人を幸せにする人になろう

大阪学芸大学

◆小林行雄のアズナヒ考、樋口隆康の同型鏡の論文の掲載されている1号・2号が手元にある(1952・1953年、近藤義郎先生本)。発行所は大阪学芸大学人類学研究所。学芸大って、水野先生?と思うが、そんな名前の大学はいまはない。で、調べると、大教なんですね。以下、ウィキ。

 1949年に大阪第一師範学校、大阪第二師範学校を包括して大阪学芸大学として設置された。日本の国立大学で唯一、教員養成の夜間学部(5年制)を持つ。西日本最大の教育大学として多くの教員を養成してきた。現在は、教員養成課程昼間部(一部)、夜間部(二部)、教養学科(いわゆるゼロ免課程)、大学院教育学研究科があり、約5,000人の学生が在籍している。ゼロ免は全国唯一、学科の形を採っている。柏原市に統合移転時に、近畿日本鉄道大阪線大阪教育大前駅ができた。駅からキャンパスまでの380段の階段(比高差約60m)と、それに並走する長大なエスカレーター(標高62mから121mまでを3基のエスカレーターで接続)、学内の猫が有名。二部は大阪市天王寺区にある。現職教員対象の夜間大学院が設置され教師の再教育にも力を入れている。附属学校として、池田市、大阪市天王寺区、大阪市平野区に幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校を持ち、こちらにも約5,000人の児童生徒が在籍している。
 沿革 戦前はほぼ省略
・1943年4月 大阪府立から官立への移管により、大阪府天王寺師範学校・大阪府女子師範学校が合併し大阪第一師範学校に、大阪府池田師範学校が大阪第二師範学校に改組。
・1949年3月 大阪第一師範学校・大阪第二師範学校を母体に新制大阪学芸大学設置(学芸学部)。
・1956年4月 附属高等学校(天王寺・池田)を設置。
・1967年6月 大阪教育大学に改称、学芸学部を教育学部に
・1992年5月 柏原キャンパス開校。
・1994年8月 柏原キャンパスへの統合移転完了。

◆国分に住んでいると、大教の大学生がまわりに多い。

前期難波宮の造営年代は?記事№1800

◆6月はじめのレキハクの研究会で、白石先生が前期難波宮の造営年代が下ると書いているがどうか、と新納さんに聞かれたが、読んでいなかった。9日に近つで館報をいただき、読んでみた。これはけっこう手強いのではないか、と思う。
◆こないだ牽牛子塚の報告書を手に入れて、入念に見た。少なくとも、埋め込みタイプでも墓道はあるのだろうが、そのへんは遺構としては把握されていないので、牽牛子塚の前面はまだ全体は不明だ。7世紀末という議論と少なくとも塚御門は矛盾する。むろん699を修築とみる場合でも、発掘遺構からは2時期がとらえられているわけではない。いずれにしても、正式報告書が発刊されて、季刊考古学の原稿を修正する必要があるので、お願いして直しを指示した。
◆前期難波宮の造営年代については、さらに読み込んだ上で考えてみたい。
【追記】もし墓道がないとすればそれこそヘン。だとすれば、699に墳丘を積み直している証拠になるかもしれない。

6月9日、近つ

◆なんとか土曜日にパワポを作り、当日午前中、枚数を減らしたり、文字を調整したり、動きを確認してのぞむ。11:30に家を出てcb1e8238.jpg12:00着。展示をじろじろと見て、13:30開始の講演会に。天井が低く、スクリーンが低いので、もし今度、近つでしゃべることがあれば、文字は画面の上2/3くらいに収まるようにしないとあかんな~と思いつつ・・・。
◆時間配分はまったくの適当なので、いつも心配だが、なんとか時間通りに終了できた。反応は?いまいち?。もうひと工夫いったか。安村さんらのシンポが、漠然と後だと思っていたのだが、先だったようで、玉手山・松岳山、同じネタで話をするのだから、ダブリも多かったんでしょうね。独自の部分に時間を割くべきだったか。まあよい、終わった。
◆松岳山の現時点での墳丘復元をさらにつめて確定させないといけませんね。写真は当日のスライドのひとコマ。
◆新ネタとしては、下垣さんの、「ちゃうす山」出土の3面の鏡は松岳山ちゃうんか、という話を紹介した。それと1954年大阪府の調査で出土した鏡片2は三角縁神獣鏡ですよ、ということも紹介しておいた。下垣さんによると、税所の鏡がフリアの別の鏡ちゃうかということだが、あまり根拠は確かでないし、むしろ梅原の新出銘のヤツという見解の方を尊重すべきかと考えている。まあ、確かめようはないんでしょう。
 

藤井寺のパンフレットから

◆この図、今城塚の博物館で見たような気がするが、もとは藤井寺のパンフレット。1998年の刊行物である。2da9a909.JPG
 

工藤雅樹先生

◆いよいよ研究室の片付けにあせる。たいへんだが、これまで未処理で積んだり突っ込んだりしているモロモロを、使う使19ef93e4.JPGわないを判断して処理できるいい機会ではある。でも物理的時間が必要。
◆写真の工藤先生の著書がでてきた。これは文化庁にいる時に福島大学に講義に行ったときにいただいたもの。大事にとっておきたい。わたしは大学畑でもなく、しゃべりもヘタだし、その前にしゃべるネタもなく、話が来たときはとてもやれないと思ったが、岡村さんから行ってこいと言われ、泣く泣く福島大学に行く。工藤先生に歓迎してもらい、学生さんも熱心だった。こっちが蓄積なく、またそれを人に伝える蓄積や経験もなく、拙い授業だったことをお詫びするのみ。
◆その工藤先生がなくなられたことは、その後知ったが、ウィキによると以下のような紹介になっています。

1937年-2010年。専門は蝦夷を中心とした東北地方の古代史。1966年に東北大学大学院文学研究科の博士課程を修了し、東北歴史資料館 (現在の東北歴史博物館)に勤務したのち、宮城学院女子大学に教授に。1989年からは福島大学の教授となり、2003年に退官するまで務めた。2004年には再び東北2020791b.JPG歴史博物館へと戻り、館長を2年の間務めた。2004年からは平泉の世界遺産とを目指した推薦書作成委員会委員長になったが、2008年7月6日、国際記念物遺跡会議より普遍的価値の証明が不十分との指摘を受け、世界遺産の認定は見送りとなった。2009年11月、再び登録を目指して修正を行った推薦書が完成した。しかしその直後に体調を崩し、2010年1月、72歳で死去。

近つの資料に付けた図

◆日曜日の講演会の資料ができた。
◆倭国王墓、玉手山古墳群諸墳、松岳山古墳、これらの築造順および暦年代観の違いを明確にするために、安村さんと市村122601b5.jpgさんの作った図を、わたしの図をいじって表示してみました。
◆そう簡単にシロクロはつかないだろう。そこが面白いところでもあり、将来、決着していけばよい。またこうしたものに貼り込まないと具体のイメージがわかない。おかしいところ、無理があるところなど、これで見えてくるものもあるだろう。そうやって修正も進めばよい。いちおう、わたしとしては、オオヤマトや玉手山の諸墳などの年代的な根拠やら、一定の検討をふまえ、バランスを取り、全体像として、つじつまがあうように配列しているつもり。つまりAとBとの問題ではこうで、CとDではこうで、といった個々の局面での見方を尊重しつつ、全体として整合するように。
【追記】土曜日の20:40、パワポがひととおりできた。
 

トネリ

◆船橋で乗り換えず京成で上野まで行く必要はなかったのだが、京成で日暮里まで行きました。でホームの案内を見てビック50e1e923.JPGリ「舎人ライナー」。おお、トネリ。このネーミングってどこから来ているんでしょうか。地名?。5世紀ですやん。
◆ブログを書いたらちょっと元気になった。日曜日はまた近つでしゃべらなあかんし。気を取り直して励みましょう。
 

話戻って東大の展示室

◆3階と4階だったか、とにかく2階分あって、下が入口で上が出口になっています。こんだけ飯くったりショッピングをしたりする5c06c19c.JPG人がビルにはわんさかいるわけだが、時間通りの営業なんでしょう。写真は出口の部分。なにやら今日の売り上げをまとめているのでしょうか。レトロな展示ケースみたいなんも、いいのかもしれません。今度は開いている時間に訪ねてみたいと思います。でもこれって賃料払ってるんでしょうね。運営費交付金?。金もっとるところは違いますな・・・。

で屋上

◆いますいます。東京駅の写真を撮るために。まあ、それだけでなく、夜風に身をさらすのも夕方になれば気持ちがよい。た0377556e.JPGだ、東京駅がよく見えるのは確かだが、上から視線になります。同じくらいの高さとしては、旧駅6e6ff428.JPG長室からの方が迫力があるようにも思います(写真はそれ、もうちょっと左手から撮れるといいですね)。各1カット撮って、弁当とチューハイを買い込み新幹線に乗り込みました。
 

そのあとキッテに行きましたよ

◆そのあと東京駅前の旧東京中央郵便局に行ったわけです。残念ながら東大の展示室は時間が遅かったので閉まっていましdd70aa58.JPGた。それにしても東京駅は人だらけ。うんざりします。レキハクに行くときも品川で新幹線を降りてc5a5a821.JPG乗り換え、東京駅は通過しますが乗り換えなくていいようにしてい739df0f4.JPGます。キッテもまた人だらけ。
◆写真の通り、外観上はけっこう残せているようになっている。で旧局長室というのが保存されていて、ちょっとした展示室になっているのです。あんまり本格的ではありませんが、昭和4年だかの工事中の古写真などがパネルに仕立てられている。そこにも続々と人が押し寄せるのだが、局長室だから行く人も一部にはいそうだが、大半は正面に見える東京駅の写真を撮るためである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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