人を幸せにする人になろう

小谷古墳へ行きました

◆続きです。1278bf1c.JPGで、宣化陵の近くに有名な横穴式石室墳があったはずなので、さがそうとするも、なんの準備もないので、258d40ea.JPGわからん。すこしうろうろする。そうすると、益田池の堤の遺跡公園がある。9世紀に造られた記録があり、木樋も確認され、いま奈良県の史跡だそうだ。堤の上に上がると、益田池周辺の遺跡を示した金属板があり、白橿町の背後のところに小谷古墳とある。宣化陵の近くに有名な古墳があったはずと思っていたのは、場所はやや違ったが小谷古墳のことだ(そういう意味では目的を果たした)。
◆写真は宣化陵から見た畝傍山、きれいです。それと益田池堤近くの築坂邑の標柱。大伴氏の本拠地?。
◆丘陵斜面に続く一体が畑になり、そこを上がっていくと、石室開口部が露出している。柵があって進入禁止なのだが失礼する。
◆いや~見事な石室である。同時に岩屋山式のちょっと小さいヤツとして、白石先生が論文を書いているものだ96614bed.JPGと思い出す(不正確)。切石の徹底さは岩屋山ほどでなく、壁面がふっくら丸みをやbdaebda4.JPGや残すが、見事なものである。エエモン見せてもらった。17d27da7.JPG

田植えとそのあと(記事ナンバー700)

◆某日、いろいろと変転したあげく、どうしてもこの日となり、休みをとり、和歌山に田植えに行く。そんな大きくbca1debd.JPGない田が3枚、1枚はやってあり、残り2枚をやった。まあまあか。
◆なので、朝行って、けっこう早く終わる。お昼をいただき、15時前に出る。中途半端な時間なので、近つ、あるいは橿考研の博物館にでも行くか、と、五條からいつものルートでなく、風の森峠を抜け御所に。
◆まず室宮山。墳頂に案内板と埴輪のレプリカが置いてある。5・6年前に来たときはなかったと思う。墳頂はきれいにしてあるが、その外は、篠竹を含む(?)ブッシュがすごく、前方部側へ下りることができない。ずうっと前、最初に来た頃は、こんなんではなかったように思うが。もし、室宮山を測量するとすれば、下草等の刈り込みがかなりいる。
◆前から行きたかった鴨都波神社へ。新しい国道から細い道を入ったが、ほんとは御所2345ba22.JPGの旧市街があり、そこを通る東側の旧道に面して鳥居があり、参道は反対側であった。想像していたものより敷地や社殿も小さかったが、これこそ鴨氏の発祥の地ですよね。御所の旧市街、車で通過しただけだが、けっこう雰囲気がある。面的に広がりがあり、縦横に道路が通る。商店街はさびれているんだろうけど、町はいいんとちゃう。
◆それから宣化陵へむかう。京奈和道の建設が進んでいる。新沢千塚の資料館へは前に行ったが、古墳群1e7ab997.JPGをまわったことがないので立ち寄ってもいいのだが、広大なので機会を改める。で、宣化陵。がちがちに汀を石積みの護岸で固めてある。宣化陵なのか、宣化皇后陵で宣化が合葬されたのか?。こないだの辛亥の変のこともあり、一度見ておきたかったので行くが、陵墓やし、それだけではある。そしてその奥の倭彦陵に行く。山裾の村のなかで駐車場もないので、写真を1枚のみ。
◆いま22日、佐倉のホテル、07:08地震!。

橋下徹はひどい

◆日本国憲法は日本国の最高法令である。第11条「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」。そして第19条の内心の自由がある。どのような考えをもとうが、国家がとやかく言うことはできないし、それを表明させることもできない。
◆憲法が上位で、国旗国歌法・地方公務員法は下、まして学習指導要領や、都道府県教育委員会の職務命令はさらに下である。1999年8月9日小渕首相談話「今回の法制化は、国旗と国歌に関し、国民の皆様方に新たに義務を課すものではありません」、これは、現在、内閣府のHPにも掲載されている。法律を作ったときの「強制しない」との附帯決議はネットでは出てこない(まあ、附帯決議なんて・・・だが)。
◆しかも橋下は、「府教育委員会が国歌は立って歌うと決めている以上、公務員に個人の自由はない。従わない教員は大阪府にはいらない」と指摘し、「繰り返し違反すれば、免職になるというルールを作り、9月議会をめどに成立を目指したい」、と。【条例制定は5月議会で目指すらしい!】
◆学校教育の中身こそ大事で、その職務のサボタージュなら理解できるが、どうでもいい国旗国歌に、なぜそれほどまでにこだわるのか、まったく理解できない。大阪府がやるべきは、そんなしょうもないことでなく、公立高校の教諭の1/3が非常勤職員で成り立っていること、それを大阪府は府費でもってきちんと手当てして、誇りをもって学校教育にあたることだろうが。
◆この問題は無視できない。大阪がこんなことでは恥ずかしい限りである。コテコテの自民党や、某都知事ならともかく、大阪って、どっちかというと東京に対抗意識丸出しの、オカミに従順ではない自由さ(それが悪い面もむろんあるが・・・)、がウリと思ってきたが。これは動かなければならない。

テルちゃんの河内政権論

◆阪大の科研報告書が送られてきて、目次を見て、ただちに高橋照彦氏の20頁の文章を読む。まあ、あいかわらずの切れで、文献史の成果を読み込み、一方で古墳時代考古学のことを知っており、両者を総合できる人材は、彼くらいなんだろう。書いていることは、河内政権論側で、王宮と王陵の話も、ややニュアンスは違うかもしれないが、オレのイメージとも近く、親和性がある。こないだ発表を聞いた古市さんの論文も引かれている。仁徳の磐余の王宮の話を書いているらしい。
◆でもね~。ちょっと不満はある。その中身はやめておく。こっちはこっちで、あんな芸当はできないが、松岳山を測り、津堂城山を測り、地べたに即した仕事を重ねるのみ・・・。

龍谷ミュージアム

◆こないだ、4月末かな、大阪歴史学会の委員会で梅田に行ったとき、地下の丸柱に、ずーっと右のような広告がd8c6aaa3.JPGあった。大谷探検隊などの資料をならべる博物館ができたのだろう。
◆龍谷大学、奈文研にいたとき、中国社会科学院考古研究所所長が来日し、その案内を2日間ほどおおせつかった。徐光輝さんがついていたので、奈文研側の人間として横におればよかったのだが。その時に、大谷探検隊の資料が見たいというので、龍谷大学集合だったが、オレは間違って深草だっけか?のキャンパスに行き、時間になってもこないもんで、携帯のない時代にどう連絡をつけたかわからんが大宮キャンパスの方だ、というので、あわててタクシーで移動した記憶がある。
◆考古研究所トップの来訪で、龍谷では特別収蔵庫みたいなところにも招き入れ、資料を見せていたようだったが、記憶は定かではない。大阪駅の宣伝はけっこう目立っている。
◆奈良明新社から郵送物が届いたので、なんだろうと思ってあけてみると、2011年度の発掘速報展のチラシとチケットだった。会場を見ると、あんまり近場はない。そのチラシの写真、花崗岩の石で矢穴がある。裏を見るce21cf01.JPGと、東六甲の石切丁場だった。六甲の石切場、『別冊ヒストリア』にまとめたが、その後、兵庫県が分布調査をして報告書を作り、典型的な部分の史跡指定も検討するということだった、と思う。どうなったかは知らないが、速報展でこの種の遺跡をみなさんに知ってもらえるのは有意義なことである。

弥生時代後期末はいつなのか

◆弥生後期、土器屋は土器屋、鉄器は鉄器、青銅器は青銅器、それぞれについて時期区分ごとの推移を要領よくまとめたようなものは見あたらない。なので、そ れらを総合しようにもしんどい。土器は土器で平行関係の問題がある。考古資料大観の赤塚さんの表が便利ではあるが、なかなか素人には難しい。西谷3号墓は いつか、楯築はいつか、大風呂南はいつか、そして纒向石塚はいつか。絶対年代はともかく、相対年代でどうならぶのか。前三者が後期後葉、石塚は庄内前半、 25年くらいの差のなかには収まるか。
◆『みずほ』の大和の弥生時代後期の再検討だかなんだかの、各地の報告はすっとばし、座談会の部分をさら~っと読むが、素人にはちんぷんかんぷんですね。土器屋の話 に終始して、語り合ってる人の間ではニュアンスは了解されているのかもしれないが、外部者にとってはよくわからん。書いたものでは、違う意見をふまえても自己の説を点検することも少ないので、ああして議論するのはよいことだろう。が、そのままのヤリトリを起こして収録するのはどうなんだろうか。議論をまとめて、 合意されていること、意見が分かれていて検討課題であることをまとめてもらった方が、読者にはありがたい。

気分がのらない・・・

◆人間は精神的な生き物なので、気分に左右される。今週はなにかと調子が乗らない。といっても月曜日はよかったが、火曜日・水曜日の話だが。いろいろやらなきゃならんこと、考えなければならんことがある。体は大丈夫だが、どうも気分の問題。ぼ~としている。原因は?。だいたいわかっているのだが。
◆石室のスキャンの科研挑戦的萌芽はだめだった。残念。なので、今年度は科研基盤のみ。ちとつらいが、このくらいで大事に使いながら、というのがよいかも。あれやこれやしたいと思っても、オレのパワーも、学生らの人的パワーも限られているので、ぼちぼちペースでちょうどよいかも。
◆鏡の撮影は、10面・20面もっているところは完了した。次の7面より多く所蔵しているところは、京大や関大や阪大には打診済みで、次の3~4面くらいの所蔵先に、火曜日、一斉に問い合わせと協力依頼を送付した。そしたら、水曜日、さっそく、大阪府・八尾市・藤井寺市から連絡をいただいた。ありがたい話である。近場で数面であれば、授業の合間を縫って、半日単位で撮影にいける。メッチャ楽しい仕事であるが、バンバン電話して予定を入れていく元気がなんとなくない。あんまり詰め込むことはせず、かといって今の盛り上がりを失すると行くところまで行かないので、そこは7月までに撮影を終わるように、予定を組んでいこう。
◆見積もりの話はしたっけか。仮組みしたもので岡村印刷に見積もらせると数字は出た。出版費がどっかからでないもんかね~。フルカラーでそこそこはかかる。『玉手山1号墳の研究』以後、売ってペイすることはあきらめた。ペイしないもんだと覚悟せねばならない。出せば出すだけ損をする、自腹は覚悟しないといかん。それを過大でないようにする方策を立てるしなかいな、と。
◆エエ仕事してるんですけどね。ま、そういう自己満足だけが支えかも。

東京国立博物館05月16日

◆東京国立博物館の鏡22面の写真撮影が実現した。古谷さんのほか、この4月から考古室に入った山田俊輔君(うちの桜井茶臼山の測量の時に早稲田組をとりまとめてくれた)にたいへんお世話になる。和泉黄金塚の重文の6面ともご対面。ひたすら写真を撮っていて観察はほぼゼロだが・・・。
◆そのあと、和泉黄金塚の話をする。なんとか、出土遺物の今日的な図面作成ができないかというもの。科研のメニューのひとつであり、摩湯山報告のなかで和泉の前期古墳をまとめる上でのメニューであり、いまかかわっている和泉市史のメニューにもなる。去年、科研が通ってそうそうに依頼をして、秋に一定のリアクションをもらった時にただちに動かなかったことが悔やまれるが、いたしかたない。いまは条件がわるいことがよくわかったが、ここで断念はしたくないので、科研の研究期間のなかでできることを進め、そのあとも粘って何らかの形で公刊していきたい。東博との間で、いますこし調整に時間がかかりそう。
◆いまやっている写楽展の、朝日新聞社側の招待客への披露が、休館日のこの日にあり、平成館入り口には、お偉方がでそろい、招待客に接客していた。

博学連携記念シンポ05月15日

◆大阪歴博で、大阪市博物館協会と大阪市立大学の包括提携を記念してのシンポジウム。最初に脇田先生64d8f17e.JPGの講演があり、そのあと仁木さん、自然史博の初宿(しやけ)さん、そして生活科学の谷先生の3本の報告があり、あと鼎談。
◆自然史博のセミの話はすこぶる面白かった。まず、大阪が世界でいちばんセミのウルサイ町である、ということを、一定のデータをもとに主張。で日本じゃ、アブラゼミ優位であったものが、大阪が80年代以降、クマゼミ優位となり、ほぼクマゼミのみに近くなっていることを、データをもとに明らかにした。あとは、マーキングしての観察に寄れば、ほぼ1ヶ月は生きているんだとか。長い年月地中にいて、成虫になって1週間、というのは、いつどこでできた神話なのだろうか。あるいは、ある種のものでは事実だったのだろうか。
◆まず、自分の経験でいえば、オレがセミを取っていたのはいつか。小学校高学年から中学校とすると、ほぼ1970年代後半ということになる。経験的な比率でいえば、アブラゼミ3、クマゼミ7くらいだったろうか。既にクマゼミ優位だったのは間違いない。次に、生きている期間だが、うちの文学部の建物の南の桜の木にはクマゼミがうじゃうじゃいてウルサイ。一斉に地中から出てきて1.5㎝くらいの大穴がぼこぼこに開く。で死ぬときは一斉に死んでいく。いっぱいいるもんで、8月半ばくらいから後半にかけてだろうか、バタバタと落ちている。
◆で、なぜクマゼミか、というのはどうも理由がわかっておらず、鹿児島に行ってもアブラゼミが多く、温暖化とは関係ないという。しかしこれはこれで鹿児島の方が大阪より熱いとは言い切れまい。夜も含めいちばん不快指数の大きいのが大阪で、気象データと厳密に相関関係をたどる必要がある。あるいはそれとも関連するが、好む木々の問題もあるんだろう。話のなかでは出てこなかったが、そのへんは専門的な研究もきっと進めているのだろう。
◆本題にもどって、谷先生のいうように、大学側がよほどの覚悟をもって労力をかけていかないと実効的な活動はできないのだろう。かくゆうオレも、その都度、考えている程度で、体系的になにができるかトコトン考えていないし、またそれを実現させる努力もいまはしていない。いっぺんにはいかないが、学生が博物館へ足をのばす仕掛けの点と、共同研究の点で、1コずつくらいから、まず始めたい。共同研究としては、大阪城の石垣調査と、近世絵図の集成ということは考えているのだが・・・。


市大日本史学会5月14日

◆講演は工楽さん。ため池、韓人池の話。九州には実際に「韓人池」というものが複数あるそうな。開発史の画2d1a9b80.JPG期のひとつが7世紀にあり、大きな飛躍があるのは確実だろう。だが、6世紀以前がゼロであるわけではなく、ただしく把握されなければならんだろう。事例が少なすぎてわからんのだが。
◆古市晃さんの茅渟宮の話。これはすこぶるオレにはおもしろく、ちょっと本格的にレジュメにもとづき主張を整理し、きっちり咀嚼した上で、考古学ではどうなるのか、ということを考えてみたい。ウト川上宮=茅渟宮というのが結論だが、栄原先生のいうように、日根に川上宮が、和泉に茅渟宮があってもいい、同一実態とする論拠は弱いというのはそのとおりか。いずれにしても刺激たっぷり。一番の興味は、泉南の鳥取、あんなところで(これも現代の見方なんでしょうね)武器を作ったなんてホンマか、と思ったりしていたが、鳥取氏というのが柏原市大県、鳥坂寺が本拠という点。日本最大の鍛冶工房がある。武器作りで、ちゃんとつながる!という点だ。
◆大澤さんの本願寺の話。これもおもしろかった。この時期の本山って、京都?、山科?、とにかく御坊っちゅーもんがどういうものか、教えてもらった。ちなみに調べてみると、蓮如は子供を27人作ったんだって。で、彼らが各地に散って浄土真宗大谷派のいまを作ったということだ。
◆三田さん、近世史で準備会をやってきたということもあるが、さすがですね。3年で博士論文を書いてPDもらっているだけのことはある。きっちりとしたレジュメに、わかりやすい話し方。ただし、近世史や近現代は、古い時代をやっている者からすると、個別的に感じてしまう。とはいえ、個別事例を広げていこうとすると、それぞれに史料が残っていて、ひとつひとつ明らかにした上で総合化せよと言われてもツライのだろう。古い時代は、特定資料から立論し、あとは敷衍する、というので済むアンチョコなのかも。
◆懇親会のあと、発表者全員を含むメンバーで2次会へ。この場もよかった。楽しく飲みながら、今日の報告や周辺について語り合う。ほとんど覚えていないが。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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