人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
「ますたに」のラーメン
◆今日、帰ると、ラーメン作って食べてと・・・。はい。これが「ますたに」のラーメン。実は、京都で7年暮らした北白川の下宿の、隣の
隣がこのラーメン屋だった。うちの下宿屋のおばさんも、ここで働いていた。通っていた、というほどではないが、時々は食べに行っていった。むろんうまい。
◆たしかに昼は表に人がならんでいた。店は狭く、カウンターと、奧に座敷があり、みな相席で食べては出て行く。それが生ラーメンとして商品化されているわけだ。「一度は食べてみたかった日本の名店」シリーズにあげられているらしい。まあ、うまい。だが、店で食べていたヤツは、すこし違うような感じがする。
◆あの下宿を引き払ったのが1991年3月だから20年か。1度だけそのあと行っ
た記憶があるが、最近は京都に行くことがないので、「ますたに」はとんとご無沙汰である。カミさんとは、「ますたに」のラーメンと、天王町のコーヒー屋に行きたいと、ずいぶん以前から話をしているものの、行く機会はいまのところない。
◆たしかに昼は表に人がならんでいた。店は狭く、カウンターと、奧に座敷があり、みな相席で食べては出て行く。それが生ラーメンとして商品化されているわけだ。「一度は食べてみたかった日本の名店」シリーズにあげられているらしい。まあ、うまい。だが、店で食べていたヤツは、すこし違うような感じがする。
◆あの下宿を引き払ったのが1991年3月だから20年か。1度だけそのあと行っ
1人あたりのGDP
◆GDPが中国に抜かれたという報道があったが、人口がちゃうんやから、比較が公平ではない。1人あたりの
GDPで比べるべきですよね。で、調べた。が、為替レートベースだと、円高・ドル安とかに大きく影響されてしまう。なのでPPP(購買力平価)という指標が考えられているらしい。
◆いずれにしても、日本は17位・18位らしい。バブル期は6位くらい(為替レートベースで3位)で、1位はルクセンブルク、2位はノルウェー、3位アメリカだそうだ。アイルランドは急上昇して4位。
◆別に中国はまだまだだとか、日本が勝っている、などということを言いたいわけではない。
【追記】韓国は、サムスンやLGや現代など、大きく成長しているが、03月03日のテレビによると、非正規雇用が6割を越し、希望のもてない若い層が増加し、自殺率も多く、確かに1人あたりのGDPは24位だけれども、それは成功者の押し上げであって、国民のみんなが豊かになったわけではないらしい。 KARAの給料が月数万円という報道もあった。KARAがヒットし儲けても、事務所やモロモロが彼女らを搾取しているわけだ。韓国の経済成長がすごいと喜んではいられない。これはIMF危機以降、急速に進んだという。結局、格差の拡大ということのようだ。そして、日本もそれを追っている。1人あたりの GDPはあくまでもひとつの指標に過ぎず、所得の分布状況が問題なのである。
◆いずれにしても、日本は17位・18位らしい。バブル期は6位くらい(為替レートベースで3位)で、1位はルクセンブルク、2位はノルウェー、3位アメリカだそうだ。アイルランドは急上昇して4位。
◆別に中国はまだまだだとか、日本が勝っている、などということを言いたいわけではない。
【追記】韓国は、サムスンやLGや現代など、大きく成長しているが、03月03日のテレビによると、非正規雇用が6割を越し、希望のもてない若い層が増加し、自殺率も多く、確かに1人あたりのGDPは24位だけれども、それは成功者の押し上げであって、国民のみんなが豊かになったわけではないらしい。 KARAの給料が月数万円という報道もあった。KARAがヒットし儲けても、事務所やモロモロが彼女らを搾取しているわけだ。韓国の経済成長がすごいと喜んではいられない。これはIMF危機以降、急速に進んだという。結局、格差の拡大ということのようだ。そして、日本もそれを追っている。1人あたりの GDPはあくまでもひとつの指標に過ぎず、所得の分布状況が問題なのである。
写真が出てこず・・・
◆今日は国公立2次前期。入構許可をもらい、研究室で仕事をしている。和泉市史の寺院の原稿の書き直しを終
え、挿図のリスト作り。だが、坂本寺の軽寺式の、いちばんいい写真が出てこない。図面からすると、近つに大阪府調査分でいちばんいい須恵質のヤツがあるはずで、写真を撮ったはずだが・・・。【追記:違った。現在の禅寂寺保管分の瓦だ】
◆もうフィルムを捨てようと、年度末などにすこし金があるとフィルムスキャンをしてきた。だが、デジタル化したのはいいが、それをきっちり整理するところまでいかない・・・。また、もともとデジタルなものも、外付けハードディスクが壊れたことがあり、復旧に出したが復元できなかった画像もある。
◆で、またフォトCDを見直していると、こんな写真が出てきたので挙げておく。楯築の給水塔の上でのヒトコマである。
◆もうフィルムを捨てようと、年度末などにすこし金があるとフィルムスキャンをしてきた。だが、デジタル化したのはいいが、それをきっちり整理するところまでいかない・・・。また、もともとデジタルなものも、外付けハードディスクが壊れたことがあり、復旧に出したが復元できなかった画像もある。
◆で、またフォトCDを見直していると、こんな写真が出てきたので挙げておく。楯築の給水塔の上でのヒトコマである。
津堂城山古墳の測量
◆共和さんに見積をもらい、藤井寺市にも了解をもらった。なんとか、3月に計測作業ができそうである。業者に依頼したのは内堀以内5万㎡。だが既に道路や宅地になっている堤、外堀、外堤もある。完成形態としては、それら全体を含めた図に最終的にすることが望ましい。さらにいえば、現状図のみならず、開発前の空中写真などから、以前の姿の図も作れないかとは思うが、一気にはいかない。まずは内堀以内の部分についてやっつけよう。
◆測量図をちゃんとつくって、発掘調査地点を落とし込んで、共有できるデータを提供したい(点群データなども、こんど作るホームページにアップして、誰でも使ってもらえればよい)。第一義的には藤井寺市さんに、今後の調査や活用に役立てていただければいいし、みなそれを使って研究してくれればよい。
◆うちとしては、これまでに確認されている遺構、出土している埴輪、埋葬施設、宮内庁にある副葬品もすべてまとめ上げて報告書を作るのが夢である。既に今年度、鏡については写真撮影に行った。その他の副葬品も、それぞれのプロに先端的な観点から検討してもらい、ホムダワケ墓について、総合的に研究してみたい。
辛亥の変を考えている
◆このところ、ついつい辛亥の変のことを考えている。すべてすっきりさせたい、というのが目標。没頭したいがそうもいかない。セーブしながら、だけども4月の現地見学検討会にむけて、考えを重ねたい。
◆昨日、誉田御廟山の事後検討会に西田孝司さんも来ておられ、午前中の見学コースについて、いろいろと考えていただいているようであった。ありがたい限りだ。西田さんすいません。ちゃんと打ち合わせをします、もうちょっと待ってください・・・。
◆昨日、誉田御廟山の事後検討会に西田孝司さんも来ておられ、午前中の見学コースについて、いろいろと考えていただいているようであった。ありがたい限りだ。西田さんすいません。ちゃんと打ち合わせをします、もうちょっと待ってください・・・。
アカデミックハラスメント
◆02月22日の教授会の前に人権問題の講演会があり、今年度はアカデミックハラスメントであった。毎年、1回ないし2回、教授会の前にあって、出席は少なかったりするが、勉強になるので必ず出るようにしている。
◆で、今回、学生・院生に対してどのように指導するか、どういうのがダメで、どういうのが望ましいのか、DVDでの紹介を含めて話があった。一般論では、当事者同士を離すこと、民間企業であれば部署を変えるということになるが、大学では、指導教員と院生などの関係は代え難い。さすれば予防である。そして、いかにささいな段階でとどめ、感情的な反発に至る前に、事態が深刻にならないように回避するかだと。IメッセージというのとYouメッセージというらしく、「おまえはああだ」(そもそも「おまえ」がダメ)ではなく、「わたしはこう思うよ」という言い方にする、あるいは「ここがダメ」ではなく「こういう風にすればもっとよくなるよ」といった言い方など、いろいろ示唆があった。コミュニケーションの取り方をすこし変えてみる、ということ。
◆指摘されると、自分もあたっていないことはないな~、と反省する。「なんでやってへんねん」と言ってみたところではじまらないわけだ。反発をくらうだけの言い方はダメ。指導したり、指摘したり、アドバイスしたり、それはしなければならない。正しいことを言っているのでも、言い方や、くりかえししつこく言うことで、ダメージを与えてしまうこともある、ということを認識せよと。
◆ハラスメント加害者の分類として、自己愛型(細分として誇大妄想型・徹底管理型・被害妄想型)、ストレス習慣型、楽観主義型、があるそうだ。
◆いまや叩いて克己していくことを期待するのはペケである。まあ、言い方の前に、日頃の信頼関係もむろんあるだろう。いずれにしても、放任で自主性に任すということもダメであるし、距離感と言い方だ。難しいが勉強になった。
◆で、今回、学生・院生に対してどのように指導するか、どういうのがダメで、どういうのが望ましいのか、DVDでの紹介を含めて話があった。一般論では、当事者同士を離すこと、民間企業であれば部署を変えるということになるが、大学では、指導教員と院生などの関係は代え難い。さすれば予防である。そして、いかにささいな段階でとどめ、感情的な反発に至る前に、事態が深刻にならないように回避するかだと。IメッセージというのとYouメッセージというらしく、「おまえはああだ」(そもそも「おまえ」がダメ)ではなく、「わたしはこう思うよ」という言い方にする、あるいは「ここがダメ」ではなく「こういう風にすればもっとよくなるよ」といった言い方など、いろいろ示唆があった。コミュニケーションの取り方をすこし変えてみる、ということ。
◆指摘されると、自分もあたっていないことはないな~、と反省する。「なんでやってへんねん」と言ってみたところではじまらないわけだ。反発をくらうだけの言い方はダメ。指導したり、指摘したり、アドバイスしたり、それはしなければならない。正しいことを言っているのでも、言い方や、くりかえししつこく言うことで、ダメージを与えてしまうこともある、ということを認識せよと。
◆ハラスメント加害者の分類として、自己愛型(細分として誇大妄想型・徹底管理型・被害妄想型)、ストレス習慣型、楽観主義型、があるそうだ。
◆いまや叩いて克己していくことを期待するのはペケである。まあ、言い方の前に、日頃の信頼関係もむろんあるだろう。いずれにしても、放任で自主性に任すということもダメであるし、距離感と言い方だ。難しいが勉強になった。
続き
◆それにしてもヘリコプターは飛んでいる、カメラの数も多かった。
◆さてと、立ち入り前の2月20日に、共同通信が前方部のトップに方形土壇があるという報道を配信し記事になった。しかし、図面を見たらわかるし、2006年に近つでしゃべったときもそこに方形壇を表示しておいた。ミサンザイや太田茶臼山古墳にもある。ヒバスにもある。むろん、巣山や心合寺山などにもある。オレのいう執政王墓にはけっこうあるが、神聖王墓では西殿塚以降、あんまりないな~という印象はある。
◆だが、問題はそれではなく、宮内庁は内部委員には墳頂まで上げているのに、学会側には堤までかと、それをマスコミからつつかれたというのである。前日にちょっと聞きかじったが、何が問題になっているか知らなかったが、そういう報道が直前に出たこと、そして、なんで堤までか、ということへの対応で、学会側の事務局は迷惑を被ったということのようだ。
◆が、まあ、むこうさんは役所の委員ですから、向こう側なのであって、まったくこっちとは立場は違うわけで、いっしょに議論することがそもそもおかしいのである。宮内庁が、今後、大仙や誉田御廟山やミサンザイや、これまで護岸工事などができていない巨大墳について、これからどうしていくか内部での検討を進めているということは、宮内庁交渉のなかで聞いている。そのために必要と判断して専門家である委員に現地視察をしてもらうのは当たり前なのである。
◆こっちはこっちで、2006年以来の交渉で立ち入りが実現し、それ以来、水堀のあるものは安全上、舟で墳丘に渡ることはちょっと現段階では難しいと言われており、それはそれで仕方がないことだと思っている。前に挙げた御廟山の立ち入り記事のなかでも、宮内庁の担当官もいずれは実現できるようにしたいと言っており、オレは、納得しているし期待している。
◆マスコミは、それくらいは理解しないと。こちらになぜ「堤までなんや」と言われても困るのである。内部委員には舟で墳丘に入れているのに、なぜ学会側には困難としているのか(むろんその場合も墳丘下段までだが)、それは宮内庁側に問い合わせる事項である。
◆さてと、立ち入り前の2月20日に、共同通信が前方部のトップに方形土壇があるという報道を配信し記事になった。しかし、図面を見たらわかるし、2006年に近つでしゃべったときもそこに方形壇を表示しておいた。ミサンザイや太田茶臼山古墳にもある。ヒバスにもある。むろん、巣山や心合寺山などにもある。オレのいう執政王墓にはけっこうあるが、神聖王墓では西殿塚以降、あんまりないな~という印象はある。
◆だが、問題はそれではなく、宮内庁は内部委員には墳頂まで上げているのに、学会側には堤までかと、それをマスコミからつつかれたというのである。前日にちょっと聞きかじったが、何が問題になっているか知らなかったが、そういう報道が直前に出たこと、そして、なんで堤までか、ということへの対応で、学会側の事務局は迷惑を被ったということのようだ。
◆が、まあ、むこうさんは役所の委員ですから、向こう側なのであって、まったくこっちとは立場は違うわけで、いっしょに議論することがそもそもおかしいのである。宮内庁が、今後、大仙や誉田御廟山やミサンザイや、これまで護岸工事などができていない巨大墳について、これからどうしていくか内部での検討を進めているということは、宮内庁交渉のなかで聞いている。そのために必要と判断して専門家である委員に現地視察をしてもらうのは当たり前なのである。
◆こっちはこっちで、2006年以来の交渉で立ち入りが実現し、それ以来、水堀のあるものは安全上、舟で墳丘に渡ることはちょっと現段階では難しいと言われており、それはそれで仕方がないことだと思っている。前に挙げた御廟山の立ち入り記事のなかでも、宮内庁の担当官もいずれは実現できるようにしたいと言っており、オレは、納得しているし期待している。
◆マスコミは、それくらいは理解しないと。こちらになぜ「堤までなんや」と言われても困るのである。内部委員には舟で墳丘に入れているのに、なぜ学会側には困難としているのか(むろんその場合も墳丘下段までだが)、それは宮内庁側に問い合わせる事項である。
誉田御廟山の堤に入って
◆昨日02月24日(木)、誉田御廟山に入る。まったく準備をしていなかったが、前日に1時間、当日の午前で準
備する。1500分の1で5枚に分割した拡大図を用意し、各所を計測したり、なによりも、ルートをイメージしながら、チェック箇所を考えた。そういえば、2006年に近つで、誉田御廟山についてしゃべったとき、御廟山の復元をやったな~と思い出し、そのパワポを取り出した。入ってからあとの事後検討会で、いつも「あそこがここが」ということになるので、プロジェクターで測量図を投影しながら議論すればいいのにと思っており、プロジェクターをもっていくことにする(結局使わなかった)。それと、文化庁に確認することの項目を準備していたので、当日の議論の成り行きでは配布しようかとコピーをしたが、あわてていたのか持って出るのを忘れた。
◆でかいので1周するのに3時間かかる。入ってのひとまずの感想を、以下、少し書く。いずれにしても、現場でのメモ、写真(140枚になる)など、翌日には原稿を書き上げるくらいのことをしないと、忘却する。ひとまずデジカメ写真の撮影方向を図に落としたが、原稿はしんどいな~。
◆中期に幅のある周堤が完備されるが、陵墓でも堀の肩の部分から内側が宮内庁管理地になっているものが多く、宅地化が進んで保存されていないものが多い。誉田御廟山は堤の外まで宮内庁の管理地となり、これまでよく保存されてきたので、中期古墳の周堤について、本来の姿を確認することができた。しかも幅35歩48m、裾部で約60mの、我が国最大のものである(大仙の上面約30m)。また陵墓図には埴輪列の位置が実は記入されており、埴輪列の幅もわかっている。いまでも樹立状況のわかる埴輪を2カ所で見ることができたし、養生のために土を入れた箇所1カ所を教えてもらった。
◆大仙や誉田御廟山は周堤を取り込んでいるために、墳丘そのものは遠望するしかなかったが、今回、堤のヘリから墳丘本体を望むことができた。崩壊箇所を除くと、測量図にある通り、非常に保存状態がよい姿がうか
がえたが、樹木や周濠底の水草などで、よく観察できたわけではない。水位は30㎝程度上下するくらいであるという。で、裾部がやや傷んでいる箇所や、葺石がならぶ姿を遠望したが、あんまり傷みはそれほどではない。
◆御廟山の下段はほぼ露出している。いまの汀と本来の基底部はほぼ近いと思っている。周濠は浅く、下段斜面がさらに下方にあまりのびるようには思わない。それと、今日の話でも、けっこう浚渫して堀を造り出しているような話だった。明治の修陵前の状況と、明治13年、明治21年~24年の浚渫などを、きちんと整理しなければならないが、市野山・仲津山と同様にほぼ空堀状態であったものを、むしろ周濠底部をさらに掘削して水堀になるようにしているのではないか、と思う。
◆二ツ塚古墳も見ることができたし、誉田丸山古墳もたぶん帆立貝なんだろう。
◆でかいので1周するのに3時間かかる。入ってのひとまずの感想を、以下、少し書く。いずれにしても、現場でのメモ、写真(140枚になる)など、翌日には原稿を書き上げるくらいのことをしないと、忘却する。ひとまずデジカメ写真の撮影方向を図に落としたが、原稿はしんどいな~。
◆中期に幅のある周堤が完備されるが、陵墓でも堀の肩の部分から内側が宮内庁管理地になっているものが多く、宅地化が進んで保存されていないものが多い。誉田御廟山は堤の外まで宮内庁の管理地となり、これまでよく保存されてきたので、中期古墳の周堤について、本来の姿を確認することができた。しかも幅35歩48m、裾部で約60mの、我が国最大のものである(大仙の上面約30m)。また陵墓図には埴輪列の位置が実は記入されており、埴輪列の幅もわかっている。いまでも樹立状況のわかる埴輪を2カ所で見ることができたし、養生のために土を入れた箇所1カ所を教えてもらった。
◆大仙や誉田御廟山は周堤を取り込んでいるために、墳丘そのものは遠望するしかなかったが、今回、堤のヘリから墳丘本体を望むことができた。崩壊箇所を除くと、測量図にある通り、非常に保存状態がよい姿がうか
◆御廟山の下段はほぼ露出している。いまの汀と本来の基底部はほぼ近いと思っている。周濠は浅く、下段斜面がさらに下方にあまりのびるようには思わない。それと、今日の話でも、けっこう浚渫して堀を造り出しているような話だった。明治の修陵前の状況と、明治13年、明治21年~24年の浚渫などを、きちんと整理しなければならないが、市野山・仲津山と同様にほぼ空堀状態であったものを、むしろ周濠底部をさらに掘削して水堀になるようにしているのではないか、と思う。
◆二ツ塚古墳も見ることができたし、誉田丸山古墳もたぶん帆立貝なんだろう。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。