人を幸せにする人になろう

久津川車塚、2月20日

◆朝、6:30には起きながらダウン。再び起きた時は、9:00には間に合わない時間。車塚に着いたのは、9:30くらい。山科に向かう11時まで現場。南区の調査、作業員さん1人に削ってもらいつつ、うちの学生・院生は、造り出し上面の礫出し、東西畦沿いの幅1mは、ほぼなにもなく礫もまばらだったんだろうが、やや下げすぎで段差になっている・・・。完全にピュアな面まで下げると掘り過ぎ。造り出し盛土面があり、埴輪を据え、礫を敷き、そう厚くはないそれらが遺構で、それが露出している間に表土化し、草木が生えたりさまざまな撹拌を受け、さらには江戸期の洪水層で流されたりしている。それで堆積した黄色粘質土も礫の隙間等に入り込んでいく。礫はきたない土のなかにあ り、埴輪が下に噛む、と。それらは厳密には動いているわけだが、はずしていくと何も残らない。黄色土やきたない土を礫や埴輪片を残しながら間をほじり、箒ではいて起こした土を取り除く、そういう作業をひたすら繰り返すことで、礫面残存状況を表現するほかない。埴輪片は基本的には残しつつ、状況が判明した段階で、樹立埴輪との関係でひとかたまりなものを残しつつ、遊離しているものは、今日設定した1mの地区ごとに上げればよいだろう。それで、一定の掘り上がり。樹立埴輪に帰属する形で、残っている埴輪片をどこまで上げるかは、当今、文化財保護部局との相談も必要。あとは、カゴメ土器などの、方形区画内部の食物供献化器類は、とくに重要なので、確認すれば、基本的には残し、原位置を記録した方がよいだろう。
◆てなことを教えつつ、ほじほじをさせる。11時に現場を離れたが、さあ、どうなったか、本日の報告を待とう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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