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人を幸せにする人になろう

久津川車塚2017年8月28日(月)最高気温31度 第5週突入

◆参加者。城陽市担当者、工藤さん、自分、長友さん、阿部(市大M2)、大澤(市大M1)、園原(立命M1)、泉(奈良大4)、合田・松井(市大3)、前田・三谷(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)。
◆朝、後円部上段西トレンチ設定のための伐採木竹の除去。作業は17-2トレンチ。一部、17-1トレンチの木製品の清掃など。
◆17-3トレンチは、後円部直交方向を南辺とし北へ幅1.5m。長さはなんとかに設定。木で見えないポイントもあったが、計画通り4ポイントを打つ(X300~X301.5、Y166.7~Y169.3)。テラス面方向(西側)はもう少し短くする方がよいかも。→今年度掘りたいが・・・。
◆17-1トレンチ。木製品(?)類の清掃→写真撮影→標定点を打ってフォトスキャン用撮影→縮尺 1/2で実測(前田、一応完了)。取り上げようのアルミの板を5枚購入。
◆17-2トレンチ。埴輪掘形の段下げ継続。埴輪内部やまわりをすっきりさせる作業。埴輪設置後、第1突帯あたりまで土を入れているらしい。くびれから2本目が径32㎝と大型品。
◆テラス面南側のテラス面出しはほぼ完了。
◆葺石は、下から石出し、攪乱の掘り上げ、一方で斜面上方での掘削を継続。前にこの土でいいのでは言っていた調査区上部の黄色土は、大穴の排土であることが判明(当たり前ですが・・・)。その 下から旧表土が出てきて、ようやく上半部は本来の掘削に入った。下から掘り上げてきて、生きているかどうかはともかく、葺石材が調査区のかなり上方まで頭を出すに至っている。確かにあちこち攪乱で穴が開いているが、全体に残りが悪いとの判断は誤りで、これからということになる。家形埴輪の屋根が出土。
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褐色層

◆渡土堤の地山と盛土の間にある褐色層は、これ鉄分が吸着したものだろう。

17-1トレを墳丘に落としました

◆明日は17-2を落とし込みか。

PDFでも3Dが見れるが

◆フォトスキャンで作った3DモデルをPDFに出力できるので(高精度にすると重く動きが鈍くなる が)、みなさんにも見ていただけます。が、それでも50メガある。
◆3Dというのは、現地で見ているように遺構を把握する、見直す、検討することができる、というものですね。われわれ普段は図面と写真から頭で再構成しているわけだが、決定的な限界がある。しかし一定精度の3Dモデルなら、特定視角からの図面や写真の限界をはるかに超えて、遺構を理解することができる。で、オルソ画像というのは、それを用いたひとつの出力に過ぎない。

やっとこさ17-1トレ全体図を調整

◆なんとなくフォトスキャンというソフトがわかってきた。まだまだですけど。どうやっていいの  かわからない→どこをどういじればどうなる、というふうに。オルソの出し方も理解した。
◆で出力したものを下図に調整するのも一苦労。日曜日の17時近くまでかかっちまった。
◆上は調査区全体図20分の1用。とはいえ、これはもう図を書くことは必要なく、この画像からトレースすればいいわけです。層位図はこれをもとに図を描く必要がある。こないだも古墳を掘るときに局地座標がいるかどうかという議論をしたが、どうするかの方針は決まった。使うが表に出さない。調査の進行上、有効だと。たとえば、調査区設定からして、ちゃんと古墳に即して入れるべきです。で層位図もそう、ちゃんとグリッドがあれば平面図との対応は簡単。だが、斜めになると、平面との対応が取りにくい。今回、下の図のオルソで層位図を描くかなと。つまりは投影図。ほんとの壁面の長さではなく。ま、それでも問題ないかなと。
◆いずれにしても、壁面を意識してフォトスキャン用の写真を撮っておくことが大事と認識。やはり遺構を意識した写真では壁面はぶれがある。壁を削って新鮮で色が鮮やかで、かつほぼ掘り上がった段階で、それ用の標定点を打って壁面のオルソを作っておく。そうして、基本的層位の検討を行う。壁って(O先生はちゃんと最初にやるが)、最後の図面段階でやろうとすると、だいぶくたびれている。早めがいいわけだが、図面を描こうとすると、いろいろと手間がかかる。あるいは壁の写真を記録として撮るが、結局はパーツパーツで、見直しにくく、結局は使えない。しかしフォトスキャンがあれば、意識して鮮明な写真を撮り、簡単につないでくれ、かつ座標をもつ、正確で鮮明な画像データをえることができる。ええかげんな層位図より、よほど記録として有用だろう。
◆さて、これから葺石だ。昨日1日かかって合成したが、オルソ出力しようとするとヘンになり、原因不明。泣く泣く、写真をセレクトして、最初からやりなおしております。いらんところを切るというのを覚えた。それでも平気で4時間とかかかっている・・・。
◆おかげで、カミさんの弟の甥っ子たちが帰ってきているのだが、遊んでやることができなかった。ゲームばっかりしていたそうだが。子供がどんどんダメになっていきますね。

渡土堤

◆仲津山を示します。女狭穂塚にも同じ位置にあり、宮内庁の陵墓図ではわりと現れている、とのことでした。仲津山の前方部も、両側にあるいは想定できるかもしれません。同じように空堀状態の市野山についても、後円部直交方向に高まりがあるようにも見えます。昼飯大塚は五社神型だが、前方部の北側について探査で想定されており、反対側の南側も同じように見えないことはない。そして池田。
◆渡土堤については、まだまだわからないことだらけですね。池田の姿を見ていると、佐紀陵山もあり、前方部両側にああいうものを取り付ける、というのがひとつあった、と想定しうる。久津川でも東側で探索してみる必要がありそうだ。一方の後円部については、前期の陵墓や、矢道長塚や、その存在が知られていたが、中期前半段階における仲津山と車塚の姿を見ていると、一方の側に、やや斜めに取り付けるという定式があったのかもしれません。

なかなかうまくはいかないが目処を

◆この数日来、フォトスキャンがうまくいかず悩んでおります。こういうことからほんとは解放されたい。分業したいわけです。が、まずもって自分として技術を確立したい。14日の撮影画像はなかなかよく撮れていて、もう3D化はしたが、北への拡張、礫面の精査が入り、変わってきたので、写真撮影に続き、改めてフォトスキャン用の写真を撮ったが、これがうまくいかなかった。
◆目的にそって、調査区全域と葺石を分けて撮影しており(これ自身、そうでない方がいいのかもしれません。経験値でやってます)、できるだけ写真の枚数を減らそうとしたわけだが、不足してしまった。これもまた経験。1回目の撮影が適正くらいと思い知る。現場は全体撮影くらいでないとシートを全開していないので、昨日、葺石用の分として一部シートをめくり追加撮影をした。数が多ければいいというわけでまったくないが、十分な枚数を撮れる機会にしておくべきと学ぶ。前回の感覚が適当で、2回目ははしょりすぎ・・・。
◆ということで実測にもっていかないといけないので、この土日でなんとか目処をと思って、いま作業しています。全景用の画像の不足は、変化のない前回分の画像も使ってやり直している。それと葺石用は、昨日の追加写真と、こないだの撮影の時に、フォトスキャン用でなく報告書用として撮った地上写真も選択して加えて、いま2台でやっております。うまくいきますかどうか。

久津川車塚2017年8月25日(金)最高気温35度

◆参加者。城陽市担当者、工藤さん、自分、大澤(立命M1)、山本(立命3)、置本・佐藤・中野・宮下・山口・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)。
◆17-2トレンチ。朝、再拡張。上にのばしたトレンチを、テラス面の調にあわせ、斜面途中 のところまで、南に広げる。
◆(1)上段斜面上半部。いちばん上は、黄褐色の盛土らしい面が表土直下で出ているが、竹の根攪乱などが入り、そこから下は汚い土を除去できておらず、上から削っていくが、なお竹の根に阻まれるなどして、全面掘り上がりというところに全然いっていない。
◆(2)上段斜面下半部。前年度調査区のすぐ上のところで、葺石材が累々と頭を出してきた。ほとんど残っていないのではと予想されたが、これで格好がつきそう(むろん最終的な生きた葺石として残るのがどれくらいかはまだ不明)。拡張部の下半分くらいまでは上がってきそう。そして列石を確認した。昨年 の調査区で検出した裾部の葺石は、今回さらに精査して取れるものは取り石が少なくなったこともあり、くびれ部谷線の列石を4~5段読み取ることができた。その上は途切れているが、続きが上に伸びてきてた。それを境に、後円部側・前方部側として理解できるような形で葺石が出てきつつある。
◆(3)テラス面の礫はやはり南半部はまばらで、その分、礫を敷いたテラス面まで下げる必要があり、だいぶそういう姿になってきたので、そろそろ仕上がりである。もっとも、北半分の礫面も浮いているものなど、面としての最終仕上げも必要。
◆(4)埴輪。南半分が礫が飛んでいるように、前方部側の埴輪もやや低く検
出されているが、すべてや や下位で残存を確認した。そして据え付け掘形を検討し、段下げ表現を開始する。後円部側(北側)は礫のない外側を下げ、前方部側(南側)は内側も礫がないので、溝両側とも下げて表現する。
◆以上のように、17-2(西くびれ部上段)トレンチも、およそ目処がついてきた。なお仕上げには時間がかかるので、じっくり掘り上げたい。そして、残り時間のなかで、もう1箇所の小規模トレンチを入れるかどうか考えていきたい。
◆学生らはこの日、全員、源氏に直行する。

久津川車塚2017年8月24日(木)最高気温34度

◆参加者。城陽市担当者、工藤さん+1、自分、園原(立命M1)、佐藤・林田・宮下・山口・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)。
◆シートを全開し、写真撮影のための全面清掃。10:30目途。濠底はぬたくった状態でやむなしと思っていたが、中谷がきれいに仕上げてくれた。陸橋上面もきれいになった。盛土の境に釘で線を入れておく。
◆11:00過ぎからヤグラを立てての撮影、12:30頃までか。雲なし。なかなか厳しいコントラスト。
◆午後、フォトスキャン用の標定点の測量後、こちら側で地上撮影。次で、フォトスキャン用の全景撮影と、フォトスキャン画像での実測のための葺石部分の写真撮影。前回分の3次元化もできているが、今回ので再度やり直します。
◆また2度手間となったことを反省。これ業者によるレーザー計測の日程の関係もないわけではない。どこで掘り上げとするか、こうした外部的要素とは関係なく、疑義のある場合は、一息置きつつ、納得いくところまでやるべきですね。なお、昨年は立面図の下図はレーザーによる点群データによる陰影図を使い、フォトスキャンの実践は平面にとどまり、試行的な段階であった。今回は、実測下図をぜんぶフォトスキャンでこちらでやるところまでいきたい。フォトスキャンとレーザーでは点群データの数が違い、レーザーの方が細かく正確。埋め戻してしまう遺構の記録として、汎用性としてもレーザーは必要と考えている。が、カラー画像であることのわかりやすさ、図面下図として目の前の石の識別の観点からもフォトスキャンは有効であり、今後、レーザーは下図に使うという目的より、最終的な掘り上がりの記録として、完全に終了した最終段階で実施すればいいと思う。ま、そうするにはフォトスキャンを間違いなくやれるようになってこその使い分け、だが。
◆15時から摂南学生の再撮影。
◆午後からは学生らは17-2トレに上がっての作業。上方拡張区との間のアゼを取っ払い、葺石の続きをめざす。撮影等であまり上にいなかったので、また明日、進捗を説明します。
〔来客〕豊島さん

久津川車塚2017年8月23日(水)最高気温35度

◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、園原(立命M1)、山本(立命4)、宮下・山口・山崎(立命3)、池口(同志社3)、上野(奈良大2)、中谷(京都橘3)
◆朝、どこかまで礫清掃、その間、拡張区の水鳥形埴輪の撮影→取り上げ、そのあと全体清掃、というイメージ。15分遅刻。その間に事故。まったく幸いに大事にはならずに済んだが・・・。
◆礫の清掃は、午前中でひととおり終える。持ち場を終わった人は、順次、葺石の清掃に入っていく。葺石上の斜面の掃除などもざっとやる。
◆そのうち、拡張区から木製品があると。見てみると、竹竿のようなもの、残存30㎝弱。そんな 太くなく4㎝くらいか。途中上が斜めに切れているようになっておりん中が粘土化した黄色で、両表面が黒く炭化しているように見えるし、表面に縦方向の細かい筋があり、竹ではないかと。一方の末端が基底石のすぐ前にある。陸橋上面直にべた~と。立ててたものが倒れたか倒したか。しかし竹は中空で打ち込み杭にはならないので、どうやって立てるのか?などと考えていた。次いで、別のもの、長さ30㎝くらい、幅2㎝弱くらいで、たぶん4mmくらいの厚みの、短冊状のもの。表面が粘土化して黄色(ひび割れ)で、下になっている面が黒く炭化しているように見える。昼休みも費やして、当初の水鳥形埴輪片・礫、そして木製品?2をきれいに出してくれる。
◆昼休み、掃除機を新調しようかとコーナンへ行く。がフィルターとかめんどくさそうだし、決 めかねて買わず、この頃から小雨が降ってくる。13:00に現場へ帰り着いた瞬間、どしゃぶりに転じ、あわててシートをかける。これで全身ぐっしょり。雷もなり、雨雲レーダーで見ても次々に西から供給されてくる。とはいえ、中心は京田辺など南で、城陽はへりで推移するらしい。雨が止むのをまって14時再開する。
◆とはいえ、17-1トレンチに入っても、いつ降雨かわからないし、汚すし・・・。17-2に上がる。(1)上段裾部の残存葺石について3回生が検討し、根拠をもって、これとこれとこの石をはずしたいと。納得、はずせ、と。あまり意識していなかったが、谷線かと思われる列石が確かに見える。(2)拡張区。とにかく上から墳丘面を出していくのと、下部は深掘る必要があるので、 その下げと。掘りたい者、竹の根っこをやっつけたい者多数おり、けっこう楽しく、かつ順調に進んだ。上半部は葺石などいっさいなく、すぐ墳丘面と思われる土が露呈する。かなり急傾斜だが、上下をつないで考えると、そんなところか。

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HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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