人を幸せにする人になろう

久津川芭蕉塚の講演会

◆前に城陽市で講演会に呼ばれたときの資料が出てきて、あの地域の古墳をならべているではないか。そして、その時に誉田5506ab6e.jpg御廟山型だろう、としているみたいですね。

兵庫県史の頃

◆これも前に書いたと思うが・・・。銅鐸とか鏡とか代表的な資料の写真を掲載する図版を加える方針は決まっていて、それならf000d0d9.JPG全部やりましょうと提言して資料収集にまわったわけです。瓦もめざしていましたが、これは挫折。しかし、銅鐸と鏡については、ほぼ当初の目論見通り、すべて掲載できた。いまの感覚でいくなら、どうせやったらカラーでやるべきなのだろうが、撮影していない。最初から、県史にあったブローニーのカメラを使い、モノクロフィルムでの撮影だった。
◆下太田廃寺の大塚さんと知り合ったのもこの時、大塚さんからの手紙が残っている。確かそのあと、ご自身で瓦や鴟尾の資料を1冊の本にまとめられ、送っていただいた。記憶がおぼろげながら、拓本や実測などについて、できることをやらせてもらおうと考えていたのだが、結局はできなかった・・・。その御著書は既に大学図書館に登録したと思う。

覚え

◆むかし京大考古学研究室で楽浪漢墓の勉強会をやっていたことがあるが、その関連のファイルを捨てた。
◆奈文研にいたとき、〈国宝法隆寺展〉にすこしかかわり、瓦大工吉重の年表を作ったが、その関連の資料も捨てた。これ、図ccac81d3.jpg録とは別に展示パネル用に作ったのだと思うが、仕上がりの記憶はまったくない。

三角縁神獣鏡の資料カード

◆4回生になる前の春休みに山形県山寺に合宿免許を取りに行き、そこで森下さんに貸していただいた三角縁神獣鏡の資料を眺めました。4回生になって、とにかくぜんぶ写真を集める方針で、文献をかたっぱし当たり、いちばんいい写真をカメラで複写し焼き付け(考古学実習で写真の焼き付けもやってました)、出土古墳の報告書などの9ff92bf8.JPG基本文献をコピーし、それで暮れていきました。その時の古墳の報告書コピーと束は、こない0aabb252.jpgだかなり整理して捨てました。で、資料カードを作成しています(そのまえに台帳を作ったらしい)。8月23日ですから、かなり遅い、ですね。写真を貼り、岩本君のやったような内外区などの比率がモノによってだいぶ違うので、写真からですが寸法を採ろうとしています。が、たいてい写真を貼ったくらい。まあ、それでも資料カードができあがる。いま示すのはコピーだけど、基本は複写している。
◆まあ、9月以降もダッチロールの日々で、グルーピングした先になかなかいきませんでした。結局は、年末年始、とんでもないことになり、千葉さんはじめ、10人くらいの援助をえて、とにかく出したという惨憺たる状況。広川君には、人間ワープロをしてもらいました。ほんまにハサミとセロテープで下書き原稿の文の順を入れ替えて書き直していく、という、いまでいうカット&ペースト。恥ずかしい思い出です。
◆で、このカード、いまだに残骸が取ってありましたが、この際、すべて捨てようかと思います。奈文研にいた時、カラーコピーが入った。それでコピーしたら、まあ、複写しなくても、おおかたはコトが足りるほどキレイな複製が得られます。そしていまやスキャンし、画像をファイリングすればいいわけです。が、鏡の世界も遠ざかり、三角縁神獣鏡の資料の更新などまったくやっておらず、画像のストックなどありません。たいがい、樋口先生の本3冊でだいたい話は済む。
 

7月8日の引っ越しに向けて

◆自分の部屋ばかりでなく、1階の考古学実習室、2階の踊り場の考古資料展示ケースと、3箇所あることを考えれば、もう日は99b1a3dc.JPGない。さんざん本を処分し、図書館へ送り、自分の部屋はけっこうすっきりしたが、ゴールは遠い。
◆で、時々、面白そうな本が出てくるとながめる。さっきは金関先生の『考古学は謎解きだ』を読んでしまった。ケロケロケロッピノートが出てきた。恥ずかしくて説明は省略。
◆松岳山の報告書の原本はなく、むかしのコピーなのだが、水野先生の石製品のトレースに感激した憶えがある。それはさておき石棺と墳頂の石たちの図も、けっこう線は細く、なかなかコピーではしんどい。で、トレースを始めてしまった。これが面白くて止められない。ほっとけば飽きずにやっているのだが、そんなことをしている場合じゃないと、また手を止める。
◆考古学実習で陶棺を接合しているが、これがけっこう育ってきて、大きいパーツになっていたものが、これまた相互に接76736503.jpg合し、側辺もけっこうな長さがあり、それが短い辺にまわりこみ、また向こう側で曲がってくる部位までが接合することが判明した。剥離している突帯もいくらかついた。
◆残念ながら底部がわずかしかなく、それとの接合関係はまだ判明しない。それと、接合状況からすると、前から破面の状況から予想はされたが、破片が足りないとしか考えられない。どこかにあるのだ。それを探し出さないと最終決着はしない。前に、ひととおり探しまわったが(何カ所かに分散してコンテナがある)、見つからなかったが、再度、家捜しが必要だ。それと50年前に藤原さんが石膏を入れたのだろうが、それを外したり、付着しているものをかりかりと除去している。これらをきれいにしてからでないと、先のブロック間の接合に進まない方がいい。それ2b7a07bb.JPGと、専用台も必要となってくるだろう。コトは考古学実習のなかで収まらなくなりつつある。
 

桜井茶臼山の写真

◆講談社の『日本原始美術大系6 壁画 石像物』をパラパラやっていると、茶臼山の垂直写真が出てきた。奈文研の写真といbb70fb3b.JPGう。前から知っていたのは、『世界考古学大系』(1959)の写真で、たぶん同じ写真が中央公論社の『図説日本の歴史1日本のあけぼの』(1960)に使われていて(いま片付け中で確認できてませんが)、これは文化財保護委員会の写真となっている。新しく見つけた写真は、町田さんの担当巻で、ぱっと見た瞬間、違う写真やと思って見比べると違っていた。ほとんど環境は同じながら、写真そのものは違い、同じ時の別写真ではない。撮影時期としてどちらが古いか新しいかは不明ながら、周囲の状況に変わりはないので、あんまり関係なく、写真としての善し悪しとなろう。けっこう、新しく確認した写真の方が状態はいいように思う。奈文研さん、勝手に挙げました、すいません。容量は落としてますので・・・。大きく焼いてもらえるなら、けっこう迫力あるかもしれません。もっとも末永先生の斜め写真の方がボリューム感がある。

とにかく、やってみなはれ

◆西堀栄三郎語録。こないだ買ってきたもの。dbad2df1.JPG

フォッサマグナミュージアムほか

◆カミさんが糸魚川の学会に行き、博物館で冊子を買ってきてくれました。d72d4ac8.jpg

岡山ええとこ

◆東日本大震災の被災地からの避難者がかなり岡山に住むらしい。温暖で自然災害も少ないという分析。これに対し、大阪府a09097bb.JPGは、一時的避難としてグッと増えるも、いつくことなく他へ移るらしい。どうしてなのか、大阪市や大阪府は分析してもいいのでは。むろん南海地震が起こる、津波もありうる、上町断層もある、あるいは日本一暑い、というものもあるだろう。がそれだけなのだろうか。ここはイヤという気持ちが働いたとすれば、その理由を聞いておいた方がよい。

領海・EEZ

◆こういうきれいな図を見るとうれしくなる。a495951a.JPGEEZはexclusive economic zone。ユネスコの会議に参加したときに、国際海洋法条約を勉強したが、忘れた。
◆ちなみに、西日本と東日本は、ユーラシアプレートと北米プレートに別れ、それがくっついたんだそうです。その間がフォッサマグナ。なお中央構造線は、ユーラシアプレートに対して、その南のなんとかプレートが斜めに潜り込んでいるために生じたもの教えてもらう。要するにユーラシアプレートに亀裂が入り、そこでずれていく、ということなのだろう。

プラグイン

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索