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今年度の古文書整理のまとめ

◆仮目録を整序し、画像データを整理し、報告用の整理概要をまとめる。もともとの収納状況、どこまでの作業をしたのか、新たな古文書箱何箱に移し替えたとか。これを杉本図書館の課長や、うちの近世史の者にすべて送るところまでやって完了。昨日終わったばかりで、貴重品庫の前室にいまは戻されている。なので再出撃して、箱書き等を点検したうえで、貴重品庫のなかの棚に収めることをしなければならない。それが終わってから完了の報告。
◆そういう作業をやっていたら、昨日22時までかかり、今日も朝早めに来て、10時前にようやく終わらせた。

2025年7月16日 古文書データ整理完了

◆前期の博物館実習の整理実習終わり。昨年の途中だった松原・岡村文書176点、志油屋田中家文書137点、鴻池文書46点、日根郡岡田村酒屋亀岡平三郎文書、途中39点、で今年度は終了。
◆来年は森之宮なので、杉本図書館貴重品庫の古文書をさわる実習はしにくくなりますね。でも、購入したものの、誰も整理することなく眠っている文書類、実習で、今年度は2クラスに分かれ、わたしのクラスは14人だったが、4班で作業を進めると、仮目録プラス画像という一次整理がそこそこできるものです。
◆いまこっちが取り組んでいる大阪の歴史文化研究の観点から、昨年度から着手したもので、学生らには偏った内容で申し訳ない。しかしまあ積み重ねると、文書そのものを読むということについても、なんとか読もうとし、わからなければスマホに「ふみのは」をダウンロードして読んだりしてくれる。調書を取ることも、撮影も。撮影はもうちょっとレクをしてもいいかもしれないが、一眼レフデジカメで、メジャーを置いての撮影も慣れてくる。まあ実習として悪くはないですね。


レボポイントいちおう上がり

◆表裏の2スキャン。消しゴムで少し浮かせる。なんとか2つのスキャンデータを合成するところまで完了した。資料は九州の著名な古墳に行った時に、コロンと落ちていたもの。
◆確かに専用の撮影囲みとライトがあった方がいいですね。研究室の普通の蛍光灯下でやったが、テクスチャーが、表面が明るく、端面は暗い。

五代友厚の中之島屋敷

◆博物館実習でやっている古文書整理で、2週間前から鴻池文書に手をつけている。図面が出てきて、屋敷の平面図で、署名が五代トヨである。明治20年。五代友厚がM18に死んで、その屋敷の売却関係の書類かなと。一緒に宇和島藩士で大阪財界で活躍する土居通夫関係の文書も。五代は、両替商の鴻池が傾いた時、誰か推薦してくれと頼まれ、土居をおいてほかになしと送り込んだ。
◆月曜日に大学史運営委員会に出たが、予算がたったの40万円くらいと、半分以下に(人件費は別)。大学には大学史資料室の活動など、まあ関心はないわけだ。紀要とかぜんぶ電子化でいいですよねとばっさり切っている。
◆そこで、五代の好きな人は多いので、大学史が新資料として発表してはどうだろうか。
◆脇塚のメタシェは完了。埴輪片のレボポイントは、表裏のスキャンは終わり、これを合体させるために、同じポイントを打つところまでたどりつく。が、博物館実習の準備で、今日はここまでかな。

2025年7月16日 実習の準備を

◆5限の博物館実習での古文書整理の今日は最終回。先週までのデータ整理と、今日の1回でどう区切りをつけるかを考えないといけない。
◆科研シンポのパワポづくりは、月・火の空いている時間にやってきたが途中。土曜の夜に、相模原に行き、息子夫婦と食事をすることになっている。シンポ当日は、朝、相模大野から茨木キャンパスに向かう。まあ、金・土と、最後は日曜日の行きの新幹線もあるので、なんとかなるだろう。
◆いま、脇塚のメタシェイプと、レボポイントでの埴輪のモデルづくりを2台のノートPCで並行してやっています。メタシェは片手間でできる。がレボポイントははじめてなので、マニュアルを印刷して、自力で何とかやろうと奮闘中。

脇塚

◆今年修論を書く院生のテーマの関係で、T字形石室の脇塚古墳に行く。なんとかたどり着くが、うっそうとしていて、どこからどう侵入していいのかわからない。先頭に立って、いちおう山道らしきものがあるものの、篠竹等が両側から密生してふさがっているのを開いて進んでいくが、石室開口部にでくわさない。違うとなって戻る。舗装道路から旧の鶏舎を抜けたところに実は看板があった。Uさんがメタシェの写真撮影。
◆しかしまあ、石室もレボポイントでしょう。カミサンは群馬の研究室旅行の時、伊勢塚などでやってまして、そのデータがあります。部分部分なので、これを合成してみよう。

三陵墓古墳群

◆都祁盆地(都介野)。なんどか通過しているが、この古墳群に行くのははじめて。奈良市である。西古墳:円墳:5世紀前半、東古墳110m:5世紀後半、南古墳:6世紀代とのこと。闘鶏国造との関連性が指摘されているとのこと(ウィキ)。
◆東古墳は前方後円墳とあるが、これそう言っていいのかな。前方部が1段で、これは規制された帆立貝だろうと思う。が全体として前方部は長いので、前方後円墳としているのだろう。が、こんな前方後円墳はないし・・・。

名張の遺跡

◆美旗古墳群はひととおり国史跡になっているんですね。少しずつ整備のための調査を進めてほしいものです。女郎塚のまわりはグルリと子供園になっていて、堤はなかったのかと思ってしまう。子供園の駐車場を後円部の後まで進んだところに、柵が空けてあるところがあり、渡り土手から中に入ることはできる。
◆毘沙門塚は、くびれ部に渡り土手があるが途切れていて侵入できない。今回は、田んぼの用水関係で使っておられる角材やコンクリートブロックなどを拝借してステップを作り、全員がなかに入った。大きな盗掘穴があり、石室天井石が2石横たわっている。この途切れ、なんとかしてほしい。
◆夏見廃寺の展示館は有料だった。大伯ヒメミコが建立したものかということになっているんですね。お一人の方がおられ、展示室でいろいろ話をする。戦後?に地元がセン仏を掘りだす?、それが京都大学に入り、保管されていたらしい。それを名張市の発掘を経て国史跡になり、展示館を作る際に、「寄託」されたよう。実物が展示されている。
◆郷土館は名張市内でも奈良に近い方に進んだ廃校になった小学校の転用施設。埋蔵文化財センターでもあるようだ。いい展示施設ですよ(2回目)。ここにも事務室に1人おられ、前方後円墳で片袖の琴平山古墳の石室に入れないかお尋ねしたが、入れないとのことでした。施設の新築はきびしいなかで、教育委員会としては廃校利用になるのであるが、そう中心部から遠くないとはいえ、どのくらいの人が足を運んでくれるのか、もったいないと思う。

女郎塚

◆Sさんの労作である空中レーザ陰影図にもとづき復元をしてみました。「設計原理論」で説明できるSさんの見方に反論できるわけではない。

殿塚古墳は五社神型か

◆美旗古墳群最古の殿塚古墳は前方後円墳。はじめて行きました。現代の墓地は周溝部に相当するように思われる。後端側も丘陵切り離しの周溝状遺構が残る。が測量図は墳丘部とその外側で、周溝外側におよんでいない。
◆これが帆立を中心とする中期の美旗古墳群と一体であることは間違いない。最初が前方後円墳。そりゃ佐紀段階ですよ。和泉ほか、全国で同じ。ではその殿塚古墳の墳丘のモデルは。なかなか復元が難しいのであるが、それでもやってみて段築を描いてみないとイメージが生まれない。3段の根拠はあまりないが、90m超えで普通は3段築成でしょう。やってみると、やはり五社神型かな。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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