人を幸せにする人になろう

教授会と歴史学新任教員歓迎会(記事№1700)

◆4月19日、文学研究科長が交替し、その最初の教授会だった。事務方も代わり、着任挨拶から始まる。長くなるのではとの予想だったが、18時には終わる。そのあと、日本史と世界史に新任の教員1人ずつを迎えたので、夜、いわしで懇親会。
◆この間、15~の週は、『市大日本史』の残る論文1本の原稿が到着し、これこの1月に提出された古代史の卒論なのだが、長く、そして史料が散りばめられ、また表が23もある、トホホである。頁数を抑えるという使命もあるが、それ以前の、卒論としての丁寧な記述で、それは好ましいことながら、そこは言い切り方や端的さも必要で、了解をえて徹底的に手を入れることにした。空いている時間すべてを費やし、それでも4日ほどかかり、36頁まで絞る。これを入れれば、大物はすべて入ることになる。その他の校正も順調に出てきてはおり、研究室だよりの原稿にかからねばならない。

4月18日、近つの集荷

◆無事、玉手1と3の遺物が運び出されていきました。市村さんと、副館長になった西村さんが来られた。業者が荷造りしている間、西村さんに庄内の土器のついての質問をして、いろいろと情報をえた。やっぱりプロの話を聞くのは勉強になる。あと泉佐野の諸目遺跡が日根郡衙ちゃうかという話を熱心にされていた。次の大阪府の速報展での目玉になるだろうとのこと。大歴でも原稿をもらおうかな。もうすこし遺跡の情報を集めてみよう。
◆集荷の風景を写真にと思いカメラを用意したが、結局、話し込み、画像はなし。ちなみに秋山さんが弥生博に移られたとのこと。黒崎さんが館長になって、挨拶に行かねばと思いつつ、行けていない。

八重の桜

◆第1回目だけ見ていないが、ずーと録画もしながら見てます。視聴率が10%くらいしかないとか、山本覚馬が主人公みたいで綾瀬はるかの登場場面が少ないとか、ちまたではいろんなことをガーガー言っているようだが、オレはけっこう面白く見ており、毎週、楽しみにしている。剛力綾芽はどうかと思うが。
◆そしてトンイも。これまた、イサンの時と同じ俳優なども目立ち、どうかとは思うが。ヒロインの女性はとても魅力的である。

東大寺ミュージアム

◆いつできたんでしたっけ。2011年の秋だったか。いまは鎮壇具の特別展で、大刀を見ることができた。当麻寺もよく古いものIMG_9344.JPGが残っているが、東大寺を見ると、かすんでしまうような気がする。ならべてあるものが、まあすごいわけだ。国家財政をつぎこんだ官大寺で、しかも焼き討ちにあったとはいえ、その後も隆盛し、いまに続いており、正倉院は言うまでもないが、残っている物の質量は段違いであることをまざまざと見せつけられる。
◆興福寺は興福寺で復元工事にかかっており、国宝館はあまりの人の多さに結局スルーしたが、これまた大繁盛。儲かってまんな~、というところ。元興寺との落差を感じざるをえない。
◆そのあと新薬師寺にも行き、帰ってくる。新薬師寺、奈良教育大学構内で検出された遺構は結局はどうなったのだろうか。どう決着したのかは知らない。
 

翌日14日は奈良

◆カミさんと奈良へ出掛ける。なんだっけ、当麻寺の曼荼羅を見ようというのがきっかけだが、それなら興福寺も特別拝観をIMG_9337.JPGやっているし、東大寺ミュージアムにも行ってみたいと。
◆最初は元興寺、恥ずかしながら初めて。往事の大伽藍のうち、僧坊部分の一画がいまの元興寺。宝物館に入るが、ちょっとくたびれてきている。
◆猿沢の池のほとりで昼を食べ、興福寺に行くが、人だらけで見送り、当初の目的である当麻寺展へ。常設を展示をすべてとっぱらっての大展示。お寺で見るのがいいのは確かだが、展示施設で見るのもまた違ったよさがある。まあ古いものがよく残っているモノだ。曼荼羅も、複製が3つ作られたとか、現存するのは2つで、複製の最初のヤツは寺にはないという。どこへ行ったのだろうか。とにかく奈良時代のほんものは、絹のようだが、裏打ちを直したりしてきたのだろうが、ふだんは巻いているのかな。とにかく、壁面にぶらさげてホンモノを見ることができたわけだが、絹地が折れて、横方向のオレが無数に入る。こIMG_9342.JPGういうのも、しっかりした裏地に固定し、保存処理し、広げた状態で保管していくのがいいのだろうが、デカすぎるんでしょうね。
 

4月13日、淡路の地震と大歴現地見学検討会

◆4月13日の現地見学検討会の朝、5時33分、カミさんがびっくりして飛び起きて起こされる。携帯に入った緊急地震速報にIMG_9330.JPGびっくりしたという。かなりの揺れであった。ただちにテレビをつけると、NHKはすぐに臨時の地震速報となっていた。1~2分くらい、これもまたすごい体制である。震源が特定され、淡路の断層で、震源は浅く、津波の心配はないとのアナウンス。南海トラフではなかった。そうこうするうちにヘリも淡路に飛んでいた。
◆被害が具体的にわかってくる前に、車で神戸に出る。阪神高速神戸線は込んでいて、関係者9:30集合にぎりぎり間に合わなかったが、35分くらいには兵庫駅南に資料をもって到着した。が、途中、電話が入り、大阪駅まで来たが電車が動いてませんとの連絡が入る。私鉄はぼちぼち動いていたが、集合場所のJRが動いていない。天野君と河野さんがいるだけ。あれあれ、どないなるねん。電車が動いていないならしゃーない。10:00に見学会開始をひとまず30分ずらす。結局、地元の方々10数名くらいであった。
◆11:00まで待って、遅れていた企画委員2人は午後の会場に行ってもらい、会場設営にかかる。午後、やっぱり集まりは悪い。関係者を入れても40弱というところか。発表者の1人は滋賀からで、京都駅まで来たがストップしているとの連絡が入り、行けないかも・・・との連絡も入り、阪急でとにかく来てくれと頼み、発表順を入れ替え、なんとか予定通り3人の報告をいただいた。発表もよかったし、人数が少ないのはとてももったいないが、いたしかたないところ。
◆あれから1週間か。いろいろ思うところもあったが、既に過去になりつつある。

室津の大阪城残石

◆室津に大阪城の残石があるとは思わなかった。最初見たとき、きっと小豆島から移したんだろうと思ったが、説明看板による70e7f455.JPGと、室津の海に沈んでいて引き揚げたものという。

室津の幼稚園と小学校

◆沿岸部にある小学校と幼稚園、なかなか趣がある。小学校は伝建のまちである室津を意識して、一定、景観cb4f8d77.JPGを配慮したデザインなんだろう。建物の全体の写真を撮るのを忘れたが、桜のむこうにあるやつ。最近、新しく4b27f9c0.JPGなった?。それとその東隣にある幼稚園は、これは大陸風というか、海に面したオレンジ色の瓦屋根の非日本的なもので、これはこれでおしゃれである。
 

室津の賀茂神社

◆室津の賀茂神社は11世紀末・12世紀はじめに京都から勧請したものという。なかなか立派な神社である。桜は満開。a823dd12.JPG
 

4月7日、室津

◆土曜日に一仕事してから、加古川に行く。この日、爆弾低気圧が通過するというので、外出は控えるようにニュースでさんざaae9e911.JPGんアナウンスがあった。おかげで阪神高速はガラガラですいすいと到着。やはり時折の風は怖い63a296eb.JPGのでスピードは抑え気味。
◆翌日、親と室津にでかける。両親は何度も訪れており、正月もカキを買いに来たとのことだが、恥ずかしながら、われわれは行ったことがない。むかし発掘であのあたりに泊まっていたときに、ドライブで七曲がりをめぐった記憶はあるので、通ってはいるのだろうが。
◆旧御津町、いまは、たつの市。カキを販売している西側に車を止め、まちなかを散策。海駅館というのと民俗館というのがある。この日、偶然、小五月祭で、賀茂神社でいまは祭礼をしているが、もうすぐ街中を練り歩くというのを海駅館で聞いて喜んだが、天候不順のため中止となったとの情報が聞こえてきて残念。もっとも天候はぜんぜん大丈夫なのだが。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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