人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
3連休、調査もせず
◆前は3連休があると、なにか調査を入れようとしていたが、なにもない。土日、出勤し、モロモロ雑用を片づけて終![287fd9ab.jpg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1285011010?w=150&h=112)
わる。まあ研究室もややすっきりし、雑然としていた書類は少し片付いたか。で、祝日の20日月曜日、またカミサンとでかける。朝、子らは寝ている。われわれ起きてきて「どっかいこか」、「どこいく?」、というので、前からやりたかった天理岩屋から桜峠越え。
◆これ、大和から東国へのルートのひとつだ。東大寺山古墳や赤土山古墳がここにあるのも、そのためだろう。いつも西名阪で車で抜けてしまうが、まっすぐ伊賀の高原へと抜ける谷筋のルート。登り切ったと![d2210b88.jpg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1285012736?w=150&h=112)
ころが桜峠である。
◆西名阪に乗るつもりが、ぼんやりしていたら南阪奈に載ってしまい、橿原から田原本を通り天理へ。天理東インター近くの白川湖の駐車場に車を置き、谷をさかのぼる。旧道沿いに岩屋集落が続く。実に雰囲気のよい景観である。谷間にはタワワに稔った稲。稲刈り風景もチラホラ、だが全体にはまだ稲刈りはこれからというところ。よく見ると、斜面地の1枚が小面積の田圃は耕作していないが。高瀬川が開析した谷筋。花崗岩の基盤の山塊、花崗岩質の露頭があり、さらさら崩れマサ土が裾にたまっている。傾斜地にある集落の家屋はみな大きいが、花崗岩の石垣が目立つ。
◆桜峠では、西名阪道が旧道と完全に重なり、自動車道脇の遊歩道に出るが、暗峠のように峠の茶屋があるわけではなく、なにか達成感がえられない。登り切って東方の視界が開けるわけでもない。カミさんは来た道を帰るのがイヤだというので、遊歩道を北に行くと、登りの谷筋より北にある米谷の集落を通り、途中、また岩屋へ降りていくことになる。車も少なく、緩やかな下りで快適である。
◆3時間半ほど、けっこういい運動であった。そして、柿や栗などもあり、実り豊かな秋を感じる。いまはまだ、かなり営農が続けられているが、こないだの新聞発表によると、農業人口は5年で20%減だとか。この国の農業の先行きが不安である。一方で、福井かどこかの会社の紹介も興味深かった。農家の3男の社長で、営農を断念し、放棄された田圃を借りて農業経営をやっている。10数人の社員で平均年齢が33歳だとか。サラリーを支払い、一戸建てが建てられる給料をはらっているのだとか。儲かっているというより、営農を続ける義務感で一所懸命だとか。生産だけでなく、流通、そして生産物を使ったレストランと、維持するために頑張っている姿。いま日本の各地で、こういう取り組みがどこでも求められているんだろうと思った。先祖から受け継いできた農地、自分が食べるものくらい、というのでなお田圃をやっているが、できれば人にやってもらいたい、いつまで続くかわからない、というのが本格的にやっている人以外の実情であろう。
◆これ、大和から東国へのルートのひとつだ。東大寺山古墳や赤土山古墳がここにあるのも、そのためだろう。いつも西名阪で車で抜けてしまうが、まっすぐ伊賀の高原へと抜ける谷筋のルート。登り切ったと
◆西名阪に乗るつもりが、ぼんやりしていたら南阪奈に載ってしまい、橿原から田原本を通り天理へ。天理東インター近くの白川湖の駐車場に車を置き、谷をさかのぼる。旧道沿いに岩屋集落が続く。実に雰囲気のよい景観である。谷間にはタワワに稔った稲。稲刈り風景もチラホラ、だが全体にはまだ稲刈りはこれからというところ。よく見ると、斜面地の1枚が小面積の田圃は耕作していないが。高瀬川が開析した谷筋。花崗岩の基盤の山塊、花崗岩質の露頭があり、さらさら崩れマサ土が裾にたまっている。傾斜地にある集落の家屋はみな大きいが、花崗岩の石垣が目立つ。
◆桜峠では、西名阪道が旧道と完全に重なり、自動車道脇の遊歩道に出るが、暗峠のように峠の茶屋があるわけではなく、なにか達成感がえられない。登り切って東方の視界が開けるわけでもない。カミさんは来た道を帰るのがイヤだというので、遊歩道を北に行くと、登りの谷筋より北にある米谷の集落を通り、途中、また岩屋へ降りていくことになる。車も少なく、緩やかな下りで快適である。
◆3時間半ほど、けっこういい運動であった。そして、柿や栗などもあり、実り豊かな秋を感じる。いまはまだ、かなり営農が続けられているが、こないだの新聞発表によると、農業人口は5年で20%減だとか。この国の農業の先行きが不安である。一方で、福井かどこかの会社の紹介も興味深かった。農家の3男の社長で、営農を断念し、放棄された田圃を借りて農業経営をやっている。10数人の社員で平均年齢が33歳だとか。サラリーを支払い、一戸建てが建てられる給料をはらっているのだとか。儲かっているというより、営農を続ける義務感で一所懸命だとか。生産だけでなく、流通、そして生産物を使ったレストランと、維持するために頑張っている姿。いま日本の各地で、こういう取り組みがどこでも求められているんだろうと思った。先祖から受け継いできた農地、自分が食べるものくらい、というのでなお田圃をやっているが、できれば人にやってもらいたい、いつまで続くかわからない、というのが本格的にやっている人以外の実情であろう。
桜井茶臼山古墳の鏡の拓本と断面図
◆むかし、いつだったか、奈文研にいたときだろう。桜井茶臼山古墳の鏡の破片をぜんぶ見せてもらったことがある。もしかすると、雪野山の報告書を書いていた頃かもしれない。対応いただいたのは吉村和明氏。
◆この原図の類が見つからないのである。桜井茶臼山古墳の測量調査報告を作っていたとき、もし出てくれば採録したかった。橿考研の鏡の写真図録は出ていたので、それがいちばんなのだが、拓本と断面図を全点添えたものはなかったので。
◆茶臼山を奈良県が発掘していたころ、吉村さんに会うことがあり「拓本が出てこない」と言ったら、この春に、昔の資料調査を終えた時に、ひととおりコピーちょうだいということで複写したものがあり、それを送っていただいた。というわけで15年ぶりくらいに、むかしの拓影などを見た。うまい!。そう、当時、梅原末治よりも拓本はうまいと思っていた(アハハ)。いまはもう・・・。だがもはやこれらの拓本などを世に出す意味はなくなった。復元すると100面以上に達する膨大な鏡片が出て、もはや茶臼山の鏡群の一端を示す残存破片という意義はふっとんだ。かつ文様も3次元計測の時代に入った。
◆この原図の類が見つからないのである。桜井茶臼山古墳の測量調査報告を作っていたとき、もし出てくれば採録したかった。橿考研の鏡の写真図録は出ていたので、それがいちばんなのだが、拓本と断面図を全点添えたものはなかったので。
◆茶臼山を奈良県が発掘していたころ、吉村さんに会うことがあり「拓本が出てこない」と言ったら、この春に、昔の資料調査を終えた時に、ひととおりコピーちょうだいということで複写したものがあり、それを送っていただいた。というわけで15年ぶりくらいに、むかしの拓影などを見た。うまい!。そう、当時、梅原末治よりも拓本はうまいと思っていた(アハハ)。いまはもう・・・。だがもはやこれらの拓本などを世に出す意味はなくなった。復元すると100面以上に達する膨大な鏡片が出て、もはや茶臼山の鏡群の一端を示す残存破片という意義はふっとんだ。かつ文様も3次元計測の時代に入った。
財団法人
◆世間に疎い。2013年までに、財団法人は、公益財団法人か一般財団法人にならなければならんそうである。あまたの財団法人のうち、ほんとに税制で優遇しなければならない公益性のあるものを特定する、ということのようだ。これって、埋文業界にも影響必至ではないか。やっている発掘調査は公益性があるものではあるが、財団を民間として捉え事業を受託してやっているにすぎないと判断する大阪府的な見方からすると、一般財団法人になりかねない。あくまで都道府県がすべきところ、それに代わってやってるんだという説明で、公益財団法人に位置づけられることが不可欠だ。
◆とにかく、調べてみる必要がある。
◆とにかく、調べてみる必要がある。
上から目線
◆こないだ新木山に行ったとき、植樹フェアの一環で古墳めぐりを広陵町が企画していて、各所にガイドさんを配置していた。で、石塚で、わたしはマズイ態度を取り、カミさんにきつくしかられた。「あんたは上から目線なんよ」と。で、車で牧野に向かっていると、いろいろ見学者が暑い中歩いていた。「興味のある人がいてくれるから、あんたらの職が成り立ってんねんで、自分らの存立基盤や、もっと普通の人を大事にせなあかん」と。「新納さんは、誰にでもきちんと説明していたよ」とも。そう、春に造山に行ったとき、かみさんのみならず母親も一緒だったのだが、母に対しても、新納さんは実に丁寧に対応してくださった。
◆そうやね~。どっかで講演などをする時や、いろんな機会に市民に接する際など、もっと、自分の研究なるものと社会をつなぐ絶好の機会であり、偉そうでも、へりくだるのでもなく、ふつうに接し、説明して話を聞いてもらえるよい機会と思って対応せなあかんな、と思った。自分ではそうでないと思っているが、カミさんに言わせると、いろんな場面で、あんたは上から目線、と見えるそうである。自分のダメさを痛感する。
◆そうやね~。どっかで講演などをする時や、いろんな機会に市民に接する際など、もっと、自分の研究なるものと社会をつなぐ絶好の機会であり、偉そうでも、へりくだるのでもなく、ふつうに接し、説明して話を聞いてもらえるよい機会と思って対応せなあかんな、と思った。自分ではそうでないと思っているが、カミさんに言わせると、いろんな場面で、あんたは上から目線、と見えるそうである。自分のダメさを痛感する。
大阪市土地開発公社の解散
◆政令市でもほかにも出てきているらしい。行政がインフラ整備のために土地を先行取得しておくための公社、おおよそ公的施設も充足したということなんだろう。道路なのではまだそういうことも必要かもしれないが、もうその都度、やっていけばいいということなんだろう。なんか官主導の基盤整備の時代の終わりを象徴するように思った。
◆ついでながら、こないだ宇治に行くとき、石のカラトに行こうとして失敗(実は行ったことがないのだ)、押熊に出てウロウロ、そうすると「けいはんな学研都市」に出て、国会図書館関西分館、そして廃館になった「しごと館」を見る。こんなとこか~。【追記】雇用保険料から581億円を投じて作った巨大施設、売却の入札の参加は0だったという(2010年9月29日新聞)。
◆ついでながら、こないだ宇治に行くとき、石のカラトに行こうとして失敗(実は行ったことがないのだ)、押熊に出てウロウロ、そうすると「けいはんな学研都市」に出て、国会図書館関西分館、そして廃館になった「しごと館」を見る。こんなとこか~。【追記】雇用保険料から581億円を投じて作った巨大施設、売却の入札の参加は0だったという(2010年9月29日新聞)。
秋ですね
◆暑い暑いといっていたが、こないだ、台風が能登?に上陸して以来、秋めいてきました。夜になると虫が鳴いている。いま17:40、日は傾き、夕方・・・。季節はめぐる。今年度も後半期へ・・・。う~む、いろんなことが進んどらん。
幡枝元稲荷窯
◆むかし、大学院浪人をやっていた1987年に、岩倉の報告書に幡枝元稲荷窯の須
恵
器を収録させて欲しいと、横山浩一先生に手紙を書き、どうもOKになったらしく、博物館助手の菱田さんに、新博物館への引っ越しのため、どこぞの地下倉庫に積み上げられている木箱を、見せてもらう便宜をえた。
◆ノートを見ると、五十川さんと菱田さんに、見るときにどこまでやるか相談したときのメモもある。その前に、佐原さんが瓦を整理しての原稿があることを知り、五十川さんが持っていたコピーを複写させてもらっていた(この原稿、世に出ていない。幡枝の瓦を分類したのは佐原さんである)。こうして5月、数日間、幡枝元稲荷窯のすべての発掘資料を点検した。そのノート2冊が手元にある。もう考古学をやめようと思っていた頃だが、岩倉の仕事だけは片付けようとしていた(1991年までかかる)。けっこうな、やる気と集中力でやった記憶がある。
◆軒瓦や須恵器は少ないが、こうしたお宝に出くわしたときは感激した。確か、高句麗式の瓦当裏面が剥離していて、箱が違っており、顔のある破片の裏側を見たとき、これは
もしかして同一個体?と合わせてみたら一致した。もともとわかっていたのに分離していたのではないかと思うが・・・。
◆岩倉の報告書の時、須恵器は、いま大阪市文協にいる宮本君の担当だった。彼には、学部時代から、ほとんど岩倉をやってもらい、苦労をかけた。すまん。元稲荷の須恵器も、実測はすべて彼がやったのではなかったか。トレースしたものが出てきた。
◆横山先生も佐原さんも亡くなられた。幡枝が日の目を見ることはないか・・・。
◆ノートを見ると、五十川さんと菱田さんに、見るときにどこまでやるか相談したときのメモもある。その前に、佐原さんが瓦を整理しての原稿があることを知り、五十川さんが持っていたコピーを複写させてもらっていた(この原稿、世に出ていない。幡枝の瓦を分類したのは佐原さんである)。こうして5月、数日間、幡枝元稲荷窯のすべての発掘資料を点検した。そのノート2冊が手元にある。もう考古学をやめようと思っていた頃だが、岩倉の仕事だけは片付けようとしていた(1991年までかかる)。けっこうな、やる気と集中力でやった記憶がある。
◆軒瓦や須恵器は少ないが、こうしたお宝に出くわしたときは感激した。確か、高句麗式の瓦当裏面が剥離していて、箱が違っており、顔のある破片の裏側を見たとき、これは
◆岩倉の報告書の時、須恵器は、いま大阪市文協にいる宮本君の担当だった。彼には、学部時代から、ほとんど岩倉をやってもらい、苦労をかけた。すまん。元稲荷の須恵器も、実測はすべて彼がやったのではなかったか。トレースしたものが出てきた。
◆横山先生も佐原さんも亡くなられた。幡枝が日の目を見ることはないか・・・。
もろもろ
◆09月04日、柏原市歴史資料館で高橋照彦氏の薄葬令の話を聞く。テルちゃんが、このあたりのことを日本史研究会でやっているのは聞こえてきていたが、雑誌をコピーすることもせず、内容をよく知ら
なかったため、いい機会だと思ってカミさんとでかける。終了後、飲み会。
◆カミさんが、中村修也『偽りの大化改新』を買ってきたので、読む。刺激的である。乙巳の変の黒幕は孝徳(軽)であるという近年の見方があることは知ってはいたが、ちゃんと読んだことがなかったので、面白かった。壬申の乱で王権を簒奪した天武の正当化のために、『日本書紀』の天智像が作られているというのは興味深い。ただし、そういう中大兄を主役とする改新像は誤っているとしても、改新を否定することはできない。改新を示す最大の根拠は前期難波宮だと思っている。中央官制を整えようとしたことは間違いない。吉川さんの書いたものに全面的に共感を覚える。
◆ケンゴシ塚すごいですね。小澤さんに見学をお誘いいただいたのだが行けず、新聞を見てスゴイ・・・、一般公開日(土・日)の日曜日の朝行けたのだが見送り、残念ながら実見できずに終わる。
◆09月12日、奈良経由で車で宇治に行くことになり、新木山古墳の下見に行く。天気よく、写真は西隣の石塚古墳から二上山を見たもの。どうもデジカメのイクシーの調子が悪いようだ(要修理だ)。新木山そのものは、周囲からあまりいい写真を撮影できなかったし、そもそもしげしげと近づかなかったのだが、裾部の工事をしなければいけないのか、疑問に思う。ぜんぜん問題ないのとちゃう?![046.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1284796525?w=150&h=112)
◆藤本強先生が10日にドイツで亡くなられたとの報道に接する。東京にいるとき、専門調査会のメンバーで、年に何度か会議で顔をあわせた。初対面にもかかわらず、親しくしていただいた。岡村道雄さんは、大学で、埋文行政の講義をする唯一の先生だ、と言っていた。最後にお会いしたのは(こっちが見たくらいかもしれない)、高松塚の会議で、同日に親委員会とわたしの出ている作業部会が開催された際、岡村さんが座ってたらいい、といって親委員会に出て脇にひかえていた時だった。その後、世界遺産特別委員会の長にもなられ、陵墓の研で、お話をしてみたいと思っていたのだが・・・。
◆09月11日、稲刈りをした。機械で刈って籾にして、すぐに乾燥の機械に入れる。いまは自然乾燥の方が単価
がやや高いため、再び天日干しをするところも出てきているらしい。そうなのだ。いま機械乾燥なら、刈って、乾燥し、もみすりをして、数日で終わってしまうが、かつては稲刈りは稲刈り、乾燥に数週間、そして脱穀と、大きく二つの工程にわかれていたのである。オレのように、農業を小さい頃に経験していない者にとっては、そういうことも改めて学ぶものなのである。
◆09月12日の宇治、さすが茶の名産地、静岡の丘陵地の茶畑は壮観だが(これ勝海舟が奨励したんだっけか)、宇治界隈の茶畑も風情がある。宇治からの帰り、八幡の流れ橋に立ち寄る。木津川がカラカラに乾いていた。
◆カミさんが、中村修也『偽りの大化改新』を買ってきたので、読む。刺激的である。乙巳の変の黒幕は孝徳(軽)であるという近年の見方があることは知ってはいたが、ちゃんと読んだことがなかったので、面白かった。壬申の乱で王権を簒奪した天武の正当化のために、『日本書紀』の天智像が作られているというのは興味深い。ただし、そういう中大兄を主役とする改新像は誤っているとしても、改新を否定することはできない。改新を示す最大の根拠は前期難波宮だと思っている。中央官制を整えようとしたことは間違いない。吉川さんの書いたものに全面的に共感を覚える。
◆ケンゴシ塚すごいですね。小澤さんに見学をお誘いいただいたのだが行けず、新聞を見てスゴイ・・・、一般公開日(土・日)の日曜日の朝行けたのだが見送り、残念ながら実見できずに終わる。
◆09月12日、奈良経由で車で宇治に行くことになり、新木山古墳の下見に行く。天気よく、写真は西隣の石塚古墳から二上山を見たもの。どうもデジカメのイクシーの調子が悪いようだ(要修理だ)。新木山そのものは、周囲からあまりいい写真を撮影できなかったし、そもそもしげしげと近づかなかったのだが、裾部の工事をしなければいけないのか、疑問に思う。ぜんぜん問題ないのとちゃう?
◆藤本強先生が10日にドイツで亡くなられたとの報道に接する。東京にいるとき、専門調査会のメンバーで、年に何度か会議で顔をあわせた。初対面にもかかわらず、親しくしていただいた。岡村道雄さんは、大学で、埋文行政の講義をする唯一の先生だ、と言っていた。最後にお会いしたのは(こっちが見たくらいかもしれない)、高松塚の会議で、同日に親委員会とわたしの出ている作業部会が開催された際、岡村さんが座ってたらいい、といって親委員会に出て脇にひかえていた時だった。その後、世界遺産特別委員会の長にもなられ、陵墓の研で、お話をしてみたいと思っていたのだが・・・。
◆09月11日、稲刈りをした。機械で刈って籾にして、すぐに乾燥の機械に入れる。いまは自然乾燥の方が単価
◆09月12日の宇治、さすが茶の名産地、静岡の丘陵地の茶畑は壮観だが(これ勝海舟が奨励したんだっけか)、宇治界隈の茶畑も風情がある。宇治からの帰り、八幡の流れ橋に立ち寄る。木津川がカラカラに乾いていた。
現代の課題
◆今日の日本社会で、自分の持ち場で仕事をすることはもちろんだが、それ以外にやれることがあれば尽力すべき大きな課題は3つあると思う。
(1)世界平和をめざして日本の安全保障問題に取り組むこと。日米安保、自衛隊、沖縄の基地の問題、防衛省の問題、日本企業の武器生産の問題などである。
(2)自立した社会であるための根本としての食糧自給の増大、自分たちの食うものは自分たちの国の中で生産し食っていける社会の実現。全部が全部は無理だろうが、穀物(飼料用を含め)はなんとかしなければ。
(3)原子力からの離脱およびエネルギー問題の解決。むろん効率的電化製品の開発も必要だが、利便さの追求もどこかで制限が加えられていいはずだ。
◆どれも、1個人で何ができる?というものではあるが、仕事外の社会的活動への参加もあり得るし、個人的であれやれることもあるはずだ。さて、死ぬ時、自分はどこまでそれに努め、そして上記3つの課題は、はたしてどのくらい改善が進んでいるであろうか。
(1)世界平和をめざして日本の安全保障問題に取り組むこと。日米安保、自衛隊、沖縄の基地の問題、防衛省の問題、日本企業の武器生産の問題などである。
(2)自立した社会であるための根本としての食糧自給の増大、自分たちの食うものは自分たちの国の中で生産し食っていける社会の実現。全部が全部は無理だろうが、穀物(飼料用を含め)はなんとかしなければ。
(3)原子力からの離脱およびエネルギー問題の解決。むろん効率的電化製品の開発も必要だが、利便さの追求もどこかで制限が加えられていいはずだ。
◆どれも、1個人で何ができる?というものではあるが、仕事外の社会的活動への参加もあり得るし、個人的であれやれることもあるはずだ。さて、死ぬ時、自分はどこまでそれに努め、そして上記3つの課題は、はたしてどのくらい改善が進んでいるであろうか。
考古学は集落研究を
◆なんやかんや言ってますが、自分のやってることといえば、しょせん階層上位の古墳の話。むろんそこでやるべきことはあるし、やったらアカンわけではないが、時代・地域・階層による資料偏在のない考古資料がもっとも力を発揮するのは、ふつうの人々の暮らしの解明にある、と深く認識すべし。集落をやらんといかん。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。