人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
膳所茶臼山
◆宝来山型ではないか。重ねてみると、けっこういけそう。
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2025年5月11日(日)伊勢伊賀見学会
◆松坂駅10時集合。宝塚古墳群のはにわ館。そのあと現地。亀山市能褒野王塚、亀山市博。御墓山古墳、石山古墳。以上。JR高井田18:30帰着。石山古墳は勉強になった。
猪苗代湖
◆帰りの新幹線の時間を気にしながら、若松ICから高速でなく、猪苗代湖をめざす。見ました。で、車の渋滞もあり、猪苗代ICから磐越道に乗り、17時前に郡山着。新大阪21:29帰着。
鶴ヶ城
◆これまたGWで、お城まつりが行われ、臨時駐車場が車だらけ。結局、県博に車を止めて、二ノ丸側から入る。大手は北の出丸のようである。いきなりけっこうな石垣。20mはあるだろうか。そして裾部の反りがあまりなく直立気味で、なかなかの高石垣である。
◆天守閣は2年前にリニューアルしたとのこと。最上階の展望台は人だかりで、1周するのをあきらめる。前日見た県博のプロジェクションマッピングがわかりやすかった。東側の谷筋からの扇状地に立地し、外堀?に囲まれた家臣屋敷で固められた一画は、東西にやや長い菱形で、これがほぼ東西。プロジェクションマッピングでは、地形と城の築城、城下町の構造がまず1話。続いて戊辰戦争時の官軍との戦闘の経過を示すものが第2話となっている。
◆殿さまは入れ替わるが、近世城郭を最初に作ったのは、蒲生氏郷という。奥州仕置で、秀吉は会津には入っていないようだ。
◆天守閣は2年前にリニューアルしたとのこと。最上階の展望台は人だかりで、1周するのをあきらめる。前日見た県博のプロジェクションマッピングがわかりやすかった。東側の谷筋からの扇状地に立地し、外堀?に囲まれた家臣屋敷で固められた一画は、東西にやや長い菱形で、これがほぼ東西。プロジェクションマッピングでは、地形と城の築城、城下町の構造がまず1話。続いて戊辰戦争時の官軍との戦闘の経過を示すものが第2話となっている。
◆殿さまは入れ替わるが、近世城郭を最初に作ったのは、蒲生氏郷という。奥州仕置で、秀吉は会津には入っていないようだ。
さざえ堂
◆白虎隊の墓地にみなさん行くんですね。さざえ堂との相乗効果も大きい。脚に自信のない人用にエスカレータもある(250円)。沿道にはお土産物屋、そして粟饅頭屋。資料館もあってのぞいてもいいのだが、やめた。さざえ堂。もしかすると37年前に来ているのかもしれないが、記憶がはっきりしない。
◆一応、その上の白虎隊墓地のある平場にも足をのばし、帰りに粟饅頭を買う。
◆一応、その上の白虎隊墓地のある平場にも足をのばし、帰りに粟饅頭を買う。
会津大塚山古墳
◆帰りは、いまは全通せず無料の有料道路で若松へ。まずは大塚山古墳。測量調査が1988年なので、37年ぶりということか。霊園になっており、小高い丘の、古墳のある頂上付近まで車でたどりつける。会津盆地を見下ろせる丘陵の西側に古墳があって、東側斜面は墓地。なので、東側の側面から古墳に上がることになる。鞍部に上がり、後円部へ。そこから前方部へ再び降り、前方部西側面を前面側へ。いまは2段風の上の斜面の途中にもテラス面らしきものを認めることができる。これ、測量図には表せていませんね。3段になるかも、しめしめと。
◆前方部前面をまわって帰る。測量をした時は、かなり伐採もしたのでしょうか、スケスケだった。その写真も今確認できたが、画像はまたのちほど。
◆前方部前面をまわって帰る。測量をした時は、かなり伐採もしたのでしょうか、スケスケだった。その写真も今確認できたが、画像はまたのちほど。
喜多方
◆そこから地道を(若松からの自動車専用道路もできている)、会津坂下経由で喜多方へ。亀ケ森古墳には立ち寄るべきだったかもしれないが、寄らず。
◆で、喜多方。こっちは蔵が有名なんだとか。男は40歳までに蔵を立てて一人前なんだとか。でデンケンになっているのは南町の通り。そこをカーナビに入れて到達したのだが、観光駐車場が整備されていない。うろうろして市役所通りにある観光案内所のある駐車場に入れる。マップをもらうと蔵が残るポイントが落としてあり、東側の「ふれあい通り」(中心街)というところにたくさんの蔵マークがある。そっちに足をのばす。
◆びっくりするのはラーメン屋にならぶ客の列。おそるべきことです。この日は歩行者天国になっていて、屋台がいっぱい出て、イベントも行われている。そこをぶらぶらしながら、ふと入った店のおばちゃんと話をして、進められた近くのラーメン屋に入る。太いちじれ麺の中華そばである。にぎわっており、こっちも蔵の多い昭和を感じさせる街並みだが、デンケンにはなっていない。まあ、ラーメンですわ。
◆最初に通った南町がデンケンであることを確認し、再びそちらへ。酒蔵があり、その隣の酒屋に入っておばちゃんと話をする。試飲となり、四合瓶を一本購入。こっちも大きな通りとなって車が走り、デンケンとはなっているが、雰囲気はあまり感じられない。観光客の多くは「ふれあい通り」界隈のラーメン屋が目的で、町あるきではなさそうだ。
◆で、喜多方。こっちは蔵が有名なんだとか。男は40歳までに蔵を立てて一人前なんだとか。でデンケンになっているのは南町の通り。そこをカーナビに入れて到達したのだが、観光駐車場が整備されていない。うろうろして市役所通りにある観光案内所のある駐車場に入れる。マップをもらうと蔵が残るポイントが落としてあり、東側の「ふれあい通り」(中心街)というところにたくさんの蔵マークがある。そっちに足をのばす。
◆びっくりするのはラーメン屋にならぶ客の列。おそるべきことです。この日は歩行者天国になっていて、屋台がいっぱい出て、イベントも行われている。そこをぶらぶらしながら、ふと入った店のおばちゃんと話をして、進められた近くのラーメン屋に入る。太いちじれ麺の中華そばである。にぎわっており、こっちも蔵の多い昭和を感じさせる街並みだが、デンケンにはなっていない。まあ、ラーメンですわ。
◆最初に通った南町がデンケンであることを確認し、再びそちらへ。酒蔵があり、その隣の酒屋に入っておばちゃんと話をする。試飲となり、四合瓶を一本購入。こっちも大きな通りとなって車が走り、デンケンとはなっているが、雰囲気はあまり感じられない。観光客の多くは「ふれあい通り」界隈のラーメン屋が目的で、町あるきではなさそうだ。
衝撃の大内宿
◆前日の飲み屋で、5日の行き先をいろいろと考える。若松のまち歩きもいいのだが、大内宿とキタガタのデンケン2か所をまわることにする。朝、7:30には宿を出て、大内宿に向かう。
◆びっくりです。8:30前なのだが、既に第1・第2駐車場はいっぱい。人がわんさか押し寄せている。ここは完全に観光地となり、住んでいる人は街道沿いの表は、むろんデンケンなので古い民家を維持しつつ、背後に住居を構え、ほぼみなさん、土産物や飲食の店を経営している。おばちゃんと話をすると、昨日は駐車場に入るのに3時間待ちだったとか。今日はそれよりマシなんだと。ネギで食べる蕎麦が有名なんですね。それを食べる。いくつもやっているようだが、入り口近くの店では、7:30から受け付けて9:30から営業なんだとか。
◆昔は下野へ抜ける街道だったが、明治以降、隣の谷筋が国道となり、さびれることで古い民家が残ることになったのだという。この旧街道は、のちには大内ダムができて、谷筋が長く水没している。大内宿こぶしロードというのが整備されているのだが、隣の国道から入って行き、帰りにこの道を通った。宿全体はやや傾斜し、入り口から上りの緩やかな斜面になっており、両側に水路が通る。そしてつきあたりの丘陵に神社があるのだが、この斜面が撮影スポットとなっている。
◆公開されているのは1戸。2階もふくめて見てまわる。
◆いろんなお店をのぞきながら、街道沿いを歩く楽しみ方である。最後は、少し山にあがって全景写真を撮って、また来た道を入口となっている駐車場まで歩いて帰る。
◆びっくりです。8:30前なのだが、既に第1・第2駐車場はいっぱい。人がわんさか押し寄せている。ここは完全に観光地となり、住んでいる人は街道沿いの表は、むろんデンケンなので古い民家を維持しつつ、背後に住居を構え、ほぼみなさん、土産物や飲食の店を経営している。おばちゃんと話をすると、昨日は駐車場に入るのに3時間待ちだったとか。今日はそれよりマシなんだと。ネギで食べる蕎麦が有名なんですね。それを食べる。いくつもやっているようだが、入り口近くの店では、7:30から受け付けて9:30から営業なんだとか。
◆昔は下野へ抜ける街道だったが、明治以降、隣の谷筋が国道となり、さびれることで古い民家が残ることになったのだという。この旧街道は、のちには大内ダムができて、谷筋が長く水没している。大内宿こぶしロードというのが整備されているのだが、隣の国道から入って行き、帰りにこの道を通った。宿全体はやや傾斜し、入り口から上りの緩やかな斜面になっており、両側に水路が通る。そしてつきあたりの丘陵に神社があるのだが、この斜面が撮影スポットとなっている。
◆公開されているのは1戸。2階もふくめて見てまわる。
◆いろんなお店をのぞきながら、街道沿いを歩く楽しみ方である。最後は、少し山にあがって全景写真を撮って、また来た道を入口となっている駐車場まで歩いて帰る。
5月4日は県博だけ
◆そのあと鶴ヶ城を思っていたが、県博の見ごたえが大きく、16:30くらいまでになったので、城はまた明日。会津若松のホテルに入り、食事にでかける。「かたもり」君に入り、おいしいものをいただきました。全体に早めで、部屋でバタンと寝る。
2025年5月4日 福島県立博物館
◆14時過ぎには山を下りた。そこで解散。うちの院生、奈良大の参加者は、今日、近畿に出発するという。われわれは県博に。
◆調べると、福島県立博物館は1986年に開館したという。会津大塚山古墳の測量調査が1988年。できたばっかりに近かったんですね。37年ぶりということか。測量調査期間中に、一度、県博に行ったと記憶する。鶴ヶ城には行っていない。
◆県博は立派ですね。すべて平屋。考古展示もけっこうな面積がある。古代は関和久遺跡など、盛りだくさん。なんで会津大塚山の資料がないんだろうと思ったら、別室があり、一室が会津大塚山古墳の展示空間でした。
◆会津大塚山は行燈山型とみているが、まあこうした研究はあまり伝わってはいない。1988年の測量で、図面は詳細になったが、史跡指定範囲は前のままの不十分な範囲でず~と推移している。
◆調べると、福島県立博物館は1986年に開館したという。会津大塚山古墳の測量調査が1988年。できたばっかりに近かったんですね。37年ぶりということか。測量調査期間中に、一度、県博に行ったと記憶する。鶴ヶ城には行っていない。
◆県博は立派ですね。すべて平屋。考古展示もけっこうな面積がある。古代は関和久遺跡など、盛りだくさん。なんで会津大塚山の資料がないんだろうと思ったら、別室があり、一室が会津大塚山古墳の展示空間でした。
◆会津大塚山は行燈山型とみているが、まあこうした研究はあまり伝わってはいない。1988年の測量で、図面は詳細になったが、史跡指定範囲は前のままの不十分な範囲でず~と推移している。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。