人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
マンガとのつきあい
◆オレは高校生までマンガとはほぼ縁がなかった。覚えているのは冒険王だが、これって小学生?。中学の頃など、たぶんチャンピョン全盛期で、ドカベンとかやってたのだろうが買った記憶はない。高校時代を含めて、ジャンプ・サンデー・マガジンを手にすることもなかった。
◆ところがだ、大学に入ってからだ。喫茶店に行ってマンガを読むようになった。ある女性のことしか考えられない時期があり、無為な時間を過ごしていた。下宿近くにフィレンツェという喫茶店があり、そこの2階に通った。水曜日に行くと、ジャンプもサンデーもマガジンも読める。もっと勉強せえよ。北斗の拳とかドラゴンボールの時代だ。めぞん一刻は?、タッチも。だけど、それに加えてモーニング、そしてビッグコミックオリジナルもあった。で、この2誌がもっとも好きになり、考えてみれば、完全にやめたのは大学に来てからだ。
◆モーニングのマンガはたいていわかる。いいマンガがいっぱいあった。その時出会ったもののひとつが人間交差点ヒューマンスクランブルというやつ。文庫になった時、全部買い、いまもある。弘兼憲史の絵はいいが、なんといっても矢島正雄の原作がよいのである。弘兼の島耕作は読んでいたがつまらん。弘兼は人間交差点の継承なんだろう、黄昏流星群というのを単独でその後やっているが、矢島の話にはおよばない。ハダカの話が多すぎる。
◆オリジナル、釣りバカ、あぶさん(ついに引退!)ほか、これも名作が多い。たぶん、奈文研に就職してからだ、この2誌を買って読むようになったのは。文化庁の時、岡村さんがオリジナルを買っていた。文部省内の本屋で定期購読をしていて、オリジナルは月2だが、発刊されると届けられ机に乗っていた。文化庁の時は、とにかく出張が多いので、新幹線ホームの売店で、ああ出てると見たら買っていた。
◆大学に来て、いつかは覚えちゃいないが、モーニングを買わなくなり、だけどこれだけはと思ってオリジナルを買い続けていたが、それもいまはなくなった。
◆ところがだ、大学に入ってからだ。喫茶店に行ってマンガを読むようになった。ある女性のことしか考えられない時期があり、無為な時間を過ごしていた。下宿近くにフィレンツェという喫茶店があり、そこの2階に通った。水曜日に行くと、ジャンプもサンデーもマガジンも読める。もっと勉強せえよ。北斗の拳とかドラゴンボールの時代だ。めぞん一刻は?、タッチも。だけど、それに加えてモーニング、そしてビッグコミックオリジナルもあった。で、この2誌がもっとも好きになり、考えてみれば、完全にやめたのは大学に来てからだ。
◆モーニングのマンガはたいていわかる。いいマンガがいっぱいあった。その時出会ったもののひとつが人間交差点ヒューマンスクランブルというやつ。文庫になった時、全部買い、いまもある。弘兼憲史の絵はいいが、なんといっても矢島正雄の原作がよいのである。弘兼の島耕作は読んでいたがつまらん。弘兼は人間交差点の継承なんだろう、黄昏流星群というのを単独でその後やっているが、矢島の話にはおよばない。ハダカの話が多すぎる。
◆オリジナル、釣りバカ、あぶさん(ついに引退!)ほか、これも名作が多い。たぶん、奈文研に就職してからだ、この2誌を買って読むようになったのは。文化庁の時、岡村さんがオリジナルを買っていた。文部省内の本屋で定期購読をしていて、オリジナルは月2だが、発刊されると届けられ机に乗っていた。文化庁の時は、とにかく出張が多いので、新幹線ホームの売店で、ああ出てると見たら買っていた。
◆大学に来て、いつかは覚えちゃいないが、モーニングを買わなくなり、だけどこれだけはと思ってオリジナルを買い続けていたが、それもいまはなくなった。
ビールを飲みながら
◆1月30日、いやもう31日か。01:30。家族はみんな寝て、ひとりダイニングテーブルで黒ビールを飲んでいる。最近、カミさんが買ってくるキリン一番搾りスタウトという黒ビールがうまい。で、エビスの黒ビールを買ってきたが、ぜんぜん味が違う。スタウトの方がよい。あんまり最近はビールは飲まなくなってるのだが、スタウトだったらいける。
◆11:00にガストに行った。話せば長くなるのだが、国分本町のバーミヤンは、2001年の玉手山7号の調査で、国分本町の空き家を宿舎に提供していただいたとき、毎晩、通って翌日の戦略を練った。2005年から国分に住むことになり、夜、バーミヤン通いが始まった。そう、300円で所場代(ドリンクバー)を払い、2:00の閉店まで3時間ほど勉強や雑用をする生活が始まった。ピーク時は毎日のように。これ、わたしの生活サイクルに組み込まれ、ここで日記を書き、会計簿をつけ、いろんな考え事をする、実にいい時間なのだ。疲れ果てている時は、寝てしまうこともある。やっぱ、長くなった。スカイラーク系列の事業見直しで、このバーミヤン、2010年が明けてガストになった。しかし、10月からカミさんがいる生活が始まり、次第に足が遠のくようになった。久しぶりに行ったわけ。
◆ドリンクが高くなったのは問題だな。でも、久しぶりにいい時間を過ごした。がむしゃらに原稿を書くのにも良いのではあるが、一日をふり返り、いろんなせねばならないことを列挙したり整理するのにいいのだ。
◆で、帰ってきた。原稿を書こうとするとUSBがなかったこと、一通り整理をして、さらにやる気もあったのだが、疲れて眠くなってきたので帰ってきたわけだ。風呂に入り、ブログでも書こうかと、いまテーブルに座っている。
◆11:00にガストに行った。話せば長くなるのだが、国分本町のバーミヤンは、2001年の玉手山7号の調査で、国分本町の空き家を宿舎に提供していただいたとき、毎晩、通って翌日の戦略を練った。2005年から国分に住むことになり、夜、バーミヤン通いが始まった。そう、300円で所場代(ドリンクバー)を払い、2:00の閉店まで3時間ほど勉強や雑用をする生活が始まった。ピーク時は毎日のように。これ、わたしの生活サイクルに組み込まれ、ここで日記を書き、会計簿をつけ、いろんな考え事をする、実にいい時間なのだ。疲れ果てている時は、寝てしまうこともある。やっぱ、長くなった。スカイラーク系列の事業見直しで、このバーミヤン、2010年が明けてガストになった。しかし、10月からカミさんがいる生活が始まり、次第に足が遠のくようになった。久しぶりに行ったわけ。
◆ドリンクが高くなったのは問題だな。でも、久しぶりにいい時間を過ごした。がむしゃらに原稿を書くのにも良いのではあるが、一日をふり返り、いろんなせねばならないことを列挙したり整理するのにいいのだ。
◆で、帰ってきた。原稿を書こうとするとUSBがなかったこと、一通り整理をして、さらにやる気もあったのだが、疲れて眠くなってきたので帰ってきたわけだ。風呂に入り、ブログでも書こうかと、いまテーブルに座っている。
国会に保育所はいらない
◆どっかでチラリとそんなニュースを見た。国会議員にも共働きで小さい子どものいる人はいるんだろう。男女問わず。だけど、どれだけの需要があり切実な問題なのだろうか、疑問だ。けっこうな給料をもらってんだろ、ベビーシッターも雇えるのと違うのか。
◆うちの大学にも保育所ができた。杉の子保育園。子供の姿、前に見たことあるけど、いまは見ないな~。主として男女雇用機会均等というのが趣旨なんだろう。女性研究者が出産・育児でやめざるをえなくなることは回避すべきだ。むろん、職場に保育所があるのが一番ではあろう。国会だって。だけど、そんなん全部整備していくことが有効なんだろうか。居住地の保育所でもいいんだろうに。
◆そうなのだ。国会に作るよりも、国会議員は、全国の待機児童を解消するための方策を考えるべきだ。
◆うちの大学にも保育所ができた。杉の子保育園。子供の姿、前に見たことあるけど、いまは見ないな~。主として男女雇用機会均等というのが趣旨なんだろう。女性研究者が出産・育児でやめざるをえなくなることは回避すべきだ。むろん、職場に保育所があるのが一番ではあろう。国会だって。だけど、そんなん全部整備していくことが有効なんだろうか。居住地の保育所でもいいんだろうに。
◆そうなのだ。国会に作るよりも、国会議員は、全国の待機児童を解消するための方策を考えるべきだ。
いやあ~これもなつかしい
◆ある原稿を書くため、あちこちの古墳をネットで検索している。情報発信をやっているところできていないと
ころ、はっきりするねえ。
◆で、石川県能美市秋常山古墳の画像が飛び込んできた。文化庁にいるとき、整備のための調査をやっている時期と重なり、何度が調査を見せてもらった。削り込まれた前方後方墳である2号墳をどうするかといった協議もし、史跡指定の議案を書いた案件である。
◆これが史跡整備ができあがったらしく、空中写真が目に入ったのである。すいません、著作権はあるのでしょうが、無断転載します。
◆それにしても、このネット検索で、これも調査や史跡指定、整備にかかわった、大安場、桜井古墳という、福島の2基の前方後方墳も、ほぼ同じ時期に整備されていることを知った。どこでもこうしたことがやられており、うんざりする向きもあるとは思う。オレも、ああこれもか、という思いもないわけではない。が、それぞれの地域のお邦自慢として、復元した古墳があってもいいではないか。古墳がいっぱいある近畿ににいて、そうでない地域の方が熱心だとも思う。それぞれの地域で、復元した古墳を大いに活用し、見てもらえるよう、そうしたノウハウを先行したところに学びつつ、独自の活用をそれぞれに智恵を絞ってほしいもの。
◆で、石川県能美市秋常山古墳の画像が飛び込んできた。文化庁にいるとき、整備のための調査をやっている時期と重なり、何度が調査を見せてもらった。削り込まれた前方後方墳である2号墳をどうするかといった協議もし、史跡指定の議案を書いた案件である。
◆これが史跡整備ができあがったらしく、空中写真が目に入ったのである。すいません、著作権はあるのでしょうが、無断転載します。
◆それにしても、このネット検索で、これも調査や史跡指定、整備にかかわった、大安場、桜井古墳という、福島の2基の前方後方墳も、ほぼ同じ時期に整備されていることを知った。どこでもこうしたことがやられており、うんざりする向きもあるとは思う。オレも、ああこれもか、という思いもないわけではない。が、それぞれの地域のお邦自慢として、復元した古墳があってもいいではないか。古墳がいっぱいある近畿ににいて、そうでない地域の方が熱心だとも思う。それぞれの地域で、復元した古墳を大いに活用し、見てもらえるよう、そうしたノウハウを先行したところに学びつつ、独自の活用をそれぞれに智恵を絞ってほしいもの。
風呂場で本を読む・マンガを読む
◆うちでは、カミサンが風呂に本を持って入り読むので、子供らもみんな真似をし、風呂に入る前に、本棚を物色して、テキトーな本をもって風呂場に行く。
◆トイレにも持って行くことがあり、便座に座ると、目の前に3冊ほどころがっている。千葉敦子と小田実となんだったか。あると手に取るもんやね。
◆トイレにも持って行くことがあり、便座に座ると、目の前に3冊ほどころがっている。千葉敦子と小田実となんだったか。あると手に取るもんやね。
邪馬台国九州説
◆こないだ、大学の後輩の、日経の記者がやってきて、茶臼山についてしゃべろ、ということで、すこしつきあった。その時の会話、「邪馬台国九州説の人いませんか?」、というので、前に書いたとおり、「安本さんくらいしかいないんとちゃうの」といったら、「小澤さんは九州説ですよね」と言われ、ええ~。たぶん前から聞いてはいたのだろうが、そして岩波の本も送っていただきながら、不覚にもあのコラム読んでいなかった。
◆読んだ。うう~ん。ククチヒコ、クナ-クマ、(邪馬台国は筑後で)狗奴国は肥後ですか。それと邪馬台国の東に海があってまた島があるという記述、これらを畿内論者はどう説明するのだ!、と。
◆知りません。明解なんだけど、でも畿内だといっている根拠を、そっちはそっちで挙げている。指摘された点への言及は知らないが、しかし邪馬台国の所在地を考える倭人伝の記述はそれだけではなかろう。それらも含めて、どっちがどれだけ説明できるか、という総合判断なのでは?とりあえずそれくらいしか言えないが。
◆でもね、やっぱり、「倭人伝の記述によれば」と断っているが、銅鏡百枚とか、なによりも3世紀前半の倭のことも考えるべきで、北部九州に近畿の人間は行ってるし、もはや九州で完結している時代ではないのであって、そうした総合判断の上から、畿内が妥当との結論に達している。邪馬台国九州説は、そうした最近の畿内説全体に反論を加えなければイカンでしょう。
◆箸墓は3世紀後半とのことだが(要は邪馬台国を九州と考えるから・・・)、C14はもひとつわからんけれども(較正グラフ)、箸墓が卑弥呼の墓であることは、1990年代の福永先生の三角縁神獣鏡研究によって、(わたしはそれに箸墓型前方後円墳をかませて)結論している。寺澤さんも依然として3世紀後半という言い方をするのだが、三角縁神獣鏡研究をまったく無視しているとしか思えない。三角縁神獣鏡は年代資料として使えないというなら、それはそれで反論が必要です。
◆読んだ。うう~ん。ククチヒコ、クナ-クマ、(邪馬台国は筑後で)狗奴国は肥後ですか。それと邪馬台国の東に海があってまた島があるという記述、これらを畿内論者はどう説明するのだ!、と。
◆知りません。明解なんだけど、でも畿内だといっている根拠を、そっちはそっちで挙げている。指摘された点への言及は知らないが、しかし邪馬台国の所在地を考える倭人伝の記述はそれだけではなかろう。それらも含めて、どっちがどれだけ説明できるか、という総合判断なのでは?とりあえずそれくらいしか言えないが。
◆でもね、やっぱり、「倭人伝の記述によれば」と断っているが、銅鏡百枚とか、なによりも3世紀前半の倭のことも考えるべきで、北部九州に近畿の人間は行ってるし、もはや九州で完結している時代ではないのであって、そうした総合判断の上から、畿内が妥当との結論に達している。邪馬台国九州説は、そうした最近の畿内説全体に反論を加えなければイカンでしょう。
◆箸墓は3世紀後半とのことだが(要は邪馬台国を九州と考えるから・・・)、C14はもひとつわからんけれども(較正グラフ)、箸墓が卑弥呼の墓であることは、1990年代の福永先生の三角縁神獣鏡研究によって、(わたしはそれに箸墓型前方後円墳をかませて)結論している。寺澤さんも依然として3世紀後半という言い方をするのだが、三角縁神獣鏡研究をまったく無視しているとしか思えない。三角縁神獣鏡は年代資料として使えないというなら、それはそれで反論が必要です。
ひさしぶりに岸和田に
◆1月23日岸和田市の文化財保護審議会だった。ここのところ行けていなかったので久しぶり。岸和田との
縁も複雑で、摩湯山を測量して縁ができ審議会委員になったが、岸和田古城跡の保存問題が起こり、岸和田市の教育委員会を批判して、立場はビミョー(今日、どうなっているか見に行くと、当初計画のマンションではなくなり、分譲されていた。写真右下)
◆あんまり時系列的に覚えていないが、岸和田古城跡の保存問題がほぼ終戦した段階での保護審が最初の出席で、古城跡問題、およびこんなことがもう興らないようにマスタープランを!と発言するかとも考えていたが、結局、噛みつかずに終わった。そのタイミングの審議会ではもうエエという感じだったか・・・。![b4955752.jpg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1264347443?w=150&h=112)
◆岸和田の保護審は、とにかく都合が悪くて欠席したり、あんまりかみ合ってこなかった。久しぶりの出席で、庭園の登録、天然記念物の解除、市指定された五風荘の報告だった。
◆さてと、五風荘は、岸和田城二の丸にあって、古城保存問題の時の近世岸和田城がなんで国史跡になってないのか、というからみで前から知っていた。昨年度、これをがんこ寿司を指定管理者にして営業させるという話になり、それが適当かどうかという議題になった。その時の会議も欠席だったのだが(この欠席は申し訳なかった・・・)、少し考えたことを覚えている。あんまり覚えていないが、「指定すべきやろ」と思ったかすかな記憶がある。![1018a150.jpg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1264347486?w=150&h=112)
◆結果的には、登録から市指定にして(庭園と建物)、なので現状変更をしないということにし、実際には営業のための改装が必要なのだが、最低限の範囲にして既にオープンしている。審議会は機能しており、市が指定した上でのことで、よいのではないかと思う。非常に多くの人が訪れ、岸和田城への入場者も増加したという。がんこの最近の路線の一環だが、古い建築物などを取り壊すのでなく今日的に利用されるのは、一方で文化財的な価値を損なわないようにすれば、いいことですよね。営業なので、ちょこちょこ直したり付加されたり変形される虞があるので、なにかと意思疎通を図っておかなければならないが。
◆もうひとつ、大阪府のミュージアム構想のなかで、事業が採択されたと。やってるのは、岸和田市でもたぶん市長部局かなんかのようで、市教委も担当を会議には送り出しているが、どうもやろうとしていることが、教育委員会からすると首をかしげることだという話だ。事業の柱は岸和田城がらみらしく、これまで府史跡として府と相談しながら環境整備を進めてきたが、そこに売店を建てるだの石畳にするだのという話が進んでいるようで、「ちょっと待て」ということらしい。府史跡岸和田城の工事は府教委の許可事項であり、相談しながらやる必要があり、文化財指定されている以上、文化財の保護の観点から判断される必要がある。実際的には、市教委がやっていることであり、岸和田市内部でもっと教育委員会が大きく関与すべきであり、大阪府もちゃんと府史跡としてどうあるべきか、自分で考える必要がある。
◆あんまり時系列的に覚えていないが、岸和田古城跡の保存問題がほぼ終戦した段階での保護審が最初の出席で、古城跡問題、およびこんなことがもう興らないようにマスタープランを!と発言するかとも考えていたが、結局、噛みつかずに終わった。そのタイミングの審議会ではもうエエという感じだったか・・・。
◆岸和田の保護審は、とにかく都合が悪くて欠席したり、あんまりかみ合ってこなかった。久しぶりの出席で、庭園の登録、天然記念物の解除、市指定された五風荘の報告だった。
◆さてと、五風荘は、岸和田城二の丸にあって、古城保存問題の時の近世岸和田城がなんで国史跡になってないのか、というからみで前から知っていた。昨年度、これをがんこ寿司を指定管理者にして営業させるという話になり、それが適当かどうかという議題になった。その時の会議も欠席だったのだが(この欠席は申し訳なかった・・・)、少し考えたことを覚えている。あんまり覚えていないが、「指定すべきやろ」と思ったかすかな記憶がある。
◆結果的には、登録から市指定にして(庭園と建物)、なので現状変更をしないということにし、実際には営業のための改装が必要なのだが、最低限の範囲にして既にオープンしている。審議会は機能しており、市が指定した上でのことで、よいのではないかと思う。非常に多くの人が訪れ、岸和田城への入場者も増加したという。がんこの最近の路線の一環だが、古い建築物などを取り壊すのでなく今日的に利用されるのは、一方で文化財的な価値を損なわないようにすれば、いいことですよね。営業なので、ちょこちょこ直したり付加されたり変形される虞があるので、なにかと意思疎通を図っておかなければならないが。
◆もうひとつ、大阪府のミュージアム構想のなかで、事業が採択されたと。やってるのは、岸和田市でもたぶん市長部局かなんかのようで、市教委も担当を会議には送り出しているが、どうもやろうとしていることが、教育委員会からすると首をかしげることだという話だ。事業の柱は岸和田城がらみらしく、これまで府史跡として府と相談しながら環境整備を進めてきたが、そこに売店を建てるだの石畳にするだのという話が進んでいるようで、「ちょっと待て」ということらしい。府史跡岸和田城の工事は府教委の許可事項であり、相談しながらやる必要があり、文化財指定されている以上、文化財の保護の観点から判断される必要がある。実際的には、市教委がやっていることであり、岸和田市内部でもっと教育委員会が大きく関与すべきであり、大阪府もちゃんと府史跡としてどうあるべきか、自分で考える必要がある。
日本書紀紀年
◆倉西の日本書紀紀年の理解を図示するとこうなる。
ダウンロード(pdf)
◆これしかし未完だ。ある偶然で倉西さんと連絡が取れ、自分の書いたものを送った。先日、SFにリライトせよと言われ、書記紀年について、自分なりに倉西の上げる論拠を整理し(鵜呑みにするわけではない)、論理を組み立て、説明できるようになりたいとメモを作ろうとしたわけだが、やはり完遂できない。
◆古事記崩年干支は基本的にいけると思っている。理屈は、5世紀後半以降、記紀でほぼ一致するが、微妙な差もある。引き写しでなく整合をとっていない、微妙な差がありつつ、おおよそ一致するのは、元データがあって(口承・記録なんであれ)、それぞれをもとに古事記は古事記で、日本書紀は日本書紀でまとめたから。で、日本書紀が允恭以前について水増ししているのは明らかで、小沢一雅さんはグラフ化しているが、通常の在位年推移グラフから、允恭以前は急激に乖離する。要するに、日本書紀については、そこから作為が加わっていることが明らかなわけだ。それに対して、古事記についても、同じように允恭以前は怪しいと考える必要はない。允恭以降が、日本書紀とのチェックで何らかの元データにもとづいて収録されていると考えられるように、その元データに基づき允恭以前についても書き込まれているのであって、古事記の崩年干支について前後に区別しなければならない特段の根拠はないと思う。
◆紀年のなかで、応神と仁徳・允恭には実際の紀年数に加算があるという倉西の指摘は確実であろう。問題は、応神を41年まで、仁徳を87年まで、允恭を42年まで引っぱる理由、それがなにか、そしてそれは何を意味するか、ということ。2王並立の片方を示すためと思うが・・・。
◆PDFも思考途中で、履中とか反正とかが難しい・・・。いまの感触でいえば、副系列は、ホムダワケ・イザホワケ・ミズハワケ・イチノベオシハワケとつながると思うので、応神没後の執政王はイザホワケで、神聖王は倉西はウジノワキイラツコとするが、これがオオササギではないかと考えている。応神の詔り分けでは、オオササギとウジノワキイラツコとなっているが、実際はイザホワケとオオササギではないかと・・・。
◆安康がマヨワ王に殺されるという設定は、ワカタケルがイチノベオシハワケを殺害したことを示すものと理解している。ワカタケルが現役の王を殺害して執政王に立ったことは伏せられ、しかし大王が殺害されたことは安康という人物を作り出して示し、イチノベは執政王であった事実はないとして、しかしワカタケルが殺害したことは明記された。
◆またまた中途半端に終わった。
ダウンロード(pdf)
◆これしかし未完だ。ある偶然で倉西さんと連絡が取れ、自分の書いたものを送った。先日、SFにリライトせよと言われ、書記紀年について、自分なりに倉西の上げる論拠を整理し(鵜呑みにするわけではない)、論理を組み立て、説明できるようになりたいとメモを作ろうとしたわけだが、やはり完遂できない。
◆古事記崩年干支は基本的にいけると思っている。理屈は、5世紀後半以降、記紀でほぼ一致するが、微妙な差もある。引き写しでなく整合をとっていない、微妙な差がありつつ、おおよそ一致するのは、元データがあって(口承・記録なんであれ)、それぞれをもとに古事記は古事記で、日本書紀は日本書紀でまとめたから。で、日本書紀が允恭以前について水増ししているのは明らかで、小沢一雅さんはグラフ化しているが、通常の在位年推移グラフから、允恭以前は急激に乖離する。要するに、日本書紀については、そこから作為が加わっていることが明らかなわけだ。それに対して、古事記についても、同じように允恭以前は怪しいと考える必要はない。允恭以降が、日本書紀とのチェックで何らかの元データにもとづいて収録されていると考えられるように、その元データに基づき允恭以前についても書き込まれているのであって、古事記の崩年干支について前後に区別しなければならない特段の根拠はないと思う。
◆紀年のなかで、応神と仁徳・允恭には実際の紀年数に加算があるという倉西の指摘は確実であろう。問題は、応神を41年まで、仁徳を87年まで、允恭を42年まで引っぱる理由、それがなにか、そしてそれは何を意味するか、ということ。2王並立の片方を示すためと思うが・・・。
◆PDFも思考途中で、履中とか反正とかが難しい・・・。いまの感触でいえば、副系列は、ホムダワケ・イザホワケ・ミズハワケ・イチノベオシハワケとつながると思うので、応神没後の執政王はイザホワケで、神聖王は倉西はウジノワキイラツコとするが、これがオオササギではないかと考えている。応神の詔り分けでは、オオササギとウジノワキイラツコとなっているが、実際はイザホワケとオオササギではないかと・・・。
◆安康がマヨワ王に殺されるという設定は、ワカタケルがイチノベオシハワケを殺害したことを示すものと理解している。ワカタケルが現役の王を殺害して執政王に立ったことは伏せられ、しかし大王が殺害されたことは安康という人物を作り出して示し、イチノベは執政王であった事実はないとして、しかしワカタケルが殺害したことは明記された。
◆またまた中途半端に終わった。
また横穴式石室が
◆ここのところ、横穴式石室に頭がいっている。きっかけは『考古学研究』の新納さんの論文。いつも刺激に満ちている。わたしにとって新納さんは大学1年の時に、物集女車塚の調査に参加して以来、あこがれである。新納さんがバイクに乗ってさっそうと現場に現れる、それにあこがれて、そののち、バイク乗りになった。
◆その後も、新納さんには、人生相談にも乗っていただいた。ぶれて悩み出すと新納さんの論文を読んでいた。「きとんとした方法論にしたがって研究を進められる仲間になって欲しい」そういう意味の期待の言葉をかけていただいたのが、わたしのその後の原点になっている。悩んだとき、新納さんに戻る。さて、いまの自分はそうなっているのだろうか・・・。造山古墳の測量の手伝いで、新納さんの現場に行くのは楽しかった。
◆新納さんの論文は示唆に満ちているのだが、あまりはっきり言わないので、困ってしまう。真意は?という思いが多々ある。まず三角縁神獣鏡、節についての論文で、笠松形紋様を三角縁神獣鏡に入れることをやったのは中国王朝なのか倭なのか、と問いかける。きっと新納さんは「倭ちゃうか」と思ってンだろうな、と読めなくはないが、本人ははっきり言わない。考古学研究会の論集の横穴式石室の論文の時も、丸山を欽明とするのも一案だが、それも不確かとして被葬者論から年代の定点はないとみるか、と文字面では二者択一で、どっちなんだ、と思っていた。が、今回の論文で、丸山=欽明墓とみていることが明白となった。
◆感想のひとつ。吉備の石室を取り上げることは必要なのかもしれないが、近畿の人間としては、吉備の話が一枚かむために、近畿の石室の年代観がややぼけた、ように思う。まあ、しかし、それは近畿で横穴式石室をやっている人間の責任か・・・。
◆もうひとつ、藤ノ木は穴穂部なのでなく古いというのは、わたしもそう思うが、牧野が彦人でないという論理は説得的でない。兆域の話が根拠になっているが、兆域なんてあとづけでしょ。白石先生の(言い出したのは網干さん)の見方はなかなか崩れない。
◆では、なにが問題なんだろうね、どう整合的になってないのかな、前方後円墳の終末論の部分は、不勉強でよくわからん。いずれ丸山の位置づけがやはりなおしっくりきていないこと、それが最大の問題なんだと思っているが(『遺跡学研究』の論文にすこし書いた)。
◆いずれにしても、早く横穴式石室をやりたいものだ。新しいことをやるためには、古いことをかたづけないといかん!。はよ原稿を書こう・・・。
◆その後も、新納さんには、人生相談にも乗っていただいた。ぶれて悩み出すと新納さんの論文を読んでいた。「きとんとした方法論にしたがって研究を進められる仲間になって欲しい」そういう意味の期待の言葉をかけていただいたのが、わたしのその後の原点になっている。悩んだとき、新納さんに戻る。さて、いまの自分はそうなっているのだろうか・・・。造山古墳の測量の手伝いで、新納さんの現場に行くのは楽しかった。
◆新納さんの論文は示唆に満ちているのだが、あまりはっきり言わないので、困ってしまう。真意は?という思いが多々ある。まず三角縁神獣鏡、節についての論文で、笠松形紋様を三角縁神獣鏡に入れることをやったのは中国王朝なのか倭なのか、と問いかける。きっと新納さんは「倭ちゃうか」と思ってンだろうな、と読めなくはないが、本人ははっきり言わない。考古学研究会の論集の横穴式石室の論文の時も、丸山を欽明とするのも一案だが、それも不確かとして被葬者論から年代の定点はないとみるか、と文字面では二者択一で、どっちなんだ、と思っていた。が、今回の論文で、丸山=欽明墓とみていることが明白となった。
◆感想のひとつ。吉備の石室を取り上げることは必要なのかもしれないが、近畿の人間としては、吉備の話が一枚かむために、近畿の石室の年代観がややぼけた、ように思う。まあ、しかし、それは近畿で横穴式石室をやっている人間の責任か・・・。
◆もうひとつ、藤ノ木は穴穂部なのでなく古いというのは、わたしもそう思うが、牧野が彦人でないという論理は説得的でない。兆域の話が根拠になっているが、兆域なんてあとづけでしょ。白石先生の(言い出したのは網干さん)の見方はなかなか崩れない。
◆では、なにが問題なんだろうね、どう整合的になってないのかな、前方後円墳の終末論の部分は、不勉強でよくわからん。いずれ丸山の位置づけがやはりなおしっくりきていないこと、それが最大の問題なんだと思っているが(『遺跡学研究』の論文にすこし書いた)。
◆いずれにしても、早く横穴式石室をやりたいものだ。新しいことをやるためには、古いことをかたづけないといかん!。はよ原稿を書こう・・・。
塚口義信先生
◆塚口先生から、御著書と抜き刷り多数が送られてきた。佐紀政権の半島派兵について論文があれば送って欲しいと。いや~、わたし、科研の報告書と黄金塚シンポの資料集くらいで、これから摩湯山と神明山古墳の測量報告書で書く予定で、まだまとまったものはない。
◆塚口先生の論文は、すべて面白く、むさぼり読む。いちいち挙げてられないが、学生社の本の中で、神武伝説と日向、神武伝説と熊野というのを、なによりも先に読んだ。なるほど、なるほど。
◆熊野に行ったばかりで、なんで神武のヤマト入りに熊野が登場するのか不思議だったが、それが説明されていて面白かった。むろんホムダワケのクーデタの論文も。
◆で、夜、ネットで、香芝の平野塚穴山が茅渟王の墓ではないかという論文もむさぼりよんだ。これ前からネットで塚口さんの書いたものがPDFになっていることは知っていたが、はじめて全文を読んだ。興味は、茅渟王ではなく、敏達・押坂彦人の広瀬郡とのかかわりの部分を読むことだったが・・・。
【追記】文献を送ったところ、さら学生社の本2冊やら邪馬台国についての連続講演の記録などを送っていただいた。ありがとうございます。
◆塚口先生の論文は、すべて面白く、むさぼり読む。いちいち挙げてられないが、学生社の本の中で、神武伝説と日向、神武伝説と熊野というのを、なによりも先に読んだ。なるほど、なるほど。
◆熊野に行ったばかりで、なんで神武のヤマト入りに熊野が登場するのか不思議だったが、それが説明されていて面白かった。むろんホムダワケのクーデタの論文も。
◆で、夜、ネットで、香芝の平野塚穴山が茅渟王の墓ではないかという論文もむさぼりよんだ。これ前からネットで塚口さんの書いたものがPDFになっていることは知っていたが、はじめて全文を読んだ。興味は、茅渟王ではなく、敏達・押坂彦人の広瀬郡とのかかわりの部分を読むことだったが・・・。
【追記】文献を送ったところ、さら学生社の本2冊やら邪馬台国についての連続講演の記録などを送っていただいた。ありがとうございます。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。