人を幸せにする人になろう

廉塾・菅茶山旧宅

◆車を止めて町あるきをしようとしていると、おじさんが来て 案内しましょうかと。案内用のA4資料で丁寧に案内いただく。そのあと、ここと本陣の冊子もいただく。
◆こては特別史跡なんです。大正の史跡名勝天然記念物法で史跡、戦後の文化財保護法で特別史跡となる。近世の私塾、講義をする塾の建物が、塾生の寮とともに残り、また私塾を開いた人物の旧宅も残るのは、全国でここしかないのだとか、だったかな。旧宅というのは、元の家が焼け塾の隣に住居を移したもののこと。この建物は現在も子孫が暮らしておられる(これも特別史跡ということか)。
◆一見すると、建物が建造物として重要文化財になっているようなものの方が規模も大きく、こじんまりとしたものなのだが、そこは史跡という価値付けはまた異なることがよくわかる。修理事業でわかったことも説明いただいた。塗り直した壁をはがすと、当初は赤壁であったことがわかったという。案内いただいた方は、韓国の書院の赤壁を参考にしたのではと考えているとのこと。
◆訪れて案内していただく方と出会い、やりとりする、そういう醍醐味を感じることができた。

神辺

◆そのあと、車のことでオートバックスに。終了後、竹原はもう無理なので、福山築城前の中心である神辺に行くことにする。神辺城には登らなかった。
◆近世には山陽道の宿駅として栄えた神辺のまちあるき。デンケンではないが、けっこう町屋が残り、本陣も残る。本陣が残るのは全国的にも片手か両手くらいしか残っていないはず(豊橋市二川宿本陣で学んだ知識)。
◆山陽道はいくつか屈曲し、それに沿って町場があるが、東側の方が残っているように思う。観光駐車場がよく整備されておらず、うろうろするも、廉塾・菅茶山旧宅のところに駐車場ありとなっていて、ここかな~という空き地に止める。いま修理事業がなされていて、その工事現場というところである。

阿部正弘

◆福山藩10万石は、水野家5代で無嗣改易となるが、再興され、能登西谷藩1万石、さらに下総結城藩1万8000石で廃藩置県まで続いたそうだ。
◆その後、松平1代を経て、宇都宮から阿部氏が入封。福山城博物館で取り上げる人物として、水野勝成とは別に、ペリー来航時の老中首座、阿部正弘の話がもうひとつある。
◆諸外国との対応を考える上で、幕閣だけでなく、徳川斉昭や島津斉彬などの雄藩の藩主ほか、勝海舟などの人材登用や、長崎海軍伝習所の創設など、安政の改革を行なった人物として紹介されている。満37歳で死去。
◆残念なのは、リニューアルした最新の展示をまとめた図録がないことである。

福山城博物館

◆天守の博物館。数年前にリニューアルしたとのこと。丹青社だ。最新の展示はとてもいいですね。各階に動画もあり、学べる。
◆水野勝成という家康のいとこが初代藩主。鬼日向といわれたらしい(明智光秀が日向守で、嫌われた官職だが、勝成は喜んで受けたとのこと)。この男が破天荒で、父親に勘当され放浪、15年後に家康のとりなしで復帰し、刈谷城主。そして、おそらく秀長のあとの大和郡山城主となり、そのあと福山に転封。そもそも福山は新たに名付けた新地名とのことだ。
◆立派な城郭と城下町を3か年で作り上げたという。いま福山市は人口46万人、その基礎を水野勝成が作ったわけだ。イグサや木綿の特産品の創設、近世最初の藩札の発行、5番目の上水道整備などの説明がある。

大手

◆後ろから入ったので、福山駅側に出て大手を撮影する。この門と、左側の伏見櫓は空襲による焼失を免れたわけだ。

伏見櫓

◆本丸西南に重文の伏見櫓(三重)がある。これ、伏見城松ノ丸にあったものである。1ヶ月前くらいに、いま修理事業をやっている会社からコンタクトがあり、伏見城立入調査報告書の図を使わせてほしいとの連絡があり、やりとりをした。報告書を書いていた段階では福山城に行ったことがなく、ネットで拾った平面図・立面図を使い、現地との対比を行なった。
◆徳川伏見城の建物はいまいくつ残っているのだろうか。廃城の時に何をどこに移したのかは、ある程度わかっていたように思うが、現存するのは少ないのだろう。
◆福山城には、伏見櫓以外にも月見櫓(明治に解体)、御殿の一部も伏見城からの移築であったことを知る。
◆明治のはじめに多くの櫓は解体されたが、天守も残されていた。が、8月8日だったか、の空襲で焼失。そのなかで大手の門と伏見櫓と、もう1棟のみが焼けずに残った。1945年3月に降伏してくれていれば、多くの人名も、そして多くの文化財も残ったのだが。

2026年3月7日(日)福山・神辺

◆いつものように、出勤すべく、関学三田キャンパスに向かう中国道で、この日はさぼり、でかけることが決まる。デンケンの竹原に行くことにする。
◆しかし吉備SAであることが生じ、福山に行くことに変更する。広島県立歴史博物館は何度か訪れたが、福山城にはこれまで行ってなかった。城跡公園の西側に駐車場がある。搦め手なんでしょうね。そこから本丸に上がる。
◆広い。ここには20を超える櫓が建っていたという。搦め手口から見た復元天守。

2026年3月7日(土)豊臣大坂城シンポ

◆この日は3つど行事がかぶっている。そのなかで森ノ宮キャンパス3階の講堂で開催される博学連携の豊臣大坂城シンポに出る。来年からはわたしが大学側の責任者だって。5月に講演会をやろうとしており、会場を見ておきたかったこともある。
◆4人が40分ずつしゃべり、最後は40分のシンポ。ちょうどいいですね。

2026年3月5日(木)形象埴輪入れ替え

◆箱17・22・23・24・25・30・33・34・35・36・37・38・39・40・41・42・44、17箱返却。
◆新たに、50~61の12箱を搬入した。

気持ちの張りが弛緩

◆2026年2月28日(土)、採点続き。
◆2026年3月1日(日)。あることだけはやろうと思っていたが、1日出勤せず家でダラダラと過ごす。別にさぼったわけでなく休日で休んだわけだが、それとは別の理由もあって、気持ちの張りがなくなる。
◆2026年3月2日(月)は、普通に出勤して仕事をする。11時に久津川報告書打ち合わせ。14時から科目等履修生の面談。15時以降、Yさんからレボポイントのデータを受け取る。試験の採点も終わって3月に入り稼ぎ時なのだが、上記のようなことをこなしつつ、多聞城のメモを作りながら終始する。流している感じで、バリバリ感がない。いやそんなバリバリはもはやないのであるが、やることを粛々とこなす精神力が緩んでしまった。今日は3日(火)なのだが、日・月のサボリで溜まったメールの処理がまた気が重い。なんとか再び、粛々感を取り戻そう。
◆今日はめいいっぱい仕事をした充実感は得られた。が、やってもやっても終わりませんわ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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