人を幸せにする人になろう

市大日本史の歴史

◆『市大日本史』の編集担当として、しばらく前から暖めてきた企画がある。できるだけ新制大学創設に近い頃の卒業生の側から見た、日本史研究室回顧録を、古いところから始めて下っていくというもの。そこで、直木先生に手紙を出し、だれそれに手紙を出し、これまで4名ほど当たってきて、1958年卒業生の方にほぼ決めた。58年3月卒業だとすれば、55年入学、昭和30年入学ということになる。昭和24年に市大ができ法文で出発し、分離して文学部ができたのが昭和28年、その3期生ということになる。まだ難波宮の調査が、法円坂の市営住宅建設にともないちょこちょこやりはじめたものの遺構が捕まえられていない時期ですね(第1次が昭和29年)。1955年8月に最初の掘立柱の柱穴が見つかる。卒業年の1958年春時点としても、内裏東面回廊をつかまえつつある時期だが、一気に進んでいくのは1959年だから、まだそれ以前になる。
◆手紙を見て、大学に電話いただいたのだが捕まらず(携帯の番号を書いておけばよかったですね。文面で反応が来ると思っていたもので)。今日、事務室に2回目の電話がかかってきたので(1回目の電話で連絡先を伝えていただいたのだが、折り返しかけなかった・・・)、まずいとただちに電話すると、とても気さくな方で、まだまだお元気そう。やはり一緒の卒業というのは運命共同体というのか、同窓会の集まりを2年ごとに大阪でやっているらしく、同期が4人いらっしゃるようだが、普段から連絡のあるもう一人と、『市大日本史』に書くことについて、いろいろ話もしていただいたみたいです。で、一度お会いしたいというので、日程調整に入っている。
◆まあ、こんなこともやっているのでR。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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