人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
淡路の旅(8)イザナギ神社
◆志筑から西海岸の郡家へ。志筑廃寺というのがあるんですけど、何もないみたい。遊園地?の「おのころ」という施設は、人が入っているんですかね。それとシーガイアならぬ、シーアイガ。これ安乎(あいが)だから、らしい。で、淡路一の宮のイザナギ神社へ立ち寄るも、つまらん。
◆まず繁昌している。でおそらく、明治以降、日本神話が重視され、この神社は手厚く保護されたんでしょう。菊の紋章がちりばめられている。またそれを誇りにし。まずこれがいや。そして拝殿に行くと、幟が両側にあり、「憲法改正を実現しよう」とある。これ、憲法違反ではないのか。ポスターに櫻井よしこが出てくるし。あほらしく、引き返す。カメラを車に置いてきたため、この問題の幟は示せません。
◆郡家。津名郡衙は、ここなんですかね。江井浦に立ちより、お線香の香をかぐ。
◆まず繁昌している。でおそらく、明治以降、日本神話が重視され、この神社は手厚く保護されたんでしょう。菊の紋章がちりばめられている。またそれを誇りにし。まずこれがいや。そして拝殿に行くと、幟が両側にあり、「憲法改正を実現しよう」とある。これ、憲法違反ではないのか。ポスターに櫻井よしこが出てくるし。あほらしく、引き返す。カメラを車に置いてきたため、この問題の幟は示せません。
◆郡家。津名郡衙は、ここなんですかね。江井浦に立ちより、お線香の香をかぐ。
淡路の旅(7)お登勢
◆洲本城に車で上がりましたが、城攻めはせず、淡路文化資料館に。写真撮影禁止でした。ここは25年振りです。古いビデオを見る。これはこれで面白かったが、展示が古く、更新しようとする意志もあまり感じられませんでした。モノはならんでいるのですが、歴史をたどるという説明に乏しい。洲本市立ではあるが、淡路を代表する博物館なので、淡路全体を扱ってもいいはずです。また遠賀川もあったし、三角縁神獣鏡もあるし、古墳も多い。製塩土器があり、国分寺があり、お城がある、と。市史だってある。そういう概略を示して欲しいもの。
◆で稲田騒動というものを学ぶ。面白いですね。阿波藩の筆頭家老稲田家が淡路の城代にな り、由良城から洲本を再び城下町とする。大名格の稲田家と蜂須賀本家との路線の違いが幕末に顕在化し、いじめられた稲田側が独立の動きを見せ、それを弾圧したのが事件。明治政府も対処に苦慮し、蜂須賀家を取りつぶせば全国に影響するとそれをせず、関係者の切腹となる。稲田家も蝦夷地の開拓を命じられ、北海道に。そこに、お登勢という女性があり、小説になり、テレビドラマになったという。また、この騒動がなければ、淡路島は徳島県だったと。これもまた面白い話です。
◆で稲田騒動というものを学ぶ。面白いですね。阿波藩の筆頭家老稲田家が淡路の城代にな り、由良城から洲本を再び城下町とする。大名格の稲田家と蜂須賀本家との路線の違いが幕末に顕在化し、いじめられた稲田側が独立の動きを見せ、それを弾圧したのが事件。明治政府も対処に苦慮し、蜂須賀家を取りつぶせば全国に影響するとそれをせず、関係者の切腹となる。稲田家も蝦夷地の開拓を命じられ、北海道に。そこに、お登勢という女性があり、小説になり、テレビドラマになったという。また、この騒動がなければ、淡路島は徳島県だったと。これもまた面白い話です。
淡路の旅(6)由良要塞
◆洲本の文化資料館はあとまわしにして、由良要塞に向かう。これも、こっちの趣味で。(途中、ホテルニュー淡路群がある。ここですか。) 成ヶ島という砂州でつながる「橋立」があり、幕末に台場が置かれるが、明治になっても紀淡海峡の最重要関門として要塞が設置される(明治39年完成)。海を渡ることはできないので、島の方へは足をのばせないが、生石(おいし)砲台へ。これ山の上なんだけど、登り口に案内はない。最初、登り口あたりでうろうろ。そしたら要塞を困難を排して撤去して、といった戦後の説明碑文がある。ここでちゃんと山の上の 案内と概要説明をしないと、スルーしてしまう人もいるのではないか。
◆で、山への道を上がっていくと、駐車場があり、ちゃんとした説明がある。これ国立公園内らしく、環境省の建てたものである。やはり友が島へ行かんといけません。
◆で、山への道を上がっていくと、駐車場があり、ちゃんとした説明がある。これ国立公園内らしく、環境省の建てたものである。やはり友が島へ行かんといけません。
淡路の旅(5)御食国
◆三原から洲本に。昼が近づき、タマネギ料理の店はあるのかと問えば、タイムアフタータ イムというのがあるというので向かう。イオンが見えてきて、あの向こうだと。でレンガ建物群が見えてくる。こりゃなんじゃ、いいではないか、というので駐車場に入れ、昼食に。手前のレンガ建物の名前は御食国。その奧がタイムアフタータイム。読めますか。茅野ちゃんの卒論を読んでいたので、たちどころにミケツ国と読める。行ってみると、ちょうど昼時で、空き待ちでやめ、最初の予定の通りタイムアフタータイムへ。出るとき、おっさんらの集団が入っていく。
◆一方、タイムアフタータイムは、同じようにレンガ建物を取り込みつつ、新しい建物を くっつけているらしい。レトロ調とはうってかわりモダン。で入ってみると、客層も女性ばかり。いろんなランチをそれぞれたのんだが、なかなかよい。
◆店を出て、周囲のレンガ建物群をざっと見に行く。説明版があり、カネボウの工場とのこと。1900年に既にあった紡績工場をカネボウが買収し、ここを一大生産地にして、1986年に撤退するまで、洲本はカネボウの城下町だった、ということらしい。たくさんのレンガ建築を残しているように感じたが、最盛期の工場敷地およびそこに建っていたものからするとごく一部ということなのだろう。企業が撤退した洲本は大打撃だったであろうが、その跡地をどのように利用していくか、ということもまた、1986年以来の市の大きな課題であったに違いない。図書館もレンガ建物を転用しており、いまはこれらの一画は、飲食や文化ゾーンとなり、洲本のひとつの魅力として機能している。
◆一方、タイムアフタータイムは、同じようにレンガ建物を取り込みつつ、新しい建物を くっつけているらしい。レトロ調とはうってかわりモダン。で入ってみると、客層も女性ばかり。いろんなランチをそれぞれたのんだが、なかなかよい。
◆店を出て、周囲のレンガ建物群をざっと見に行く。説明版があり、カネボウの工場とのこと。1900年に既にあった紡績工場をカネボウが買収し、ここを一大生産地にして、1986年に撤退するまで、洲本はカネボウの城下町だった、ということらしい。たくさんのレンガ建築を残しているように感じたが、最盛期の工場敷地およびそこに建っていたものからするとごく一部ということなのだろう。企業が撤退した洲本は大打撃だったであろうが、その跡地をどのように利用していくか、ということもまた、1986年以来の市の大きな課題であったに違いない。図書館もレンガ建物を転用しており、いまはこれらの一画は、飲食や文化ゾーンとなり、洲本のひとつの魅力として機能している。
淡路の旅(4)淡路国分寺
◆国衙という地名があるらしいが、これ、あとから気付く。国分寺に行く。いつぞや確認調 査をやっていた。立派に整備されているのかな~と期待して行くが、法灯を継ぐ現国分寺があり、そこに塔跡があるというだけ。金堂などの主要伽藍がわかっているのかどうなのか。とにかく、お寺さんの由緒の説明看板はあるが、文化財側での説明看板はなにもない。まわりは耕地で、寺域等の範囲確認ができたとしても、史跡にする同意がえられないのかな~、などと考えていた。実際のところはよくわかりません。
◆いずれにしても、淡路が津名郡と三原郡の2郡で、平野部でいえば三原なんだけれども、国分寺もこの通りだし、国衙推定地に行ってないがまあ同じ状況かと思われ、淡路人形浄瑠璃の資料館はあっても歴史展示の施設はない。今度の銅鐸だって、入れ子のものは奈文研にいったらしいが、それ以外はここ南あわじ市にあるらしいが、見ることはできないわけである。市庁舎のホールでいいから、速報展示などすればいいと思うのだが。三原はちょっと拍子抜けです。
◆いずれにしても、淡路が津名郡と三原郡の2郡で、平野部でいえば三原なんだけれども、国分寺もこの通りだし、国衙推定地に行ってないがまあ同じ状況かと思われ、淡路人形浄瑠璃の資料館はあっても歴史展示の施設はない。今度の銅鐸だって、入れ子のものは奈文研にいったらしいが、それ以外はここ南あわじ市にあるらしいが、見ることはできないわけである。市庁舎のホールでいいから、速報展示などすればいいと思うのだが。三原はちょっと拍子抜けです。
淡路の旅(3)淡路二の宮大和大黒魂神社
◆北上して五色浜を見に行ったあと(趣味です)、銅剣が出た古津路を通り、神社へ。江戸 時代に蜂須賀がパトロンになっていたが、明治以降、すこし寂しく なったよう。その手前に、おのころ島神社というのがあり、アホみたいに大きな鳥居を立て、こっちの方が繁昌している。が、古代史研究にとっては無価値。
◆途中、タマネギを収穫した小屋の写真を撮る。淡路のタマネギは、普通、冬場のところ、4月から6月にかけて収穫するようで、最終盤のよう。一方で、田植えが終わったばかりの田んぼ、いままさに田植えをしているところも目立つ。6月21日、遅いよな~、と話をしていると。そうか!、6月までタマネギ畑で、収穫を終えて、淡路じゃ、いまから田んぼなんだと。
◆途中、タマネギを収穫した小屋の写真を撮る。淡路のタマネギは、普通、冬場のところ、4月から6月にかけて収穫するようで、最終盤のよう。一方で、田植えが終わったばかりの田んぼ、いままさに田植えをしているところも目立つ。6月21日、遅いよな~、と話をしていると。そうか!、6月までタマネギ畑で、収穫を終えて、淡路じゃ、いまから田んぼなんだと。
淡路見学会(2)北部九州の脅威
◆淡路SAに9:30の5分前に到着。全員、ちゃんといる。天気は、朝、大雨が降っていたが、 すっかり快晴。五色塚をのぞんだあと、三原までまっしぐら。まず、今度、銅鐸が出たという慶野松原に行く。出土地点そのものはわからず、海岸からやや内に入った平地らしいが、浜辺に出る。駐車場は車でいっぱい。バーベキュー客が多そう。海岸に出ると、正面には小豆島、すこし右手に家島が見える。東部瀬戸内が広がる。木曜日に、Tさんの見解について議論した。中期末から後期初頭に高地性集落がいっぱいでき、銅鐸が埋納されるのは、イト国やナ国の脅威への危機感という。で、浜に出て、北部九州の脅威が感じられるか考えた。北部九州連合軍の3万人上陸作戦があったのだろうか。ま、ないわな。
◆淡路瓦は有名で、モニュメントはあるし、橋も瓦がふんだんにちりばめてある。石屋さんが多いのは、花崗岩の産地だから?。そして車の中からは、タマネギ・タマネギと唱える声が。
◆淡路瓦は有名で、モニュメントはあるし、橋も瓦がふんだんにちりばめてある。石屋さんが多いのは、花崗岩の産地だから?。そして車の中からは、タマネギ・タマネギと唱える声が。
で20日は長尾タイ山から35年呑み会
◆太子町で、高校1期後輩のK大学Y氏が講演するのを機に呑み会が設定されており、そのため大歴の 委員会を途中で抜けて姫路に向かったのでした。集まったのは、高校の恩師、35年前の発掘の時の、当時の龍野市の担当者。そして2年先輩、1年先輩、オレ、そして講演者の1年下の4名、計6名でした。当初は4人でしたが、2年先輩のY氏と、龍野市のI氏にも声を掛け、実に楽しいひとときを過ごしたのでした。
◆色紙が用意されており、みんな名前を書き、記念品として1枚ずつ持って帰りました。写真は2次会終盤で、Y君は既に帰途についています。1次会で、6人の写真を店の人に撮ってもらわなかったことは失策ですね。次の機会がいつあるかわからないし。写真は高校時代のスクラップブックから、当時の記事です。
◆色紙が用意されており、みんな名前を書き、記念品として1枚ずつ持って帰りました。写真は2次会終盤で、Y君は既に帰途についています。1次会で、6人の写真を店の人に撮ってもらわなかったことは失策ですね。次の機会がいつあるかわからないし。写真は高校時代のスクラップブックから、当時の記事です。
遠山の金さん
◆6月19日の金曜日。9:30から博学の打ち合わせ。教室会議。13:30からの教授会で、さっそく国立大学人文系見直しの話題。冒頭にあったその部分、途中から熟睡、そのあとの議論がかなりあったが、参加できず。
◆翌日20日の土曜日、14時から大歴の臨時委員会で関学。資料を作り、12時に車で杉本町を出て関学へ。早く着いたが、明日のためガソリンを入れたりしていると、大学前のパーキングがぜんぶ埋まっている。止めるところがないまま遅刻かと思ったが、1台空いて、ほぼ14時前にすべりこむ。大会議案の検討、大会の準備にかかわる話で2時間近く。委員会は続くも、15:50に、次の予定のため、先に抜ける。16時に出て、17:30に加古川に着き、車を置き、姫路へ向かう。
◆で、慰安婦問題の声明に対し、大歴にも抗議のメールがいくつか来る。これそのものは15日の委員会の時に紹介があった。「証拠を出せ」、「証拠を出してもらおう」。どこかで聞いたことはないですか。「証拠、証拠と、ウルセエンダヨ、このやろー」。そしてズズイと前ににじり出て、「うぬら、まさか見忘れたとは言わせねーぞ」、と。そう遠山の金さんです。強制性どころか、慰安婦問題そのものがなかったかのような言論が、実に影響力をもっている。それに対し、これまでの研究で明らかだ、ではダメなんだろうと、思うわけです。最低、基本文献を列挙してもよかったのではないか。そして、金さんのごとく、こうだ、と、ギャフンと黙らせることができないものか。是非、そうしてほしいもの。なので、声明は声明として短く主張をすればよいが、それに加えて、そこそこのボリュームの反対論を添付すべきではないか。
◆翌日20日の土曜日、14時から大歴の臨時委員会で関学。資料を作り、12時に車で杉本町を出て関学へ。早く着いたが、明日のためガソリンを入れたりしていると、大学前のパーキングがぜんぶ埋まっている。止めるところがないまま遅刻かと思ったが、1台空いて、ほぼ14時前にすべりこむ。大会議案の検討、大会の準備にかかわる話で2時間近く。委員会は続くも、15:50に、次の予定のため、先に抜ける。16時に出て、17:30に加古川に着き、車を置き、姫路へ向かう。
◆で、慰安婦問題の声明に対し、大歴にも抗議のメールがいくつか来る。これそのものは15日の委員会の時に紹介があった。「証拠を出せ」、「証拠を出してもらおう」。どこかで聞いたことはないですか。「証拠、証拠と、ウルセエンダヨ、このやろー」。そしてズズイと前ににじり出て、「うぬら、まさか見忘れたとは言わせねーぞ」、と。そう遠山の金さんです。強制性どころか、慰安婦問題そのものがなかったかのような言論が、実に影響力をもっている。それに対し、これまでの研究で明らかだ、ではダメなんだろうと、思うわけです。最低、基本文献を列挙してもよかったのではないか。そして、金さんのごとく、こうだ、と、ギャフンと黙らせることができないものか。是非、そうしてほしいもの。なので、声明は声明として短く主張をすればよいが、それに加えて、そこそこのボリュームの反対論を添付すべきではないか。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。