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◆以下のもの、PDFをもらい、OCRで読んで文字を起こし、書き直し始めたのはいつだったか。9月か、10月か。学会としては、ただちに修正案を出す、という対応が必要だったのだと思うが、できなかったのは反省点。自分で直し始めたが、正確に書くには時間を要し、途中で挫折。文字起こしまでして、専門の近現代史の人に投げるというのが、正当な手続きだったであろう。いまは一定の修正が進んでいると期待はしているが、自存自衛のためにやむをえず太平洋戦争に突入した、みたいな書き方は、なかなか直らないのかも知れません。ナレーションの問題点は新聞記事にも出ていたかもしれませんが、実際どういう文案になっているのか、あまり表になっていないと思うので、掲げておきます。

■8月27日公表のナレーション案
○日本は明治維新以降、欧米列強や清の脅威に対抗し独立を維持するため、近代国民国家の建設を目指した。
○日本は、ロシアの脅威に対抗するため、朝鮮半島を重要視し、朝鮮の北部国境までを防衛すべき地域と位置付けた。朝鮮の宗主国・清からの独立を巡って日清戦争が勃発した。日本は勝利し、賠償金と台湾、遼東半島を得るが、ロシア等の干渉により、遼東半島を清に返還した。
○満州、さらに朝鮮へと勢力を及ぼすロシアに対し撤兵を求める交渉と並行して日英同盟を結び、開戦に備えた。日本は日露戦争に勝利し、朝鮮からロシアの影響力を取り去り、ロシア支配下にあった遼東半島と南満州鉄道の経営権を清から新たに租借するが、賠償金は獲得できず、国内で不満が高まった。独自に満州経営を始めた日本に対し、アメリカ・イギリスは不信感を抱いた。
○日本の朝鮮統治に対する抵抗運動が広がる中、支配を確立するため、日本は朝鮮を植民地化した。
○第一次世界大戦において日本は日英同盟に基づき連合国の一員として参戦し、ドイツ支配下の青島を占領した時点で「21か条の要求」を行った。その結果、中国では反日運動が高まり、欧米列強は日本の強固な中国進出を警戒し始めた。他方、日本は連合国の勝利に貢献した。
○シベリア出兵では、ソ連共産主義の脅威から満州を防衛するため独自に兵を留めたことから、特にアメリカの批判が高まった。
○日本は国際連盟常任理事国となり、ワシントン会議で確認された国際協調の新たな秩序 (四か国条約・海軍軍縮条約・九か国条約)を守ろうとした。
○新たな国際秩序を背景に、中国では排外運動が高まる中、列国からの国権回復と国内統一を目指す蒋介石政権による北伐が始まった。北伐軍が南京の日本公使館を襲撃した(1927年南京事件)のを契機に、日本は以後、特に満州権益が危機に陥った際には自軍により守る方針を打ち出した。北伐軍は山東半島で日本軍と衝突した(済南事件)。一方、満州軍閥・張作霖が日本との対立を強めたため、現地の日本軍(関東軍)の一部の軍人により爆殺された。
○世界大恐慌の波に日本も飲み込まれた。イギリス・フランスはブロック経済政策、アメリカはニューディール政策で対応した。ヒトラー、ムッソリーニが独裁体制を築いた。経済安定の上に機能した国際協調は足元から崩れ出した。
○ロンドン軍縮条約の締結に対し、一部の軍人や国粋主義者は天皇の権限侵害として政府への不満を高めた。政党政治は行き詰まり、軍部が力を持ち始めた。
○国民政府が中国の統一を進める中で、日本の満州権益が危機に陥った。関東軍は満州事変を起こして満州全土を占領し、多くの国民は軍の行動を支持した。中国の提訴を受けた国際連盟は清朝最後の皇帝を元首に関東軍が建国した「満州国」を承認せず、日本は連盟を脱退した。
○二・二六事件を契機に軍部主導の総動員体制が整えられるようになった。
○日本軍の華北進出により、排日・抗日運動は中国全土に波及した。盧溝橋で日中両軍が衝突した。中国軍は日本の軍人・居留民を殺害し(遠州事件)、戦火は上海に広がり、宣戦布告なしの全面的な日中戦争が始まった。日本軍が占領した首都南京では、捕虜のほか女性や子どもを含む多数の住民が殺害された(1937年南京事件) 。臨時首都重慶では空爆により多数の住民が犠牲となった。
○中国の半分近くが日本軍の占領下に置かれ、その門戸は閉ざされたままであった。アメリカ・イギリス等は中国を支援する一方、日本には経済的な締付けをしようとした。ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、フランス・オランダはドイツに敗れた。日本は、日中戦争早期終結のため、アメリカ・イギリス等の中国援助を断ち切るべくインドシナ北部に侵攻した。さらに、ドイツ・イタリアと三国同盟を締結してアメリカ・イギリス等を抑え、ソ連と中立条約を結んで北方の脅威を除いた上で、インドシナ南部に進軍し、東南アジア一帯の資源を確保できる態勢をとった。アメリカは対日石油輸出を禁止し、インドシナ・中国からの撤退を要求した。日米交渉は決裂し、日本は「自存自衛のため」、武力による資源確保の道を求めて開戦を決意した。
○日本軍は、オランダ領インドネシアの石油を求め、まずイギリス領マレー半島に上陸すると同時に、ハワイのアメリカ海軍基地を奇襲した。ここに日中戦争とヨーロッパの戦争とがつながり、全世界的な戦いとなった。日本は大東亜共栄圏を唱え、半年で東南アジアのほとんどを占領した。しかし、厳しい資源の取立てや住民の徴用等のため、後に抗日運動も行われた。
○日本軍はミッドウェー海戦で惨敗し、ガダルカナルから撤退した。制海圏・制空圏の喪失は以後の戦局の悪化を招き、国内では物資が不足するようになった。文科系大学生は徴兵され(学徒出陣)、兵役についていない男性は徴用され、中学生や苦い女性は勤労動員された。朝鮮・中国からも動員された。
○サイパン島で日本軍は全滅し、テニアン・グアム島もアメリカ軍に占領され、戦略爆撃機 B29の基地が造られた。総力戦の下、戦意を喪失させ早期終結を図る意図も加わり、アメリカ軍は無差別都市空爆を開始した。東京、大阪など主要都市のほとんどが焼け野原となった。この頃、装備の質・量ともに劣勢となった日本軍は、特別攻撃隊によりアメリカ軍に抵抗を図った。
○硫黄島、沖縄本島が占領され、多くの軍人・民間人が悲惨な最後を遂げた。この戦闘でアメリカ軍は初めて予想を遥かに上回る損耗を強いられたため、大きな犠牲を伴う本土上陸作戦を取り止めた。
○アメリカは日本を早期降伏に誘導する戦略に切り替え、原爆を投下した。政府が終戦の斡旋を期待したソ連は、日本との中立条約を破って対日参戦し、満州や朝鮮、南樺太、千島に侵攻した。
○政府はポツダム宣言受諾を決定し、昭和天皇は降伏を国民に伝えた。

◆まあ、それにしても、近現代史のやつらは、もうちょっと動いてくれないもんだろうか。

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HN:
雲楽
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60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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