人を幸せにする人になろう

チェリー

◆これタバコの話。いま震災の影響でタバコがぜんぜんない。で、JTの広告で、以前からあまり数の出なかった25(?)銘柄の廃止を決定したとあり、そのなかにチェリーが含まれている。
◆タバコなんて吸わない方がいいに決まっているが・・・。タバコをはじめて吸ったのは大学4年。五十川伸矢氏がチェリーを吸っていて、これがカッコよかったわけだ。で、このキッツイが、しかしいい香りのするチェリーをオレも吸っていた。そのあとの経歴としては、ラッキーストライクはすっきりした感じがよく、ケントマイルド赤の時代も長かったような。で、奈文研時代はサムタイムライト。これマイナーだが、この頃から細身のメンソールになる。上司の町田章氏いわく「おまえ、そんなインポタバコすっとんのか!」。玉田芳英さんも同じだった。で文化庁に勤めていたとき、文部省4階のエレベーターのところに自販機があり、このマイナーな銘柄を入れてくれていて助かった。このサムタイムライトも今回で生産停止となる。
◆大学に来て、定まらなかったが、いまはピアニシモワン(1㎜)。で、これがいまないわけだ。コンビニに行ってみられい。タバコの大半は品切れで、ならんでいるのは普段売れないヤツ、ということなのです。


久津川車塚古墳

◆月曜日は東博。和泉黄金塚の資料は常設展示されているため、休館日の月曜日。候補日を3つほど挙げて申請する。で、16日613f002d.JPGと言ってきたもんだから、前から決まっていた城陽市の芝が原の整備委員会は欠席。だったら見に来いということで、本日13日、朝、城陽に出向く。
◆竹藪なので、根っこを起こすため、結局は造成地みたいになってしまうのはやむをえないか。写真の手前側の斜面上方に古墳はあり、むこうに見える部分も城陽市が土地を取得して、一体的に整備しようというもの。まわりがすべて住宅地であるなかで、もともとの尾根の状態をしのばせる貴重な場所なので、向こう側一帯は雑木林にするのが目標だが、竹藪(まだ少し残っている)をバッコンして一からのスタートなので、最初はやっぱりツクリモノくさくなってしまう。ほんとうに山林状になるには、何年くらいかかるんだろうか。いくつかコメントする。
◆で、最後に、次は久津川古墳群(芭蕉塚の指定もまだ)をやっていきたい、まず車塚の測量が必要だが協力してもらえませんかと頼まれる。前々からそういう話をしてきたので、頭の隅っこにはあった。人様から頼まれて仕事ができるうちが花、今日、小泉さんに頼まれ、やる気になってきた。すぐすぐでの話でないとはいえ、こっ9da5e679.JPGa530d639.JPGちも別の計画はあるので、「少しずつやっていきましょか」ということになる。
◆今日はこのあと藤井寺に寄って、14:40からの研究会へ行けばいいので、帰り、予定にはなかったが、久津川車塚を見に行く。
◆車塚20数年ぶりか?、前に来たときは、1人ではなかったような気もするが、まったく記憶はない。ここもけっこうな竹藪、前方部西側から入り、後円部の例の(長持形石棺を抜いた)掘り割りを見て、線路越しに分断された史跡地東側を遠望する。そのあと、前方部の頂部を前端へ抜け、樹木の状況を確認した。
◆トータルステーション1組3週間くらいの仕事量か。2チ-ムなら半分、3チームなら1週間。スポーツセンターみたいなところに宿泊施設はあるらしい。

有光先生が亡くなる

◆有光先生が亡くなる。103歳。むかし、学部生・院生の頃、京大の考古学談話会に出席されている時にお会5ddbb064.JPGいしたくらい。半島のことを勉強していたわけでもないので、それくらいしか接点はない。そのころ、80歳くらいだったのだろうが、階段をあがっても息も切れないとの話に、一同、感嘆したもの。103歳はすごい。
◆『朝鮮考古学75年』はもってなかったが、アマゾンで注文した。学部卒で1931年に朝鮮総督博物館勤務を命じられ、終戦まで勤務、翌1946年5月に帰国する。アジア太平洋戦争末期、博物館の優品を守るために疎開させ、敗戦直後の混乱の中で博物館資料の保全に尽力し、占領軍の下で韓国中央博物館としての開館を任される。ソウルの日本人が少なくなり、当然のことながら白い目で見られるなか、韓国の博物館として運営する教育と、発掘調査技術の教育のため、翌年春の発掘まで残留を命じられる。帰国後、GHQの九州の文化財調査の担当官を3年ほど務め、その後は2年間のUCLAでの日本文化の講義。1952年9月から大学の研究室に落ち着くという。
◆この記事の当初では、有光先生が朝鮮のために資料の保全に尽力し、またいまの中央博物館の基礎を作ったが、発掘調査を含めてやはり植民地でやってきたことについて、どのように考えていたのか興味があると書いたが、なかなか難しい。精一杯、与えられた職務に励み、資料を守り、韓国の研究者と戦後も長く交流が続いた。コレクションを作り持ち帰った多くの人々とは異なっている。確かに、例えば新羅の古墳の発掘にしても、ほっといたら掘り荒らされたものを、きちんと掘ったからこそ散逸せず、また研究は進んだ。エジプトでもメソポタミアでも同じだろう。とはいえ、とも思うがやめておこう。それよりも日本国内にある資料のことを、いまのわれわれは考えるべきなのだろう。

ナルナル詐欺

◆朝日土曜版BEの青版の相談コーナーが面白い。とくに、岡田斗司夫さddeb5524.JPGんという方の回答はいつも抱腹絶倒である。a406ec70.JPG回答者は交代で、上野千鶴子の回答の時もやっぱり見てしまうけどね。
◆解説は不要ですね。

研究室のサッシを掃除する

◆毎年、1回、窓ふきの業者がまわってくるが、机回りに立ち入られるのがイヤで断ってきた。なので、窓回りが実に汚い。今日、あまりにきた6c66ea4e.JPGないので、この際、きれいにしようと、思いつきで洗浄することとし、バイトの濱道君がいたので、助けてもらってサッシをはずし、文学部棟南の水道のあるところに持っていき、水をぶっかけて洗う。
◆画像は夕方になったからということもあり、あんまりわからないが、実に画期的にきれいになった。
◆写真右の整理棚が、使いにくいと言うこともあり、乱雑だ。ここをスッキリさせたいのではあるが、まあボチボチ。
◆とにかく今日は何もする気にないので、昨日まで散らかしたものを片付け、『市大日本史』にかかりっきりで、できていなかったことなどを片付ける。そして早く帰ろう。

歴史学ソフトボール

◆5月8日(日)、市大グランドで歴史学のソフトボール大会が開催される。オレは言い出しっぺではあるもの55cd2e54.JPGの、実際にコトを実現させたのは佐賀さん。グランドの予約から道具の貸し出し、人集めなど、池本君はじめ学生が協力し、3チームが成立、総当たりで2試合ずつ行った。「井上浩一杯歴史学ソフトボール大会」と名付けられた。
◆この日、『市大日本史』校了予定のどん詰まり。朝から出勤し、最後の校正をやり、午後からソフトボール大会に参加する。戦績、わが塚田監督率いるBチームは、2試合ともサヨナラ負けを喫する。最初の試合などは、10-0からひっくりかえされ、2試合目は2-8で負けていたが、すこしずつ返し、12-8と4点差をつけて最終回の裏の守備についたが、もろくもサヨナラ負け。Aチームが2勝、Cチームが1勝1敗、われわれはゲベである。
◆オレはキャッチャー、小学校の時、平津ソフトボールチームのキャッチャーを実はやっていた。打つ方は、最bc541f60.JPG初は美しい三遊間を抜くヒット、2打席目は3塁線を破るヒット、ここまではよかったが、あとは凡退を重ね、敗因のひとつとなる。それにしても、かつてバッティングセンターに通っていたという塚田氏は、バカスカと大当たりを飛ばし、一同、驚愕。塚田先生の知られざる一面を見る。
◆飲み会。わたしは遅れて参加。その間に、午前の直し、表紙や編集後記の直しをして、あとは印刷所任せの校了となり、18時開催の宴会に19時前には合流でき、学生らと楽しく呑む。井上浩一先生からは金一封!、オレはトロフィーを用意する予定だったが、余裕なく、なし(カッコつかんな~)。あとでちゃんと購入し、第1回優勝の帯をつけて歴史学220教室に置くこととしたい。
◆帰ると、最終の直しのメールが来ていたが、カバンから校正刷りを取り出し、パソコンで送られてきたPDFを開いて、赤が直っているか点検しているままの状態で撃沈、朝をむかえる。まあ、大丈夫でしょう・・・。
◆自分で写真は撮っていないのだが、みなさん、たくさん写真を撮っていたので、そのうち、もらってアップします。

松岳山GW(2011年05月07日)

◆岸本・小西、9:00-18:00
◆05日に続き、まず前方部南の紙B3。P30から測れる範囲をすべてやる。紙の南端まで到達。国分神社西参道b3e3d26f.jpgまでもうす8こしのところ。ただし、西側は竹藪で視界不良、この位置ではのばせない。
◆前方部北の紙B2に転じる。P11から北側面を測り下ろす。ひたすら直線。実に美しく斜面が残る。板石がきっちり積み上げられ、びくともしていないのかもしれない。北側は柏原市は未発掘である。

へとへとだ!

◆5月14日の大会に間に合わないかも、と思っていた『市大日本史』第14号だが、なんとか印刷所、というよりオペea911936.jpgレーターと直接やりとりしているのだが、この方のご尽力で持ち直し、間に合うかも!というところにまでこぎ着けた。このところ、測量も一方でやりつつ、そのあと、大学あるいは家で、編集業務をやっており、ええかげん、へとへとである。それでも間に合ってしまうから(まだ、予断は許されないが)、反省しないのだろうが・・・。
◆まあ、編集作業は好きなので、塚田氏から引き継いで以来、毎年、この季節の年中行事で、苦にならないのではあるが、年老いてくると、正直、しんどい。苦闘の証明である進捗表を掲げておく。

松岳山GW(2011年05月05日)

◆岸本・道上、9:00-17:00
◆まずp12から新杭2本(p30とp31)を打設。前方部南斜面の紙B3を開始する(昨日の前方部北の紙B2は後回91370840.jpgし)。P12で、前方部頂で一段下がった範囲を測量する。そのあと、稜線沿い、そして南斜面を下ろしていく。限界まで達したところで、p30の水準移動の上で、マシンをP30に据えて、南斜面の続き。標高55.5mまで。
◆上段裾のテラスは明瞭である。またp30はその下のテラス面であろう。
◆国分神社さんの山林の管理を任されている人と話をする。発掘の時は、この人に言えば木を切ってくれる。タケノコ掘りに来ていて、5本もらう。
ae19341e.JPG1ccc4e83.JPG

松岳山GW(2011年05月04日)

◆岸本・濱道、9:00-18:00
◆後円部東の紙D2の取り残し部分、東側の住宅地に接する東北隅部をP19にマシンを据え埋める。aae11209.jpg
◆P5にマシンを据え、後円部南の紙C3の上部(北側)の取りこぼしを埋める。
◆めでたく終了し、15時からいよいよ前方部。P11にマシンを据えて前方部墳頂を測量する。
◆途中、同志社考研OBの音村政一さんが松岳山の見学に来られ、話をする。広瀬和雄氏と同学年だとか。われわれが神明山を測量した話などを、佐藤さんから聞いているらしい。
【追記:このとき、同志社考研の50周年記念誌を出したので、送ります、と言っていただいたブツが5月9日届く。ありがたいことである。】

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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