人を幸せにする人になろう

7月7日、七夕ですが引越準備

◆6日(金曜日)、7日(土曜日)、そして本日は8日(日曜日)、引越にむけて、この3日が勝負。土曜日は、塚田先生も部屋に籠239b8d54.JPGもり、時々のぞいて「進んでますか」と互いに・・・。で、日曜日、朝行くと、なんと停電!。この3日、暑くて、作業をしては自販機に冷たいものを買いに行くが、これもストップ。むろん廊下も研究室も暗い。さいわいカンカン照りとはいえ、屋内はやはり暗い。日暮れまでが勝負!と作業を進める。が、昨日もそうだが、飽きると陶棺の石膏入れをやったりした。これはまた続報を。
◆まあ、この3日、汗だくになりつつ、廃棄物のゴミを捨て、資料のまとまりごとに紐で縛り、本の入れ替えをやりと・・・。本日21時、終了した。結局、18時過ぎに電灯は復旧し、切れ目なく作業を続けることができ、さらに3時間を要したわけだ。これで明日、朝早くいかなくても、業者に箱詰めしてもらえる状態になる。
◆記念写真を1枚。右側に耐震用のコンクリートの壁を設けることになり、こちらの本棚は撤去される。左側は物置としては使える。なので、新しい経済学部棟303号にもっていくべきものを右側に集めてある。こうしておけば、箱詰め、搬入、再配置まで、業者がやってくれる。こっちはパソコンや机の引き出しなどの、それ以外のものを、明日、運び込む。
 

和泉市史信太編

◆『和泉市史』は次は信太編。テーマ編で6世紀以降の開発の話はだいたい書いた。7月5日の金曜日、考古部会の長である石部先生以下、考古編担当者が集まり打ち合わせをする。於:和泉市役所市史編纂室。
◆いよいよ和泉黄金塚はじめ、古墳の担当となる。来年の5月締め切り。黄金塚の遺物については、こないだまでの科研のなかで整理をやろうとしたが、できずに終わる。実際に市史に書くのは遺物の細かいことまで書くわけでない。専門的な研究は市史紀要に掲載し、そうした資料調査もふまえて本編に入るというのが理想だが、それはできなかった。だが、市史本編は本編、紀要は紀要、どこまでやれるかわからないが、資料調査をやれるものならやりたい。前に考えたような悉皆的なものでないとしても。

つづき

◆報告書というスタイルがいつまでも続かないにせよ、現時点では、一定程度の調査は(むろん原因者負担で印本費をもらっているものは当然だが)報告書を作っていく必要がある。そして小規模なものでは、独立した1冊を作らずとも、年報を出していくべきでしょうね。発掘調査のみならず文化財保護部局としての各種の調査や事業をきちんと記録していく。年度で区切るのが適当だろうし、その場合、発掘調査であれば3月までやっていたとすると、新年度予算でいいではないか。とにかく、調査の公式な概要をちゃんとまとめてほしい。それプラス、普及用にいろんなリーフレットを出していくのは、効果があるならやればいい。ただ、あくまでも公式の年報が正式だ。そして、PDFでダウンロードできるようにすべきでしょうね。
◆自分のことを棚に上げています。研究費といえども公費だし、緊急調査とかでない発掘や測量調査についても、世間に公表する責務を負っていると考えなくてはいけない。最低のことしかできていないことは自覚しています。リーフレットは楽しく作ってはいるが、世間的には文献には値しないのでしょう。やりたいことはアマタあれど、整理のついていないことが多く、キチキチと区切りをつけていかないと人生は暮れていきます。そのために、金である程度決着するものなら、やはり外部資金の獲得に動き、場合によれば自費も投入し、やっつけていくほかありません。

引っ越し作業にも飽きた

◆とはいえ、やめることはできず、引っ越し日はやってくる。
◆思えば、多くの引っ越しをしてきた。京都市左京区下鴨中川原町?→京都市左京区北白川久保田町25桂華寮→〒631奈良市青野町127→〒601京都市南区針小路町2樹庭夢幹303→〒271松戸IMG_2563.JPG市松戸159-1松戸第3住宅502(公務員住宅、家族は京都市南区西山町)→〒228相模原市相模大野4丁目2-5相模大野住宅3棟505(公務員住宅)→堺市上野芝町大阪市大の寮(家族は相模原市相模大野の公団住宅に引越)→大阪市住吉区我孫子→柏原市国分西2丁目→柏原市国分西1丁目(今)。
◆引っ越しの労力は大きく、家族にも迷惑をかけた。金も落ちていく。整理されていた資料類もぐちゃぐちゃになる。
◆文化庁からもってきた自分の資料、そっくり2000年に本棚へ収めていたが、13年間手をつけることもできず、そのまま今日を迎える。ぜんぶ捨てればスッキリするが、自分の生きた証でもあり、とくに調査研究の資料などは、きちんとファイルしておきたいと思うと捨てられない。結局、段ボールにつめて、引っ越し期間の間、保管しておくことにした。され、秋が深まり自分の研究室に戻ったとき、これらはまた配置するのだろうか。結局は定年までそのままかと思うと、さっさと要不要の分別だけはすべきか。
◆それにしても、抜き刷りはじめ、いろんな文献が身の回りにあふれている。そのどれだけに目を通したであろうか。自分の研究にとって、結局使っているのは限られた資料なんだな、これが。ほとんどは使うこともない。一方で、自分のやっていることに関係する論文でも、なかなか知悉できない現状。
◆それとニュースレターの類、まあそういう性格のものとして必要なんでしょうね。しかし、これらは綴じて図書館に入れるほどのものではない。そういう、たまたま手に取り目にした時に遭遇するだけのもので、それはそれでいい。が、発掘調査となると、どうなんだろうか。正式報告は出せないが、ペラのニュースレターや概報。そのあとで、ちゃんとしたものができるところはいいが、そうでないところも多いのではないか。最近、そういうのが目に付く。そこにしか世間に公表されていない調査、が、ペラだと文献資料として登録もされず、結局は知られないのである。
 

大韓帝国の併合

◆こないだのピースの集まりの時、各種団体の本の販売のところで、日韓併合のブックレットを買う。面白かったですよ。正67c60af5.jpg式の条約では、交渉者に対する委任状、そして批准書が必要だが、大日本帝国は略式で、伊藤博文が脅して外務省にあたるところの公印を持ち出し押したと。これ日韓協約の時だったか。
◆併合も大韓帝国の王の合意の上でなされたということが議論になっている。帰国した伊藤の復命の下書きが国会図書館にあり、王も臣下も合意しない、というところをおおむね合意され、みたいに書き直してあるのだそうだ。そして、いろんな文書で同じようにつじつまをあわせて記録し、そうした格好を見繕ったらしい。そうした最新の(といっても5~6年前くらいの話か)研究成果を知ることができた。
◆そして、伊藤が、「豊臣秀吉、あなたができなかったことをワシラはやってやったで」みたいな挨拶が紹介されている。ひとつの説では、関ヶ原で西軍の大将だった毛利、徳川時代に外様大名となり、周防長門に押し込まれる。そして吉田松陰の征韓論。要するに、明治期の長州の征韓論というのは、元をだどれば秀吉に行き着くのだという(吉田松陰の征韓論もそこに根ざすというものだったか)。西郷もいるし、そうした見方があたっているかどうか今ただちに判断できないが、世界のどこでもそうだが、圧倒的な力をふりかざし、傀儡を立て、そこと合意を結び、それで合法という。そうした事実の前に、日本は韓国でいいこともやった、などという屁理屈は通らない。

神戸の洋館

◆取り壊しマンションを建てようというのを、保存を求める地元住民が交渉し、9月いっぱいという期限を切って買い取ろうとしているとのこと。これに対し、神戸市議会も陳情を採択し、できるだけのことをやるよう市に求めるという。何億円という金だが、いま寄付は3000万円くらいという。神戸市がどう動くか。なんとか成功してほしいものだ。住民の意識も高いし、神戸市議会も態度を明確にするというのは、ほかも見習って欲しいもの。市民がいて議会も支援して、これ民意だと思うんですけどね。
◆平野屋新田会所のことを思い出す。

大阪産業大学の系列校生受験問題

◆系列校の生徒が、受かっても行かないのに受験している件、調査委員会は大学が関与していないとの判断。あ~あ、ここまでシラを切るか。明々白々のウソを堂々と発表して切り抜けようと・・・。
◆たぶん同じ日の新聞に、池田市の公社を介しての?不明朗な仕事の発注についても、市長の関与があったと認められないとの記事だった。ここもか、と思った。がこっちは、後日の記事では、市長などが第3者委員会の調査にほとんど協力せず、証明できないということのようで、市長に対し、市民への説明を強く求める結論を突きつけた、との記事。さすがに私立大学のようにはいかないということだが、しかし居座るんでしょうね、在任期間中は。そしてまた立候補したりして。
◆まあ、どこの行政も似たりよったり、柏原市も田舎である。これはカミサンの弁。最近のことは知らないが、前の市長の時には、亀瀬の公園にレモンを植える話だとか、サンヒルの話だとか、まあ市長が勝手にやりたいようにやった模様。
【追記】いまの中野市長もやってくれました。柏原病院に心筋梗塞の先生が着任したので、市民に心筋梗塞になれと発言。心筋梗塞で柏原病院にかかると1人250万がっぽり稼げ、赤字が解消するというのが本音。誤解を招いたというのはウソ。いずれにしても、上に立つ人間として、善人でなくとも、こんな発言したら叩かれるということもわからないアホ。そんなヤツに投票はしていないが、これがいま柏原市長であるというのも事実である。

6月30日、大歴大会

◆1週間前に新旧合同委員会で、甲南大学に初めて行く。阪急岡本駅は特急が止まるので便利。そこから西へ歩いていく。山4f4a696d.JPGが近い。そしてむろん、きれいな学舎である。30日の大会当日。考古部会は竪穴式石槨、けっこう人が入っていた。懇親会会場もきれいである。またこれで年度が改まる。企画委員長もそろそろ交代したいと思っており、来年度は、と思うが。帰り、岡本駅に向かっていると、川があり、がちがちに固められた川で、水はちょろちょろだが、これが大雨になると人が流されるということもうなずける。一気に舗装された地表や排水路経由で雨水が流れ込むのだろう。イノシシが3匹、歩いていた。

6月29日、ピースのシンポジウム

◆港区民センターに行く。200人以上が集まっていた。8人の方がそれぞれ発言。最後の、大阪空襲で母と弟を失った方の発言を聞いていると泣けてくる。個々の方の発言を思い出し、レジュメで再確認しながら、まとめのIMG_2551.JPG4232e60c.jpgメモを作成しておくべきだが、余裕はない。なぜ大阪空襲で1万人ほどが死ぬことになったのか、それを戦争を知らない既に多くを占める世代や、これから生まれてくる子供たちに伝えていくには、ピースはどういう展示にしていくのか、さまざまな提言があった。
◆大歴でも6月1日の意見交換会をふまえて文章をまとめないといけないのだが、なかなか簡単に手が出せないでいる。
◆これは記録集にまとめ、関係方面に提出するという。いろんな団体が、地道に取り組んでいることがわかる。いろいろ考えさせられるところがあった。最後に、ピースに意見を書いたハガキを出そうという出そうという提案があった。それも添付しておく。06f2c4d6.JPG
 

杉井さんと浜松鈴木さんの訪問

◆2013年6月27日、熊本の杉井さんと浜松の鈴木さんの訪問を受ける。楽しく語らう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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