人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
教員免許講習
◆昨年から実施されている教員免許更新講習で、2年目の今年、日本史の教員4名が55人の教諭に講義をおこなった。この講習、民主党はもうやらんと言って、1年で終わると思いきや、2年目の実施となり、日本史にお鉢がまわってきた次第。
◆楽しくやった。反応もよかった。まあしかし、どこの世界にもいるとはいえ、変な人もいる。見た目や雰囲気で決めてはいかんが、顔つきや格好が変だったり、最後、試験も担当したが、答案を書き上げて部屋を出て行くとき、ふつうの人は一礼して退出するが、まったく無愛想であったり・・・。どこにでもいるとはいえ、学校の先生やろ?と思ってしまう。
◆めんどうや、と思ったが、こういうのもいい機会ではあるな、と思った。うちの近世史の先生は、高校の教科書の記述の変化を取り上げていた。1992年までは士農工商えた非人、だが1995年で大きく代わり、2009年度の教科書を示して、この間の近世の身分社会についての研究の深化にともなう変化を取り上げている(テキストを用意させられるんです。それを見て・・・)。先生は、基本は習った段階の認識がベースで、教科書の変化にも対応してはいるだろうが、一般的には学校業務に忙しくなり、なかなか先端の研究を学ぶ余裕もなくなると想像する。いまはこう考えられている、というのを、こういう機会に知ることは意味があるかなと。
◆だが、教員ってアマタいますよね、全国に。当然、研修みたいなものもあるんとちゃうの。ほんとはそういうところでやるべきなんだろう、とも思う。研修って、しかし制度とか生徒のケアとかが中心で、教育内容にかかわるものは少ないのかね。
◆楽しくやった。反応もよかった。まあしかし、どこの世界にもいるとはいえ、変な人もいる。見た目や雰囲気で決めてはいかんが、顔つきや格好が変だったり、最後、試験も担当したが、答案を書き上げて部屋を出て行くとき、ふつうの人は一礼して退出するが、まったく無愛想であったり・・・。どこにでもいるとはいえ、学校の先生やろ?と思ってしまう。
◆めんどうや、と思ったが、こういうのもいい機会ではあるな、と思った。うちの近世史の先生は、高校の教科書の記述の変化を取り上げていた。1992年までは士農工商えた非人、だが1995年で大きく代わり、2009年度の教科書を示して、この間の近世の身分社会についての研究の深化にともなう変化を取り上げている(テキストを用意させられるんです。それを見て・・・)。先生は、基本は習った段階の認識がベースで、教科書の変化にも対応してはいるだろうが、一般的には学校業務に忙しくなり、なかなか先端の研究を学ぶ余裕もなくなると想像する。いまはこう考えられている、というのを、こういう機会に知ることは意味があるかなと。
◆だが、教員ってアマタいますよね、全国に。当然、研修みたいなものもあるんとちゃうの。ほんとはそういうところでやるべきなんだろう、とも思う。研修って、しかし制度とか生徒のケアとかが中心で、教育内容にかかわるものは少ないのかね。
アイセルシュラホール
◆岡ミサンザイ古墳の脇にある。2回くらい行ったことがあるような・・・。1回目は文化庁時代に古市古墳群の追加指定の協議で行ったような・・・、2回目は藤井寺市の市民講座で1度話をした。で、どうも2回とも展示施設の記憶がほとんどない。だが0ではないので、見たのだが、時間がなく駆け足だったのだろうか。
◆で、初めてゆっくりと見たわけである。生涯学習施設で、2回に展示室がある。国府の旧石器から始まり、西墓山の出土状況レプリカがデーンと座り、まわりに埴輪や鉄器やらがならんでいる。津堂の水鳥形埴輪も、ここにあるのがホンモノ。
◆奧のコーナーでは、井真成。南側にまわると、古市古墳群が暫定一覧表に記載決定ということで、パネルを主とした特別コーナーになっていた。航空写真がとてもきれいである。
◆だが、人は来ないんでしょうね、電気がついていないのである。よく見ると、受付のような一画があり、おばさんが2人いた。「すいませ~ん電気お願いしま~す」と頼む。
◆また同じようなことを言うことになるが、ここも、ほとんど知られていない。藤井寺市役所のあたりにあればいいのに。
◆で、初めてゆっくりと見たわけである。生涯学習施設で、2回に展示室がある。国府の旧石器から始まり、西墓山の出土状況レプリカがデーンと座り、まわりに埴輪や鉄器やらがならんでいる。津堂の水鳥形埴輪も、ここにあるのがホンモノ。
◆奧のコーナーでは、井真成。南側にまわると、古市古墳群が暫定一覧表に記載決定ということで、パネルを主とした特別コーナーになっていた。航空写真がとてもきれいである。
◆だが、人は来ないんでしょうね、電気がついていないのである。よく見ると、受付のような一画があり、おばさんが2人いた。「すいませ~ん電気お願いしま~す」と頼む。
◆また同じようなことを言うことになるが、ここも、ほとんど知られていない。藤井寺市役所のあたりにあればいいのに。
東洋大姫路の校歌
◆盆に実家へ返る。妹もおり、姉の家族もそろい、にぎやかに宴。で、お義兄さんと、原巨人の話も意見が一致したが、そのあと相撲や高校野球の話に移り、東洋大姫路が全国優勝した時の話になる。東邦の1年生ピッチャーとの決勝で、サヨナラだった。準決勝は今治西と。いちばん高校野球をみていた時期のこと、実によく覚えている。豊見城高校とか、箕島とか(星陵との延長17回の話とか)・・・。見ていただけでなく、姉がその頃高校野球にハマっていて、アサヒグラフかな、大会終了後のグラフ誌を買っていて、そういうのを見ていたというのが大きいのだろう。
◆で、東洋大姫路の校歌を、義兄と歌う。覚えているのである。「書写を仰げば萌え立つ緑・・・」、で豊見城高校の校歌は?、一所懸命思い出そうとするが、最後のところは出てくるのだが、出だしが思い出せない。いまネットで調べたら、なんでも出てくるね~。「国場の川の果てしなく/流れて遠くゆくところ・・・」、そんなんやった!
◆実家へ帰ったのは15日で、14日まで大阪にいたが、14日は朝から大掃除となった。カミさんの結論、お盆に大掃除をするのはよい、洗濯物が早く乾くからと。オレはといえば、洗濯モノを干すのと、ベランダの掃除、それと不要なものをとにかく捨てる。ちょっとばかしモノは少なくなったかな?。
◆さてと、明日の教員免許更新講習の準備をするか。
◆で、東洋大姫路の校歌を、義兄と歌う。覚えているのである。「書写を仰げば萌え立つ緑・・・」、で豊見城高校の校歌は?、一所懸命思い出そうとするが、最後のところは出てくるのだが、出だしが思い出せない。いまネットで調べたら、なんでも出てくるね~。「国場の川の果てしなく/流れて遠くゆくところ・・・」、そんなんやった!
◆実家へ帰ったのは15日で、14日まで大阪にいたが、14日は朝から大掃除となった。カミさんの結論、お盆に大掃除をするのはよい、洗濯物が早く乾くからと。オレはといえば、洗濯モノを干すのと、ベランダの掃除、それと不要なものをとにかく捨てる。ちょっとばかしモノは少なくなったかな?。
◆さてと、明日の教員免許更新講習の準備をするか。
風呂めぐり
◆奈良の「虹の湯」以来、温泉というのかスーパー銭湯というのか、にハマっている。最初はそうでもなかった。カミ
さんと一緒に行っても、すぐに出てきていた。ひとつは散髪。国分駅前の1000円の散髪に行ってたけれども、いきなり倍にしやがったものだから、温泉の1200円くらいの方がよっぽど安い。それとやっぱりサウナやね。水風呂と交互に入る。だんだんはまり、今は、毎週行ってもいいと思う。毎週、600円とか800円とか、実にささやかな楽しみではないか。
◆こないだは和歌山の「野半の里」というところに立ち寄る(カミさんの実家に寄った帰り。稲はすくすく育ち、穂がたわわに実り傾き始めていた。)。酒造りの古い建物を改造したもので(違うらしい、野半酒造店の敷地であることは確かだが、風呂場の建物は海南の老鶴酒造の和蔵というのを移築したのだという。)、なかなか風情がよい(サウナはなかったが)。で、こないだは堺の「祥福の湯」。ここも「延羽の湯」と同じでパチンコ屋とセットだが、風呂はとてもよかった。
◆で、次はアカスリやな、と思った。いろんなコースがあり、前は「そんな金出して」と思っていたが、1.2万円出して90分フルコースでもいいと思った。そこまではいかないが、3500円くらいで、アカスリしてもらったら、きっと気持ちいいに違いない(未体験)、と。
◆この手の温泉めぐりブログもたくさんあるらしい。こっちは★印をつけてまわろうとは思わないが、近場でいろいろ行ってみるのは面白かろう。
◆ま、自分の腹を見ると、少々、情けなくはあるが・・・
◆こないだは和歌山の「野半の里」というところに立ち寄る(カミさんの実家に寄った帰り。稲はすくすく育ち、穂がたわわに実り傾き始めていた。)。酒造りの古い建物を改造したもので(違うらしい、野半酒造店の敷地であることは確かだが、風呂場の建物は海南の老鶴酒造の和蔵というのを移築したのだという。)、なかなか風情がよい(サウナはなかったが)。で、こないだは堺の「祥福の湯」。ここも「延羽の湯」と同じでパチンコ屋とセットだが、風呂はとてもよかった。
◆で、次はアカスリやな、と思った。いろんなコースがあり、前は「そんな金出して」と思っていたが、1.2万円出して90分フルコースでもいいと思った。そこまではいかないが、3500円くらいで、アカスリしてもらったら、きっと気持ちいいに違いない(未体験)、と。
◆この手の温泉めぐりブログもたくさんあるらしい。こっちは★印をつけてまわろうとは思わないが、近場でいろいろ行ってみるのは面白かろう。
◆ま、自分の腹を見ると、少々、情けなくはあるが・・・
安部晋三って
◆安部晋三って、なんであんなん、なんだろう。どうしたらあんなヤツが育つのだろうか。韓国併合100年に対する首相談話、宮内庁にあった朝鮮王室の儀式書の返還に、なんでいちゃもんをつけるのだ。
◆安部晋三の発言を聞いていると、個人補償の話につながる虞があると。だが、菅首相もそれは1965に解決したことになっているとの理解だ(それで済むかどうかは別)。それをのぞけば、何に反対するのか。謝るのがイヤ、っちゅうこっちゃ。頭を下げたくない、結局そういうことだろう。日韓併合は合法だ、何も悪いことをやったわけではない、と思っているに違いない。あいつも、首相の時は村山談話を尊重すると言ってたんだけど、本心は違うということ。
◆ところで、しかし、個人補償とすれば、中国に対する方が大問題だろう。数字は知らない(数字がすべてではない)が、日本となった半島に対して、戦争被害者の数は、圧倒的に中国人が多いだろう。中国共産党は、帝国主義日本が悪いのであって、個人補償を放棄するという(不確かかも)、まったく寛大な対応をしてくれたことに、日本人は深く感謝すべきである。日本が中国でやったことに対する賠償をちゃんと積算すると、とんでもないことになっているはずである。
◆そして安部とか田母神とかを使うテレビ局。
◆安部晋三の発言を聞いていると、個人補償の話につながる虞があると。だが、菅首相もそれは1965に解決したことになっているとの理解だ(それで済むかどうかは別)。それをのぞけば、何に反対するのか。謝るのがイヤ、っちゅうこっちゃ。頭を下げたくない、結局そういうことだろう。日韓併合は合法だ、何も悪いことをやったわけではない、と思っているに違いない。あいつも、首相の時は村山談話を尊重すると言ってたんだけど、本心は違うということ。
◆ところで、しかし、個人補償とすれば、中国に対する方が大問題だろう。数字は知らない(数字がすべてではない)が、日本となった半島に対して、戦争被害者の数は、圧倒的に中国人が多いだろう。中国共産党は、帝国主義日本が悪いのであって、個人補償を放棄するという(不確かかも)、まったく寛大な対応をしてくれたことに、日本人は深く感謝すべきである。日本が中国でやったことに対する賠償をちゃんと積算すると、とんでもないことになっているはずである。
◆そして安部とか田母神とかを使うテレビ局。
お盆が過ぎて
◆大阪は今週もずっと35~36度の予想だそうである。8月15日の新聞に、埋文補助金の不正使用が29件1000万円とあった。こんなことが新聞に載るんやね。目をつけられているのかもしれない。補助金のことは忘れかけている。史跡関係でなく、埋蔵文化財の緊急調査の補助金がいつまで続くのか、小口が多いだけに、交付税でという話は常にあったかと思う。いやこれがないと、と頑張ってきたが・・・。
◆使いにくさは、前とほとんど変わらんのかな。未経験でわからんのだが、「そんな使いにくいのいらん」という話はよく聞いた。範囲については、未報告の整理作業にも使えるようになったはずだ。
◆いちばん多いのは、報告書が出てないのに執行した形にしたもの15件とのこと。ちょっと分析して対応を考えた方がよいかも。事業報告でなく成果報告の必要性の有無・程度、刊行形態・時期。実態をしらないが、小さな緊急調査にしろ内容確認の調査にしろ、発掘して当該年度に報告書を必ずしも作らなくてもいいはずだ。
◆なお、繰り越しはできるが、手続き(書類、理由付け)がめんどうなんでしょうね。
◆使いにくさは、前とほとんど変わらんのかな。未経験でわからんのだが、「そんな使いにくいのいらん」という話はよく聞いた。範囲については、未報告の整理作業にも使えるようになったはずだ。
◆いちばん多いのは、報告書が出てないのに執行した形にしたもの15件とのこと。ちょっと分析して対応を考えた方がよいかも。事業報告でなく成果報告の必要性の有無・程度、刊行形態・時期。実態をしらないが、小さな緊急調査にしろ内容確認の調査にしろ、発掘して当該年度に報告書を必ずしも作らなくてもいいはずだ。
◆なお、繰り越しはできるが、手続き(書類、理由付け)がめんどうなんでしょうね。
世間では夏休み、そしてお盆
◆研究室に行っても、2階のフロアで明かりがついているところはほとんどない。夏休みですからね。朝から晩まで原稿を書いている。
◆学校が夏休みに入り、娘は翌日、小学校時代の親しい友人の家(町田)に行ったきり帰ってこない。いや明日12日に帰ってくる。夏休みは友達と遊ぶ予定がぎっしりだとか。高校1年、めいいっぱい遊べばよい。
◆息子は高校3年で受験生、河合塾だかなんかの夏期講習に3科目行っている。さすがに今年に入って、ちゃんと机で勉強するようになった。部屋に入って出てこない。もっとも自分のパソコンをえて、ネットが無線ランになったので、パソコンに向かう時間も多くなっているようだが。まあ、しかし、こっちは何も言わないが、よく勉強しているようだ。こっちはむしろ「たいへんやね~」と。それと、たまには息抜きにボーリングに連れていってやろう、といったことを考えている。
◆まあ、大学受験なんて、親はどうにもならんし、どうさせたいということもない。本番で力を発揮できるように祈るばかり。受験そのものは、学校の先生と相談して自分が決めるしかない。まあしかし、秋が深まってくると、いよいよ模試の判定などを参考に、実際のところ、どこを受けるかということを決める必要がある。どうなるんでしょうね。どっちかというと楽しみである。
◆学校が夏休みに入り、娘は翌日、小学校時代の親しい友人の家(町田)に行ったきり帰ってこない。いや明日12日に帰ってくる。夏休みは友達と遊ぶ予定がぎっしりだとか。高校1年、めいいっぱい遊べばよい。
◆息子は高校3年で受験生、河合塾だかなんかの夏期講習に3科目行っている。さすがに今年に入って、ちゃんと机で勉強するようになった。部屋に入って出てこない。もっとも自分のパソコンをえて、ネットが無線ランになったので、パソコンに向かう時間も多くなっているようだが。まあ、しかし、こっちは何も言わないが、よく勉強しているようだ。こっちはむしろ「たいへんやね~」と。それと、たまには息抜きにボーリングに連れていってやろう、といったことを考えている。
◆まあ、大学受験なんて、親はどうにもならんし、どうさせたいということもない。本番で力を発揮できるように祈るばかり。受験そのものは、学校の先生と相談して自分が決めるしかない。まあしかし、秋が深まってくると、いよいよ模試の判定などを参考に、実際のところ、どこを受けるかということを決める必要がある。どうなるんでしょうね。どっちかというと楽しみである。
台風一過
◆和泉市史を書いている。けっこう楽しく書いている。10年間合同調査をやってきた、ひとつのまとめだ。この間、遺跡のことはむしろあまり知らなかったが、報告書をどっさりもらって、そうした新たな材料も加え、池田谷の歴史を書いている(発掘調査の成果ってすごい雄弁です)。古代寺院の部分の分担はあるが、それはこの次。いまは冒頭の池田谷の耕地開発の歴史を、弥生時代から説き起こし、栄原先生の5・6世紀頃の和泉に関する研究に学び、6世紀以降は集落遺跡に群集墳をもとに、いかに池田谷に人が暮らすようになったかを書いている。あたっているかどうかはともかく、地域史を書いているという満足感がある。
◆そしてこの春に『市大日本史』に古代から中世にかけての水利開発と村落の成立のことをまとめたので、いま書いている7・8世紀が終われば、そのあと、これをつないでいく。だいたい中世後期までで、戦後までの農村社会のあり方はできあがっているので、あとは近世史の人間につなげばよい。
◆今書いているのは、和泉市史・地域叙述編3「池田谷の歴史」。編集会議で、槇尾川流域の水利と開発史を柱にすることになった。で、その冒頭の概説だ。各時代の叙述部分も、水利と開発史を意識的に書いて、この軸を通すということになっている。で詳しくは各時代の叙述部に任せるとして、オレは、冒頭で長いスパンでの全体像を提示することになっている。
◆これまで機会ごとにやってきたことがすべて材料となる。東阪本の調査を機に、坂本寺の瓦調査をやり、古代坂本臣氏のことを学んだ。黒石で和泉市でもっとも大きい横穴式石室の墳丘測量をやった。なんであんなところに畿内型の石室があるのか。国分寺では国分寺の瓦の調査、柱根の調査、仙人風呂での遺物採集などをやり、光明生誕伝承も知った。池上地域での成果で条里と郷の関係を考えるきっかけとなった。郷は明確な境界をもつ行政区分であると確信した。池田下町での調査では、坂本郷との境界が人為的な直線で、これが現代に至るまで境界として生き続けていることを学んだ。そして高橋家に残る中世文書を通じて、大学院生たちと池田谷の歴史を考えた。昨年の納花の調査で、槇尾川沿いの水利関係をまとめ、また陶邑谷山池地区について分布図を作り、生産の消長を学んだ。このように和泉をフィールドにしたうちの調査研究を機会に、地域の開発の歴史を考えてきた故に、まわってきたお鉢で、光栄に思っている。これまでに身につけたものを全力投入して書き上げてみたい。ああ、また博論が遠ざかる・・・。
◆そしてこの春に『市大日本史』に古代から中世にかけての水利開発と村落の成立のことをまとめたので、いま書いている7・8世紀が終われば、そのあと、これをつないでいく。だいたい中世後期までで、戦後までの農村社会のあり方はできあがっているので、あとは近世史の人間につなげばよい。
◆今書いているのは、和泉市史・地域叙述編3「池田谷の歴史」。編集会議で、槇尾川流域の水利と開発史を柱にすることになった。で、その冒頭の概説だ。各時代の叙述部分も、水利と開発史を意識的に書いて、この軸を通すということになっている。で詳しくは各時代の叙述部に任せるとして、オレは、冒頭で長いスパンでの全体像を提示することになっている。
◆これまで機会ごとにやってきたことがすべて材料となる。東阪本の調査を機に、坂本寺の瓦調査をやり、古代坂本臣氏のことを学んだ。黒石で和泉市でもっとも大きい横穴式石室の墳丘測量をやった。なんであんなところに畿内型の石室があるのか。国分寺では国分寺の瓦の調査、柱根の調査、仙人風呂での遺物採集などをやり、光明生誕伝承も知った。池上地域での成果で条里と郷の関係を考えるきっかけとなった。郷は明確な境界をもつ行政区分であると確信した。池田下町での調査では、坂本郷との境界が人為的な直線で、これが現代に至るまで境界として生き続けていることを学んだ。そして高橋家に残る中世文書を通じて、大学院生たちと池田谷の歴史を考えた。昨年の納花の調査で、槇尾川沿いの水利関係をまとめ、また陶邑谷山池地区について分布図を作り、生産の消長を学んだ。このように和泉をフィールドにしたうちの調査研究を機会に、地域の開発の歴史を考えてきた故に、まわってきたお鉢で、光栄に思っている。これまでに身につけたものを全力投入して書き上げてみたい。ああ、また博論が遠ざかる・・・。
とくになにほどのこともないが
◆ヒトラーの演説に共感した部分もあった。ドイツ国民よ立ち上がれ、勤勉に働け、国を建て直すのだ、1人1人が自覚せよ、といったあたり。そして800万人いた失業者を50万人に激減させ、国民の圧倒的支持をえる。そうなのだ、仕事がない、食っていけない、将来に展望がない、そうした事態を打開し、失業者にスコップをもたせてアウトバーンを作り、フォルクスワーゲンを作り、車をもてるような社会の実現を目標に掲げ、やってのけた。すごい。
◆もちろんそこから先はひどいものだが。要するにいまの日本も、それくらいの危機感をもって、貧困層を救い、国家財政や地方財政を立て直すこと、それをリーダーが熱く語り、ひとりひとりに自覚を求める、そういうことがあってもいいのでは、と妙に共感したわけだ。
◆だが、やはり独裁はダメ。やっぱりイギリスとアメリカの連合軍は強かった。そこにはやはり民主主義の強さがあるような気がする。リーダーはいるが独裁権力はもたせない、ポアロのいう灰色の脳細胞、多くの頭脳による考えや分析を尊重し、よりベターな判断や合理的な方法、有効な作戦を立てていく、そうしたものの強さがあった。むろん、一般市民への無差別爆撃や原爆投下が許されないにしても。
◆国力は一人一人の能力の足し算であって、北欧のように落ちこぼれをなくし、国民一人一人が生産的な仕事を行う人材に育てること、そして人材登用の仕組みを作り、運営していく。律令国家がめざしたものだ。しかも門閥社会ではなく、誰にも門戸は開かれ、次々に新しい人材が供給されていくこと。権力は必ず腐敗するので、常に交替していくことが必要である。
◆ところで、日本の国債を外国人投資家も盛んに買うようになっているそうな。そして円高。ニュースの解説を聞いても、オレにはまったく理解できない。こうこうだからこうなるという説明、言葉がわからん。経済情勢についての解説者の説明、みんな、納得の前に理解できてるんだろうか。そして、その解説は空虚に聞こえる。経済学者の将来見通しなど当たったためしはない、という広瀬隆にかぶれているから。なるほど日々の局面は原理的に動いている部分はあるのかもしれないが、大きな波、極端な変動、それは作為されていると信じている。
◆この円高や国債購入はなにか不安である。円暴落への仕掛けが始まったのではないか、と。年内くらいに何か起こるかも知れないと、漠然と思う。
◆歴史学とは、将来の変化を想像することなのか。すぐれた洞察力で将来像を見据え、警告していく能力をもつ人もいるだろう。むろん、このまま人口が増えて食料が足りなくなって、それで、それから、それで、と、そういうことは現代社会では無縁ではいられないし、地球的な課題だ。だが、われわれ普通の人間としては、そんな先のことを見越して手を打っていくなどという高尚なことはできないのです。目の前のことで精一杯。それのどこがいかんのか、と思う。みんな一生懸命生きて仕事をして、それが報酬なり一定報われていけばいい、子供を育て、また子の世代が日本を継承し、ささやかに生存し続けていければいいのである。いわゆる再生産。大金持ちになりたいわけではない、極端な変化は望まない、ささやかな暮らしが続けばよいのである。目先が利かなければ生きていけない、それは極端にしても、目先が利かなければまじめに働くだけ損をするという社会は間違っている。一生懸命に生きていけば、殺されることなく平和に生き、死んでいける社会であればいいのだ。そう思いませんか。
◆しかし、そうはならない障壁があるとすれば、それを取り除くのが国の役割だろう。レンホウではないが、スーパーコンピュータで世界一の演算速度を達成しなくてもいいと思う。むしろ、円高や円安が極端に変動することをいかに押さえるかが大事だろうに。そしてそれが自由経済という名の、経済支配者が支配を維持していくために作りあげた原則が、むしろ障壁となっているのではないのか。極端な為替レートの変動を抑止することは、自国の産業を守るために必要なことであり、中国のように自分で設定していいのではないか。円高で輸入には有利だが、輸出産業は大打撃を受けるとか、そんな不安定を防ぐ手だてを立てるべきなのでは。専門家は、自由な経済活動という原則から離脱することはできない、というだろう。それは幻想である。強い国、いやもはや国境ではなく、途方もない資産家がさらに冨を蓄積するために作りあげた自由主義経済の原則こそが打破されるべきで、仲間に入っていないと村八分にされるおそろしい世界から離脱してはどうなのか。
◆もちろんそこから先はひどいものだが。要するにいまの日本も、それくらいの危機感をもって、貧困層を救い、国家財政や地方財政を立て直すこと、それをリーダーが熱く語り、ひとりひとりに自覚を求める、そういうことがあってもいいのでは、と妙に共感したわけだ。
◆だが、やはり独裁はダメ。やっぱりイギリスとアメリカの連合軍は強かった。そこにはやはり民主主義の強さがあるような気がする。リーダーはいるが独裁権力はもたせない、ポアロのいう灰色の脳細胞、多くの頭脳による考えや分析を尊重し、よりベターな判断や合理的な方法、有効な作戦を立てていく、そうしたものの強さがあった。むろん、一般市民への無差別爆撃や原爆投下が許されないにしても。
◆国力は一人一人の能力の足し算であって、北欧のように落ちこぼれをなくし、国民一人一人が生産的な仕事を行う人材に育てること、そして人材登用の仕組みを作り、運営していく。律令国家がめざしたものだ。しかも門閥社会ではなく、誰にも門戸は開かれ、次々に新しい人材が供給されていくこと。権力は必ず腐敗するので、常に交替していくことが必要である。
◆ところで、日本の国債を外国人投資家も盛んに買うようになっているそうな。そして円高。ニュースの解説を聞いても、オレにはまったく理解できない。こうこうだからこうなるという説明、言葉がわからん。経済情勢についての解説者の説明、みんな、納得の前に理解できてるんだろうか。そして、その解説は空虚に聞こえる。経済学者の将来見通しなど当たったためしはない、という広瀬隆にかぶれているから。なるほど日々の局面は原理的に動いている部分はあるのかもしれないが、大きな波、極端な変動、それは作為されていると信じている。
◆この円高や国債購入はなにか不安である。円暴落への仕掛けが始まったのではないか、と。年内くらいに何か起こるかも知れないと、漠然と思う。
◆歴史学とは、将来の変化を想像することなのか。すぐれた洞察力で将来像を見据え、警告していく能力をもつ人もいるだろう。むろん、このまま人口が増えて食料が足りなくなって、それで、それから、それで、と、そういうことは現代社会では無縁ではいられないし、地球的な課題だ。だが、われわれ普通の人間としては、そんな先のことを見越して手を打っていくなどという高尚なことはできないのです。目の前のことで精一杯。それのどこがいかんのか、と思う。みんな一生懸命生きて仕事をして、それが報酬なり一定報われていけばいい、子供を育て、また子の世代が日本を継承し、ささやかに生存し続けていければいいのである。いわゆる再生産。大金持ちになりたいわけではない、極端な変化は望まない、ささやかな暮らしが続けばよいのである。目先が利かなければ生きていけない、それは極端にしても、目先が利かなければまじめに働くだけ損をするという社会は間違っている。一生懸命に生きていけば、殺されることなく平和に生き、死んでいける社会であればいいのだ。そう思いませんか。
◆しかし、そうはならない障壁があるとすれば、それを取り除くのが国の役割だろう。レンホウではないが、スーパーコンピュータで世界一の演算速度を達成しなくてもいいと思う。むしろ、円高や円安が極端に変動することをいかに押さえるかが大事だろうに。そしてそれが自由経済という名の、経済支配者が支配を維持していくために作りあげた原則が、むしろ障壁となっているのではないのか。極端な為替レートの変動を抑止することは、自国の産業を守るために必要なことであり、中国のように自分で設定していいのではないか。円高で輸入には有利だが、輸出産業は大打撃を受けるとか、そんな不安定を防ぐ手だてを立てるべきなのでは。専門家は、自由な経済活動という原則から離脱することはできない、というだろう。それは幻想である。強い国、いやもはや国境ではなく、途方もない資産家がさらに冨を蓄積するために作りあげた自由主義経済の原則こそが打破されるべきで、仲間に入っていないと村八分にされるおそろしい世界から離脱してはどうなのか。
憲法9条があるだけマシ
◆沖縄の米軍基地の前で、日本国憲法を読んでみたらどんなもんだろうか。国際紛争を解決する手段としては永遠に戦争を放棄する、と。だけど、現実はこの基地だ。この矛盾。放棄してないよね。「いや日本には自衛権があって自衛隊はあるが軍隊はもたないんですよ、だから日本としては放棄したんですよ」。これを詭弁という。
◆戦争を放棄する理想を掲げた日本は、当然、世界にむけてもアピールすべきだが、それ以前の問題。憲法と現実との乖離。政治家は現実に憲法を合わせろと合唱する。
◆日本は平和憲法をもっている、などと胸は張れない。だが、そんな憲法でもあるだけマシ。いや、あんまり対外的には胸は張れないが、国内としてはやはり防波堤として重要な機能を果たしてきたのだろう。マシ程度だ、ということを書こうとしたのだが、考えてみれば、矛盾に満ちていてもやっぱりあってよかった、と思う。
◆戦争を放棄する理想を掲げた日本は、当然、世界にむけてもアピールすべきだが、それ以前の問題。憲法と現実との乖離。政治家は現実に憲法を合わせろと合唱する。
◆日本は平和憲法をもっている、などと胸は張れない。だが、そんな憲法でもあるだけマシ。いや、あんまり対外的には胸は張れないが、国内としてはやはり防波堤として重要な機能を果たしてきたのだろう。マシ程度だ、ということを書こうとしたのだが、考えてみれば、矛盾に満ちていてもやっぱりあってよかった、と思う。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(02/12)
(02/05)
(02/05)
(01/27)
(01/16)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。