人を幸せにする人になろう

志方八幡宮

◆そのあと、八幡宮へ。何度か来ているはずだが、ぜんぜんイメージが違う。もしかして鏡を撮影に来たこともあったかもしれないが・・・。いや~実に立派な神社なのです。看板を見ると、志方30ヶ村の氏神だとか、そりゃでかいわ。能が盛んだったみたいで、立派な能舞台がある。そして志方から西神吉、伊保の方をながめていた。

中谷美紀の生まれ故郷へ

◆そして姫路から実家の宝殿に戻ったのでした。で、志方城に連れて行ってもらうことに。観音寺 というお寺。神吉城もそうですが、織田方に敗れたあと、お寺になってい る。あとで調べてみると、志方城も本来はけっこう大きく惣構だったとか。いや~ぜんぜん知らなかった。どこまでわかっているのでしょうね。うちの中世史軍団に調べてもらおうか。
◆そして櫛橋氏の末裔の方が、4人の墓をまとめた墓石を立てている。もともとは別々にあったんですかね、それを片付けたのですかね。ちょうどこの日、大河でここ志方城が落ちた。
◆志方は、というか、加古川もカンベエに便乗し、「光のふるさと加古川」という幟を用意し、立てている。そして、真新しい看板がある。

山陽電車

◆森ノ宮でラーメンを食べ、大阪駅へ出て、新快速に乗る。明石で山陽電車に乗ってみるか、とい う話題がふと出たが、すぐに発車。次の西明石で実行することになる。降りよう!。
◆さて、山陽電車がどのくらい南で距離が離れたかは知らないが(スマホなぞなし)、まあ南に行けばぶちあたると。
◆案外早く線路に行き当たり、地名を見て、ここが藤江かと。で、どっちが駅やねん、という次の課題。線路をまたぐ高架の道路から両側をながめるも見えないが、藤江なら藤江駅があるに違いない、東はなさそうなので西へ。藤江駅行きのバスも走っているので、間違いない。そうしてたどりつき、東二見で乗り換え(和菓子屋をさがしたが見あたらない)、特急で姫路へ。まあ山陽電車に乗ることはほとんどない。ものごころついてからは、1回くらいあったのだろうか。大塩で、近大姫路大学はここか、とか風景をながめながら姫路へ。
◆姫路は高校までは時々は行ったので、JRがあって山陽百貨店があって、そこから山電が出ているとうのは知っていた。むかしは手柄山遊園まで行ってたんだろう(例の青年の家にのちのち泊まることになるのだが)。が、姫路駅前がまったく景観がかわってしまっている。京都駅、大阪駅、岡山駅なんかとまったく同じ。で~んとゴッツイビルがそびえ立っている。これ姫路駅 じゃない・・・。

翌4月27日の日曜日

◆実家へ帰る。まず、車を車検に出し、南大阪線であべの橋。そこかた、またまたロイヤルホ-ム センターでネジを買うというので、玉造で下りる。ゴブゴブで、幸村ロー ドというのを歩いていて、それはどこやねんと。日の出通商店街の通りが南北に通っていて、その一画だった。ちょうど、環状線の車両をまねた食い物屋ができたとニュースでもやっていたらしいが、それにもでくわす。

伊丹続き

◆ちゃんと勉強してみないといけませんが・・・。伊丹は戦災はなかったようで、かなり郷町の家屋が 遅くまで残っていたようです。その辺が実は知りたい。昔ながらの古い町、道は細くと。むしろ西側の阪急伊丹駅周辺がにぎわう。その頃に比べると、いまはずいぶんと様変わりしたという。伊丹空港からのびるゴッツイ東西道路が貫通し、その両側に高いビルが建ち並ぶ。道路が起点のようだが、それは意外に新しいのだとか。そうして郷町風情をとどめた家屋もひとつひとつなくなっていったのだろう。しかし、重要文化財の岡田家住宅とか、いまも残るものはまだあって、現在は、そういう遺産を大事にしていこうという取り組みが進む。
◆JR伊丹駅から西に延びる道は酒蔵通りと名付けられ、重点的に文化ゾーンにしているよう。寺院もあるし、古い建物を利用した瀟洒な店も多い。むろん今井町とか、古い町並みがごっそり残ると いうのではないし、民家がかなり失われた上での今ではあるが、昔ながらの都市の現代的対応の姿を見るような気がした。大きな車道は通るが、なかに入れば、残っているところの景観を維持し、また全体として歴史・文化をバックにしたおしゃれなゾーンを創り出していく、という方向は成功しているのではないかと感じた。
◆そしてお酒がある。教育委員会も長い道のりがあったのだと思うが、あちこちに看板はあるし、いただいたパンフレットもよくできている。実際のところ、裏方で見学会も半分だけで、いろんなところが見れていない。また見所だけでなく、町そのものを歩くのが楽しそう。再訪せねば。

4月26日、伊丹の現地見学検討会

◆車に荷物を積んででかける。地下駐車場に入れ、資料を午後の会場まで運び、JR伊丹駅に向か う。伊丹の町を歩くのはたぶん初めて。ず~と前に伊丹廃寺の瓦の整理に一日行ったことがあるのと、子供を連れて昆虫館に行ったくらい。
◆伊丹城(村重の時代に名前を変えたのが有岡城)からスタートし、西に向かい、城下町を継承する郷町の町並み。まず山陽道と有馬道の交点という交通上の要所らしい。そして猪名川べりの8mくらいの段丘崖を利用した築城。伊丹氏段階の町場もあるが、村重時代に大きく変えたという。そして廃城され、家臣団屋敷だったところにも町人が進出する。郷町について、午後、今井先生が話をしていた。東日本の農村のなかから町場へと発展してくるものと違い、畿内には町がすでにいくつもあって、それが江戸時代に町と村に行政上区分されたとき、この伊丹も行政上は村として把握されたに過ぎない。幕末で1万人を要する都市である。
◆そして酒造業。醸造したままのにごり酒は、すぐに酢になるらしいが、これを清酒にすることは、火を入れて変質しないものにすることとともに(ぜんぜん詳しくありません)、画期的な発明だったでしょう。それがほぼ1600年頃なのだそうです。どこが一番古いのか、それはわからないらしいが、ほぼ同じ頃で、そのなかで伊丹の酒造業が最も発展する。伏見や灘は後発とのこと。そしてこの酒造業によって江戸時代、城下町ではない町人の町として栄え、町人が独自の文化を育んだと、そういうことを学びました。

そのあとは国立公文書館

◆こっちも初めてだったが、とても面白かった。公文書館のエレベーターが中央にあるのだが、1 階の周囲が展示スペースとなっており、入り口から入って時計回りに見 て、また入り口に戻るという形。
◆サンフランシスコ講和条約の公布原本から始まり、自衛隊の創設とか、いよいよ本題の高度経済成長は、住宅公団、所得倍増、全国総合開発計画、黒4ダム、新幹線、名神高速道路、オリンピック、モノレール、新住宅市街地開発法(第1号が千里ニュータウン)、ミクソンショックなど。万博もたぶんあったと思うが、息子からメールが入り実験が終わったというので、終盤のところは流したが、最後のところに日本国憲法の公布原本があった。

東京で

◆待ち合わせまで、江戸城北の丸の科学技術館に寄ってみた。昭和39年というから半世紀、誰かと 同じである。面白いところもあるのだが、全体に見応えはなく、またくたびれていて、ホールみたいになったフロアが多い。がスタッフはけっこういる。ボタンを押したり、実験したりしながら、しくみを学んだりするのだが、新しい日本科学未来館の方が充実していよう。720円は高い。
◆写真は自転車の歴史で面白い。そして原子力発電の部屋。国策をベースに企業が協力して作っている。学校の見学がもしかしたら多いのかも知れないが、やっぱり未来館に行くわな。
◆以下、ウィキ

公益財団法人日本科学技術振興財団が運営・管理を行っている。科学技術館は、科学技術の知識を広く一般に普及する目的で開館され、現代から近未来までの科学技術・産業技術に関する展示物を中心に、実験型ワークショップ、科学教室、講演会も数多く開催されている。展示物はそのほとんどが「HAND'S ON STYLE」と呼称され、閲覧者自らが主人公となって「見て・触って・体験する」ことを念頭において、楽しみながら参加できる方式を採用している。展示物はいずれもテーマと関連の深い業界団体や企業、助成団体などが制作協力を行っている。
 また、館内にはテレビスタジオも設けられ、日本科学技術振興財団のテレビ事業本部として開局した東京12チャンネル(現・テレビ東京)のスタジオとして主に使用されたが、TBSのワイドショー『3時にあいましょう』もこのスタジオから生放送された。TBSの人気料理番組だった『料理天国』や、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日などの在京キー局制作番組の一部もこのスタジオで収録・制作された。

◆だそうです。

まあなんとか

◆明日の伊丹の現地見学検討会。資料は刷った。カメラ、ハンドマイクは用意した。天気もよさそう。あとは適度に参加者が集まってくれるのを祈るばかり。たぶんわたしのミスで、連絡できておらず、見学地で行事とバッティングした。まずいですね~。まあ、しゃーない。なんとかなるさ。
◆荷物積んで帰ろう。

4月24日、東京

◆13時集合で9時過ぎの新幹線で東京へ。用事が済んでから、息子と食事する約束の時間まで、科学 館?と国立公文書館に行く。公文書館の展示が面白かったが、またおいおい。そこから待ち合わせ場所に行き、食事をする。
◆オバマ大統領とぶつかり警官だらけ。
◆帰ってきたら23時。メールをみたら、市大日本史の校正が3つ届いていて、それぞれ校正に振り、また伊丹の現地見学検討会の諸連絡等をやっていたら、いま25日の3時になった。明日は、翌日の伊丹のことで資料の印刷やら、持ち物準備やら、頭がいっぱいになりそうだ。
◆なにかと、こっちが詰めていないことも多く、迷惑もかけているように思うが、年1回の現地見学検討会も10回目だし、今回もその都度やることはやってきたし、あとは現場でなんとかするほかない、なんとかなる、かな。まあ、裏方に徹すればいいので。あとは天気と。昨年は、淡路の地震に当たってしまい、人数は少なかったが、今年は伊丹市さんに共催をいただき、そこそこ来ていただけるのではないかと思っている。どうなりますやら。寝よ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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