人を幸せにする人になろう

八戸研究会(5)八戸市博物館

◆お昼、ちゃんこ屋?に入る。で八戸に向かう。
◆根城の入り口に八戸市博物館がある(たぶん前に一度来ている)。丹後 平古墳群の遺物、例の獅噛環頭などがある。丹後平でも、7・8世紀と9世紀で差があるらしく、7・8世紀は埋葬施設を作ってから墳丘を盛り、現状は平らになってしまっていても、周溝だけでなく埋葬施設が残っている。が、9世紀のものでは、すべて埋葬施設が飛んでいるのだとか。墳丘を造ってから埋葬施設を掘り込むらしい。なんでこういう変化が起きるのでしょうね。
◆それと翌日の研究報告では、8末から9世紀前半は竪穴の数が減り、9世紀後半になると一挙に数を増やし安定的に推移するという。やはり38年戦争の影響なのだろうか。5世紀後半の第一波、78の第二波、9世紀後半以降の第三波があるらしい。古墳はなお続くが、埋葬施設のあり方が変わるらしい。埋葬施設の構造も変化するのか、それはわからないが。
◆先を急ぐため、博物館の滞在時間は短かった。根城の遺物を見かかったところで退室。

八戸研究会(4)微妙な凸と凹

◆竪穴住居が窪みで残っているという。北海道の常呂が有名だが、ここでも点々とあるのだそうで ある。地図では、右に古墳群があるが、左手の赤印がそれである。
◆実際に見たいという要望が強く、一箇所、見れる場所に案内いただく。
50㎝程度のクレーターが確かにある。
◆奥入瀬川に面する台地上に、集落遺跡がならぶという。なかでも中野平遺跡が大規模なものらしい。古墳だけでなく、集落とセットで、7・8世紀以降の様相が捉えられるようになっているわけだ。

◆表題は、古墳の凸50㎝、竪穴住居の凹50㎝、という意味です。

八戸研究会(3)阿光坊てづくり古墳館

◆ひきかえして手づくり古墳館に。もとコンビニ、そこに地元の協力で、ほんとうに手作りで、予算 40万円で資料館を作りあげたという。
◆土師器系土器、竈、玉、須恵器、むろん大
刀、馬具・・・。そして米。7世紀の中頃~とか。つい38年戦争までは、文化的境界は多賀城と胆沢地方の間か、と思ってしまうが、そんなことは全然ない。もっともっと早くに倭の文化は八戸におよんでいる。8世紀には津軽地方にも及ぶのだそうだ。
◆ただしこの施設、常時開けているわけではないようだ。あと、盗難が心配である。

八戸研究会(2)おいらせ町の阿光坊古墳群

◆9:00に八戸を出発する一行と、阿光坊古墳群でちょうど合流できるという計算。9:30くらいには 阿光坊古墳群に立っていたが、集合は古墳館なんだろうか現地なんだろうか、タクシーを降りるところで確認の電話をする。Fさんからおいらせ町の担当の方に電話を入れていただいたようで、古墳館に案内される。一行は八戸市がやってる現場をひとつ見てからで、到着は10時過ぎだった。天候悪く、まだ雨が落ちてこないうちにと、まず現地。
◆いわゆる末期古墳群。125基あるという。おばちゃんが勾玉を畑で採集し遺跡発見につながったという。1988年に最初の発掘が行われる。その時は下田町(合併しておいらせ町に)。が1990年までは弘前大学などに依頼したもの。オレが末期古墳をすこしかじったのは1990年代後半で、名前は知っていても、内容はほとんど知ることもなかった。町に職員を配置し自分のところで掘るようになるのが、1999年。それにより広がりをおさえ、史跡指定されたのが2007年だったか。現在は、史跡整備にむけての段階に進んでいる。
◆末期古墳は、そう大きくはなく、また周溝はかなりの角度で掘り込むもので、盛土もそこそこの コンモリ観あるものと思うが、当然に、早くに墳丘の初期流出があり、溝は埋まり、一定のなだらかな状態となり、さらに徐々に長い時間をかけて溝が埋まっていくのだろう。墳丘が畑地などになり削平されていなくとも、現状では例えば50㎝とか、1mはない高まりなのである。したがって、当然に、後世の開墾が入ればならされ、ほぼ視認できなくなる。
◆阿光坊でいれば、手前の古い時期のものは、畑地になりほぼ現状ではわからず、奥の十三森支群は山林斜面地で、そっくりと、わずかな高まりの墳丘がポコポコと残っている。間に谷地があり、墓道も検出されているという。

2013年9月16日台風18号

◆大和川が警戒水位に達し、住吉区など3区に避難勧告が出たのだったか。その時の画像です。上 が石川を北から撮影したもの。河川敷は野球グラウンドなどになっているが、そこは完全に水没し、堤斜面の水位に達している(ピントあってませんが)。
◆次いで、より横長なのが、大学近くの大和川。ここも河川敷をはるかに越えている。

八戸研究会(1)三沢に飛ぶ

◆木曜日5限のあと、東京に向かう。品川で降り、京急線で蒲田に移動しホテル。ヒストリアの校 正を返す仕事だけやり、うだうだして寝る。翌朝6時に起き、羽田空港へ。7:45発。バーコードだけで検査場からスタートなのは便利ですね。朝飯を食べ、『大阪の非人』ちくま新書を読みつつ・・・。
◆天気は悪いが空の上に出れば青空。ほぼ下が見えないので、科研の申請書を書いていた。がすぐ降下ををはじめ9時に三沢空港に予定通り着く。タクシーで、おいらせ町の阿光坊古墳群に向かう。

息子とめしを食い

◆東京で初めて会いました。分属の決まった学科は、2回生後期からめいいっぱい授業があるらしく、週19コマだって。実際には火曜日はなく、月曜4、水曜5、木曜5、金曜5、なんだそうだ。ええ~、朝から晩まで授業があるの?、信じられない~、というところ。なので、18時まで授業で、20時からバイトだというので、飲み屋というわけにもいかず、めし。オレだけ生ビールを・・・。
◆しわしわのシャツを着ていて、このオレでさえ、なんとかならんのか?、と。アイロンを買うかどうか思案中だとか。テニスの試合で大宮に行くのに600円もかかる、と。大学生はそんなもんですか。まあ、まっとうというべきか。先のシャツ問題では、いいか、シャツに皺を寄せないために は、こういう洗濯の仕方と干し方をするんだと指南してやった。なるほど~と聞いておりました。イギリスみやげと、別に渡したい本があって、梱包するとこまでやっていたもの。送っても、下宿にたいがいいないだろうし不在票になり、めんどうやろな~と手元にとどめていたもの。それを持っていって手渡す。
◆19:30頃、下北沢で別れる。帰りの新幹線では、もうワープロにむかう気力なし。難波駅で「おおさかあそ歩」のいろんなコースのチラシがあったのでパチリ。この大阪ガイド団体はすごいんですよ。ものすごい数の大阪まち歩きのコースを誇る。難波駅なら難波駅近傍のおすすめコースのチラシを置いているらしい。

印刷博物館

◆東京での用件終了後、場所を確かめてこなかったので電話し、印刷博物館に行く。有楽町線の江 戸川橋が最寄り駅、案内表示がなく、おばちゃんに聞くと、凸版印刷で しょうと教えてくれる。文京区小石川、印刷会社が集中している。で、トッパンのゴッツイビルが見える。
◆この新しいビルの一画に印刷博物館がある。1時間くらいでしたが、けっこう楽しめました。印象に残っているもの、写真植字の原理がよくわかったこと、カラー写真の分解っちゅうのが、実際にはどういう作業をしているのかということ、むろん活版の活字も見事なもんです。一画に体験学習施設があるが、実にすごい施設で、本格的な印刷所みたいな雰囲気で、壁に活字がならんでいる。自分で活字を組んで印刷するという体験ができるらしい。職人さんがいる。体験の時間は決まっていて、申し込んだ人だけが作業部屋に入れる。ガラス越しに見るだけだったが、中に入りたかったですね~。
◆コレクションはすごいんだろうし、印刷技術の発達の説明もあるんだが、もうすこし踏み込んでくれてもいいようにも思った。実物があるわけで、実際にどうするのか、そのへんがわかるように、もっと工夫できるようにも思う。ここも内部の撮影は禁止。
◆昨日の博物館概論で、竹中大工道具館に行きたいんだが、まだ行ったことがないんだ~、と紹介 した。今度、是非、行ってみよう。

インターメディアテク

◆東京駅に着くと、すぐインターメディアテクに行く。前に研究会後に寄った時は17時を過ぎており閉館していたもの。動物の骨、剥製などの標本が中心だが、実験道具や、三角定規などもある。標本のラベルを見ると明治10年とある。歴史が違うわな~、普通の大学は戦後です。また講義室が復元され、標本棚も机も昔のものがならぶ。内部の写真は撮らせてくれない。
◆そうそう、弥生土器第1号もありました。それと、けっこう人が入っている。そして無料。
◆ただ、なんというか、あんまり説明がないのです。美術館的なのです。確かにまとまった展示も あるが、雑多という面もあり、系統的説明はしにくいのかもしれない。館長の趣味なんでしょう、アートの人のようですが、全体の雰囲気も個々の展示も、斬新でゲイジツ的な路線を追究しているわけだ。

7日の月曜日

◆堺市の現場はなかなかのものだった。検出された調査区の画像を配列した図をもらったので、墳丘の復元をしてやろう、きっと○○型に違いないと思っているが、その作業をする余裕はなかった。戻って研究会。そこから原稿に向かい、できると思っていたが、未完のまま18:30をむかえ、和泉市史の執筆者会議が21:30まで。大園遺跡の発表を聞く。
◆夏休み、息子が帰ってきて、なんと文庫本を読んでいた。ヘミングウェイ『武器よさらば』、えっ、なんでまた・・・。本など読まず、現代国語の苦手だった彼が、なにやら本を読み、東京に戻るとき、本棚から見繕って10冊ほどもっていった。人間も変わるものである。専門の学科分属では、希望の学科には行けなかったらしい。で、電気なんとか、らしいが。
◆下の娘の2回目のセンター試験の願書をこないだ出した。行く時間がないから出しといて、と。彼女は理学部志望だが、数学が課題なのだが、さてどうなることやら。
◆昨日の原稿はすぐに校正が出て、さっき初校直しを終えた。まあ、こんな調子でいつも迷惑をかけています・・・。さあ、記事の原稿を完成させよう。
◆水曜日の東京。台風が近づいており、さてどうなりますか。新幹線往復5時間で、科研の申請書をだいたい書いてしまおう。こないだの対策講座、めんどうなことではあったが、自分の勉強にもなった。それで得たものをもとに、ばっちりの申請書を書きたいものである。
◆ちなみに、どうなるかわかりませんが、9月末、来年4月から半年のサバティカルの申請をしました。半年の休みをもらうつもり。ただし、博物館実習Ⅰ(通年)はほかにやる人もいないし、これだけは前期もやるという予定で申請した。認められますかね~。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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