人を幸せにする人になろう

松阪城

◆長らく県史跡で、国史跡になったのは平成24年というから、こないだの話なんですね。修復などの必要な手も加えて、いまbec4c731.JPG見える石垣はけっこう見応えがあります。天守をはじめ櫓など復元されたものはなく、石垣だけ8c7a943e.JPGで、まさに城跡といったところだが、けっこうこれだけでいい雰囲気である。
◆そこそこ人はいた。が、あんまり滞在時間は長くはないかも。和歌山藩領で城代が派遣されていたというから、ひとつの藩の本拠としての城でなく、どっちかというと名だたる商人のいた町の方が中心といえるのかもしれません。
◆どこまで発掘調査をしているのか知りませんが、多少、遺構の写真とかを使った説明板みたいなものを配置して、城の説明を加えてもいいのではないだろうか。
◆ちなみに、石垣って怖いですよね。とくに小さい子供がいると。やっぱりへりに柵がいるのではないか。
 

松阪神社

◆ウィキによれば、式内社なんですね。「延喜式神名帳に記される「伊勢国飯高郡 意悲神社」の後裔社とされる。創建の年代b10f533a.JPGは不詳であるが、古くからこの地に鎮座し、国司の飯高氏が産土神として崇敬した。天正16年(1588年)、蒲生氏郷が当社の森(意悲の森)に松阪城を築城して当社を城の鎮守とし、八幡神を合祀した。」、だそうである。
◆が、もともとの場所なのではないのかもしれませんね。社殿も新しく、なんかありがたみがなかった。松阪神社の隣に本居神社というのもある。神さんになったのね。これもウィキでは、「松阪発祥の生地、四五百(よいほ)の森。本居宣長ノ宮は常緑樹が繁るこの森厳な森に包まれるようにして鎮座しています。本居大人奥墓がある旧山室村からこの森に遷座したのが大正4年。ながく本居神社として親しまれてきましたが、平成7年社号を本居宣長ノ宮と改称。」、だそうである。隣に会館があるが、自民党なんでしょうね、ポスターが貼ってある。むろん、こんなお宮に参ることはありません。で、神社に行くために迂回して城に入ったわけですが、大手口の正面あたりの城代?屋敷がいいみたですよ。
 

松阪の町

◆近江もだが、伊勢もけっこう小麦?を植えている。青々と麦が育っている。9:45くらいに家を出て、12時過ぎに着いたのではなかったか。松阪は、下の娘が大阪に来るときに、レンタカーで引っ越し荷物を積みつつ、登呂遺跡やら御前崎などを見ながら西に向かdb05c59b.JPGい、伊良湖崎からフェリーで鳥羽406c9cd4.JPG港に入り、松阪で味噌煮込みうどんを食べたのが1回。近鉄の1日乗車券で志摩に遊びに行った帰り、夜の特急を押さえた上で、駅前の飲み屋に入り、牛肉を食べたのが2回目(確かに松阪で肉を食べた)。むろん、宝塚1号墳に行ったりしたのは別に何度かある。
◆なにも調べていないが、松阪といえば本居宣長。で町並み歩きをしようという企画。駅について地図を見て、城下町なんだということを知る(無知)。で、資料館や看板や冊子やら、どこもかしこも、蒲生氏郷が築城したと・・・。冊子を見たら、松ヶ島城があったものを、場所を変えて新たに突貫工事で築城し、けっこう逃げ出した農民もいたようなことも書いてある。氏郷自身はそのあと会津若松に転封になり、40才で死んだのだそうである(京都の墓の改修のため掘り出されたとも)。で、江戸時代はずっと和歌山藩領という。このへんが近世のわからんところですね。人口16万7000人という(伊賀市9万5000人よりかなり多い)。
◆なんとなく、伊賀上野と似た雰囲気を感じた。城下町で江戸時代には栄え、近代に鉄道が通り、駅前が新しい町として発展する。1980年代くらいまではけっこう栄えたのだろうが、いまは駅前が寂れている様子。でも、城跡をはじめ城下町に地元の人を含めて観光客はそこそこおり、またなんといっても松阪牛、牛銀と和田金という、好き焼き屋はかなり繁盛している様子でした。また古い町屋を利用した8bd06650.JPGしゃれた店やカフェや、おみやげ物屋もかなりあって雰囲気はある。われわれも松燈庵というところでお昼をいただきました。予21363638.JPG約でほとんど埋まっていて、カウンターでいいですかと言われて案内されたが、ちょっと席の問題があって、結局、2階の座敷でゆっくりとすることができた。これ城下町の一画なんだが、古い建物を利用した人気の店みたいですよ。われわれはタマタマの偶然ではあるが。
◆なかなか古い町並みといえるような、ある程度長く続くのは限られた一画ではあるが、単体の古い家屋はそこここに残っている。だいぶ新しい家になってしまい、そこが惜しいが、城下町、伊勢商人の町というもので、いま残っているものを大事にしながら、町おこしはできるだろう。いちばんいい雰囲気の城代?屋敷のところは、ちょっと迂回して城に行った関係で見逃した(残念、それと、はにわ館も。また出直そう)。
 

5月3日、松阪へでかける

◆GW中の休み。カミサンと松阪へ出かける。予想通り、特急はだいたい満席で、帰りの特急券を買った上で、行きは急行にする。2時間caec6776.JPG強かかる。が、天気よく、田植えの風景をながめながら楽しく旅をする。牡丹祭り?で長谷寺に臨4120189e.JPG時停車する。
◆榛原、名張、桔梗が丘、伊賀神戸・・・。青山高原の長いトンネル、西青山を抜け、長いトンネルを越え東青山に出ると伊勢なんだろう。東青山駅の前が「四季のさと」という公園。国分駅から急行に乗ったとき、同じ車両に乗っていた子供二人連れの家族は、ここで降りていった。大阪からなんでしょうね。また、モンベルの登山衣装を着たかっこいい女性がいたが、たぶん彼女は御在所岳に登るんだろうな~、と想像。榊原温泉口のところでは、ミロのビーナス、サモトラケのニケ、自由の女神など、へんてこりんな銅像の建つ施設があった。調べてみると、ルーブル彫刻美術館というものらしい。
◆伊勢中川で乗り換え。グーグルマップを見ていると、平行してJR名松線というのが走っている。これ、一度、乗ってみなきゃいけませんね。
 

久津川車塚5月5日

◆【岸本・道上・小川・中村・松原・松本・木浦・左海・濱中、9:30-17:30】045ad573.jpg
◆道上チーム(道上・小川・中村+松松コンビ)は、後円部墳頂のP6から、後円部上段斜面を測10c048b0.JPGり下ろす。3回生以上のチームで、基本的に任せっきりにしたが、わいわいがやがや言いながら、想像以上に、墳頂の樹木が多いなか、稼いでくれました。
◆実習生チームは、木浦・左海・浜中で、前方部西側面を下ろし、ほぼ上段裾までたどり着く。基本的にこっちにいたが、実習生もすぐに慣れ、何もしなくても進めてくれる。
◆このGWの陣はこれにて終了。
 

久津川車塚5月4日

◆【岸本・小迫・筋原、9:30-17:10】d134e828.jpg
(1)昨日の続きで、P14に立て、墳頂部をやっつける。
◆(2)P1に移動して、D3の紙の西北部の前方部側面を入れる。用紙の面積でみるとわずかなように思ったが、傾斜が急で、何本も等高線が走り、かなりの時間を要する。50㎝ずつ測り、間の25㎝は見ながら書いてもよかったのだが、微妙な凸凹もあり、単純に25㎝ずつ測り下ろす。
◆(3)D3の紙をいちおう埋めたので、D2の紙を用意し、上から測り下ろすが、7本ほどで終了。先は長いが、やれば埋まっていく前方部側面である。

久津川車塚5月2日

◆【岸本・道上・徳満、9:00-17:00】(1)P8にて、後円部墳頂南から前方部頂き(鞍部)にかけての部位の続き。墳頂はX-910c433c43a.jpgまですぐに到達するが、とくに東くびれ部について、下げれるだけ、標高38mまで下げる。
◆(2)次に基準点測量。P10・P11、P12・P13、そして前方部頂前端のP14の測量。
◆(3)そしてP13に移り、前方部頂の大半を測量する。
◆(4)P14に移動し、前方部頂前端部をまわしている途中で終わる。43mと42.75mまで。墳頂部としては、あと、42.5m・42.25m・42m・41.75mの4本を入れれば終了する。後円部と前方部でほぼ高さは同じ。誉田御廟山タイプと思われる。

久津川車塚5月1日

◆【岸本・道上・山口、9:00-17:00】(1)まず後円部くぼみ東のP9に据え、C4だかの紙に測れるだけやる。両側に墳頂部からcb1a110b.jpgのびる尾根線があり、中央部のくぼみも微妙な起伏があって、紙の変わり目だけにやりにくい。ba262007.JPG東側は線路への崖となっている。あまり無理せず、崖肩くらいまでなんとか入れて、ここは一旦終了とする。これで午前いっぱいを要した。
◆(2)後円部墳頂北側に2本、前方部頂西縁に2本、新規で杭を打ったので、午後は最初はこの基準点測量を実施。
◆(3)そのあと、後円部頂南のP8に据え、墳頂縁辺を記入し、そこから前方部墳頂(鞍部)にむけて、43,25m41,25mまで入れて、本日は終わり。
 

4月30日は雨

◆まあなんて天気予報は正確なのだろうか。午後からという選択も考えたが、まああせらずに。今日は1日なしにして、明日また頑張りましょう。ということで、城陽から大学に行き、仕事をしていました。

久津川車塚4月29日

◆【岸本・山口・嶋野・栗田】9:00~18:00 山口さんと実習生2人。3人いるので、オレは途中まで基本的に枝打ちなどの環境整備。効率を追求せず、せかせかせず、1日参加の実習生にも、3つの役割をそれぞれまわし、面白かったと思って欲しいもの。27日に引き続き、P7に据え、後円部の窪みを測量する。朝、最初に次の展開のためe265ad2a.jpgに、P8(前方部側)とP9(窪みの線路寄り)を新設する。途中、P7は限界が来たので、P9に移IMG_2229.JPG動し、ヤラレの肩のラインから、Y-180の紙の端まですべて埋める。最後に、C4の紙を用意し、Y-180より東(線路)側を少しやって終了する。
◆長友さんと中村さんご夫妻に陣中見舞いに来ていただきました。
◆1人、プラムイン城陽に宿泊する。1時間で家に帰れるのだが・・・。ネットはない。図面の手入れ、基準杭の整理、図面の進捗記入、日誌の記入などして、風呂に入り寝る。仕事を持ち込むも・・・。明日は雨・・・
 

プラグイン

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索