人を幸せにする人になろう

帝塚山古墳

◆前にもきっと出してるんでしょう。年寄りなもんで、同じことを繰り返してるんでしょう。
◆地表部は上2段、下段は埋没しているとみたい。大阪市が3箇所で調査しており、縦断図を作るなどして、3段である蓋然性を確かなものにする必要がある。
◆それと、大阪市の1942年空中写真で等高線を起こせないか、と今回考えた。
◆それと、ではこれは何の類型墳か?ということもやらねばなりません。上石津かな~、と資料を作りながら漠然と・・・。

2026年1月25日(日)職場で仕事

◆超寒いです。今日は同志社で専門職説明会があるのだが、修論8本+博論2本をかかえ、ちと無理なのでさぼる。
◆とはいえ、論文読みの前に、ある原稿をひとつ仕上げました。そのあとは修論2本。実習展パネルをやっつけようと思っていたが、できなかった。いま20時をまわったが、これから久津川の形象埴輪のレボポイント作業を完了した破片のメモ写真を撮る。まだしばらく帰れません。
◆そのあとメモをスキャン・コピーし、1階の自転車置き場に降ろし、外の駐車場にとめていた車をまわし積み込む。火曜日の朝に埴輪の入れ替えのためである。

2026年1月24日(土)京都で新年会

◆帝塚山古墳の案内の後、職場に行き、数時間、実習展のパネルをいじっていた。この仕事もまた、今の状況下でかなりの圧迫である。
◆Y君たちグループとの18時からの新年会が京都であり、それに向かう。呑み会は行くんだ・・・。
◆店から電話した方々、ご迷惑をおかけしました。

山之内村の横に前方後円墳か

◆ひとつまえの図を2021年に作った時、杉本キャンパスのある山之内の横に、土壇状のものを発見した。ピークの15.2mを後円部とし、東北に前方部をむける前方後円墳かもしれないと。

二本松古墳と弁天塚古墳の位置

◆大正10年の1万1に位置を落としました。

弁天塚古墳の現在

◆弁天塚。南に前方部をむけるのか。後期古墳のように見えます。京都の片平大塚古墳というのだったか、イメージはそれに近い。
◆グーグル画像により計測すると58m。南朝尺の38.6歩。削り込み分を考えると、40歩60mくらいか。後期古墳で前方後円墳となると、6世紀前半かもしれません。

弁天塚古墳

◆前方後円墳。近世末には墳丘が良く残っているようだ。いま東大寺という寺院が立つ。大正7年に住吉の別地点から移転してきたらしい。おそらくその際に削平したんだろう。もし石室などが出ていれば、新聞に載ったりしておかしくない。すでにそれ以前に削平されていたのかもしれません。墳丘の高台にお寺はあり、墳丘はまあ残っている。規模は50mくらいか。位置づけをする材料はない。

二本松古墳

◆6世紀後半の円墳。いまはなし。明治末年に石室・石棺が発見され、馬具などが出土している。東博のHPで見ることができる。発見時の新聞記事があるようで、それをまず見ないといけません。馬具などを資料化するなどのことは一切されていないようである。

2026年1月24日(土)帝塚山古墳

◆すみよし歴史案内人の会の求めによる見学会。10時現地。
◆南海高野線の帝塚山駅を降りると、古墳前におっちゃん・おばちゃんが集合していた。


もひとつ

◆渋谷―築山。これは王寺町の講演会の時にやった。未発表。そのあと、巣山・島の山と。そうか、『和泉市史』に図を出したかもしれない。
◆いずれにしても築山は段築構造からすると、渋谷向山を受け継ぐ。そして重ねると、けっこう枠組みがあっている。副系列が馬見・築山へ継承されるのは確かだろう。が、陵山もまた向山を受け継ぐといまのところ考えているわけです。そうでなく、陵山が別のところから来ているという納得できるものがあれば、また考えなおします。
◆まあ若いもんがやってくれればいい。わたしは設計ではかなわないので、姿形でしかやれないので。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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