人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
松岳山6日目(4月1日)
◆岸本・濱道・橋本(~12)・藤林・道上
◆【墳頂班(岸本・濱道)→(藤林・道上)】(1)後円部の南側を、P5から測る。すぐに高さがおかしいことに気付く。問題の所在はわかった。きのうの成果が・・・。まあ、なんとか修正できるだろう。65m以下を紙の範囲をすべて埋める。(2)鞍部のP6に移動し、前方部頂両縁を入れて、等高線63.5mからスタートし、斜道を上がる。
◆【南くびれ部(橋下・藤林・道上)→(岸本・濱道)】(3)P2から、国分神社背後の崖面までの斜面地を入れる。学部生に任せる。これも勉強。
◆昼、橋本さんを道明寺駅(玉手橋)まで送る。帰ってくると、共和さんから電話が入り、津堂城山のレーザースキャン測量に入りたいと連絡が入り、藤井寺市と宮内庁に連絡する。4月4日からの1週間でやってもらうことにする。しかし、桜が咲き始め、花見客が出るシーズンに突入してしまう。満開までに逃げ切ってほしいものだ。
◆奈文研さま御一行(小澤・青木・若杉・〓)が見学に訪れる。例の物は石でした。
◆15時頃か、南くびれ部を任せていた学部生2人が「限界」と行ってきたので、ポジションをチェンジする。鞍部を測りやすいので明け渡し、オレらは墳裾の崖面を測る。かなり崖下まで入れ、神社背後まで攻め、少しやり残しはあるが、C3の紙はこれで完了としよう。
◆【墳頂班(岸本・濱道)→(藤林・道上)】(1)後円部の南側を、P5から測る。すぐに高さがおかしいことに気付く。問題の所在はわかった。きのうの成果が・・・。まあ、なんとか修正できるだろう。65m以下を紙の範囲をすべて埋める。(2)鞍部のP6に移動し、前方部頂両縁を入れて、等高線63.5mからスタートし、斜道を上がる。
◆【南くびれ部(橋下・藤林・道上)→(岸本・濱道)】(3)P2から、国分神社背後の崖面までの斜面地を入れる。学部生に任せる。これも勉強。
◆昼、橋本さんを道明寺駅(玉手橋)まで送る。帰ってくると、共和さんから電話が入り、津堂城山のレーザースキャン測量に入りたいと連絡が入り、藤井寺市と宮内庁に連絡する。4月4日からの1週間でやってもらうことにする。しかし、桜が咲き始め、花見客が出るシーズンに突入してしまう。満開までに逃げ切ってほしいものだ。
◆奈文研さま御一行(小澤・青木・若杉・〓)が見学に訪れる。例の物は石でした。
◆15時頃か、南くびれ部を任せていた学部生2人が「限界」と行ってきたので、ポジションをチェンジする。鞍部を測りやすいので明け渡し、オレらは墳裾の崖面を測る。かなり崖下まで入れ、神社背後まで攻め、少しやり残しはあるが、C3の紙はこれで完了としよう。
松岳山5日目(3月31日)
◆岸本・所・濱道・道上
◆朝、疲れ果てて寝過ごす。学生には30分強待たせる(大失態)。
◆【墳頂班(岸本・濱道)】(1)昨日の続きで、墳頂南縁部のP15でもうすこしくだる。その位置から斜面下方に新規杭を打設。(2)西からの登り口のP7に立て、測れていなかった範囲を埋める。(3)新規杭に移し、標高65mくらいまでかなり下る。(4)P5に移り、さらに下方の測量にかかるが、ここで終了。
◆【南くびれ部(所・道上)】所さんがいるので安心して任せられる。(1)まずP3に立てて、前方部南側面を前方部頂近くまで測る。これで登り道の西側は完了。(2)そのあと、登り道をはさんで反対の東側にかかる。まず、P4に立て、標高60.5から下ろしていく。(3)その下のP2に移り、現在、継続中。
◆本日より新規の杭座標に切り替える。設定すると、ほぼ1から2ミリでばっちりくる。やはり気持ちがよい。図面としては、ほとんど影響はないが(一応、昨日までの範囲はくくってわかるようにしてある)。出だしが遅れたが、天気もよく、順調な一日であった。もうすぐ桜が咲きそうである。
◆朝、疲れ果てて寝過ごす。学生には30分強待たせる(大失態)。
◆【墳頂班(岸本・濱道)】(1)昨日の続きで、墳頂南縁部のP15でもうすこしくだる。その位置から斜面下方に新規杭を打設。(2)西からの登り口のP7に立て、測れていなかった範囲を埋める。(3)新規杭に移し、標高65mくらいまでかなり下る。(4)P5に移り、さらに下方の測量にかかるが、ここで終了。
◆【南くびれ部(所・道上)】所さんがいるので安心して任せられる。(1)まずP3に立てて、前方部南側面を前方部頂近くまで測る。これで登り道の西側は完了。(2)そのあと、登り道をはさんで反対の東側にかかる。まず、P4に立て、標高60.5から下ろしていく。(3)その下のP2に移り、現在、継続中。
◆本日より新規の杭座標に切り替える。設定すると、ほぼ1から2ミリでばっちりくる。やはり気持ちがよい。図面としては、ほとんど影響はないが(一応、昨日までの範囲はくくってわかるようにしてある)。出だしが遅れたが、天気もよく、順調な一日であった。もうすぐ桜が咲きそうである。
松岳山で
◆で、測量していると、北側の石積みが上下に分かれていたりする。墳頂の方形壇が2段になっていると考えるのでなければ、北側は墳丘の崩落ではないだろうか。石積みが数段そのままの形でずっているような印象を受ける。そして、坪井さんの図があることからすると、崩落はかなり新しいのかもしれない。いずれにしても、現状をまずは把握すること、そして坪井氏のスケッチを突き合わせることだ。
◆登り口の道を歩いていると、パラパラ埴輪が落ちている。よくみると、タガ付きのかなり横に長い破片が顔を出している。引き揚げようとすると、これなかなか大きいものだった。楕円筒。もしかすると、据えた位置に近いのかもしれない。それと登り口を歩いていると、板石の石積みが露出している部分がある。柏原市の調査で検出された板石積みの葺石が部分的に露呈しているわけだ。みなさん、今度行かれたら、よく下を見てください。
◆墳頂、石棺に腰を下ろしていると、これも、上でのべたように掃除をして、3次元計測をしてもいいかな~といったことを考えていた。立石ともども、こんなものは松岳山にしかない!。それと立石、太陽光が斜めから指すと、加工痕がけっこう残っていることがわかる。
◆後円部の墳頂に近い登り口の土を見ていると、これは地山なんでしょうね。ほぼトップ近くまで旧地形の高まりがあったに違いない。墳頂南側の崖面を見ると赤い土。こっちは盛土だろう。
◆いずれも写真を撮っている余裕がないので画像はないが、明日は撮ってみるか。
松岳山4日目(3月30日)
◆岸本・濱道・高島・藤林(~17)
◆昨日のP3からの続き(南くびれ部)。新人用の練習をすこしやって、ここは濱道・藤林にまかせ、オレと高島は墳頂に行く。
南くびれ部は、本日、最終的に標高56mまであがる。ほぼP3の位置。明日もここでしばらくはやれる。
◆墳頂は、まずP8からの取りこぼしを測量。奈文研のマシン。次に墳頂各所に打った杭に移るが、機械点を入力しようとすると水準を落としていなかったので、3点の水準移動。その後、P14でこの用紙の隅まで測量。次に南側のP15に移動。標高70.5mまで降ろす。
◆藤林、所用で帰る。濱道にも手伝ってもらい、少しやるが、かなり見下ろしが苦しくなり、17時近くになりやや薄暗く、やる気がなえる。
◆墳頂を撤収し、P3を3人で18時過ぎまでやって終了。
◆終了後、大学。昨日の座標計算は、三角形の角度のひとつが違う!。150度なんたらという数字が出たが、図にすると180度に近い。これだ。オレもバカだね。tanで出す角度の2辺長の割り方を間違った。で、解決。きれいに回転した。墳頂のP9でXYともに12㎝ほど違う。100分の1でまあ1㎜だが。気持ち悪い。図上はたぶん、そのままつないで問題ないが、いちおう今日までの測量範囲を記録し、明日以降の部分と区別し、補正できるようにしておこう。
◆久しぶりの測量と、うちの新しいライカの中古が、ライカGPR1というターゲットが、ふつうはプリズム常数ー34㎜なのに0㎜に設定してあることが発端だが、頭が悪いので、オヤと思ったときのチェックに智恵が働かなかったのが敗因。で、時間的なロスもあったが、これでスッキリだ。バックサイトを測り込んで、いずれも数㎝違っていた気持ち悪さはこれでなくなる。奈文研ライカも、方位角設定に最初とまどったが、もう慣れた。
◆昨日のP3からの続き(南くびれ部)。新人用の練習をすこしやって、ここは濱道・藤林にまかせ、オレと高島は墳頂に行く。
◆墳頂は、まずP8からの取りこぼしを測量。奈文研のマシン。次に墳頂各所に打った杭に移るが、機械点を入力しようとすると水準を落としていなかったので、3点の水準移動。その後、P14でこの用紙の隅まで測量。次に南側のP15に移動。標高70.5mまで降ろす。
◆藤林、所用で帰る。濱道にも手伝ってもらい、少しやるが、かなり見下ろしが苦しくなり、17時近くになりやや薄暗く、やる気がなえる。
◆墳頂を撤収し、P3を3人で18時過ぎまでやって終了。
◆終了後、大学。昨日の座標計算は、三角形の角度のひとつが違う!。150度なんたらという数字が出たが、図にすると180度に近い。これだ。オレもバカだね。tanで出す角度の2辺長の割り方を間違った。で、解決。きれいに回転した。墳頂のP9でXYともに12㎝ほど違う。100分の1でまあ1㎜だが。気持ち悪い。図上はたぶん、そのままつないで問題ないが、いちおう今日までの測量範囲を記録し、明日以降の部分と区別し、補正できるようにしておこう。
◆久しぶりの測量と、うちの新しいライカの中古が、ライカGPR1というターゲットが、ふつうはプリズム常数ー34㎜なのに0㎜に設定してあることが発端だが、頭が悪いので、オヤと思ったときのチェックに智恵が働かなかったのが敗因。で、時間的なロスもあったが、これでスッキリだ。バックサイトを測り込んで、いずれも数㎝違っていた気持ち悪さはこれでなくなる。奈文研ライカも、方位角設定に最初とまどったが、もう慣れた。
松岳山3日目(3月29日)
◆岸本・照屋(~17)・道上
◆午前は2人。下から基準点測量をやり直す。順調のように見えたが、これ、結局ミス。確認測距では、ほぼ1~2
㎜でほぼ完璧だったのだが。これはおれの単純ミス。相互関係は問題ないが、最初の出だしでの失敗。数字がおかしいなとは思ったが、ばか。
◆午後から照屋参加。P1から参道沿いを測る。かなりの面積をかせいだ。
◆照屋が17時に帰ったあと、午前のせっかくの測量を活かすべく、座標換算できるよう、出だし部分を再確認し、最初の振り込みの正しい数値をえて、終了。
◆そのあと大学に行き、研究費残額の始末。倉庫から器財若干を取り出す。そのあと、今日午前のたぶん正しい相対的位置関係にある基準点を、正しい国土座標に換算しようとするも、うまくいかない。うんうん・・・。22時までやり未解決。ガストに行き、2時までやるもダメ、帰って4時くらいまでヤルもダメ。正しい基準点一覧を作り、機械にも正しい座標値を記憶させておこうと思っていたが、挫折。
◆午前は2人。下から基準点測量をやり直す。順調のように見えたが、これ、結局ミス。確認測距では、ほぼ1~2
◆午後から照屋参加。P1から参道沿いを測る。かなりの面積をかせいだ。
◆照屋が17時に帰ったあと、午前のせっかくの測量を活かすべく、座標換算できるよう、出だし部分を再確認し、最初の振り込みの正しい数値をえて、終了。
◆そのあと大学に行き、研究費残額の始末。倉庫から器財若干を取り出す。そのあと、今日午前のたぶん正しい相対的位置関係にある基準点を、正しい国土座標に換算しようとするも、うまくいかない。うんうん・・・。22時までやり未解決。ガストに行き、2時までやるもダメ、帰って4時くらいまでヤルもダメ。正しい基準点一覧を作り、機械にも正しい座標値を記憶させておこうと思っていたが、挫折。
松岳山2日目(3月28日)
◆岸本・濱道・道上(~17)・藤林(~15)
◆P8にトータルステーションをセット。墳頂部をまわす。東側が測りにくくなってからは、西側のみ降ろしてゆく。測
り残しはあるが、13:30にトータルステーションをP7に据え、道沿いにまず北側を測る。測れる範囲で66.5mまで降ろし、そのあと南側に転じる。墳頂部から降りてくる範囲と下部を測るが、中位の高さを埋めることなく18時に終了。
◆この間、奈文研のトータルステーションをP6に据え、前方部側に基準点を3点打つ。勝手がわからないが、まあボタンをさわっていると、なんとかなる。ただし、P7を後視点としてセットし、座標を測り込むと、東西で3㎝違う。なんで?。きっとプリズム常数かと思ったが、ライカGPR1は-34㎜で間違っていないはずだが、合わない。これで3点の座標をいちおう測り込んだが、怪しいので、今晩、再度、機械のチェックをしよう。3㎝違っても、なんとかなるだろうが、順々に基準点を打っていって、進みながら後視点をチェックしてきて、数㎜程度の誤差で済んでいるのに3㎝は大きい。
◆もうひとつ、墳頂から各方面に降ろしていくために、墳頂縁部に3本杭を打つ。P8の本体から、チビミラーで座標を出したが、やはりこれは明日、ミラーをちゃんと立てて測り直そう。
◆本日の面積は、A2で13枚分(100分の1)の測る範囲中、1枚分の1/7か。1/91か・・・。先は長い!
◆P8にトータルステーションをセット。墳頂部をまわす。東側が測りにくくなってからは、西側のみ降ろしてゆく。測
◆この間、奈文研のトータルステーションをP6に据え、前方部側に基準点を3点打つ。勝手がわからないが、まあボタンをさわっていると、なんとかなる。ただし、P7を後視点としてセットし、座標を測り込むと、東西で3㎝違う。なんで?。きっとプリズム常数かと思ったが、ライカGPR1は-34㎜で間違っていないはずだが、合わない。これで3点の座標をいちおう測り込んだが、怪しいので、今晩、再度、機械のチェックをしよう。3㎝違っても、なんとかなるだろうが、順々に基準点を打っていって、進みながら後視点をチェックしてきて、数㎜程度の誤差で済んでいるのに3㎝は大きい。
◆もうひとつ、墳頂から各方面に降ろしていくために、墳頂縁部に3本杭を打つ。P8の本体から、チビミラーで座標を出したが、やはりこれは明日、ミラーをちゃんと立てて測り直そう。
◆本日の面積は、A2で13枚分(100分の1)の測る範囲中、1枚分の1/7か。1/91か・・・。先は長い!
なんやかや
◆24日は、朝、松岳山の地権者1人の同意取り。OK。
◆それから奈文研へ行き、測量器財を借用し、それから石切劔箭神社で鏡11面の撮影。
◆そのあとは卒業式のパーティー。終電まで呑む。
◆25日は、大阪市立大学と大阪市博物館協会との包括提携調印式に代理で出席。そのあと、関空へ娘の迎えに行く。この間、息子は中期日程で合格した大阪府立大学に行くか浪人するか
で悩み、浪人を選択。まあ、もう1年、頑張れ。浪人も悪くない。
◆家に娘を送り届けた後、大学にとって返し、岸和田の歴史講座の準備。資料作りはおおむね最後まで行くが未完。パワポは前のを流用するつもりだが手つかず。家に帰って資料を完成させたが息切れで寝る。
◆26日、630に家を出て、大学に7時過ぎに入り、資料の印刷100部。9時に久米田なので、電車の中でパワポをいじり、到着してからも、開始10時までいじり、なんとか・・・。10時から1時間シャベリ、1時間現地。昼を食べて、14時から繰り返し、16時過ぎに終了。大学に着いたのは18時前か。
◆それから松岳山の測量器財の積み込み。基準点測量の座標が出たので、地図上で座標を切り、紙割りを決め、明日の測量予定箇所の1枚を画板に貼り込む。
◆毎度、測量の前日はへとへとだが、今回は、準備がぜんぜんだし、泊まりがけ体制がとれないので、まったく外には声をかけていない。対象がでかいのに、我が社の学生はごく少数。なので気楽ではあるが、なかなか終わらないだろう。苦しむに違いない。まあ、苦労して自力でやるのもよかろう。敵は春、つまり生えてくる葉っぱである。それでなくとも、けっこう常緑樹が多い。研究費で伐採をかけることもできたのだが、話を整えるのがぎりぎりだし、まあしゃーない。明日から、歩みはトロイと思うが、速報をお届けしたい。
◆それから奈文研へ行き、測量器財を借用し、それから石切劔箭神社で鏡11面の撮影。
◆そのあとは卒業式のパーティー。終電まで呑む。
◆25日は、大阪市立大学と大阪市博物館協会との包括提携調印式に代理で出席。そのあと、関空へ娘の迎えに行く。この間、息子は中期日程で合格した大阪府立大学に行くか浪人するか
◆家に娘を送り届けた後、大学にとって返し、岸和田の歴史講座の準備。資料作りはおおむね最後まで行くが未完。パワポは前のを流用するつもりだが手つかず。家に帰って資料を完成させたが息切れで寝る。
◆26日、630に家を出て、大学に7時過ぎに入り、資料の印刷100部。9時に久米田なので、電車の中でパワポをいじり、到着してからも、開始10時までいじり、なんとか・・・。10時から1時間シャベリ、1時間現地。昼を食べて、14時から繰り返し、16時過ぎに終了。大学に着いたのは18時前か。
◆それから松岳山の測量器財の積み込み。基準点測量の座標が出たので、地図上で座標を切り、紙割りを決め、明日の測量予定箇所の1枚を画板に貼り込む。
◆毎度、測量の前日はへとへとだが、今回は、準備がぜんぜんだし、泊まりがけ体制がとれないので、まったく外には声をかけていない。対象がでかいのに、我が社の学生はごく少数。なので気楽ではあるが、なかなか終わらないだろう。苦しむに違いない。まあ、苦労して自力でやるのもよかろう。敵は春、つまり生えてくる葉っぱである。それでなくとも、けっこう常緑樹が多い。研究費で伐採をかけることもできたのだが、話を整えるのがぎりぎりだし、まあしゃーない。明日から、歩みはトロイと思うが、速報をお届けしたい。
2011年03月20日、よみうりシンポ
◆大阪駅から歩き、会場の読売大阪ビルにたどりつく。着いてから、パワポがまだできていないので、しばらく
作成。もっとも既存のものの圧縮。
◆13時開始、1番バッターで約35分、5分オーバーしたが無事終了。圧縮が十分でなかったので、駆け足。だが、飛ばすところは飛ばしてポイントは押さえたと思う。和田アツム先生の梁書の話はおもしろかった。石野先生の、丸太垣ではない、鏡は破砕だ、というのは十分受け止める必要はある。棺形態が割竹形でない、というのも重要。シンポでは、意見の違いはあれ、石野先生の意見を尊重するよう心がけた。
◆わたしの主張は、弥生の研究における後期の畿内ブロック、魏志倭人伝の邪馬台国、古墳から考えられてきたヤマト政権は、みなつがなるものだという、あたりまえの話。ヤマト国は3世紀にできたわけではない、1世紀である。ヤマト政権は邪馬台国をどう引き継いだか、という設定自体に違和感があったが、まあ結論はそういうこと。
◆終了後、石野先生と鶴橋のミンミンで餃子を食べながら呑む。こんな機会はめったにないから。石野さんは大阪市大の福井市糞置庄の発掘に参加していることを知る。
◆帰って、カミさんに「まあまあうまくいったよ」というと、「いま躁やからな」とひとこと。確かに・・・。いまメールを見たら、聞いていた人から、お褒めのメールを受けとった。ありがたい話である。さて、次は26日に岸和田で摩湯山の話、こっちは準備ゼロだが、なんとか・・・。
◆13時開始、1番バッターで約35分、5分オーバーしたが無事終了。圧縮が十分でなかったので、駆け足。だが、飛ばすところは飛ばしてポイントは押さえたと思う。和田アツム先生の梁書の話はおもしろかった。石野先生の、丸太垣ではない、鏡は破砕だ、というのは十分受け止める必要はある。棺形態が割竹形でない、というのも重要。シンポでは、意見の違いはあれ、石野先生の意見を尊重するよう心がけた。
◆わたしの主張は、弥生の研究における後期の畿内ブロック、魏志倭人伝の邪馬台国、古墳から考えられてきたヤマト政権は、みなつがなるものだという、あたりまえの話。ヤマト国は3世紀にできたわけではない、1世紀である。ヤマト政権は邪馬台国をどう引き継いだか、という設定自体に違和感があったが、まあ結論はそういうこと。
◆終了後、石野先生と鶴橋のミンミンで餃子を食べながら呑む。こんな機会はめったにないから。石野さんは大阪市大の福井市糞置庄の発掘に参加していることを知る。
◆帰って、カミさんに「まあまあうまくいったよ」というと、「いま躁やからな」とひとこと。確かに・・・。いまメールを見たら、聞いていた人から、お褒めのメールを受けとった。ありがたい話である。さて、次は26日に岸和田で摩湯山の話、こっちは準備ゼロだが、なんとか・・・。
頭がすっきり
◆そのあと地権者をまわる。不在その他もあった。また明日、続きを・・・。
◆次に、4月17日の大歴検討会の会場である松原市商工会議所会館に行くが、改装中で事務が締まっていて、会場費の支払いはできなかった。
◆最後、天王寺にまわり、松岳山の地権者で、大阪市阿倍野区の方が1人いて、そこに挨拶に行き了解をもらってから大学に行く。
◆で、杉本町で散髪をしたわけだ(あした、シンポジウムもあるし・・・)。さてと、今日の松岳山のことを整理した上で、明日の準備にかかるとしよう。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。