人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
さて今週も・・・
◆8日、9日はクリア。今週は木曜日に自分のプレゼン、そして土曜日に考古学談話会でしゃべらないといけない。談話会の準備はこのままいくと金曜日1日しかないようだ。
◆大阪府知事選、市長選が告示され、人材はいないんかと、嘆かわしい次第。ちゃんとした人は知事とか市長になろうなんて思わないんでしょうね。元吉本の木村氏のコメントにうなずく。橋下君は、5月の住民投票で負けを認め、こういうのは何回もやるもんじゃない言ったのではなかったか。民主主義は生きている、結果を尊重する、とも言ってましたよね。その時、ほぼ半々まで行ったことを受け止め、さらに理解をもとめ、もう1期やって実現をめざすと言ってもよかったと思うが、さばさばと引き下がる会見をやったはずだ。それがどうだ。カミさん曰く、人には厳しく自分には甘いやっちゃ、と。大阪市職員には厳しく、自分の言動については前にどういったか関係ないと。
◆知事選、どうしても松井君には辞めて欲しいが、なんで対抗馬があの人なんでしょうね。市長選もそうだが、1期4年ほどやっただけの人を候補に立てるところに、人材はいないんかと。どことも政争とはあんなものかもしれないが、大阪をよくしようという点で一致し、力をあわせていくということがまったくない。これもカミさん曰く、大阪は組織力がぜんぜんダメ、てんでばらばら、パワーを集めるといったことができない、と。政争が話題であり続けていることに、関心が持たれていると誤解するな。都構想に賛成ですか反対ですかという論点の立て方は、単純に過ぎる話で、半々になることで和解のない政争へ突入している。わかりやすい賛否の問いが混迷を持続させている。
◆めざすところは大阪をよりよくしていくことで、無駄があれば整理する、いろいろ考えて手を打たないといけないことに対応していく、新たなことを打ち出していく、そういう問題意識に差はないだろうに。実を上げることが大事であって、どっちかの手柄にするとか、わしはこれやる、とか・・・。首長選挙が無投票の地方公共団体など、争いが表面化していないところが、保守的で前のものを踏襲しているだけとか、そういう地方公共団体もあるのかもしれない。が、そうでもなかろう。みな首長も議員も、みなよかれと思ってやっており、また行政も透明性を高めていく流れにはさからえない。産業でも教育でも福祉でも、粛々とできることをやっているのではないか。しかし大阪は、政争ばっかりやっていて、騒がれて新聞も大きく取り上げて、なにやら活発に見えるかもしれないが、実は問題を長引かせて実を上げる努力がなされていない、ということなのではないか。
◆大阪府知事選、市長選が告示され、人材はいないんかと、嘆かわしい次第。ちゃんとした人は知事とか市長になろうなんて思わないんでしょうね。元吉本の木村氏のコメントにうなずく。橋下君は、5月の住民投票で負けを認め、こういうのは何回もやるもんじゃない言ったのではなかったか。民主主義は生きている、結果を尊重する、とも言ってましたよね。その時、ほぼ半々まで行ったことを受け止め、さらに理解をもとめ、もう1期やって実現をめざすと言ってもよかったと思うが、さばさばと引き下がる会見をやったはずだ。それがどうだ。カミさん曰く、人には厳しく自分には甘いやっちゃ、と。大阪市職員には厳しく、自分の言動については前にどういったか関係ないと。
◆知事選、どうしても松井君には辞めて欲しいが、なんで対抗馬があの人なんでしょうね。市長選もそうだが、1期4年ほどやっただけの人を候補に立てるところに、人材はいないんかと。どことも政争とはあんなものかもしれないが、大阪をよくしようという点で一致し、力をあわせていくということがまったくない。これもカミさん曰く、大阪は組織力がぜんぜんダメ、てんでばらばら、パワーを集めるといったことができない、と。政争が話題であり続けていることに、関心が持たれていると誤解するな。都構想に賛成ですか反対ですかという論点の立て方は、単純に過ぎる話で、半々になることで和解のない政争へ突入している。わかりやすい賛否の問いが混迷を持続させている。
◆めざすところは大阪をよりよくしていくことで、無駄があれば整理する、いろいろ考えて手を打たないといけないことに対応していく、新たなことを打ち出していく、そういう問題意識に差はないだろうに。実を上げることが大事であって、どっちかの手柄にするとか、わしはこれやる、とか・・・。首長選挙が無投票の地方公共団体など、争いが表面化していないところが、保守的で前のものを踏襲しているだけとか、そういう地方公共団体もあるのかもしれない。が、そうでもなかろう。みな首長も議員も、みなよかれと思ってやっており、また行政も透明性を高めていく流れにはさからえない。産業でも教育でも福祉でも、粛々とできることをやっているのではないか。しかし大阪は、政争ばっかりやっていて、騒がれて新聞も大きく取り上げて、なにやら活発に見えるかもしれないが、実は問題を長引かせて実を上げる努力がなされていない、ということなのではないか。
PR
11月9日市大文か交流センター(梅田)博学連携講座
◆パワポは80%は作っていたが、朝から追加の画像をスキャンし、本体の大坂湾岸の台場の
前の、18世紀以降の外国船来航と江戸湾防備の部分のスライドがぜんぜん不十分であったものを増強し、点検していると、16時過ぎとなる。17時に大学を出て梅田に行き、本講座1番バッターのイントロダクションの務めをなんとか果たしました。110人くらいの応募があったようだが、来てたのは70人くらいだったでしょうか。
◆大航海時代から産業革命といった背景の部分を加えました。これで1本パワポができたので、次の機会からは楽ですね。ちょっとマニアックなテーマなので、関心があり、すでにいろいろ出かけている向きも何人かはおられたようだ。そういう人にはもしかしたら物足りなかったかもしれないが、興味があるくらいのみなさんには、ちょうどの話にはなったのではないか。こっちもいろいろ勉強になった。
◆この分野のことをさらに勉強することはないと思うが、進めたい点がないわけではない。引き続き関心を持ち続け、なによりも行ってないところに行ってみたい。
◆終了後、天保山台場と堺南台場のことに関心をもっている人が話にやってきてくれ、ふつうの市民が地元の台場に興味をもって調べたりしている姿に、生涯学習(言葉はしっくりきませんが)というのは大事だし、こういう人たちが文化や文化財の応援団になってくれるものとうれしくなる。
◆大航海時代から産業革命といった背景の部分を加えました。これで1本パワポができたので、次の機会からは楽ですね。ちょっとマニアックなテーマなので、関心があり、すでにいろいろ出かけている向きも何人かはおられたようだ。そういう人にはもしかしたら物足りなかったかもしれないが、興味があるくらいのみなさんには、ちょうどの話にはなったのではないか。こっちもいろいろ勉強になった。
◆この分野のことをさらに勉強することはないと思うが、進めたい点がないわけではない。引き続き関心を持ち続け、なによりも行ってないところに行ってみたい。
◆終了後、天保山台場と堺南台場のことに関心をもっている人が話にやってきてくれ、ふつうの市民が地元の台場に興味をもって調べたりしている姿に、生涯学習(言葉はしっくりきませんが)というのは大事だし、こういう人たちが文化や文化財の応援団になってくれるものとうれしくなる。
11月7-8小豆島石のサミット2015(11)
◆ディスカッションでは世界遺産の話が振られた。世界で、その土地の伝統(例えば昔から石やレンガで家を造ってきたところ)、石材の特性、それにもとづく石の加工技術、石による高い城壁や石垣や建物を実現する文化が、それぞれの地域で発展する。
◆なので、世界一とかを競うこともあまり有益でなく、それぞれの石積み技術がとことん発達したときに、どこまでの実現がなされたか、それぞれに価値があろう。むろんピラミッドだって、古代メソポタミアの宮殿であっても、中世のヨーロッパの城にせよ、サグラダファミリアなど巨大な教会にしろ。
◆しかし、日本の近世の石垣構築の技術もまた、特異に発達し、30mを越える高石垣を実現したこと、また城郭の規模による、その石垣の圧倒的な量感。そこに反りがあり、平面的にも折れを入れ、内反りがある。あの角部が連続する日本の近世城郭は、そこにひとつの技術に裏付けられた美しさもある。ひとつの様式を確立している。世界のほかにはないもの。そして誰しもが、大阪城に足を踏み入れたとき、幅のある深い堀、そのむこうの高石垣の美と迫力、おそらくそれは空堀の底とか、天守閣の下に立ったとき、その感を強くすると思うが、そういう迫力はみな認めるのではないかと思う。
◆むろん天守が現存する姫路城が世界遺産で、日本を代表するのだろう。が、しかし大阪城は、1610年代までの築造技術をふまえ最後にして(事実はちゃうんかな)最大のものなのである。そして、上部を失っても、ジャンルは日本の近世城郭で同じでも、土木技術としての高石垣のナンバーワンとして、世界遺産になりうるものだと思っている。そう評価されておかしくないと。
◆そしてまた、先に、それぞれの地域で石を積む土木技術が発達して、それぞれに評価す
べしとしたが、そこは、同じような石垣の高さの比較も客観的にするべきだろう。なにも世界一でなくったっていい。高さという指標でいっても、しかしそれは世界クラスだろう。さらにはそういう高石垣が総延長○キロにわたり、運ばれた石は100万個とか、その総量、全体ボリューム、そういうものをつきあわせていくと、ざらに匹敵するものがころがっていることはおそらくないだろう。天守閣の石垣に1トン爆弾が直撃しても壊れてないですよ。
◆そしてまた、それを実現した花崗岩石割技術もまた、それとセットをなすものなのである。
◆なので、世界一とかを競うこともあまり有益でなく、それぞれの石積み技術がとことん発達したときに、どこまでの実現がなされたか、それぞれに価値があろう。むろんピラミッドだって、古代メソポタミアの宮殿であっても、中世のヨーロッパの城にせよ、サグラダファミリアなど巨大な教会にしろ。
◆しかし、日本の近世の石垣構築の技術もまた、特異に発達し、30mを越える高石垣を実現したこと、また城郭の規模による、その石垣の圧倒的な量感。そこに反りがあり、平面的にも折れを入れ、内反りがある。あの角部が連続する日本の近世城郭は、そこにひとつの技術に裏付けられた美しさもある。ひとつの様式を確立している。世界のほかにはないもの。そして誰しもが、大阪城に足を踏み入れたとき、幅のある深い堀、そのむこうの高石垣の美と迫力、おそらくそれは空堀の底とか、天守閣の下に立ったとき、その感を強くすると思うが、そういう迫力はみな認めるのではないかと思う。
◆むろん天守が現存する姫路城が世界遺産で、日本を代表するのだろう。が、しかし大阪城は、1610年代までの築造技術をふまえ最後にして(事実はちゃうんかな)最大のものなのである。そして、上部を失っても、ジャンルは日本の近世城郭で同じでも、土木技術としての高石垣のナンバーワンとして、世界遺産になりうるものだと思っている。そう評価されておかしくないと。
◆そしてまた、先に、それぞれの地域で石を積む土木技術が発達して、それぞれに評価す
◆そしてまた、それを実現した花崗岩石割技術もまた、それとセットをなすものなのである。
11月7-8小豆島石のサミット2015(10)
◆で、そのあと11時から堺から来た鉄砲隊の火縄銃射撃、演武。昼をはさんでいよいよ本番
である。東北芸工大の北野さんに続いてわたし、神奈川の三瓶さん、石川県の冨田さん。各30分である。福田小学校の体育館。椅子は400。300弱くらいの入りか。天気もあまりよくはない。
◆まあ、あんなものというところ。数分オーバーしたかな。石切場の話は前に森岡さんがやっているし、わたしはとにかく大阪城概論みたいな基本的事項しか話ができない。
◆が、けっこうレーザーのあの陰影図はすごい、是非、全部ヤレと言われた。したいのはヤマヤマなれど。しかしそこは3年でやるとか、しかも外部委託なんだから、金を取ってくることに専心すればよく、腰を上げるとエフォートがそっちに大きく取られるというわけでもない。ちょっと真剣に考えてみよう。
◆石の規格化は、北野さんは天下普請による短期間実現、しかも各大名の技術もまちまちな半熟練
工がなしとげるには、石を巧みに組み合わせるプロの技術でなく、技術の平準化のため、という話は勉強になった。江戸城所用の伊豆半島から箱根近辺にかけての石切丁場研究もずいぶん進んでいることを知る。そして金沢城の戸室。石の積み方がどんどん変わっていく様子を知ることができたし、やろうと思えばぴんぴんの直方体に仕上げてブロック状に積むこともできるのであって、どんな石垣にするのかは上に立つ建物の格によるという話も面白かった。ディスカッションの時の士分で穴太をかかえていることも。
◆まあ、あんなものというところ。数分オーバーしたかな。石切場の話は前に森岡さんがやっているし、わたしはとにかく大阪城概論みたいな基本的事項しか話ができない。
◆が、けっこうレーザーのあの陰影図はすごい、是非、全部ヤレと言われた。したいのはヤマヤマなれど。しかしそこは3年でやるとか、しかも外部委託なんだから、金を取ってくることに専心すればよく、腰を上げるとエフォートがそっちに大きく取られるというわけでもない。ちょっと真剣に考えてみよう。
◆石の規格化は、北野さんは天下普請による短期間実現、しかも各大名の技術もまちまちな半熟練
11月7-8小豆島石のサミット2015(9)
◆8日。本番の朝。前日、お酒が入り、部屋に戻ってパワポを作り、寝て、朝、5時くらいに
目が覚めて再びやり、朝ご飯を食べに行く7:30頃にはひととおりできあがったか。100枚越え。しゃべるのは30分。これではダメ。食事後、石割の実演までの間で、80枚まで減らして、もうこれでよしとする。
◆この日のイベントは、山に上がって山の神にお祈りをするところから始まる。10時20分に福田の港で、用意された石を割る。石はほかから提供された自然の転石で、表面がかなり風化している。これだと石の目が見えないので、叩いてフワフワの表皮を落とすのだそうです。矢穴のところに幅のある浅い溝状になっているものは、そういう石の目を見るためのものだそうです。石工さん(藤田さん)曰く(若いですこの方は)、石の目が正しいか100%の自信はないと。しかし、そこを決めて、その方向に矢穴を入れ
る。そこまでのセットがしてあり、参加者が鉄の楔、すなわち矢を打ち込むことから始める。それが終わると、いよいよハンマーで矢を叩き込んでいく。亀裂が入った時の音という解説があり、わからなかったが「きてるきてる」という反応。そうこうしているうちに、次の打撃を待たずに、ぱっくりと割れた。
◆この日のイベントは、山に上がって山の神にお祈りをするところから始まる。10時20分に福田の港で、用意された石を割る。石はほかから提供された自然の転石で、表面がかなり風化している。これだと石の目が見えないので、叩いてフワフワの表皮を落とすのだそうです。矢穴のところに幅のある浅い溝状になっているものは、そういう石の目を見るためのものだそうです。石工さん(藤田さん)曰く(若いですこの方は)、石の目が正しいか100%の自信はないと。しかし、そこを決めて、その方向に矢穴を入れ
11月7-8小豆島石のサミット(8)
◆それから土庄を少しだけ中に入り、宿にもどってきました。15時くらいだったか。そこか
らです。シンポの打ち合わせも兼ねた関係者の懇親会が19時からで、そこまで必死にパワポを作る。
◆懇親会、小豆島町長、司会の中村先生、講演者、コメンテーター、10数人で、国民宿舎の宴会場で盛り上がる。失敗。カメラをもっていくべきでした。足がこんなんでなければ、取りにもどるんですけど。なにせ、このメンバーで懇親会を囲むことは2度とない一期一会ですから。自己紹介するのかなと思っていたら、町の担当者が名前を呼んで、頭を下げるくらいでした。
◆ここで築城史研究会のみなさんの大阪城石垣の刻印調査がどのくらい進んでいるのか、わたしはまだコンタクトが取れていないので情報収集。すると、水堀のところはできていないんだとか。そんなんなんですかね。でも、基本的に1959年の総合調査の時に悉皆調査をやっているし、とも思う。かつて調査したところはもっとあっても、整理ができていないとか、そういう状況かもしれませんね。そして今のメンバーは写真を取って石垣をなぞり、改めて刻印を確認してはそこに落としていくという作業をイチからやっているのかもしれない。金沢城は石垣すべてレーザーやっているそうですよ。やっぱり負けてます・・・。まあ、勝ち負けは別にいいが、一度、金沢城の研究所に行くべきですね。
【写真】石切場というか採石工場かもしれません。ここまでやられると、一大産業だったのだろうが、自然破壊・・・とも思う。家島も関空埋め立てで、島の山がかなりこんなんになっている。石の産業は復活して欲しいと願うが、しかしこういう風景を見ると、やみくもな石取りも考え物とも思わずにはいられない。
◆懇親会、小豆島町長、司会の中村先生、講演者、コメンテーター、10数人で、国民宿舎の宴会場で盛り上がる。失敗。カメラをもっていくべきでした。足がこんなんでなければ、取りにもどるんですけど。なにせ、このメンバーで懇親会を囲むことは2度とない一期一会ですから。自己紹介するのかなと思っていたら、町の担当者が名前を呼んで、頭を下げるくらいでした。
◆ここで築城史研究会のみなさんの大阪城石垣の刻印調査がどのくらい進んでいるのか、わたしはまだコンタクトが取れていないので情報収集。すると、水堀のところはできていないんだとか。そんなんなんですかね。でも、基本的に1959年の総合調査の時に悉皆調査をやっているし、とも思う。かつて調査したところはもっとあっても、整理ができていないとか、そういう状況かもしれませんね。そして今のメンバーは写真を取って石垣をなぞり、改めて刻印を確認してはそこに落としていくという作業をイチからやっているのかもしれない。金沢城は石垣すべてレーザーやっているそうですよ。やっぱり負けてます・・・。まあ、勝ち負けは別にいいが、一度、金沢城の研究所に行くべきですね。
【写真】石切場というか採石工場かもしれません。ここまでやられると、一大産業だったのだろうが、自然破壊・・・とも思う。家島も関空埋め立てで、島の山がかなりこんなんになっている。石の産業は復活して欲しいと願うが、しかしこういう風景を見ると、やみくもな石取りも考え物とも思わずにはいられない。
11月7-8小豆島石のサミット2015(7)
◆醤油蔵の町。雰囲気はとてもよい。ゆっくり歩きたいところだが、その前に腹ごしらえを
と、飲食店をさがすが、なかなかない。そーめんの町でもあり、そーめん工場のところに店もあるのだが、たぶん麺を売っているものだろう。一番大きい醤油蔵で、資料館があり、大きい駐車場があってバンバン観光客が来るところがあるのだが、そこにも売店はあれど飯を食うところがない。ちなみに、このあたりの醤油蔵のスタンプラリーをやっていた、けっこう、見学できるよう公開しているらしい。これもまた歩き回れるようになったら、再訪しなければ。でもともかく、醤油蔵を歩き、ちょっとコーヒーを飲む喫茶店や、食べるところを整備した方がいいように思う。なんとか記念館にやってきてさっと立ち去り、あまり町歩きをしてくれないのかもしれないな~とは思うが、きっと需要はありま
す。
◆で、ふと宿泊場所で見た「島活」という店のチラシを思い出し、昼のメニューが1000円代くらいの、ちょっとよさそうな店があったので、そこへ行こうと。そうすると土庄だった。いろんなところに立ち寄りながら一周しようとしていたわけだが、間をすっとばして再び土庄まで行ってしまうことになるが、そこへ行く。なかなかいい店でしたよ。昼の部はラストオーダーが13:30で、14時までなのだが駐車場は満杯でにぎわっていました。
◆で、ふと宿泊場所で見た「島活」という店のチラシを思い出し、昼のメニューが1000円代くらいの、ちょっとよさそうな店があったので、そこへ行こうと。そうすると土庄だった。いろんなところに立ち寄りながら一周しようとしていたわけだが、間をすっとばして再び土庄まで行ってしまうことになるが、そこへ行く。なかなかいい店でしたよ。昼の部はラストオーダーが13:30で、14時までなのだが駐車場は満杯でにぎわっていました。
11月7-8小豆島石のサミット2015(6)
◆それから福田を抜け、東海岸へ。岩ヶ谷丁場跡を見る。国指定。5箇所ほどだったか、あ
るのだけれど、道路脇にあるものしか見に行けなかったが、さすがに国史跡ですね。矢穴の開いた石がゴロゴロしていて、たしかに迫力がある(写真上))。ここは黒田の石切場らしい。長政と子の世代である。
◆その先には、天狗岩の丁場はこっちという、やや山を上がっていくところの道路脇に説明看板があった(写真下)。そこには平面図が示されていて、そのゴロゴロ感からすると、なかなか見応えがありそうです。けれども、この足ですから、「また来るぞ」ということにして、あとにする。
◆そこからも基本は島一週。普通だと、途中新たにトンネルが掘られ、坂手に抜けるいい道がついて、そこを通ってしまうのだろうが、岬の先端の燈台をめざす。
◆そしてそこから北上して坂手にはいる。神戸港へ行くフェリーの港があり、二十四の瞳の分教場のある枝分かれする半島基部を抜けると、そこは醤油蔵の世界である。
◆その先には、天狗岩の丁場はこっちという、やや山を上がっていくところの道路脇に説明看板があった(写真下)。そこには平面図が示されていて、そのゴロゴロ感からすると、なかなか見応えがありそうです。けれども、この足ですから、「また来るぞ」ということにして、あとにする。
◆そこからも基本は島一週。普通だと、途中新たにトンネルが掘られ、坂手に抜けるいい道がついて、そこを通ってしまうのだろうが、岬の先端の燈台をめざす。
◆そしてそこから北上して坂手にはいる。神戸港へ行くフェリーの港があり、二十四の瞳の分教場のある枝分かれする半島基部を抜けると、そこは醤油蔵の世界である。
11月7-8小豆島石のサミット2015(5)
◆そうこうするうちに、北側のなかでは比較的大きな川が流れ水田が広がる平野部をもつ小
海に出る。ここに残念石の公園があったのだが、現在は道の駅となっている。背後には石切丁場が4箇所ほど。ここは細川の石切場であったという。
◆あちこちにあった切り出されたいわゆる「残念石」が集められ、海岸に並べられ、公園になっていた。ここに一度来たかったわけである。が、道の駅ができて、景観はだいぶ変わってしまう。海に面してはいるが、船で大坂に行くはずが残された感が薄らいでいるように思う。
◆資料館があり、大坂築城の石を出した話はもちろん、小豆島の花崗岩石材業の歴史が学べる。いちばん羽振りがよかったのは明治以降のようである。しかし戦後どっかの段階から、外国の花崗岩が入ってくるようになり、石屋さんがどんどんなくなり、いまは3社という。8日のサミット当日、そのうちの1つ
の会社の社長さんと少ししゃべったが、ベトナム産で、アモイに会社があるのかな、そこから日本に入ってくるのだととか。値段では絶対に勝てないと・・・
◆あちこちにあった切り出されたいわゆる「残念石」が集められ、海岸に並べられ、公園になっていた。ここに一度来たかったわけである。が、道の駅ができて、景観はだいぶ変わってしまう。海に面してはいるが、船で大坂に行くはずが残された感が薄らいでいるように思う。
◆資料館があり、大坂築城の石を出した話はもちろん、小豆島の花崗岩石材業の歴史が学べる。いちばん羽振りがよかったのは明治以降のようである。しかし戦後どっかの段階から、外国の花崗岩が入ってくるようになり、石屋さんがどんどんなくなり、いまは3社という。8日のサミット当日、そのうちの1つ
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(06/22)
(06/22)
(06/22)
(06/22)
(06/22)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。