人を幸せにする人になろう

あ~あ

◆この1週間、まだ授業はなく、貯まった仕事をするには最高の期間なのに!!!!!
◆だが、9・10日の国際シンポジウムの事務局として、準備をだいたい任されてしまったもんだから、4日も5日も6日も7日も、その資料作成で朝から晩まですべて費やしてしまった。何をやってるんだろうね。
◆いくらでも手を抜けるのに、手が抜けない性格は困る。そんなきれいな資料集を作らんでもええやないかと思うが、これはサガだ。そして金曜日は1日印刷と会場設営、困ったもんだ。

ピアノ売ってちょーだい

◆このコマーシャル、やたら流れていると思いませんか。正月、ついてるテレビから恐ろしいまでの頻度で、このコマーシャルが流れる。どういうこと?

あけましておめでとうございます

◆2010年である。年末、紅白をはじめからおわりまで見た。前はいつだったか。矢沢永吉は最低だ。なんでお07451ece.jpg前が出てきてチヤホヤされるのか。ロックシンガーとしては堕落だろうに。ソニーのコマーシャルに出たり、娘とビールのコマーシャルに出たりしたところで、ふつうのオヤジに堕した。
◆いろいろ気の付いたこともあったが、もはや忘却である。年が変わり、近所の氏神さんに初詣。ドラム缶に廃材をくべている。高野山の麓は寒く、31日も1日も吹雪いていたが、しかし昼にはおおよそ溶けた。
◆元旦、河内国分の家に立ち寄り、いくつか忘れ物を取りに行き、夕方に加古川へ。
◆2日は、いつものように姉・妹夫婦家族が全員集まり、新年のお祝い。最近は、義兄が持ってきてくれる蟹を、鍋にするため包丁で足や身を解体し切れ目を入れる役と決まっている。妹たちは、屋久島に行ったおみやげ―焼酎などを持参。新宮の地ビールを空け、刺身を作り、・・・、いつものように食べ過ぎ・飲み過ぎで早々にダウン、寝て目が覚めると日が変わっていたが、まだボードゲームをやっている。これブロックスというヤツ、実はきっとこれやるからと、河内国分に取りに戻ったのはこのゲームだったのだ。
◆その前に2日の午前、生石神社に初詣。父母はそれぞれ生まれは加古川市内だが他所、それに対してオレはここで生まれ、生まれてこの方、生石神社の氏子である。母方の祖父が竜山で石切をやっていたということもあり、毎年、必ず初詣に行き、お神籤を引くことに決めている。大吉でした。
◆そんなで、いろいろ書こうと思えばいくらでも書けるのですが、ここらでやめときます。さて、今年はどんな年になるのやら。


那智勝浦へプチ旅行

◆年末、もう忘れたが、28日も22:00まで仕事をした。とはいえ、授c0f20154.jpg149f641e.jpg業がないが、やらねばならないことはできず、雑用で終わってしまう。
◆29日、年末年始はいつものように両方の実家に行くが、1泊のプチ旅行を企画、和歌山美里に行く前に那智勝浦に行くことにした。10:00出発、地図を見ずカーナビで行くと、十津川でなく、もうひとつ東の天川でもなく、吉野を抜け、川上村、上北山村・下北山村・北山村を通る国道169号となった。
◆瀞峡、午後で峡谷は既に日は山に隠れていたが、家族4人、a788d179.jpgボートに乗って30分の遊覧。大型7c179ab1.jpgの船よりも水面は近いし、ガラスもなく、気持ちよい。そこから熊野川に出て、新宮に向かう。熊野速玉大社、そのあと神倉神社(これよかった)。そのあと大浜の礫の浜に立ち寄り、いつものように石投げ。それから勝浦の宿に向かう。晩飯は旅館でなく店に入り「まぐろづくし」1500円、満足。温泉、でもあんまり客はいないねえ。
◆翌日、マクドで朝ごはん、那智に向かう、熊野那智大社・青岸渡寺・那智の大瀧(飛瀧神社)。途中、大門坂というのがあり、熊野古道の名所、観光客が多い。老若男女が歩く歩く歩く。いや~、世界遺産はすごいね。熊野古道は、吉野や高野山やいa78c3348.jpg7516bbb6.jpgろんなものが含まれるが、ここ南紀はいまのところ世界遺産でかなり活性化している。新宮や那智勝浦はけっこう活気があり、これからも豊かな自然を大切にし、雄大な風景に、名所旧跡、温泉、海の幸、こうしたものを活かして、息長く人々を魅了して欲しいものだ。
◆ちょっと気になるのは、例の神武伝説。もともとの信仰はあるとして、神武伝説の顕彰はいつに始まるのだろうか。江戸や明治でなく、もっと早いのかもしれない。しかしなあ、とb551d00c.jpgても根も葉もある話ではないだろうに。なぜ日本神話で、神武東征において、一旦撃退され南にまわるのか、そa050f449.jpgの研究は知らないが、しかし、地元の現在の由緒付けはあくまでも神話成立後のあとづけだろうに。
◆新宮のごっついオークワで買い物、マグロの刺身用の塊、ぶりの刺身用の塊、地ビールなど、正月の実家へのおみやげを調達してから本宮へ。いや~、那智も含めて二度目だが、本宮(熊野本宮大社)は味わい深いね。十津川、谷瀬の吊り橋。カミさんと娘は断念・・・。オレはまったく平気。息子は脇のロープを持ってなんとか往復。
◆そこから高野山を抜け、カミサンの実家に至る。

2009年の発掘調査

朝日新聞12月25日記事より。どれくらい知っているだろうか・・・
〈1月〉
●万葉集歌の木簡が見つかった京都府木津川市の馬場南遺跡から、8世紀前半の神仏習合の「神雄寺」らしい仏堂跡が出土
・岩手県奥州市道上遺跡で、「字垂楊池」と10世紀に記された最古の字名の木簡を確認
●兵庫県淡路市(淡路島)の垣内遺跡で、2~3世紀に操業した最大規模の鉄器工房跡を検出した。
〈2月〉
・神戸市の雲井遺跡で約2000年前の銅剣の鋳型とみられる石製品が出土
・福岡県太宰府市・大宰府跡で、8世紀中頃の大型役所建物跡を初確認
・京都府与謝野町の温江遺跡から髷のついた約2400年前の人面土器が出土。
〈3月〉
・奈良県桜井市の大福遺跡から、保存状態が良い2世紀後半の木製甲が出土
・高知県土佐市の上ノ村遺跡で、約2000年前の鉄器約250点を確認
・鳥取市・本高弓ノ木遺跡で、木製台に鉄刃を差し込んだ5世紀の穂摘み具がほぼ完全な形で確認される。
〈4月〉
・埼玉県熊谷市の諏訪木遺跡から、15世紀前半の埋蔵銭5000枚以上を発見
・滋賀県守山市の下之郷遺跡で、約2000年前のココヤシ製人面容器が確認される。
〈5月〉
・岡山県総社市の上原遺跡で、突起物がある約2300年前の人頭に似た土器を発見
・愛知県幸田町の本光寺にある島原藩主・松平忠雄(1736年没)の墓から、大量の小判などが出土
●「卑弥呼の墓」説がある桜井市の箸墓古墳近くで出土した土器の時期が、卑弥呼没年(248年ごろ)に合致する240~260年と国立歴史民俗博物館が発表した。
〈6月〉
●3世紀末~4世紀初めの桜井市・桜井茶臼山古墳の再調査で、石室上部を約150本の丸太の壁で囲った遺構が判明
●奈良県明曰香村の甘樫丘東麓遺跡で、蘇我氏の邸宅遺構とみられる7世紀前半の石垣や石敷きを確認。
〈7月〉
●奈良市の西大寺旧境内から、国内最古という8世紀後半のイスラム陶器が出土
・滋賀県彦根市・佐和山城遺跡で、石田三成が城主だった16世紀末の侍屋敷群を発見
・約3000年前の奈良県|薑原市~御所市の観音寺本馬遺跡から、四隅に木杭を打って墓標にしたとされる初の墓跡3基が確認される。
〈8月〉
・奈良市・平城宮跡から、8世紀後半に駅鈴を管理していたと記す木簡が出土
●滋賀県西浅井町の塩津港遺跡で、金銅製飾り金具など、12世紀ごろとみられる最古級の小型の神殿部品が確認される。
〈9月〉
・静岡県沼津市の前方後方墳・辻畑古墳出土の土器は西暦約230年製作と判明。最古級古墳の可能性が指摘される
・箸墓古墳近くで、堤のある二重周濠を確認
・鹿児島県霧島市の大隅国府跡推定地近くから、9世紀後半~10世紀初めに草仮名で和歌を書いた土器を発見
・島根県出雲市・砂原遺跡で、約12万年前の最古級の旧石器が確認される。
〈10月〉
●奈良県御所市玉手で、同県最古の約2500年前の水田跡が判明
・同県明曰香村の檜前遺跡群から、壁内部に柱を包む渡来系の7世紀前半ごろの大壁建物跡が発見される。
〈11月〉
●桜井市の纒向i薑i跡で、3世紀前半の大型建物跡を確認
・福岡県久留米市の京隈侍屋敷跡から、戊辰戦争(1868~69)に関連するとみられる7連発式の新式銃弾丸が出土
・鳥取市・本高古墳群から、山陰最古級の4世紀前半の前方後円墳が見つかる。
〈12月〉
・岡山県総社市の鬼ノ城跡から7世紀後半の鉄器用炉跡7基が出土
・平城宮跡で昇任を願う8世紀後半の役人が書いたとされる薄い板を確認
・福岡市の金武青木A遺跡から、吉備真備が築かせた8世紀の怡士城に関連するとみられる地名や人数を記した木簡が出土。

れきはく研究会

◆歴博の年代論の研究会。12月26日・27日、押し迫った時期の出張だ。けっこう主席者は多かった。1日目が終40fcd7ac.jpgわってホテルにいる。昨日からやってた玉1の図版の最終調整がいま終わったので、ブログを書く。今村先生のC14の話。けっこうわかりやすく面白かった。計測して較正して、さらに土器型式の相対順を加味すれば、まとまりが増す。原理はよう説明しませんが。こうした理系の統計的処理をした、わかりやすい提示を求めたい。イメージは、黒川式・山の寺・夜臼・板付と、正規分布の山が連なるような図を!。
◆まあ、みなさんよくしゃべる。ざっくばらんでよいが・・・。わたしはおとなしくしている。あんまり全体像はわからんし。初めての人も多いし。
◆16時から30分ばかり、特別展の《縄文はいつから》というのを見た。大平山元をはじめ、草創期の土器がずa43257e1.jpgらっとならぶのは壮観だ。けっこう、楽しく、また勉強になった。図録1800円はちと高いが。
◆終了後、宴会。設楽さんに関東の弥生の話を聞く。野島さんに広大の話を聞く。吉田は、愛媛大学ミュージアムというのができて、その担当になったらしい。
◆年度末には、一度、お鉢がまわってくるのかな。
◆今回は新幹線だった。千葉駅に来たのは何年ぶりだろうか。

恒例の12月23日の京都宴

◆2005年・2007年と続けてきた京都の宴会を、2009年12月231e216f24.jpg日にやった。始まりはどうだったか忘れたが、9c9385a8.jpg12月23日は必ず休みで、かつ年末で仕事も入りにくい。実は昨年は仕事が入ったのでできなかったが、今年はやれるということで、隔年ごと3回目ということになる。
◆集まるのは、うちと、M下家、S藤家、藤澤さん。1980年代に藤澤さんのいる京大考古学研究室に在籍し、それぞれ同じ頃に結婚し、子供も世代的に近いこの3組は、かわらず仲が良く、京都で集まるのだ。わたしは「今年もやろうと」電話をする役目。
◆この日、娘の誕生日が12月24日なので、まず誕生日プレゼントを買いに行き、クリスマスの分はもうええのんとちゃうかとも思ったが、本人達の希望は携帯を新しくしたい。はっきりしていた。で2台分、機種変更。自己負担分アリ、補助と言うことになった。それから京都へでかける。行く前には、ますたにでラーメンを、山本コーヒーでモカを、とか言ってたが時間なし。まず東九条の自分のマンションに行き、いま入っb1a1cb7e.jpgてもらっているN先生(京都に住んでいたときの保母さん)に挨拶をし、子供らの通っていた「ひかり保育園」と自分たちがすんでいた賃貸マンション「樹庭夢 幹」(ジュテーム幹)をながめ、下鴨に。
◆いや~、楽しく過ごしました。「論文をリライトせよ」とだれかさんにしつこく言われた。「あの頃、〓〓ちゃんが怒っていた」とか、すごく気になることを言われたが、詳しい話は聞きたいような聞きたくないような・・・。2次会含めて、気のおけない人たちとすごすが、もう酒に弱いので、ぐだぐだで、結局帰れず、またM下家に泊まり、24日は京都から出勤した。

梅田北ヤードとサッカー競技場

◆国鉄が民営化されてかなりたつ。もともとは旧国鉄用地を処分して赤字を埋めるということだったろう。汐留はバンバン高層ビルが建った。梅田である。大阪駅に付属していた国鉄用地の跡地利用、数年前に教授会で話題に出たことがあった。Ⅰ区かⅡ区か、なんか区分されているのだが、そのある区画については、大阪駅至近のあの場所に大学のサテライトを出したりするようなプランがあり、名乗りをあげませんか?という話だったかどうか、まったく覚えちゃいない。
◆このたび、再度ワールドカップサッカーの日本開催をもくろみ、その時に決勝の収容人員、6万人だかなにか、FIFAの条件を満足する競技場は日本になく、梅田北ヤードに建設するという構想が持ち上がっているらしい。新聞で、大阪市長が小沢のとことに行って協力要請したとか、新聞に載っていた。
◆旧国鉄用地ってのは、いま所有権的にはどこがもっているのだろう。あんなところにサッカー競技場だって、大阪って、あいかわらずバカだよ。公が必要な施設があるなら一定部分を確保するにしても、基本は、ごちゃごちゃした都心部の計画的な区画整理を行って、民間に売却すべきでしょう。一等地について、公もむろん入手すれば便利はよいが、高い土地代に税金を投入することが適切かどうかは難しい話。基本は民間でよいではないか。大阪市には舞洲はじめ、あまたの利用されていない埋め立て地などがある。サッカー競技場を一等地にもってくる必然性は乏しい。無駄!、長居もある、ガンバのはよく知らんが吹田あたりにあるのかな、少なくとも大阪市としては長居スタジアムで十分でしょ。さらに大金を投じることはばかげている。
◆あんな一等地、いろんな思惑が渦巻き、利権がからみ、なかなかまとまらんのだろうな。拙速はいかんが、ダラダラと決められないというのも、どうなんだろう。そしてサッカーで、なんで大阪経済が活性化して復活をとげるのか、まったくわからん。それこそ、テキトーな甘い試算なのだろう。さっさと民間に売却し、国の借金返済にあてるべきだ。
◆今日のニュースで、来年度満期になる国債が106兆円あるんだって、国は返済にあてる106兆円を用意しなければならない。そのための借金が96億円だとさ。破綻している、自転車操業もいいところ。あほちゃうか。

コナベ見学会

◆12月04日に宮内庁の実施しているコナベの発掘を見に行っ79979cca.jpg0ee762d1.jpg。書くべきことは多いが、書いてられん。あんまり、遺構にからむ写真を公表したら、おこられるのかもしれないので、両くびれ部の写真1点ずつにしておこう。
◆通路状に見えるのは、墳丘第1段テラスで、ここまでは入れてくれる。ただし、内規でそうなったからといって、コナベでここを全周させてくれるわけではない。内規がかわったんだから、テラス面上は開放してくれないものか。093d098e.jpg
◆奈良女子大学に移動しての報告会は、18時から大学の用向きが入ってしまったため、16:30までで引き上げた。当てられて発言したのは、内部の残りの良さに驚いたが、対照的に外回りの残りの悪さだ。堀で洗われて崖になっているところは、だんだんちぎれ、崩落していく様子がうかがえる。写真は出さないが、ガマと呼ばれるエグレには、埴輪の底面がならんでいるところもあった。
◆こうした大規模な堀をもつ古墳の痛みはどのように防ぐのがよいのだろうか。文化庁もあまり経験はない。宮内庁がずっと悩み、工法をいろいろ工夫を重ねてきている。
◆あっしの主張は、せっかく工事をするのだから、ちゃんと古墳らしくしてほしい、現状より悪くなら93dc894c.jpgない手当、とうのでなく。そうすると、やはり墳端を確かめた上で、再度盛り土をした上で、護岸をどうするか。葺石風でない石積みでもよいのではないか。花崗岩で面をきちんとし、面を墳丘斜面にあわせて積む、人工的だが、上までとせず水面の部分とし、むしろまぎらわしくないようにしては。
◆要するに、限りなく遺跡整備に近い手法でやるということだ。コナベなど、宮内庁の土地の中だけでやろうとするとそれは無理だ。金もかかる。でも応急処置はしなければならない。計画的に、だ。それは宮内庁予算を超える話であろう。
◆個人的見解は別にして、やはり透明性と議論が必要だ。いまの現状がこんなんですとd9a4ddfa.jpgいう報告書を作成する。そこに土木工学やら遺跡整備の専門家を交えて、どういう護岸をやっていったらいいのか、手法などを研究するというのを、ちゃんとやって、方向性を出していってほしいものだ。

平城遷都1300年仕様の車両

◆平城遷都1300年、こないだ、コナベに行ったとき、近鉄から大極殿を見た。周辺は工事9b62082d.jpg現場だ。
◆月曜日、12月14日に城陽市の整備委員会に行ったとき、1300年仕様の近鉄電車を見た。びっくりした。
◆この会議の時、奈文研の小野さんと一緒になり、西大寺まで一緒に帰る。整備としては大極殿院をつくるらしいが、いまやっているのは会場整備らしく、来年4月末の1300年事業スタートまでぎりぎりのスケジュールだそうだ。
◆それと朱雀門から大極殿に行けるよう、間に近鉄線が通っているわけだが、踏切をつけるのだとか。

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HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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