人を幸せにする人になろう

喜界島と城久遺跡(32)○○寺

◆浄土真宗の寺院が一カ所ある。喜界島には48カ所くらいの神社があるが、寺院は1カ所という。照屋さんは明治の神仏分離65af45ce.JPGや廃仏毀釈の影響を言っていた。
◆数の多い神社は、いったいそれぞれいつできたのだろう。薩摩時代なんだろうか。勝手な思いこみだが、村の祭祀場みたいなのは個々にあり、それらが明治以降に神社にさせられていったのではないのか。そして新たに勧請されたものもあるだろう。
◆お寺の境内地には、播磨から住職が派遣されてやってきて、この本願寺派の寺院を再興したみたいな説明があった(写真は撮らなかった)。
◆ところで喜界島の墓地ですが、写真は撮りませんでしたが、ふつうの日本的墓石(やっぱり花崗岩)が圧倒的ですが、なかに屋根形のものがある。きっとこれが古いんでしょう。砂岩製かなと思ったが、これは中国的なるものなんだろうと思う。風葬で再葬という風習もあったようであり、墓制についてはちゃんと調べる必要があります。
 

喜界島と城久遺跡(31)生和製糖工場

◆工場は日曜日で操業しておらず外から見る。この工場が昭和34年にできる。『町誌』によれば、1965年か、大和製糖工場を0fd4d565.JPG合併、またアウトプットが黒糖から分蜜糖と書いてある。このへんですね。喜界島で黒糖を作ら2d860588.JPGなくなるわけだ。
◆暑いので、ちょっと黒糖生産の勉強をしようかと、シリアスという喫茶店に入り、涼みつつ、すこし学習。
 

喜界島と城久遺跡(30)朝日酒造

◆3日目のスタート。まずは黒糖焼酎の朝日酒造から。ちょっと朝をゆっくりめにしようと9:30で約束する。まずは朝日酒造。見b15092f6.JPG学できるように書いてあるが、電話してもつながらないという。覗いてみると、どうぞどうぞと。
◆真夏はやはり醸造しないもので、切り替え時にあたっており、いま蒸留中のものを除き、もう完了した工程のところからタンク等の清掃に入っている。それでも、最初のところから、ひととおり、工程にしたがって説明していただく。照屋さんは醸造酒と蒸留酒のところからスタート。麹作りは米、そして黒糖を入れてアルコール発酵。蒸留タンクに移し、右側はぐつぐつ沸き立っており、左側のタンクには透明の黒糖焼酎が溜まっている。4種類から5種類くらいの焼酎を試飲する。
◆そして1年は寝かせるという。貯蔵所の建物は別のところに建っている。
◆そこでいろいろと聞かされたわけである。喜界島でサトウキビを作っても、いまやおみやげ用くらいしか黒糖が造られておらず、朝日焼酎の黒糖も沖縄産という。沖縄のサトウキビ農家には振興策としての補助金が出ているらしく、価格では勝負にならないという。どうしても安い黒糖を使うことになる。朝日酒造さんはそれはおかしいということで、喜界島産の黒糖にこだわりたいと、1銘柄だけだが、喜界島の黒糖を用いたものを作っている。それが「日の出ずる国の銘酒」というもの。1本おみやげで買って帰る。
 

喜界島と城久遺跡(29)喜界第一ホテル

◆2泊したホテル。朝食は2日とも鶏飯。ホテルはもう1箇所くらいか。あと民宿はいろいろある。あとダイバーのようだが、ウィーa7b02d50.JPGクリーマンションみたいなのがあり、けっこう入っていました。
◆喜界第一ホテルは、ネットが完備されているという風に出ていたように記憶するがLANはないし、ロビーとかにもパソコンはなかった。
 

喜界島と城久遺跡(28)呑み屋で

◆昼間、郡体でいっぱいで昼食を取れなかった店に行く。体育大会後に関係者が呑んでいるらしく、照屋さんが生涯学習課長f3a2f77b.JPGさんを見つけ、名刺を渡すと、一緒に呑んでいた教育長さんも来られ挨拶をする。
◆黒糖焼酎朝日を1本入れ、けっこう長い時間いた。
 

喜界島と城久遺跡(27)夕日が沈むのをながめる

◆夕日が沈むのを見に行こうと、西海岸の遊歩道に行く。その前にホテルにチェックインしたかな。b8b00bf0.JPG
◆落日は19:17くらいだった。18:30くらいに車を止めて、遊歩道を進んでいくと、やはり奄美大島の島影に落ちていく夕日を見に来た家族連れが来ている。展望台のようなところで落ちていくのを眺めてようとしたが、あまり手入れが行き届いていないところで、急遽、スギラビーチに切り替えることにして移動。
◆スギラビーチでは間に合ったが、大島の上に雲がたなびき、丸い太陽が沈んでいく情景は見れなかった。しばらく、1人、夕暮れの浜で泳いだ。海に入ってしまったので、ホテルで着替えてから食事に行く。

喜界島と城久遺跡(26)石敢當

◆T字路の突き当たり部に置かれるマジナイ石。中国由来のものなんでしょう。なんでも豪傑の固有名らしく、幽霊が道を進みd8c8acbb.JPGそののまま家に入ってこないよう、幽霊も逃げるこの名前を掲げておくらしい。
 

喜界島と城久遺跡(25)旧軍の指揮所

◆戦争にかかわる遺構としてコンクリートの指揮所があり、そこへ行く。あんまり気持ちいいものではない。両側に階段の降り38f80df1.JPG口があり、地下中央に空間があるのだが、片側のコンクリートが崩れている。こちら側の入り口は封鎖した方がよいだろう。
◆説明によると、本土から特攻機が夕刻に飛び立ち、喜界空港に降りたって、明け方、沖縄に特攻に出る、その指揮をしていた場所という。
◆島にはもうひとつ、掩退壕(漢字はこれでいいか)があり、これも見に行く。ほぼ完存し、こちらは中への立入ができないようにしてある。
 

喜界島と城久遺跡(24)ひとやすみ

◆喜界島の町がある「湾」一帯とは離れているが、海に面して「うどん」の看板を出している店があり、ドリンクやデザートも出す83d18abd.JPG洒落た店がある。疲れたので店に入り、海を眺めるベランダで憩う(とはいえ手前の防潮堤が邪魔)。
◆なんでも、その前の海は、珊瑚礁に亀裂が入ったように、珊瑚のない細い谷筋状の入り込みがならぶ特徴ある海岸とのこと。この店には、翌日は昼を食べに行き、この話はその時に聞いた。若者3人が車で来て海に向かっているのを見て、店の人が教えてくれた。そこで、われわれも海に出て行く。先の3人はだいぶ先の珊瑚礁の先を泳いでおり、潜っているようだ。ちなみに、喜界島はダイバーには人気があるらしい。それと、ハングライダーとかパラグライダーとかも(4日間のなかでは見なかったが)。パラグライダーで飛ぶと気持ちいいでしょうね。
◆照屋さんから、事前に、体験ダイビングをしますか、するなら予約しときます、との話もあった。一度はやろうとも思ったが、かつて伊豆でダイビングをした時のこともあり、やめとくと連絡。シュノーケリングで十分である。
 

喜界島と城久遺跡(23)城久遺跡の仮整備地

◆保存された地区で、大型掘立柱建物跡などの柱位置を表示している箇所がある。照屋さんも一度、遭遇していたようだが、fb958557.JPG初日にたどりつこうと何度かチャレンジしたが行き着けなかったのだが、本日、しばらく探し回り、ついに発見した。
◆城久遺跡は史跡指定の話がかなり具体化しており、開発目的の調査は一段落し、残せるところは残した格好だが、遺跡の範囲確認を少しした上で申請するスケジュールで動いているのだという。
◆大型建物に隣接する西側にも柱表示があるが、そっちは草が生い茂っている。本格的には、史跡になって整備を進める段になってからのことだろうが、当面、城久遺跡を説明するのに連れてくるのはここだろう。仮設の説明看板が欲しいところ。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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