人を幸せにする人になろう

2015年2月10日久津川車塚

◆8:30過ぎに天王寺のレンタカー屋、大学、器財を積み込み出発したのは9:50。11時過ぎには現地着。埴輪おるおる。現場用器材を下ろし、宿舎に行き、冷蔵庫・洗濯機、鍋釜食器類を下ろし、車を近鉄伏見駅前に戻し、戻ると13時。ガストでめしを食い、現地に戻り、少し打ち合わせをして、一旦、解散。1人だけ連れて、コーナンに行き、市役所で水道開栓の手続きをし、宿舎に戻り、洗濯機セット。大家さんに挨拶し、現場に戻ると16時。既に現場は閉じられ、城陽市職員は引き上げ、テントを設営してくれていた作業員さん1人がいるだけでした。
◆そんなんで、戻って写真を撮ろうと思っていたのですが、画像はありません。また後日。図上で設定した調査区は、現地で見ると予想以上に南の位置でややびっくり。イメージが違う。下段が完全に埋没しているので、その分、くびれ部も埋没部ではかなり南に来るわけだ。。
◆前方部側縁に直交方向(東西)の畦を1本入れ、南区・北区とし(あわせて100㎡)、それぞれ小さい重機で深さ50㎝ほど掘り下げた状態。イキ土らしき赤みがかった土がわずかにのぞくが、ほぼ全体は洪水層?の黄色粘質土。隅部を一部、人力で深く掘ってあり、洪水層が1m位したまで続く様子がわかる(造り出しをはずれた周濠部)。ピュアな黄色粘質土、これネバイですわ。埴輪は南区で1本あり、おそらく造り出し上面方形埴輪列の南辺のものだろう。なので、すこし南で周濠へ落ちていく肩があるはずだ。埴輪片もぱらぱら出だし、赤みがかった土も見え始めているので、このレベルで止めたようである。
◆現状底面は表土側からの混じり土もあり、完全な黄色ではないが、これを取っていけば、ほぼ埴輪片の堆積上面が露呈し、造り出し肩部の輪郭がほぼ把握できるだろう。月曜日から人が入り、だいたい来週のうちにほぼ全容はわかると思われる。

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HN:
雲楽
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60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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