人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2026年2月19日(木)宮崎へ
◆明日は西都原の委員会。今日は朝便にしてもらった。いま8:42伊丹空港です。午後、都城か日南か、そのあたりを。
◆日南ですね。デンケンがある。以下、ウィキ。戦国期は、天然の良港油津港を扼す飫肥城を巡って、戦国大名の伊東氏と大隅国・日向国の守護職の島津氏の100年以上にわたる国盗りの舞台となった。江戸時代は一貫して伊東氏飫肥藩5万7千石の城下町として繁栄した。
◆飫肥藩(おびはん)は、日向国宮崎郡と那珂郡を統治した藩。藩庁は飫肥城。藩主は伊東家。家格は外様大名である。なお藩主家の日向伊東氏は備中国岡田藩主家の備中伊東氏と同族である。
工藤祐経の子孫・日向伊東氏は鎌倉時代に日向国の地頭に任じられ、建武2年(1335年)に伊東祐持が足利尊氏によって都於郡300町を宛てがわれて下向したことに始まる。一時は島津氏からの侵略により、日向国を退去するが、伊東祐兵が豊臣秀吉の九州平定に参加し、九州平定軍の先導役を務め上げた功績により飫肥の地を取り戻し、近世大名として復帰を成し遂げた。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、祐兵が大坂で病を得ていたため、成り行きで西軍につくものの、密かに黒田如水を通じて東軍に味方をし、嫡男祐慶を下向させて宮崎城を攻撃、事無きを得た。元和3年(1617年)、2代将軍・徳川秀忠より飫肥藩5万7千石の所領安堵の朱印状を受けた。以後廃藩置県まで一貫して14代にわたり伊東氏が飫肥藩主を務める。
◆日南ですね。デンケンがある。以下、ウィキ。戦国期は、天然の良港油津港を扼す飫肥城を巡って、戦国大名の伊東氏と大隅国・日向国の守護職の島津氏の100年以上にわたる国盗りの舞台となった。江戸時代は一貫して伊東氏飫肥藩5万7千石の城下町として繁栄した。
◆飫肥藩(おびはん)は、日向国宮崎郡と那珂郡を統治した藩。藩庁は飫肥城。藩主は伊東家。家格は外様大名である。なお藩主家の日向伊東氏は備中国岡田藩主家の備中伊東氏と同族である。
工藤祐経の子孫・日向伊東氏は鎌倉時代に日向国の地頭に任じられ、建武2年(1335年)に伊東祐持が足利尊氏によって都於郡300町を宛てがわれて下向したことに始まる。一時は島津氏からの侵略により、日向国を退去するが、伊東祐兵が豊臣秀吉の九州平定に参加し、九州平定軍の先導役を務め上げた功績により飫肥の地を取り戻し、近世大名として復帰を成し遂げた。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、祐兵が大坂で病を得ていたため、成り行きで西軍につくものの、密かに黒田如水を通じて東軍に味方をし、嫡男祐慶を下向させて宮崎城を攻撃、事無きを得た。元和3年(1617年)、2代将軍・徳川秀忠より飫肥藩5万7千石の所領安堵の朱印状を受けた。以後廃藩置県まで一貫して14代にわたり伊東氏が飫肥藩主を務める。
赤色顔料分析のサンプリング
◆M先生は岸和田市摩湯に住んでおられ、町の役員もされているのかな
、このあいだ摩湯山古墳の葺石の撮影をやった際、見に来られ、そこで朱をやっていると。わたしのこともちょっと調べておられた。2026年の夏か秋に実施する東北大金研の学際ハブ事業の大阪講演会で、是非、1本報告をとお願いし、快諾いただいている。
◆1月の久津川車塚報告書月1打ち合わせの時に、石材に赤がついている板石が何枚かあり、また同様の白色円礫もあることを知り、さっそく分析を依頼したら、ただちに日程まで決まったというもの。これも縁ですね~。
◆ハンドヘルドの蛍光X線分析装置をもってきて確認し、そのあとテープを貼り付け、わずかなサンプルを採取されていた。Hgが検出された。計4点を分析することになる。硫黄同位体で国産はマイナス、中国産はプラスなのだそうだ。国産のうち、マイナスの数値で、徳島~奈良なのか、三重なのかが分離できるとのことです。
◆1月の久津川車塚報告書月1打ち合わせの時に、石材に赤がついている板石が何枚かあり、また同様の白色円礫もあることを知り、さっそく分析を依頼したら、ただちに日程まで決まったというもの。これも縁ですね~。
◆ハンドヘルドの蛍光X線分析装置をもってきて確認し、そのあとテープを貼り付け、わずかなサンプルを採取されていた。Hgが検出された。計4点を分析することになる。硫黄同位体で国産はマイナス、中国産はプラスなのだそうだ。国産のうち、マイナスの数値で、徳島~奈良なのか、三重なのかが分離できるとのことです。
2026年2月16日のその後
◆この日は、1630から森之宮の研究室でT市の担当者との相談があったのだが、この日は大歴の委員会が梅田で18時からあったので、大阪駅の喫茶店に変更してもらう。16時頃から1時間弱の、説明を聞いてのやりとりをした。そこから歩いて関学のサテライトに向かう。委員会終了後、懇親会に行き、うちの院生委員も参加してくれ、けっこう長い時間やってました。
◆そんなんで朝からバタバタし、修了生の関係書類などを書いていると、すぐに森之宮を出る時間となり、まあドタバタの1日でした。
◆そんなんで朝からバタバタし、修了生の関係書類などを書いていると、すぐに森之宮を出る時間となり、まあドタバタの1日でした。
2026年2月16日(月)大阪歴文研
◆朝9時から事務局員のY君と会場設営。今回はハイブリッドなので。機械はY君に任せる。1本目の学内の古典籍の報告はズーム。2本目の淀川治水の話は、報告者のYさんが森之宮の会場に来られ、そこで報告いただく。音声のハウリングやパワポの送りなど、問題も生じたが、なんとか2時間あまり、研究会を実施できた。
◆いつもやっている、わたしが資料を作っての研究打ち合わせは、準備がないのでパス。まあ、月1回の研究会があるから、その機会に打ち合せ資料を作るので、たくさん動いているプロジェクトの進行管理もできている。この日はサボったわけだが、ちゃんと2月時点の整理をしておく必要がある。予算消化のこともある。
◆いつもやっている、わたしが資料を作っての研究打ち合わせは、準備がないのでパス。まあ、月1回の研究会があるから、その機会に打ち合せ資料を作るので、たくさん動いているプロジェクトの進行管理もできている。この日はサボったわけだが、ちゃんと2月時点の整理をしておく必要がある。予算消化のこともある。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。