めて見た。原稿以前、資料集めからだ・・・、それなくして池田谷の歴史なんて書けやしない。
◆今日は大学入試で構内に入れないものだから、そして午後に会議があったので、前からやろうと思っていた
◆窯跡の分布調査は大学時代の岩倉古窯跡群以来である。高校の時に加古川の白沢の奈良時代の窯跡に行き、斜面一面に須恵器が散らばっているのを見て感動した(その後、山陽道で発掘調査)。それに近い状況だった。杯身・杯蓋がごろごろ落ちている。それと谷山池支群は7世紀のものがすくないのだが、かえりのついた杯蓋も見つけた(分布図で見る限り新発見か)。それと61号窯では瓦は確かに落ちているが、見たところ鎌倉くらいで、巴の破片も見つけた(先んじて和泉市教委が行き、完形の軒瓦や丸瓦が採集されていることを午後の会議の時に知り、会議終了後、いずみの国歴史館で見せてもらった)。それから、坂本寺の軽寺式が見つかっている谷山池12号窯に行く。12号窯そのもので焼いたのではなく、付近に瓦窯があるのだろうということになっているようだが、確認に行った。竹藪の篠で地表がほとんど見えずまったくわからなかったが、うろうろしている時に6世紀の須恵器が散っている箇所を見つけた。これも分布図からすると新発見。
◆そうなのだ。和泉市は公団の宅地開発に際して、古くは石部先生に投げ、またその後は発掘調査に追われたことはよくわかるが、もっとちゃんと分布調査をすべきだね。
◆報告書、恥ずかしながら、今日、はじめて和泉市から出ている報告書がならんでいるのを見た。これを見ないで和泉市史は書けないわな。うちの大学には報告書は入っていないのだ。和泉丘陵の概報Ⅰ~Ⅸ、そして赤いのが本報告書なんでしょうね、万町北の報告書なんて初めて見た。原稿以前、資料集めからだ・・・、それなくして池田谷の歴史なんて書けやしない。
和泉黄金塚の整備委員会(2010/02/25)
◆説明をはじめると長くなるが、2008年4月以来、ほぼ丸2年、何をやっていたのか、と言ってみた。その時の議事録が今日配布されたが、そうそう宗田さんがけっこう言ってたな、とかすかな記憶があるくらい。そもそも議事録はその日のうちにまとめて送付すべきですね。2年前はどんな年次計画だったのだろうか、資料をみないとわからん。買い上げ話が難しいのはわかるが、整備をどうするかについては、要するに考えていない。
◆議事録には出てこないので言わなかったのかもしれないが、指定と買い上げは違う。指定は保護を担保する施策。いまは指定の時にどう活用するかが問われるが、即整備しなければならないものではけっしてない。普通は保存管理計画を定めて運用していくということ。逆にいえば、土地利用の制限をかけることになるが、家に住み続けることも田圃を続けることも何ら制約はなく、それでよいのだ。指定に同意するから即買い上げてほしいという要望もあれば、ここのように営農を続けたいという所有者もいる。
◆その辺は大阪府がちゃんと指導しているのだろうが、指定からはずれている区域(墳丘でない東北のところ)について、そういうことは初めて聞いたみたいな事務局の受け答えを聞いていると不安である。
◆まあ、今日、ほぼ方針は出たようにも思う。(1)墳丘本体は復元整備を行わない(現実にできないからでなく)。(2)まわりをどう維持管理していくかが大きな課題。基本は農地としての維持。これは地元上代住民の意向をベースに、教育委員会が和泉市の学校教育などの教育的側面を加味した、史跡を活かした事業プランを練ることだ。そしてこれは、5年先でなくてよい。来年度からでも試行的に実施しうるし、早めに動いた方がよい。長岡京市では地元住民に考えてもらいできることをやり始めている。参考資料として和泉市に渡そう。そして(3)アクセス。近くまで進入する道路および駐車場がいる。そして史跡地までのアプローチ。史跡地の公有化とは別に用地確保が必要なので、これも早めに決めて整備事業にタイミングをあわせて実現するよう役所内調整が必要だ。
◆平澤君がいったように、お金をかけないで(用地取得費用は別に)こんなにいいものになった、といった整備事業を実現させて欲しい。実際、上のような基本線で行くと、ほとんど現状維持に近い。新しい教育長はとくに発言しなかったが、市長を含めて、市内部ではどうなのか。なんか事業といえば、目新しい人工物をこしらえないと、という見解ならそれはそれで困る。
◆こうした基本線をまとめあげるのは、来年度、平成22年度となる。補助事業の範囲はわたしにはわからんが、金のかかることは補助事業でということになるのだろうが、それでないとコトが進まないわけではない。看板くらい、すぐ建てたらどうなのか。上代の人たちと定期的に会合をもつこと、全国の地元に管理や活用を任せている好事例などに学ぶこと、種を買ってコスモスを播くとか、なんだってできる。そういう意識をもつかどうか。
◆議事録には出てこないので言わなかったのかもしれないが、指定と買い上げは違う。指定は保護を担保する施策。いまは指定の時にどう活用するかが問われるが、即整備しなければならないものではけっしてない。普通は保存管理計画を定めて運用していくということ。逆にいえば、土地利用の制限をかけることになるが、家に住み続けることも田圃を続けることも何ら制約はなく、それでよいのだ。指定に同意するから即買い上げてほしいという要望もあれば、ここのように営農を続けたいという所有者もいる。
◆その辺は大阪府がちゃんと指導しているのだろうが、指定からはずれている区域(墳丘でない東北のところ)について、そういうことは初めて聞いたみたいな事務局の受け答えを聞いていると不安である。
◆まあ、今日、ほぼ方針は出たようにも思う。(1)墳丘本体は復元整備を行わない(現実にできないからでなく)。(2)まわりをどう維持管理していくかが大きな課題。基本は農地としての維持。これは地元上代住民の意向をベースに、教育委員会が和泉市の学校教育などの教育的側面を加味した、史跡を活かした事業プランを練ることだ。そしてこれは、5年先でなくてよい。来年度からでも試行的に実施しうるし、早めに動いた方がよい。長岡京市では地元住民に考えてもらいできることをやり始めている。参考資料として和泉市に渡そう。そして(3)アクセス。近くまで進入する道路および駐車場がいる。そして史跡地までのアプローチ。史跡地の公有化とは別に用地確保が必要なので、これも早めに決めて整備事業にタイミングをあわせて実現するよう役所内調整が必要だ。
◆平澤君がいったように、お金をかけないで(用地取得費用は別に)こんなにいいものになった、といった整備事業を実現させて欲しい。実際、上のような基本線で行くと、ほとんど現状維持に近い。新しい教育長はとくに発言しなかったが、市長を含めて、市内部ではどうなのか。なんか事業といえば、目新しい人工物をこしらえないと、という見解ならそれはそれで困る。
◆こうした基本線をまとめあげるのは、来年度、平成22年度となる。補助事業の範囲はわたしにはわからんが、金のかかることは補助事業でということになるのだろうが、それでないとコトが進まないわけではない。看板くらい、すぐ建てたらどうなのか。上代の人たちと定期的に会合をもつこと、全国の地元に管理や活用を任せている好事例などに学ぶこと、種を買ってコスモスを播くとか、なんだってできる。そういう意識をもつかどうか。
レンタルビデオ屋で
◆2008年末から2009年はじめ、朱蒙にハマッテ全作をみた。それ以降、まったくビデオ屋から足が遠のいていたが(娘の録画するテレビのサスペンスもの・刑事ものはよく見る)、久しぶりに近くの焼き肉屋に行った帰り、国分駅のゲオに行った。
◆店舗内のレイアウトがだいぶ以前と変わっていた。自然と韓流のところに行くが、まあすごいわ。店舗の棚の総延長に占める韓国映画・ドラマの割合がさらに増してる感じだ。世間では、最近はあんまり話題にならないから、いまの拡張もそのうちやや縮小し、落ち着いていくのかもしれないが。それにしても、日本でも話題になったもの、というのにとどまらず、テレビドラマのかなりのものが入ってきているのかもしれない。そしてそのなかの歴史物の多さ。
◆ち~と驚いた。で、結局借りたのは、地底旅行の現代版のやつと、ニューベルングの指輪の2本で、ともに洋画だ(オレがセレクトしたわけではないが)。映画はわりと好きだし、邦画もよいのだが、いまは、あんまりお世話になってないな。もはやHビデオを見ることもないし。しかし1作100円で採算あうのかね。
◆昔、なぜだかロバート=レッドフォードが好きだった。明日に向かって撃て、スティング、華麗なるヒコーキ野郎、大統領の陰謀、コンドル、追憶・・・。
◆映画館に見に行くこともほとんどない。最後にみたのは、カミさんと2年ほど前、なんだっけ、幻影師アイゼンハイムというやつか。その前は大学時代に飛ぶ。
◆けっこう邦画が頑張ってるみたい。面白い作品がいっぱいあると聞いている。
◆店舗内のレイアウトがだいぶ以前と変わっていた。自然と韓流のところに行くが、まあすごいわ。店舗の棚の総延長に占める韓国映画・ドラマの割合がさらに増してる感じだ。世間では、最近はあんまり話題にならないから、いまの拡張もそのうちやや縮小し、落ち着いていくのかもしれないが。それにしても、日本でも話題になったもの、というのにとどまらず、テレビドラマのかなりのものが入ってきているのかもしれない。そしてそのなかの歴史物の多さ。
◆ち~と驚いた。で、結局借りたのは、地底旅行の現代版のやつと、ニューベルングの指輪の2本で、ともに洋画だ(オレがセレクトしたわけではないが)。映画はわりと好きだし、邦画もよいのだが、いまは、あんまりお世話になってないな。もはやHビデオを見ることもないし。しかし1作100円で採算あうのかね。
◆昔、なぜだかロバート=レッドフォードが好きだった。明日に向かって撃て、スティング、華麗なるヒコーキ野郎、大統領の陰謀、コンドル、追憶・・・。
◆映画館に見に行くこともほとんどない。最後にみたのは、カミさんと2年ほど前、なんだっけ、幻影師アイゼンハイムというやつか。その前は大学時代に飛ぶ。
◆けっこう邦画が頑張ってるみたい。面白い作品がいっぱいあると聞いている。
ミキティーを応援する
◆明日、女子フィギュアーSPだが、浅田真央・キム=ヨナでなく、ミキティーを応援しよう。とくに意味はない。
【追記】いま生協食堂に行くと、テレビが付いていて、ちょうどラストの安藤美姫だった。4位か。キム=ヨナが1位、さすがである。見てないが。
【追記】いま生協食堂に行くと、テレビが付いていて、ちょうどラストの安藤美姫だった。4位か。キム=ヨナが1位、さすがである。見てないが。
◆研究成果と英語での発信
◆日本史にいて、英語とかもはや無縁である。英文を読むことがまずない。仕事で国際会議に出席し、タイで発表もさせられたが、カタコト英語でコミュニケーションもろくにとれなかった。むろん、英語でしゃべっているのが聞き取れたらいいと思うし、さらにしゃべられればむろんよい、とは思う。
◆まあでも、基本的に必要ないし、英文に訳したり、国際学会で発表することからも解放されている自分が幸せだと思う。だが、しかし。そうでない世界がある。
◆ひとつは、そうした英文での投稿や国際学会で発表しなければならない人たちの不幸。自分で伝えたいことを英語に訳する労力・時間、それにもかかわらず十分にうまく表現できない感じがつきまとい、また内容でない不利な評価も働く。うちの世界史にいる先生は、英語の力は十分だが、あるとき、もうそんなことに時間を費やすことをやめると宣言していた。自分の限られた人生、そんなことに時間を割いているヒマはないということのよう。この圧倒的な不利。国際的に通用するウンヌン、だから英語を身につけよ、センター試験にはヒアリングを・・・。
◆ふたつ。上の続きだ。そういうことから解放され、独創的な研究をすることがまず大事だろうに。国際発信力より前に、発信すべき研究が大事だろうに。だが、いまの社会は、国際学会での発表何本、英文での論文発表何本といった評価基準が導入され、それを強いる。文科省が奨励し、小学校から英語を、大学院生の発信能力を高めよ、とウルサイ。なんか、今日の教授会でも、文科省の金が4000万円3年間付いて、100人近くの大学院生を送り出さなければならないそうだ。阪大では福永さんが英語での授業をさせられたと言っていたが、今日の教授会の発言では、市大でもそういうものが導入される気配がある。
◆研究内容と英語力は別物。英語ができても、発信すべき内容をもたなければ意味はない。国際的なウンヌンというなら、英語という手かせ足かせをはずし、そんな労力から解放し、研究をさせてはどうか。そうした研究と発信を分業するわけにはいかないのか。遺伝子解読とか、ips細胞とか、日々、先陣争いをやっている分野はともかく、ほかでもプライオリティの問題はつきまとうが、ふつうはそこまでの時間的競争はない。むしろ文科省は、各分野において世界的に重要な研究成果を選定し、それを迅速に英文発表する専門家集団をかかえる組織を戦略として作ってはどうなのか(遺伝子とかips細胞の研究、といったって、それは医学的進歩による人間救済かもしれないが、所詮、特許、そして儲けのためだろう。医学や薬学に特許なんて、あってはならないのではないか)。
◆英語の勉強を努力してやっている人はいる。別にそれはそれでよい。英語ができるということで、組織の中で評価されてよい。だが、国として考えるべきコトはなんなのか。国際性とはなんなのか。本多勝一のいうように、それは英語力ではけっしてあるまい。西欧的独善を押しつけることではない。世界に通用する論理で、世界のために堂々と発言することであって、卑屈に英語でしゃべる必要はなく、日本語でしゃべればよい。国際会議で、それぞれの民族は母語で演説すべきだろう。プロが同時通訳し翻訳すればよいのだ。
◆こないだ、翻訳機はここまで来たみたいな紹介をテレビで見た。これ、結局、スーパーコンピュータで高速翻訳し、端末と高速通信し、あまりタイムラグなく英訳・和訳し発声してくれるスグレもの。外国人の旅行者に対し、それをもってれば十分にやりとりができる。そういう技術が進歩すれば、言い回しともかく、そうした機械をもっていれば内容は伝わる。実用化には時間もかかるのだろうし、どこでもというわけにはいかないだろうが。それを見たとき、別に英語がしゃべられなくてもエエヤン(英語に限らないのだが)と思った。
◆こないだ日本史で飲んでいて、成果の英語での発信の必要性が話題になった。なんか、市大文学部でも、論文の英文ジャーナルを出すという企画が動いていて、日本史T先生の論文が選ばれて翻訳にかかるという。T先生自身は、意味あるんだろうかと疑問を投げかけ、S先生は必要だろうと。しかし、なんかちょこまかしたことはどうなんだろうか。やるならやるで、意味ある効果的・効率的な発信を戦略的にやるべきだが、なんか旧帝大でないわれわれは、やっても、内部の英語ができるヤツがしこしこ努力してなんかしようとしている、といった状態。そうした尽力に敬意を払う必要があるが、なかなかそうした枠組みではどうだろうか。東大や京大ではあるまいに。それ以前に、日本のなかでの発信こそやるべきで、もっと認知度を上げて全国から学生・院生が集まる研究機関にすることの方が大事だろうし、世界に発信するというなら、もっと大胆に、家内制のような軟弱体制でなく、大学を挙げて取り組むべきだろう。
◆まあでも、基本的に必要ないし、英文に訳したり、国際学会で発表することからも解放されている自分が幸せだと思う。だが、しかし。そうでない世界がある。
◆ひとつは、そうした英文での投稿や国際学会で発表しなければならない人たちの不幸。自分で伝えたいことを英語に訳する労力・時間、それにもかかわらず十分にうまく表現できない感じがつきまとい、また内容でない不利な評価も働く。うちの世界史にいる先生は、英語の力は十分だが、あるとき、もうそんなことに時間を費やすことをやめると宣言していた。自分の限られた人生、そんなことに時間を割いているヒマはないということのよう。この圧倒的な不利。国際的に通用するウンヌン、だから英語を身につけよ、センター試験にはヒアリングを・・・。
◆ふたつ。上の続きだ。そういうことから解放され、独創的な研究をすることがまず大事だろうに。国際発信力より前に、発信すべき研究が大事だろうに。だが、いまの社会は、国際学会での発表何本、英文での論文発表何本といった評価基準が導入され、それを強いる。文科省が奨励し、小学校から英語を、大学院生の発信能力を高めよ、とウルサイ。なんか、今日の教授会でも、文科省の金が4000万円3年間付いて、100人近くの大学院生を送り出さなければならないそうだ。阪大では福永さんが英語での授業をさせられたと言っていたが、今日の教授会の発言では、市大でもそういうものが導入される気配がある。
◆研究内容と英語力は別物。英語ができても、発信すべき内容をもたなければ意味はない。国際的なウンヌンというなら、英語という手かせ足かせをはずし、そんな労力から解放し、研究をさせてはどうか。そうした研究と発信を分業するわけにはいかないのか。遺伝子解読とか、ips細胞とか、日々、先陣争いをやっている分野はともかく、ほかでもプライオリティの問題はつきまとうが、ふつうはそこまでの時間的競争はない。むしろ文科省は、各分野において世界的に重要な研究成果を選定し、それを迅速に英文発表する専門家集団をかかえる組織を戦略として作ってはどうなのか(遺伝子とかips細胞の研究、といったって、それは医学的進歩による人間救済かもしれないが、所詮、特許、そして儲けのためだろう。医学や薬学に特許なんて、あってはならないのではないか)。
◆英語の勉強を努力してやっている人はいる。別にそれはそれでよい。英語ができるということで、組織の中で評価されてよい。だが、国として考えるべきコトはなんなのか。国際性とはなんなのか。本多勝一のいうように、それは英語力ではけっしてあるまい。西欧的独善を押しつけることではない。世界に通用する論理で、世界のために堂々と発言することであって、卑屈に英語でしゃべる必要はなく、日本語でしゃべればよい。国際会議で、それぞれの民族は母語で演説すべきだろう。プロが同時通訳し翻訳すればよいのだ。
◆こないだ、翻訳機はここまで来たみたいな紹介をテレビで見た。これ、結局、スーパーコンピュータで高速翻訳し、端末と高速通信し、あまりタイムラグなく英訳・和訳し発声してくれるスグレもの。外国人の旅行者に対し、それをもってれば十分にやりとりができる。そういう技術が進歩すれば、言い回しともかく、そうした機械をもっていれば内容は伝わる。実用化には時間もかかるのだろうし、どこでもというわけにはいかないだろうが。それを見たとき、別に英語がしゃべられなくてもエエヤン(英語に限らないのだが)と思った。
◆こないだ日本史で飲んでいて、成果の英語での発信の必要性が話題になった。なんか、市大文学部でも、論文の英文ジャーナルを出すという企画が動いていて、日本史T先生の論文が選ばれて翻訳にかかるという。T先生自身は、意味あるんだろうかと疑問を投げかけ、S先生は必要だろうと。しかし、なんかちょこまかしたことはどうなんだろうか。やるならやるで、意味ある効果的・効率的な発信を戦略的にやるべきだが、なんか旧帝大でないわれわれは、やっても、内部の英語ができるヤツがしこしこ努力してなんかしようとしている、といった状態。そうした尽力に敬意を払う必要があるが、なかなかそうした枠組みではどうだろうか。東大や京大ではあるまいに。それ以前に、日本のなかでの発信こそやるべきで、もっと認知度を上げて全国から学生・院生が集まる研究機関にすることの方が大事だろうし、世界に発信するというなら、もっと大胆に、家内制のような軟弱体制でなく、大学を挙げて取り組むべきだろう。
神聖王と執政王その後
◆5世紀までの神聖王と執政王、6世紀には倭国王はようやく一本化する。それはどうやら継体朝らしい。しかし、政祭分権王政は簡単に解消するものではない。
◆継体朝、ようやく倭国王は一本化する。しかし、同時に倭国王および群臣とともに王族執政者が生まれた。これが大兄である。勾大兄、これはかつての執政王。その後、欽明朝の敏達、敏達朝の大兄(用明)、用明朝の彦人、推古朝の厩戸、山背大兄王、それを排除しての古人など。
◆継体朝、ようやく倭国王は一本化する。しかし、同時に倭国王および群臣とともに王族執政者が生まれた。これが大兄である。勾大兄、これはかつての執政王。その後、欽明朝の敏達、敏達朝の大兄(用明)、用明朝の彦人、推古朝の厩戸、山背大兄王、それを排除しての古人など。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。