人を幸せにする人になろう

10月20日高槻・茨木・吹田(3)今城塚の博物館で

◆さっきの続き。整備された今城塚古墳および博物館と島上郡衙は近い。是非、郡衙に足を伸ばし てほしいもの。郡衙跡の脇にあった看板を見ると、史跡地としては既にけっこ う確保していることがわかる。
◆で博物館のパネルから。200m級の古墳を調査整備するのに、どのくらいのエネルギーがかかるのかがよくわかる。まだ報告書も作らないといけないし。しかし、博物館ができ、そこを拠点にする発信は既に活発に展開している。全国速報展もまもなくだ。

10月20日高槻・茨木・吹田(2)島上郡衙跡

◆恥ずかしながら初めてでした。一帯に、フェンスで囲まれた史跡地があり、粘り強く指定地の買い上げを続け、土地を確保する努力を続けている姿がよくわかる。なので、なかなかまとまった面的な整備ができないが、 そのなかで正庁部分の1/5大の整備をやってい る。駐車スペースなく、全体像もわかりにくいが、それはいたしかたない。50年先にはだいぶ変わっているだろう。

10月20日高槻・茨木・吹田(1)安満(あんみつ・・・嘘ですよ)遺跡

◆その前の10月20日には、院生らと高槻・茨木・吹田をまわる。雨も降っていたがなんとか。安 満宮山→古曽部芝谷付近(場所を見に行く)→安満遺跡。
◆前に京大農場内で、高槻市が発掘していた現場を見せてもらったことがある。それが安満遺跡に行った最初だが、今回は2回目。事務棟を抜けたところに説明看板があった。脇には、農場移転にともない高槻市が買い取り、どう整備するかの青写真も掲げられていた。

南塚の奥壁

◆近つで南塚の遺物を見ていて、その背後のパネルに目をやると(京大さん、すいません)、あれっと。南塚の石室の奥壁、 これへんですよね。概報をよく読めば書いてあるのかもしれません。市尾墓山と同じに見える。わかります?。羨道があるんじゃないですか。そこをあとで塞いでいるように見えるのですが。
◆既にわかっているなら、それでよし。市尾墓山は、石棺蓋搬入用に奥壁側にも羨道があることが確かめられている。これは生前造墓の根拠となりうるものです(河上さんの言うとおり)。南塚も同じではないだろうか・・・。そういう目でぜんぶ点検したらおもしろいだろう。卒論くらいにはなるネタではないか。

近つと弥生の秋の企画展に行く

◆博物館実習展の仕事で職場に行くつもりだったが、買い物に行きたいとの要請があり、コーナン →ユニクロ→靴屋となる。タカギで昼飯。こうなると日曜出勤とし、今日は職場に行かないこととする。で、いつ行けるかわからないので、まず近つ。
◆推古朝。東国の資料をまとめて見ることができる。それにしても、6世紀後半とか、7世紀初頭とか、7世紀前半とか(TK43、TK209、飛鳥Ⅰということ?)、どこまでどう年代比定が妥当なのか、よくわからない。関東の前方後円墳はぜんぶ7世紀初頭でいいのか、一方で7世紀初頭の方墳もあるということだが、妥当なんだろうか。個々の古墳の追葬状況、個々の須恵器はどれにともなうのか、ちゃんと理解しないと、なんとも・・・。
◆特展は大事。だけど常設展は変わり映えせず、差し替えなどもない。常設展の「古めかしさ」を、いつも以上に感じる。忙しすぎるんでしょうね。
◆次いで弥生に行く。吉備。マニアック。入ったときはあんまり人がいなかったが、段々増えてき た。専門家が多いよう。子供を連れたお母さんが1組。企画展が春と秋にあるとして、一方は研究を全面に出し、他方は一般向けを意識する、という使い分けがあってもいいな~、といったことを考えていた。
◆楯築の調査が大きくクローズアップされていた。4回生に上がる学部生を中心として掘ったんですね。大学院がまだなかったという。わからない遺構と格闘する最先端の調査ということはよく理解できるし、かかわった方々の熱意も伝わる一方、思うところもある。それと1979年4月入学組の写真。大阪市のTさんや香川のOさんや、神奈川のHさんなど・・・。

蕎麦屋「繁」

◆お昼、ちょうど段丘から降りると目の前に蕎麦屋があり入る。なんでも小学校の建築部材を使っ て建てられた、和泉地域でさかんだった織物業の元工場。改装して蕎麦屋にしたもの。写真の向こうが店舗で、かなりにぎわっている。なので、われわれ7人は入れず、客が多かった時の奥のスペースにあるテーブル席となった。

国府河津井と太田井

◆先週、大学院生と伯太の幹線水路をさかのぼる(写真左は黒鳥集落内)。院演習の発表予定を決め、空く週を利用した、 本年度合同調査の補足FW。 
◆国府河津井の一の斗木を見る。三つ叉を改めて見る。で、伯太の幹線水路はやはり北上し、段丘沿いを東から来る。現在、新興住宅地ができて、太田井との接続についてはまだ確認が甘い。が、より高いところを、通ってくることはたぶん間違いないだろう。
◆坂本地域を灌漑する太田井は、府中を含む国府河津井の灌漑域(黄色)よりも、槇尾川沿いの上流部のために設定されるとともに、その高さを維持して伯太まで導き、国府河津井の灌漑域より北側をも潤している(黄緑色)、というのが現時点の仮説である。

阿部義平さん

◆2年ほど前にお亡くなりになったことを知らなかった。69歳だったという。大先輩だが、ほとんど面識はないといっていい。一度どこかでご一緒した。宮崎だったようなかすかな記憶が・・・。なんでも飛行機や車は使わず、千葉から電車を乗り継ぎ、また現地まで歩く、そういう話をしておられたことを鮮明に記憶している。
◆学問的にも接点はあまりないが、古代の集落とか、蝦夷の問題とか、論文や青木の本で、書かれたものを少しだけはかじっている。十分知らないでの印象ではあれ、信頼できる手堅い研究を積み上げられた方だと思う。ひげと笑顔が印象的でした。なんとなく宮崎駿のイメージに近いですね。

集団的自衛権も

◆かつて検討した4類型に、新たに5つのケースについて、集団的自衛権の行使としてよいか、を議 論しているという記事。ちゃんと調べなあかんが、もう疲れた。
◆Nさんの論文を思い出す。「いかに他の状態でありえたか」。いまは1931年あたりに対比できるのかもしれない。軍部が満州事変を起こし、政府は拡大を止めようとしたが、歯止めがきかず、満州国建設に進み、世界から孤立し、やがて日中戦争へと突入する・・・。「いかに他の状態でありえたか」という言葉はもっと味わい深いものなのだが、例えば、上のように、分かれ目において、結局は押し流されそれを認める意志決定をし、あとは引き返せない。そういう累積が、広島・長崎、都市部の空襲による壊滅を結果した。
◆教育委員会制度をやめる、集団的自衛権を憲法改正をしないで解釈で合憲にする、解雇特区などの信じられないことを進める、放射能がだだ漏れでも制御できているとシラ~と平気でウソをつき、なんだっけ、日本の農業を守ると公約しながらTPPを押し切られてもしゃーないと、これまた平然と約束を破る。そうした意志決定の累積が、日本をどこに導くのだろうか。再び悲劇に終わったとき、例えば国債が暴落したとき、「他の状態でもありえた」のに、と後悔するのだろうか。

学科長の選出方法

◆こないだから市大で提案され意見を求められているのと、まったく同じ問題が今日の夕刊?にあった。山口大学の例が紹介されていた。まったく同じ。各研究科が選んだ候補者を承認する現在のあり方から、複数の候補を挙げて、学長が面接とかして決め、理事長が指名するという、新たな制度を導入しようとしている。
◆なぜそうすることがメリットがあるのだろう。説明はない。山口大学の記事でも、経験者がスピーディ感がないと。いろんなことに対応せねばならず、こういう方向で仕組みを変えるとか、方向性を出したとして、教授会を動かし実現させるには時間がかかるのだとか。
◆大学の自治というありきたりの言葉があり、あんまり好きではない。中身としては、われわれも、仲間の中で、それまで全学や研究科内のいろんな役職などにつき、教授会で報告している方々の姿や発言を聞き、この人だったら任せられるということで研究科長が決められてきた。これまでの経験でも、それなりに皆さん、人をちゃんと見ている。投票の際、やっぱりしかるべき人が選ばれており、候補にはなっても、ちょっとと思う人はやはり最終的には落ちていく。そういう選択が、今、まっとうになされている。大学の自治ということを金科玉条として、横から口を出されることをとにかく阻止する、というつもりはない。なんとなく言葉が陳腐だし、組織は保守化するものでもあるし・・・。が、以上のように、いまの研究科長の選出はちゃんと機能しているのである。変える必要が見あたらない。
◆それを、なんでも複数候補を立てて、学長がどれにしようかな、と選ぶと。それでなにがよくなる?。大学も法人化し、今度は、理事長と学長も分離されるという。(理事長っちゅうのもね、なんか大手民間の社長経験者ならいいんですか。そういう外部のご意見番はあっていいし、耳を傾けるべきだが、それが上に立つというのはちがうだろう。)
◆で、理事長とか学長とかという方々は、要するに全学的によかれと思うことを舵取りする、また各研究科のパワーアップを図るのが仕事だろう。がしかし、企業ではない。右向け右では動かない。彼らの仕事は、いかに研究環境を整備し、教員・職員が気持ちよく力を発揮させる、そういう方向に導くことだ。それ面白いね、研究費付けるから、どんどんやって、とか。研究という営みは、結局は、教員個々のやる気を引き出すことしかない。締め付けても、給料分だけ仕事をすればいい、一生懸命やっても査定され文句を言われるだけだ、とやる気を削いだら、もとも子もないですよ。まあ、そうは言っても、院生もおり学部生もおり、そんなことには関係なくやりますけど。
◆元にもどって、理事長とか学長が、大所高所からこうすべきとか、こうした方がいいとか、そういうことが仕事なのだから、提案し、実行に移そうとする。その時に、自分の意見を通しやすい人選をして、それこそ職務命令で動かそうとしても、反発をくらうだけですよ。結局は機能しませんよ、ということ。彼らがすべきは、部局長会とか、よく知らんけど、全学の会議において、いかに各研究科を説得しそういう方向を実現させることに努力するということだろう。彼らのいうことがもっともで、こうしたいという方向性が合理的ならば賛成しますよ。アホじゃないんだから。たとえば、危機感を訴えるという時も、どこまで本気かということが伝われば、人間、動かされるもんですよ。そう言うことが大事なのであって、複数候補を立てて学長が選ぶという制度改革が、どれだけの効果があるのか、きわめて疑問なのである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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