人を幸せにする人になろう

楠葉台場跡の史跡指定申請

◆韓国に行く前、枚方市の竹原さんから、楠葉台場跡の史跡指定申請についb749c7fa.JPGて知らせていただいた。うれしい98502b7e.JPG限りだ。第3専門調査会は10月末に終わり、11月の審議会で答申されるようだ。
◆幕末の歴史遺産として、京都・寺田屋などは観光客であふれている。楠葉台場はちょっと毛色が違うものの、異国船の大阪湾侵入に対する海防を契機としながら、本質は幕末期の京都情勢とからみ、京都警護の防衛線であり、鳥羽伏見の戦いの一画をもなし、京そのもの、あるいは蛤御門や寺田屋と違い、こうした幕末期の「遺跡」として貴重なものだと思う。
◆区画整理との折りあいがどうなったのか、具体のことは知らないが、枚方市の努力に敬意を表したい。そして、これからどう保存していくのか、どのような整備活用をしていくのか、じっくりと考えて欲しい。前に『ヒストリア』にも書いたが、幕末人気は高く、そうした受け皿になりうる遺跡だと思うし、八幡から京街道があって、そして関門が置かれているという雰囲気は体感できると思われる。これからがまた、知恵の働かせどころだが、なにはともあれ嬉しいことである。
◆帰国すると、高槻市の中西さんから、しろあと歴史館で〈幕末〉展を開催しており、図録を送っていただいた。大河ドラマもあって、タイムリーな企画だ。対岸の梶原台場も、楠葉台場が確認されたあと、具体なことが判明してきたもので、両者が連動するように解明されてきたことも重要だ。さっそくに企画展で取り上げていることに敬意を表したい。
【追記】2011年02月07日、官報告示。

2010年10月10日備前長船

◆考古学の学生らとの見学会で岡山に。天王寺集合で備前長船へ向かう。今年、卒業論文で日本刀で書こうとしてい31761d62.JPGる学生がいるため。デジカメを忘れるという失態。画像は携帯。410f9928.JPG
◆まず閑谷学校。儒教が柱となると、中国・韓国風となる。石垣にしても・・・。で展示を見ていると、孔子を祭る儀式で用いる、ヘン(有機質の高杯)・豆(刳り物の高杯)、そして青銅器の爵があって、唖然。有職故実もええとこや。先に韓国の青銅器イ器について祭器としての特殊化にふれたが、それと同じことを感じた。
◆道路沿いの讃岐うどん屋で昼を食べて、長船の資料館へ。展示室でわれわれが熱心に見ていると、丁寧に解説をしていただいた。第2土曜日で、刀鍜冶の実演があるというので見た。炭と鞴がいかに重要であるかを認識した。多量に放り込む炭、そしてず~っと鞴を動かして鉄素材を熱している様子に感動。鞴って、あんなにずっと動かしているものという認識が実はなかったのだが、実際に叩いている時間より鞴を動かしている時間の方が長い。製炭窯って、7世紀以降のものしか認識していないが、5世紀のものって見つかっているのだろうか。鍜冶技術の上で製炭技術もきわめて重要であd4ef89f7.JPG449fbc84.JPGことがわかった。
◆それから中世福岡の市の跡地、看板を見に行った。少し川から入った旧道では祭りの最中、歩けば古い町並みのよく残っているところらしいが省略。
◆それから、備前市の歴史民俗資料館に、17時の手前に入り、さっと見るので見せてくださいとお願いして見学。もうだいぶくたびれた展示ではある。備前焼がメインだが、古い考古資料の部屋もある。香登鶴山丸山古墳の鏡が1面あった。
◆そこから、なぜか熊山遺跡をめざす。なんかぐるりと北側に廻り、夕刻の迫る山道を車で上がる。頂上に着き、駐車場に車を置き、学生らと遺跡まで少し歩き、、到着する頃はすっかりと暮れかかっていた。5e3a6a31.JPGその展望台からは、瀬戸7a90b04d.JPG内が見渡せた。小豆島が大きく横たわり、なんとか川が流れ、屋島ものぞむことができた。
◆SAでラーメンを食べ、帰阪する。

残務処理など

◆11月03日の記事もついでに書いておこう。もっとも、帰りの飛行機のみだが・・・。天気はよく、窓からずうっと外を14d6d641.jpg見ていた。金海空港を離陸した飛行機が、一旦、釜山上空に移動し、東三洞遺跡のあるなんとか島が見えてきて、「ああ昔、バスで行った、その先端はたぶんテジョンデといって、天気がよければ対馬が見える」という話だったということを思い出していた。で、後部の窓から釜山を名残惜しく見ていた目を、前方の窓に移したら、すぐに対馬の島影が見えたのでびっくりした。いかに近いか・・・を実感した。
◆そのあと、日本が見えたのはしばらくたってからで、あれは宗像あたりがろうか。あとは日本海、しばらくすると島根あたり、飛び出した山は三瓶山だろう。そして、鳥取に入って、そこから中国山地を横切る。瀬戸内海が見え、小豆島が見え、屋島が見え、津田湾が見え、徳島の吉野川河口部、そして和歌山から大阪湾に入っていった。淡輪の前方後円墳が見える頃はたいぶ高度も低くなり、関空へ、金海から70分程度である。
◆さてと、10月23日の京都での飲み会のあと、24日0時から3時までグデングデンになって京都駅で倒れていて、起きたら鞄がなくなっていたのである。大事なものがいっぱい、これでなくなってしまったのである。詳細は、恥ずかしいので伏せておこう。まあ、そんなんで、リカバリーできないものが多々あって・・・

韓国おわり

◆明日は帰るだけなので、今日が実質の最終日。朝、二日酔いで、一度目は開いたが、9:30まで寝ていた。ま482d5a15.jpgだ頭は痛い。10:15に博物館に行くと、福岡市の人が3人来られていた。福岡市と釜山市の文化財の交流16年やってきたという。みな知らない人である。
◆今日は文献を読んで、理解したところを文章化したり、後半は申先生の前期伽耶土器編年を模式図にしていた。いろいろ聞きたいことはあるが、また整理の上、平郡くんに聞こう。
◆昼は、研究員の柳さんともう一人の人が一緒にと声をかけてくれ、学食に行く。300円の定食。食べたあと、米のとぎ汁がおいてあり、それを呑むんだとか。
◆17:00きっかりに博物館を辞し、地下鉄で釜山駅に。東横インに入る。フロントのおねえさんが日本語で対応してくれ、ほっとする。部屋は狭いが機能的にできている。シャンプーも備え付けてある。トイレもウォシュレットだ。ネットも完備。ポットもある。お腹がすき、前に買ってありながらゲストハウスではお湯も沸かせず食べられなかったカップ麺をまず食べ、一息入れてから食事に出掛ける。写真と英語付きのメニューを出してあるので助かる。ビビンバを食べ(3500W)、それからコンビニで酒を買う。駅裏のロッテマートに行くと、おみやげにはことかかないが気力なく、コンビニでチョコレートを買ってお茶を濁す。あとは空港だな。
◆明日は9:30の飛行機と早いので、早く寝て、間に合うように行かねば。リムジンバスは8:00からみたいなので、タクシーだ。しゃーない。

2010年11月01日

◆今日から釜山大博物館で勉強。9:30くらいか、なつかしい石積みの博物館へ行くと、安スンヒさんが出迎えてくれ6d23b1e2.jpgた。10:00過ぎには平郡くんも(今日は午後、2つ講義があるらしい)。昼は、釜山大正門脇にできたごっついビルの食堂街。
◆今日は國學院大學の吉田恵二先生夫妻も来訪されるとのこと。夕刻は宴会が設定されている。釜山大のスタッフは5人、申先生、金ドチョル、梁さん(前にも会ってるかな、女性)、それといま済州島に行ってるという人、新しく国立博物館から戻った裴(上になんとか、Bae、そうかペヨンジュンのぺさんだ)さん。そして博物館には安さんがいる、全玉年さんはいまは非常勤講師らしい。
◆で、釜山大は、いま勒島や福泉洞などの未報告資料の報告書作成をやってec501ee7.jpg453f1de0.jpgいて(10年以上かかるか)、新しい発掘ができないという。韓国文化庁は徹底している。
◆いろいろ話をしたが、いま02日の朝7時過ぎに書いているが、もうめんどうくさいので省略。01日の成果をかかげておこう。これ、既存の文献からのみで、日本でもできる作業だが・・・。大成洞にしても未発掘区がけっこうあるのだ、というより4地区で発掘をしていて福泉洞のように丘陵を丸はだかにはしていない。そのあたりのことを確認する必要がある。それと良洞里と福泉洞などは、主要な埋葬がど8b65ea6f.jpge90d46c1.jpgれなのか、代表格を教えてもらう必要がある。これに申先生の土器編年図をスキャンしてトレースしようかと思っていたが、むしろ、3つの古墳群の埋葬施設と副装品の画像を貼り込んでいく方がいいだろう。
◆さてと、18:00過ぎ、東莱のホテルで宴会、ちょっとびっくりだ。国学院の吉田先生とは大学・奈文研の先輩であるが、釜山大に村松君を留学させていて、そのお礼の挨拶に来られたという。村松君、すっかり忘れて0c386446.jpgいたが(ごめんな)、うちの玉3の測量と7号墳の発掘に来てくれていたのを思い出す。いや~、どこでつながるかわからんね。吉田先生には、佐紀陵山古墳の発掘について話を聞くことができた。
◆國學院から青木豊さんともうおひと方も、そしていま6ヶ月、北京大学の齊先生も非常勤講師で来られていて、大勢の宴となった。齊先生は京大にも短期で人文研にいて、岡村さんでなく(むろんよく知っている)、曽布川先生のところで勉強したという。で、吉田先生が1989年に北京大学に留学していた時から知っているらしく、日本語と韓国語と中国語が飛びかう。申先生と齊先生の会話が日本語であるのが面白い。
◆平郡君は、2年前に韓国の女性と結婚したというが、今日は授業後に忠清道に行って不在。日本人留学生はこのほか数人いて、関大から細川晋太郎くん、玉手3号の2008年に見学に行ったが、わたしはいなかったという。それから阪大の田中由理さん、今日は青木先生の案内をしていたという。平5c117c78.jpg郡君に田中さんの名前を聞いたときはわからなかったが、顔を見ると思いだした。どこかで、申先生が「わたしの娘です」と紹介してもらった(去年の九州博か、それ以前のような気もする。大阪府の博物館問題の時だろう)。去年、博士号を取り、1月から元興寺に就職するので帰るという。
◆2次会で、キムドチョルがべろべろに酔い、「岸本さん、わたしは韓式土器研究会で、あなたの編年を批判した」と言ってくれる。釜山大論文集に書いたことに反応してくれていること、一挙に親しくしてもらい、まったく感激する。

2010年10月31日(日)

◆06:30に目が覚めるが、二度寝。09:00に上南国際会館(ゲストハウス)を出る。地下鉄1号線を蓮山洞で3号線0dbd22ea.jpgに乗り換え(前はまだなかったのでは?)、終着の大渚まで行き、タクシーで国立金海博物館に向かう。現在、金海と空港まで鉄道を延ばす工事が進行しており、まもなく開通しそう。そうなったら、ずうっと便利になる。西部バスターミナルから金海までバスという手もあったが、不安なので地下鉄でいけるとこまで行き、タクシーに乗った(15000W)。運転手は「パンムルガン」が通じなかったが、柳本さんの論文のコピーの地図を見せ、ここへ行けといってでたどりつく。
◆金海博物館、2回目か3回目か・・・、入口と出口が逆になり、新たに体験施設および特別展の建物ができている。展示では2階がかなり変わったように思う。タホリや、大成洞や良洞里、玉田など、中央博に行ってるものをのぞくと、けっこういいものの代表の実物資料が集めてあるのだろう。
64c10f85.jpg23389695.jpg朱蒙などを見ていると、王とは別に司祭女王みたいなのがいて、祭祀をする時は、青銅器を使っている。良洞里などの鼎、あるいは火熨斗といっている青銅器などは、中国のイ器の伝統がかなり長く残っているようにも思う。下って儒教の祭りもそうで、こないだ岡山の閑谷学校へ行ったときも、青銅製のシャクが用いられているのを見てびっくりした。日本には伝わっていないが、青銅製イ器の伝統は根深いものがある。f805ccd0.jpg126426d2.jpg
◆安羅、大伽耶、小伽耶、非火伽耶(比斯伐、昌寧)、など、伽耶諸国のことがまとめられていて、それぞれの陶質土器の違いがわかるようになっているのも興味深い。昌寧に新羅の冠などイイモノが入っているのは、この勢力が早くから新羅と結んだからなんだろう。伽耶諸国の勢力図が描けたら面白いのに。申先生の編年を見ながら、標式の土器を中心に見る。
◆礼安里は史跡になり、良洞里は史跡と書いていないところを見るとfdc1e577.jpg、良92253659.jpg洞里は残せなかったのだろう。
◆12:00終了、大成洞古墳博物館に向かう、以前来たときは遺跡はまだ整備途中、博物館は開館直後だったが6年が経過した。こっちは金海市が建てたもので、多くはレプリカながら、大成洞専用館でそれなりに勉強になる。日本語図録ができていたので購入し(15000W)、入り口で一読して勉強してから展示を見た(13:00-13:40)。
◆それからタクシーで空港へ、金が乏しくなってきたので換金するため。インフォメーションで東莱にはどのバスに乗ったらよいか尋ね、3番乗り場から307番のバスに乗り込む(1500W)。中心部を通らず、亀浦から東莱へ山をトンネルで抜ける。13:15には東莱駅前で下車する。釜山市立の福泉洞博物館、記憶をたどって行くが間違い、少し戻ったが、13:45には入口に到着。3be25b3d.jpg2f5f1e08.jpg
◆ちょうど沓の特別展をやっていて、武寧王陵、水村里のものなど、主だった飾履がならぶ。2階へ行くと、三韓の概略と伽耶の歴史の概観。そして3階が福泉洞の資料。大成洞が4世紀でほぼ収束してしまうのに対して、5世紀以降も墳墓の造営が続く福泉洞は重要である。キャプションで何号墳か明示してないものがあるのはつらいが、あるものについては、メモをとりながら、フラッシュを焚かないで、土器、甲冑、馬具などをひととおり撮影する。なかなか土器の変化がわからないが、それはまあ今晩以降、勉強しよう。b97dbb87.jpg5dc66533.jpg
◆日本人からみてお願いしたいのは、良洞里・大成洞・福泉洞について、おおまかな時期区分だ。だいたい、何時期に区分でき、代表となるのは何号墳か、そしてどんな土器が出ているのか、そして三者を並列してほしい。そういう図面がないので、こっちは頭に入れるのが難しい。結局、自分でやるほかなく、どこまでできるかはともかく、それをまとめた図を現地で教えてもらいながら作成するのが、この出張の目的であり、明日から月・火の両日でできるところをやってしまいたい。
◆17:00近くまで見て、東莱駅から地下鉄、一度、乗り過ごして引き返す。今日はすんなり帰れた。途中メシ屋に寄り、スンプドゥクを食べ(3500W)、コンビニでビールと焼酎などを買い、部屋に戻る。18:30頃には戻ったはずだが、デジカメ画像の一次処理、そしてブログを書いていると21時になる。2時間半を要しているのは大変だが、1日のまとめをするのも心地よい。

2010年10月30日

◆規則正しい生活をしているので、7:00には目が開く。うだうだしていると、8:00、NHKのてっぱ3e2bf902.jpga687c00f.jpgんを見る。カップ麺の朝ご飯を食べて、やっぱり9:00に429b1188.jpg出る。中央博物館到着は9:45、既に開館して人がいる。いつから開けてるんだろうか。2日前の先史からもういちど流し、百済・伽耶の途中のところからリスタート。1階の片側の最終、新羅のところでひと休み、11:45、2時間を要したか。それから1階の反対側、統一新羅、高麗、渤海。けっこう、高麗が面白かった。高麗の都の安鶴宮とはどこなのだろうか。新羅の崩壊から、後三国、そして高麗の再統一まで、もういちど勉強しよう。まあしかし、統一新羅以降、だいたい官衙と寺院、遺物はまっこう臭くなるし、面白くない。12:30昼飯にする(カレー5500W)。
◆12;45リスタート、皇南大塚の特別展、感激である。倭の允恭と同時代に生きた訥祇麻立干(5世紀中頃)夫婦の墓である。昨日の武寧王陵とは60年ほど異なるが、装身具はあんまり変わらんもんだ。新羅は鉄生産、そして金、高句麗全盛期にその庇護下にbe27965d.jpg身を置き、たくみに0c26e623.jpgef2ce4f1.jpgき抜いたとはいえ、なんで新羅が勝ち残るのだろう。攻勢に転じるのは6世紀として、皇南大塚の豊かな副葬品を見ていると、それを準備した5世紀もけっこうやるな~、という感じである(13:23終了)。
◆そのあと、朝鮮時代を流し、1階は終了(13:33)。それから3階に行き、東洋館と仏像を見て、カフェで休憩(14:00、カフェラッテ3000W)。14:12再開、2階の寄贈資料と書画を見るが、これらはひと通りも見もせず、完全な流しで、14:25には終了。ロッカーから荷物を取り出し、博物館をあとにした。
◆二村駅から地下鉄4号線でソウル駅へ。15:00直前、KTXの窓口、51200Wとある。15:10発があるが、次が15:30。窓口で、やっぱり15:30だといわれ、料金は48600W、日本の感覚で言えば、東京-新大阪が4500円ということになる。高速バスをはじめ、公共交通料77c94038.jpg金が安いのはありがたいことである。
◆釜山まで3時間、寝ずにブログの記事を書き、画像の処理をし、最後は文庫本を読んでいて、飽きないままたどりつく。18:30につき、地下鉄1号線で釜山大学へ。19:10にはたどりつくが、そっからが大変だった。ゲストハウスが見つからないのだ、記憶をたどり、2周したが見あたらず、結局最後は本部に聞きに行き、親切にも送っていただいた(感謝)。フロントで名前を名乗ると、わからんと・・・えっ???。結局、申先生に電話してもらい、博物館の名前で予約していることを伝えてもらい、なんとか部屋にもぐりこんだ。いきなり申先生に迷惑をかけてしまった。ネットが使えるが、自動でなく、IPとかを入れなければならず、これにもやや苦労したが、無事、ネットにつながって、ブログを更新した。風呂へ入ろう、いやシャワーだ(バスタブなし)。
◆ここ60000W、釜山駅前に東横インがあり、こちらの方が便利だし、安いかも知れない。【追記】2日帰国予定を途中で3日に伸ばしたが、ここの上南国際会館には以前の3泊の話しか通っていないらしい。帰国便が早いこともあり、2日はネットで東横イン釜山駅前(2008オープン)を予約した(60500W)。最終的にはゲストハウスは1泊60000Wよりも安かった。
◆直前に携帯を替え、海外でも使えるものにしたので、携帯のメールができるのも、料金はかさむとはいえ便利だ。春川で買ったポラリスを付けている。

2010年10月29日(金)

◆7:00起床、8:00過ぎから来年の開講科目(27日締め切り)をまとめ、日本史教員および文学部事務室に(待ってという)メール。それから山田邦和氏に陵墓の件でメール。カップラーメンを食べ、9:00にチェックアウト。フロントで公州に行きたいが市外バスターミナルでよいか聞く。地図に行き方を書いてくれ、約10分と。すこしウロウロしたが、無事たどり着き、切符を買うことができた(2900W)。9:33発、儒城を出てまもなく公州24㎞の表示があったので、30㎞圏内。
◆バスから外をながめる。造成地に生えていた草が、ここ数日の寒冷によるのか、みなしなびている。春川でも銀杏の黄色い葉が落ち、冬枯れの雰囲気になってたが、今日は天気良く暖かい。53dca5e4.jpg
◆10:02バスターミナル着、約半時間だ。地図はホテルで手に入れ08b2980e.jpgていたがハングルだし、タクシーに乗り「パンムルガン」といって公州博へ(4500W)。10:12には着く。鞄をコインロッカーに預け、常設図録を買い(25000W)、第1展示室の武寧王陵の遺物を見る。小学生の団2e00c192.jpg820debc7.jpg体に襲われるが、初めての遺物に感激して見て回る。王妃の銀の龍紋ブレスレット、前から複製品があれば欲しいと思っている。
◆復元された棺、棺座金具、大刀、装身具、中国陶磁、墓誌、金属器、ひととおり堪能した。
◆第2展示室でこの地域の考古資料を見るが、武寧王陵の遺物で腹一杯で、もはや気力がなく、12:00には見終わる。1000Wでコーヒーを飲み、さて遺跡はどこかと思ったが、よくわからん。地図を入手しながら、地14df4fa5.jpg5e1ef087.jpgの公州博は古いものかと思い、現博物館と宋山里古墳群の位置関係がわからなかったのだ。屋外展示を見に行くと、こっちが武寧王陵とあったので、12:27歩き始め、博物館側の移築石室を見て、山越えで(そんなでもないが)宋山里古墳群の裏手に出て、下りながら見る。以前の麓から登っていったのと逆コースだが、記憶がよみがえる。5号墳が穹リュウ式石室、6号墳が武寧王陵と同じくセン積みのドームだ。宋山里古墳群模型館を見て(2004年は公州博が閉まっていてここしか見れず、副葬品はすべてここのレプリカ)、13:15に見終わる。
◆高速バスターミナルまでタクシーに乗ろうか歩こうかと考えたが、歩いてみることにする。13:30歩き始める。822e574e.jpg谷間の大きな道路に沿った下り坂、左手に昔ながらの平屋の家屋がならぶ村を見ながら歩くと、前方に公山城が見えてくる。いま奈文研の庄田君と見て回ったことを思い出す。テイ止山遺跡、前の時は何の表示もなく、トンネルの横から山を這い上がった記憶があるが、いまはサインができている。公山城の正面に出るが、そのまま錦江にかかる橋を渡り、高速バスターミナルをめざす。14:15コンビニで海苔巻と菓子を買い、無事、14:20ターミナル着。ソウル行きの切符を買うが(8600W)、14:30発は満席で、15:00発だと筆談で理解する。ターミナルのカフェに入り時間をつぶし、15時発のバスでソウルへ。
◆バスの中で海苔巻と菓子を食べる。約2時間のバスだが、途中眠る。隣々の席の女性がとても美しい。16:45江南のバスターミナルに着く。
◆さて、今日のホテル、名前はわかるが、どこだか覚えていない。話せば長くなるのでやめるが、ソウルナビで予約したとき、予約内容や地図をすべてPDFにしたのだが、出発前日の10月24日にそれらのデータが入ったパソコンを失った。儒城のホテルでヤフーメールを見たとき、確認メールが来ていたが、ソウルナビにIDがわからず入れず、ホテル名だけが読み取れた。予約した時の地図のイメージで確か中央博物館80570a41.jpgの近くだったと思い、橋をわたってすぐと、17:00歩き始める(写真は橋から見たソウルの夕日)。だが、あるはずのところにはホテルなし。しまった、バスターミナルならネットがあったのではないかと後悔したが遅く、ホテルなどない住宅街および米軍住宅をうろうろし、中央博にたどりついた。この間約1時間、鞄が重量で肩に食い込む。博物館はまだ開いているのではと一縷の望みを託し受付へ。さいわい夜間も開いていて、ネットは?と聞くと2Fというので、パソコンのあるカフェに行き、ソウルナビでやっとIDを思い出し、東大門の三〓ホテルと判明する。ぜんぜんちゃう東大門市場や!。コーヒーをすすり、博物館をあとにする。途中、タクシーを拾うが、漢字で書いたホテル名を見せたがわからず、二村から地下鉄4号線に乗る(18:57)。
◆東大門で地下鉄1号線に乗り換え、東廟で降りる。ソウルの地下鉄は普通の切符がなく、1回用のカードを買415eaa02.jpgう。たいがい初乗りの1000Wで済むが、カード発行時に500Wのデポジットを取られ、降りたら機械に入れると500W戻ってくる仕組み。昨日も利用したがわからず、今日はわかったので、1枚は記念に手元に残し、今日のカードは返金する。ホテルはすぐにわかる。到着は19:30だったと思う。日本円で4300円のところを選んだので、こんなもんだろうが、古く汚く、ネットもない。エアコンはなく電気ストーブ。テレビをつけると朱蒙をやっていたので見てから買い物に行き、夕飯(今日は韓国の黒ビールと焼酎)と朝飯で8400W。なんやかやで0時くらいだったか。

さてとjinroを呑みながら

c9e713da.jpg◆風呂に入り、思い切って、カッターシャツ、Tシャツ、ズボンの洗濯をする。パンツと靴下は毎日しているが・・・。ズボンは1本しかなく、綿で明日乾いているかどうか不安だが、ダメなら生乾きではくしかない。
◆明日、公州行きのバスはどこから出るのだろうか。ホテルで地図とパンフレットをもらったので、調べてみる。たぶん、市外バスターミナルの方だろう。そこから公州(熊津)行きがでているはず。
◆明日29日は公州に行き、武寧王陵を見て、ソウルに戻り泊、30日は1日かけて中央博、そのあとKTXで釜山に向かう予定である。当初は、中央博→公州の予定だったが、公州から釜山に行く自信がなく、ソウル発にした方が無難と判断した。150㎞南下しながら、またソウルに戻るのは手戻りだが、いたしかたなし。また、ソウルから公州行きの高速バスがあるのだが、ネットで公州のホテルが見つけられなかったので、2004年に来たときのように、儒城で泊まり、バスで公州に行くことにする。
◆前は、国立公州博が閉まっていた。明日は、公山城などはもういいので、宋山里古墳群(武寧王陵)、博物館だけに限定しよう。横穴式石室は日本のものとは比較しにくいが無縁ではなく、すこし勉強したので、前よりもえるものがあるかもしれない。ともかくも、継体とも密接な関係があり、475に漢城を落とされ遷都した百済を再興した王の墓と副葬品をぜんぶ頭に入れてみたい。今日、中央博ミュージアムショップで武寧王陵の新報告書Ⅰというのを購入した。28000W。たぶん遺物編がⅡかと思われる。在庫なく、見本だった残り1冊だったようだ。公州博でも買えるだろうし、荷物が重くなるだけなのだが、たまらず買う。皇南大塚の本もあったが、これはまだ在庫がかなりあったので、30日に買うことにしよう。


2010年10月28日れきはく現地研究会最終日

◆水原の京畿道博物館が本日の予定。ホテルから近く、出発fa72ca22.jpgは97ab1167e.jpg:30になる。今日はあたたかい。博物館にはすぐ着くが開館は10時なので時間をつぶす。ここは1996年開館だそうで、隣にチルドレンミュージアムを建設中(たぶん)。
◆展示、けっこうジオラマが多い。小学生が団体で訪れていた。百済→高句麗→新羅とこの地域の政治圏が交替することによって、墳墓をはじめとする遺跡や副葬遺物が変転する。新羅の真興王?の碑d0fb4fd2.jpg文が全土におよんでいく地図がおもしろかった。エントd58dc69b.jpgランスの所に、100年前(もうちょっと前か)のソウルなどの古写真が引き延ばしてあり、興味深かった。幕末や明治の写真で、武士や着物姿の日本人を見て、150年の変化の激しさを感じるのとまったく同じように、韓国ドラマで見るような両班など、独特の帽子や着物の姿を見ると、その変化を驚かずにはおれない。写真はキャプションによると南大門付近だということだ。これ以外にも、農夫や郷校の先生、キーセンな572fdb24.jpgどの姿も・・・。4e8757bd.jpg
◆10:30には藤尾さん以下、飛行機の早い組は出発した。残ったのは設楽・松木・野島(韓国の人と待ち合わせをして別行動)・吉田、わたしの5人。11:00に待ち合わせ、11:10には出発。今回のタクシーの運転手の最後の仕事になるが、われわれを中央博まで送り届けてもらう。ソウルに入り、12:00前には博物館に到着する。
◆中央博、2004年に来たときは、景福宮内の仮設の施設で、新しく建設中であったので、新しくなってからは初めてだ。アジアの大英博物館をめざしているというだけあって、とにかくデカイ。そして実に大勢の来客。フラッシュを焚かなければ撮影も自由(東博もそうなったが)。
◆15:00集合と約束して、飯も各自と言うことで散る。1階に先史から始まる考古資料。結局、14:15までで百済と伽耶の一部のところまでしかたどり着けず、疲れてきたので、2日後に1日当てて見学予定なので、腹ごしらえをして、ミュージアムショップを尋ね、15:00となる。
◆4人でタクシーに乗りソウル駅前のロッテマーケットへ。オレは固辞して別行動を取るべきであったが、一緒に乗り、高速バスターミナルとは反対側のソウル駅へ行き、そこで別れて単独となる。
◆13:50、地下鉄4号線?で総神大前まで行き、16:10、7号線に乗り換え、16:15にはバスターミナル駅に着く。儒城行きのバスの切符売り場はどこかとうろうろし、インフォメーションで聞いて、無事購入(9300W)。購入直後の16:30出発、車中、共同通信社の瀬島龍三のことをまとめた『沈黙のファイル』の文庫本を読んでいる。18:15儒城出口、目の前に巨大なサッカースタジアム。バスターミナルに到着。地図があれば、ネットで予約したホテルへ歩いていくのだが、わからずタクシー(ワンメーター2300W)でホテルへ(ホンインホテル)。儒城に来たなら温泉で、ホテルに大浴場もあるのだが、コンビニに買い物に行き、いまブログをアップしている。

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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